四六ノ業 侵攻するリーラの残党軍!雷帝は地より天を穿つ…
遅れて申し訳ない
「…ふむ、揃ったか。……しかし妙な外野がいるな、何だその男は」
ルナがディアナを連れて街の外へと戻ると、ノサティスは不快そうにそれを眺めた。
それもそのはず、ディアナの傍らには鎧武器に身を包んだクレドという未知の男がいたためである。
ノサティスの問い掛けに、クレドは冷や汗を滲ませながら一歩前に出た。
「クレド・フォルティス――ディアナの…付き人さ。お前がノサティス……リーラハールス基地でディアナを殴り飛ばしたとかいう奴だな」
「…どうやらただの人間のようだな。剣聖ディアナのような霊力も覇気も無い。それで付き人だと? お前が剣聖ディアナに何をしてやれるというのだ?」
クレドからの敵対心に、ノサティスも意味の分からない苛立ちを覚えて言い返す。
お互いに手を出そうとはしないのは、この場で面倒を起こしたところで誰かが確実に止めると目に見えていたためだった。
「プハッ!」
雑魚同士の言い合いに思わず吹き出してしまったヴィスだったが、その笑みを手で隠す素振りすら無い。
いがみ合っていた二人は共にヴィスへと怨みの眼を向けたが、直後クレドの腕を柔らかく抱き締めたディアナが朱みの差した顔で告げたので口論に引き戻された。
「彼は…戦いなんてしなくても、あたしの助けになってくれるわよ。…あたしが強くなれるのは、…い、いつだって彼に支えられてるから…だもの」
言いながら勝手に恥ずかしくなっている彼女を思わず鼻で笑ってしまったルナは、それを誤魔化すように明るく装って、
「クレドは、ディアナの彼氏なんでい。恋人ってやつだ」
「…コイビト? ……あぁ、番いか」
「そーそー、つがいだ。…だから、こんなとこに連れてくる道理はねぇとオレっちも思ったんだけどな」
ルナはノサティスから理解を得ると、続けてディアナに批難の矛先を向けた。
するとディアナは拗ねたように他所を向いて、
「つ、連れてきてない。ついてきたの…彼が」
「迷惑なのは謝るけど、僕だって男だ。彼女が危険のある場所に行くなら、できる限りそれについてやりたいと思うのは普通のことでしょ。…まぁ僕がいて話が進まないなら、もう口は出さない。大人しくしてるよ」
赤面するディアナと打って変わり、クレドは飄々と答えていた。
ルナは彼の返答を無視して「用事済ませようぜノサティス」と勧めた。
流石にノサティスも以前の彼女と様子が違うのには気が付いたが、自分が口を出すことでもないと先へ進めた。
「…では本題に移るが、ヴィスドミナトルには既に話してある。私も同じ事を二度言うのは面倒だ。双方の事情を理解しているヴィスドミナトルから話をさせた方がいいだろうと思うが…」
ノサティスは、未だ「クックックッ…」と笑っているヴィスに眼を配せた。
ヴィスは咳払いをしてフンと鼻で笑うとノサティスの横に並んだ。
「あぁ、それが賢明だな、貴様は口が下手だ。…さて、端的にこいつの話を纏めると、どうもリーラの野郎が部下を掻き集めて隊を編成し、三日後の正午に合わせてパロに攻め込ませるらしい。大方俺達を急かすのが目的といったところだろうが、此方から『急ぐから待て』と言ったところでまず止まりはしまい。それはノサティスが此処に来る道中に部隊長と話し、既に確認してきた。故に抗戦する構えで行こうと思う」
彼の話にディアナ達は然して驚きはしなかった。
当然予想できる事態だった。
彼女達の反応はなくとも、視線は集まったので説明は続く。
「細かい話をする前にはっきりさせておくか。こいつは今回、例外的に味方をしてくれるそうだぜ。だがそれ以降はまた敵として対するんだとよ」
「…おい違うぞ。私が言っているのは、私から地位を奪ったアーク・オーガとやらにみすみす手柄を取らせたくはないというそれだけの…」
「訳などどうでもいい。どのみち貴様が今回限り此方につくことには変わりがないのだろうが。尤も、その今回限りとやらもこれで二度目になるのだがな」
ノサティスは容易くヴィスに言い負かされると『好きに言っていろ』とでも言いたげに眉を寄せてそっぽを向いた。
そうして楽しげにしているヴィスに、ディアナが訊ねる。
「けれど、どうして今になってパロを攻めるの? 怪霊衆はヴィスの命令で、ここ十何年間と人間への攻撃は控えていたのでしょう? 人間に殺し甲斐が出るまで待つという方針が、ラーベルナルドが怪霊王となって変わったということ?」
「いや、ラーベルの野郎も俺様と同じ思想だったはずだぜ…本人は心外だろうがな。ノサティスが言うには、『もう人間の進化を待つ意味は無い』とリーラが独自で判断したらしい。事が発覚すれば集会で大揉めだろうが、奴のことだ、何とも思わんだろう」
「待つ意味が無い、って…。人間は、もう進化しないと見限られたの?」
「いや、逆だ。貴様が…メデューサを倒す程の人間が現れたからだろう。今後貴様以上の人間の戦士は生まれ得ないと判断したのだ」
ディアナはポカンと口を開け、「あ、あたし…?」と戸惑った。
ヴィスはそれに大きく頷くと更に続ける。
「怪霊衆は本気で貴様を…牽いては俺達三之明を相手にする気になったということだ。貴様はそれほどに期待される力を持っていた。…とはいえ、本気でと言っても怪霊衆全員で一度に掛かれば勝負は見えている。そんなつまらない戦いで終わらせるなど言語道断だ。故に此方が攻めてくるのを待っている。……しかし、奴らは長引かせるつもりも無いだろう。そもそも怪霊衆という集いが結成された経緯を考えればな」
それにピクリと眉を揺らして反応を示したのはノサティスだった。
ディアナはその前の話題の方に気持ちが向いていて口を挟むつもりも無さそうだったが、訊きたいはずのノサティス自身も怪霊獣でありながらそれを知らないというのを少々恥じて先を促そうとはしない。
ディアナの事が気になっていて怪霊獣のことなど興味すら無さそうなクレドの様子をチラリと見て、約束を守るような律儀な気分でルナが訊ねた。
「そもそもの経緯ってなぁ、なんでぇ?」
「…うむ、まず…知っての通り怪霊衆とは怪霊獣の内上位九名を集めた者達だ。そこに名を連ねて然るべき実力を持つ者は他にもいるが、それらはこの九名のいずれかに与している。例えば四神の朱雀には青龍、白虎、玄武が味方についているな。このように、九名には自由に部下や仲間をつけさせている。余程の自信があるか、独りでやりたい者は味方をつけんがな。…ここまでで何か思うところはないか?」
「…さぁ…。…なんつーか、何かと戦う気満々だなって感じはするけど……。でもよぉ、人間なんかを滅ぼすつもりにしちゃあやり過ぎな布陣だよな。だって怪霊獣なら群れなくたって人間を相手にできるだろ? それこそコカトリス一羽でも放り込んでやれば一つの街を落とすのに十分なくらいだ。…でも、その癖人間の進化を十年以上も待ってみたり…行動がチグハグなんだよな」
「フン、流石に鋭いな。貴様の言うように怪霊衆の九名…――いや、九団体は、互いに大規模戦争を想定している。…そう、九つの陣営入り交じっての大戦争をな」
「…まさか、怪霊獣同士で天下取りの真似事をしようってのか? たったそれだけの遊びのために、わざわざ怪霊獣で九組のチーム作って、人間を滅ぼすって…。……人間を滅ぼす理由って、もしかして、…ただその遊びの邪魔だったからってことなのか…?」
ルナの問いにニヤリと不敵に笑ってヴィスが頷く。
その衝撃的な会話にディアナの注意も帰ってきて、「凶悪ね…」と生唾を呑んだ。
クレドはただ静かにディアナの手を強く握り、挟むまいとしていたその口を開いた。
「…何となく想像はつくけど、人間が邪魔とされた詳しい事情は?」
「簡単なことだ…『戦争をする場所』を確保したかったのだ。俺達怪霊獣ほどの力があっては、一つの場所に集まってただ決闘をするだけなのは面白くなかった。それよりはこの広大な地球全てをフィールドとしたい。よって、怪霊衆一体一体にアジトを設け、その周囲一帯を各々の領土とすることにしたのだ。…無論、怪霊衆の中でも格の違いはある。メデューサと以前の俺様となら確実に俺様が勝つからな。だが部下を基地に攻め込ませられれば俺様も疲労はする。そこからどう攻めるかで具合も変わるだろうという戦略性やハンデをつけることも目的の一つだな。ここまで全てをリーラハールスが企画した。しかし、それをするにはこの地上を広く支配する一つの種族が邪魔になった」
「……そうか、それが人間…って訳か」
「ああ。…しかしだ、俺達怪霊獣は殺しは好きだが、雑魚を殺して楽しいことなどない。それに地上の淀んだ空気や暑苦しいだけの陽光も好かんから、未だに地下を好む習性は変わらん。故にこの戦いが始まるまで俺達と人間とが深く交わることなど無かったのだ。しかし貴様ら人間は、数ばかり増えた癖にこの地上に益を齎さなかった。緑は廃れ、数と知恵により地上の強者となった人間は、天敵を知らず、一方的に動物を減らし続けた。それは別にいい……しかし、そうして屠られた魂は人間への憎しみによって集い、怪霊獣となって俺達の地底に増え始めたのだ。しかもその怪霊獣の中には生殖機能を持ち食事が必要な種族が増えた。暫くの間は怪霊獣同士で地底の奪い合いをし、それも楽しくはあったのだが、とうとう地上にまで生存環境を広げなければならなくなったのだ」
「…じゃあ、それが転機になって、地上を舞台とした大戦争を始めようなんて話になったのか…」
クレドが複雑そうに俯くのを見て、
「要するに人間が悪いってこったな」
これ見よがしに告げたルナ。
しかしそれを聞いたヴィスは首を傾げていた。
「良いも悪いも無かろう。人間はそういう生き物だった。そして怪霊獣もそういう生き物だった。そして強者が弱者を潰すという至極当然の摂理が重なり合って今があるのだ。そこに善悪を決めることこそ利己の悪ではないのか」
ルナはプイッとそれに顔を背けると、徐に背を向けてディアナの手を引いて街へと歩き始めた。
「え、えっと、ルナ?」
「ディアナ、話はもう分かったろ。三日後の正午に敵を迎え討つんだってよ。これ以上情報は要らねぇ。それまでにオレっちに経練の業のやり方を叩き込んで、最低限戦力になるようにしてくれ。クレドがこの数日でできたなら、オレっちは数時間でやる」
「そ、それはいいけど…。ま、待って、ルナ!」
ルナに強引に手を引かれたディアナは、クレドと繋いでいた手を放されて連れていかれた。
ディアナは何度か困ったように振り返ったが、目を細めて悲しい笑みを浮かべたクレドがゆっくりと首を振って見送るとそのままルナと去っていった。
「…ルナちゃんがディアナと仲良くするには、憎しみを僕に向けるしかないってことかな。…仕方ないね」
クレドの呟きに「ふむ」と顎に手を当てたヴィスは、少々考えてからやはり何も言わず手を下ろした。
「ヴィスドミナトル、今聞かされた話を踏まえて訊くが、地上から人間という障害物を無くすという目的がありながら何故人間の進化を待つような話に刷り変わったのだ? お前が怪霊王としてそう判断したのか?」
ディアナ達がいなくなって漸く質問したノサティスを馬鹿にしたように鼻で笑ったヴィスだが、それでも彼は律儀に答えてはくれた。
ルナの行動で微妙になった空気を感じてのことでもあった。
「貴様に『お前』と呼ばれる筋合いはないがな、まぁいいだろう。俺様とラーベルナルド、そしてリーラハールスの判断だ。初めはただ砂利を除くだけのつもりだったが、その砂利が玉に成り得ると知ってな…雨風に曝されてその玉が顔を出すのを今日まで待ち続けていたのだ」
「……砂利だとか玉だとか分からぬことを言うな」
「比喩も分からんのか貴様は…。人間に進化の可能性を見たという話だ。肉体で勝る数多の生物を凌ぎ地上の王となれただけの適応力と知恵を持っていた。いずれは怪霊獣と等しくなると確信して、その時を待ったのだ。現にディアナはメデューサを倒したろう。……そして、怪霊獣と等しくなった人間であれば、後の戦いに参加する権利があるだろうということだ」
「…人間を怪霊獣同士の戦いに参加させるために、生かしていたというのか…?」
「そういうことだ。今まで怪霊衆が九名と中途半端な数なことを不思議に思ったことはないか? 人間を含めれば丁度、十となる」
ノサティスは感心したが、すぐにそれにも納得出来なくなった。
九つしかないと思っていた怪霊衆の地位が実はもう一つあり、そこには人間が就くと決まっていたのだ。
つまり彼は、今まで見下していた人間という下等生物にすら敗けていたというのだ。
「…そ、そんな話、聞いたこともなかったぞ…」
「それはそうだろう、怪霊衆となった者しかプレイヤーになれんのだから。貴様はリーラハールスというプレイヤーの手駒に過ぎんのさ。……だが、貴様とてリーラにくっついていたなら名前くらいは聞いたことがあるのではないか? ――『終極戦争』という名を」
「い、いや、…リーラ様は…何も…。……きっと、私などに話す必要が無かっただけなのだろう。リーラ様が何を話そうと話すまいと私はただそれを忠実に全うするのみだ…」
「ハッ、見上げた奴隷根性だな。好きにするがいい、リーラに捨て駒にされようと貴様の自由だ」
嘲るヴィスに、ノサティスは苦味走った表情で「奴隷で上等」と答える。
その二人の傍まで進んできたクレドは、はっきりとヴィスと眼を合わせて訊ねた。
「…怪霊衆が人間の進化を待っていたなんて言っても、多少の抵抗ができるようになるくらいにしか期待されていないと思ってたよ。まさか十番目の怪霊衆に数えられる予定だとは思わなかった」
「ふむ、少し違うな。確かに初めは十番手となることを期待していたが、実際の人間全体での歩みはその予想を大きく下回り、未だに低い水準を彷徨いている。以前の俺様も含め、人間はもう見限るべきではないかと考えていたさ。だが、リーラハールスだけはその可能性を頑なに信じていた。人間は無限に進化ができる…いつの日か、全ての人間が凄霊長へと覚醒する時が訪れるとさえ言っていた。……まぁ、凄霊長までとは行かずとも、ディアナがその期待に応えてくれたことで今は終極戦争の始まりが目前に迫っているといったところか。今ではこの俺様も奴には大いに期待をしている」
「…ディアナが褒められていても、ちっとも嬉しくないな。ディアナはお前達怪霊獣とは違う、気弱で小さな女の子だ。お前達はこれだけの命のやり取りがあっても遊び気分でしかないんだろうけど、彼女は違う。常に胸を痛めながらも、守るべき者を守るために殺し合いを続けているんだ。…今の君に落ち度がないとしても、これだけは言わせてもらう。彼女をお前達の勝手な戦いに巻き込んでいいと思うな。…分かったな」
ヴィスはクレドの真剣な瞳に満足そうに笑い返した。
そして彼の横を通り過ぎながら、景気付けにパシンと肩を指先で軽く弾く。
「フハッ、俺様に凄んでどうする。無力感に抗いたくば残り丸三日を修業に充てろ。それが今の貴様にできる全力だ」
「…うん、言われなくともだよ」
しっかりと頷き返したクレドに、ヴィスはまた満足して頷く。
そうしてそれぞれの修業に入るべく動き始めた二人を前に、ノサティスはただリーラが全てを黙っていたことへの複雑な胸中に思い馳せていた。
※※※※※※※※※※※
――三日後、朱雀基地最奥部。
玉座の間より奥へと隠されたその小さな岩壁の部屋に、エゴノキの花の金装飾を帯びた大きな台座が備え付けられている。
朱雀はその上に羽を畳んで座り、精神統一を続けていた。
ふと、硬質な足音を小さく響かせながらリーラが部屋に訪れる。
朱雀はパチリと目を開けると直ぐ様静寂を破った。
「パロへの攻撃とタイミングを合わせたかったにしろ、三日は時間を取りすぎたな、ええ? 随分暇そうにしているじゃねぇか」
「そうですね、少し暇をもて余しています。ですがそれは、お前達の準備を待っているからですよ。…どうですか、朱雀? 無事神降ろしは成りましたか?」
「…ヘッ、恩を着せるような物言いしてんじゃねぇよ。俺達がお前のやりてぇことに付き合ってやってんだからよ。準備は無事終わった、あとは、お前からの合図を待つだけだ」
「そうですか、それは安心しましたよ。間に合わなかったらどうしようかと思いました」
「そいつは怖いねぇ…。なら今度はお前が急ぐ番だぜ。あまり待たせるようなら照準をお前に変更してやるよ」
朱雀はゲラゲラと笑いながら、急かすような視線をぶつけた。
その眼には冗談のような軽い雰囲気は微塵もなく、リーラが相手でも宣言通りに攻撃を仕掛けるという殺意を滲ませていた。
相手が誰であろうと、朱雀は他者から一方的に命じられることを快くは思わない。
「はは、それは恐ろしい。では怪我をさせられる前に仕事を終わらせますかね」
「ケッ、怪我で済むってかよ。流石はリーラ様だな」
「これは失礼。では、また合図の頃に一度戻りますから。麒麟を降ろして待っていてください」
笑いつつも悪態をついている朱雀を他所に、リーラは瞬間移動で基地から姿を消した。
朱雀はリーラのいた場所をジッ…と睨み付けると、静かに笑みを消して瞑想に入った。
※※※※※※※※※※※
「…怪霊王…よもや貴様にこのラティナを守られることになろうとは思わなかったぞ」
謁見の間にて、皇帝はフリヴォラを先頭に整列した兵団を背に、扉の前に立つヴィスと対面していた。
その表情はと言えば、怒りとも、屈辱とも取れる苦り切った顔をしていて、声も不満を圧して絞り出したようであった。
フリヴォラや、その他の兵士達もディエシレの丘での戦いや、捕らえた当初のヴィスがこの謁見の間で起こした騒ぎのことを忘れてはいない。
皆、今にも彼が高笑いしてこの場の全員を一斉に殺し回るに違いないと考えていた。
「フン…、馬鹿を言え。何故俺様がこんなクソのような国など守らねばならん。俺様が戦う理由はただ一つ、そこに敵がいるからだ。国など貴様らで何とでもすればいい。だが、一つだけ忠告しておこう。もし貴様らがディアナとルナの命を脅かそうものならこの俺様が直々に貴様ら纏めて業火の渦に呑み込んでやる。その時は、俺様のみならずあっちの男も敵に回ろうがな」
ヴィスが親指で背後を指す。
その先には、開け放った扉の片側を押さえたまま立っているクレドの姿があった。
皇帝達はヴィスとクレドが気の知れた関係であると考えると暫し混乱してざわめいていた。
実際の二人はまだ――少なくともクレドからヴィスへは――完全に気を許している訳ではない。
しかし、それでも団結するだけの関係は既に存在しているのだ。
一介の人間と、怪霊獣の王―――その奇妙な組み合わせは、大いなる歴史の変動を皇帝達に知らしめていた。
「…さて、行くか」
ヴィスはひらりと身を翻してクレドの横を通り廊下へと出ていった。
約束の正午まで後僅か……リーラ基地で殺されずに済んだ残党の軍隊が、街のすぐ外まで迫ってきている。
クレドは皇帝とフリヴォラに大きな所作で敬礼し、背を向けた。
そして扉を締めようと手を掛けたその時、「クレド・フォルティス!」とフリヴォラが呼び掛けた。
「…貴様は無理をするな。いくらここにいる兵の中では優れているとは言っても、怪霊獣と渡り合えるかは別だ。危なければすぐに戻り、剣聖ディアナに後を託せ」
「…勿論そのつもりです、軍総司令。ですが、僕にも意地があるんです。…剣聖ディアナの隣を歩くと決めた、男としてのプライドが」
フリヴォラは彼の青臭い言葉を真摯に受け止め、兵団を率いて一同に敬礼した。
一方、彼らの騎士道や私情など一向に解する気の無い皇帝は、「フォルティス伍長」と強めの声調で告げる。
「剣聖ディアナとのことは聞き及んでいるが、貴様は飽くまでこのラティナの兵士…この私の管轄下にあるべき人物だ。呉々も勝手な行動は慎むよう願う」
「…承知いたしております。では」
クレドは事務的に振り返って礼を示し、威嚇するようにバタンと音を立てて扉を閉めていった。
「――これはノサティス様、何故此方にお手を…?」
白銀の体毛を処々に生やした青いアーク・オーガは、背後に二五〇という部下を従えて現れた。
獰猛な図体と顔に似合わず低い声には知的なオーラを帯びているその怪霊獣は、たった一人遠くの街を背景にして此方に両手を突き出して待ち構えていたノサティスを冷めた目で見つめていた。
「お前達が退かなかったからだ。『攻めて来ずとも剣聖ディアナは逃げん』と伝えてやったというのに、引き返しもせずこうして攻撃を仕掛けに来た。…剣聖ディアナと前怪霊王、人造怪霊獣の完成体ルナール……これだけの大物揃いでお前達が一人でも生き残るはずが無いだろう。お前達の敗北はもう決まっているのだ。…だったらその内の一人くらいこの私が殺したからといって大局に何ら影響はない、そうだろう? …私の役を奪ったお前はこの私の手で死ななければならぬのだ」
「…なるほど、私怨を晴らすためにリーラ様への忠誠を偽ると。まさかそれほど馬鹿だとは思わなかったな」
「お前達の分までこの私が忠誠を誓ってやるよ。どうせお前達が全員ここで死ねば何もリーラ様には伝わらない。リーラ様の思惑通り剣聖ディアナの足並みが速まるという結果だけが残るのだ」
アーク・オーガはフッと嘲笑うと、フィンガースナップで合図して部下達を左右に別れさせ道を作った。
部下の多くはオーガやオーク、インプなど下級の怪霊獣だったが、その花道を進んで現れた五体だけは様子が違った。
それは岩のような灰色の巨体で、額に一つだけの大きな眼球は空色の瞳をギョロリギョロリと動かしている。
両のこめかみと頭頂に小さくも鋭利な角を携え、そして右手には各々極太の鋼鉄の棍棒を提げていた。
「…な、…サイクロプスだと…!? 馬鹿な、サイクロプス軍団はここぞという時まで使用を控えるとリーラ様が…」
「それが今なんですよ、ノサティス様。封印されているとしても、たかがオーガなどにヴィスドミナトルの相手が務まるはずがないでしょう。ヴィスドミナトルに対抗するにはこれぐらいの兵力が必要なのはあなたにだって分かるはずだ。リーラ様は我々を無駄死にさせるつもりなどないのだ…!」
アーク・オーガは高らかに笑い、ノサティスは戦慄して両手を知らず知らず降ろしていた。
サイクロプス一体ならノサティスでも対処はできる。
しかしそれが五体一斉に掛かってくれば一溜まりもない。
アーク・オーガ隊の兵力を見誤り安易な選択を取った自らを今更に彼は呪った。
「さぁ、ノサティス様、どうします? 今なら我々の軍に加わってもリーラ様には黙っていてあげますよ」
胡散臭く甘ったるい提案。
しかしノサティスは、冷や汗を垂らしながらもゆっくりと首を振った。
「…私は、リーラハールス様の右腕のノサティスだ! お前などの安い誘惑に乗ってなるものか!」
「――ほう、金魚の糞にも誇りがあったか」
小馬鹿にしながらも感心したような響きを込めて呟き、ノサティスの隣にスタッと影が降り立つ。
それは予想に違わず、クレドを脇に抱えて駆けつけたヴィスだった。
彼の超高速の移動に付き合わされたクレドは恐怖で暴れる心臓を宥めながらヴィスの腕を離れて立つ。
「…来たか、ヴィスドミナトル…! ……だが…、あの人間は何だ…? 剣聖ディアナは女だったはず…」
アーク・オーガはじっとクレドを見つめる。
その視線に真っ直ぐ切り返すクレドの姿に、アーク・オーガは僅かに眉を寄せた。
ノサティスは二人の姿を確認すると静かに頬を弛め、そしてそれを気取られぬように唇を結んでサイクロプス達を睨んだ。
「…こ、これだけの数の怪霊獣を…相手にしなくちゃいけないのか…」
クレドは目の前の軍勢を眺めて弱気に呟いた。
ヴィスはそれをフッと笑うと、ノサティスの視線を追って自分もサイクロプス達の動向を探りながら返した。
「何だ、あれだけ啖呵を切っておきながら怖じ気付いたか?」
「……怖じ気もするさ、でも、…誇りにかけて退きはしない」
「あぁ、そうしろ。だが案ずるな、貴様のことはディアナに任されている…何があろうと死なせん。サイクロプスどもが相手でも同じことだ」
クレドは彼の言葉を心強く受け止めてゆっくりと剣を正段に構える。
ノサティスはヴィスの横に顔を寄せた。
「剣聖とルナールはどうした?」
「もう来るぜ。ほら…」
ヴィスはクイッと顎で前を指し示して告げた。
それに合わせてノサティスが顔を前に向けると、ヴィスの時と同じように人影が二つ降りてきた。
「…予想していたよりは少ないね。…けど、ヤバいのが五体前に出てきてる。あれは僕がやった方がいいか」
ディアナは一腰だけ携えた長剣を右手に引き抜き脇構えになる。
その傍から少し横へと離れたルナは、仁王立ちのままスッとアーク・オーガを睨んだ。
「けどボスは手前の奴らじゃなくてあのオーガだな。…オレっちにやらせてくれ、力を確かめてみたい」
二人の闘士は静かに燃える青い炎のようだった。
冷静に、しかし力強く、目の前の敵を一掃する意志を見せつけた。
その迫力が伝わると、アーク・オーガは鳥肌を立たせて読霊を展開した。
「…人間でありながら八二一〇の霊力――あの女が剣聖ディアナ…。そして、…四、三八三、三〇〇……な、何と…これが、……なるほど、リーラ様が御目に掛かられるわけだ」
アーク・オーガは確信した…サイクロプス五体程度では、剣聖ディアナの一行を倒すことなどできない。
リーラの思惑は、戦況を前進させることと、この一行の実力を測ることにあったのだと悟る。
そしてそれ故のサイクロプスであり、リーラはサイクロプスが敗けることくらいは想定しているようだ、と……。
「…そうか、私はここで散る運命らしい。…だが、リーラ様が私をリーダーにお選び下さった…その評価は事実だ。ならばリーラ様のお心に私はただ応えるまで…! 剣聖ディアナ、覚悟―――」
アーク・オーガは猛々しく叫んだ。
己の命を捨てる覚悟を以てしてまで、真摯に任務を全うしようとしていた。
その心意気は称賛されるべきものだった。
…しかし彼の声は雷鳴に打ち消された。
深く重い雷鳴は、発光とほぼ同時に轟いた。
それだけの至近距離で雷が発生した事実も驚愕であったが、振り返った彼らはそれ以上に異様な光景を見た。
その稲妻は天から落ちたのではない。
光り輝く龍の如く天へと舞い上がっていたのだ。
一帯の空気を破裂し、蒸発させるかのような激しい爆発音と衝撃波。
そして眩い白紫の閃光が走り去った後、その被害場所がパロの南側半分――ラティナ城とその城下域に亘っている事実に至った。
「…え……し、城が……?」
最初に声を上げたのはクレドだった。
それも思わず飛び出したというような声で、後には続かない。
ディアナに至っては衝撃の剰りどのような言葉にも言い表すことができなくなっていた。
ルナは冷静に、先手を打たれたという状況だけを見ていた。
今の雷で多くの人間が被害を受けたであろうことは、彼女の心には大した波紋も落とさなかった。
…けれど一つ気が付いてしまう……あの城の傍には馬小屋があったということを……。
そしてヴィスは、訳が分からず放心しているノサティスやアーク・オーガの表情を見て、彼らが騙されていたという事実を思い知った。
それは彼の胸に激しい怒りを生んだ。
各々に忠誠と誇りを懸けて戦おうとしていた彼らの思いは、今この一瞬の内に二人の主の手で打ち砕かれたのだと理解したからだ。
「……リーラァァ……リーラハールスゥウッ!! 出てきやがれゴミ野郎…、貴様ァ…誇りを汚す戦いなどこの俺様が許すと思うかぁあああああッ!! 今すぐ出てこい腐れたクズ野郎、部下ごと纏めて捻り潰してやるッ!!!」
ヴィスの憤怒の声は突如変動した曇り空に吸い込まれ、ポツポツと振り出した雨の音に呑み込まれていく。
しかし未だ彼の目は獣のように鋭く輝いていた。
彼は確信していた。
リーラハールスは必ず此処に来ている。
そしてこの惨状を心の底から楽しそうな目で傍観しているのだと。
「お呼びになられましたか、我が王よ…」
――天高くに出現したその悪魔は、薄ら笑いを浮かべてヴィスの前へと降りてきた。




