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改新奇譚カリバン~封じられし魔王~  作者: 北原偶司
樹海之篇
48/67

四四ノ業 ルナの本心、繋ぎ留めたい小さな友情

 ディアナとヴィスが部屋に戻ると、そこではクレドが一人で座禅を組んでいた。

 ルナの姿は何処にもなく、ヴィスと顔を見合わせたディアナはクレドを呼び起こして訊く。


「ねぇ、ルナはどこ?」


「ん、ルナちゃんか…。彼女はシャワーを浴びに行ったよ」


「シャワー…? ルナが?」


 クレドは自分でも戸惑いが抜けておらず、自信なく小さく頷く。

 ヴィスはその会話を腕組みながらに聞き、状況を俯瞰している。


「ついさっき出ていったところだよ。汗掻いて気持ち悪いってさ」


「…汗? 座禅を組んでただけじゃなかった…? それにあの子、シャワーは大の嫌いで自分からは一度も入ったこと無かったはずだけど…。だって、あたしがルキウス様との修業でいなかった時ですら入るのを渋ったのよ…?」


「…でも、本当に自分から言い出したんだ」


「どうしてかも分からない…?」


「理由なんて聞けないよ。女の子のことだから、僕から口は出せない」


 鬼気迫る彼女の追及にクレドはタジタジとしている。

 彼はまだ何の事情も知らないのだから当然だろう。


 彼女はすぐにヴィスへと振り返った。

 状況を整理したヴィスだが、しかし、彼も女という性質を理解している訳ではない。


「…今日までの様子を見るに、ルナはアノロクの記憶を認識しないよう無意識に努めてきたはずだ。それが今は抗いきれなくなり、その抑圧が心身にプレッシャーを掛けている。おそらく発汗はそのためだろう。…だが普段は取らない行動まで取っているなら危機感を持った方がいい。それは、ルナの心がアノロクの記憶に侵食されている証拠だからだ」


「…その記憶って、例えば…?」


「そこまでは俺様も知らん。だが、アノロクの被害者の多くは女だった。だからこそメデューサ達も女の姿をしていたのだ。…貴様は確か水浴びが好きだったろう…その貴様も女だ。ルナがシャワーを浴びているというのなら、被害者の女の誰かの習慣が乗り移っていると考えるのが妥当だろう…」


 ディアナは彼の言葉を最後まで聞くと、グッと拳を握り締め、噛み潰すように告げる。


「…あたししか、ルナの話を聞いてあげられないわね」


 そして部屋の端に積まれた荷物の山から着替えを取り出し、すぐさま部屋を走り去っていった。



※※※※※※※※※※※



「……ぅ…! ……っぷ……、…はぁっ……はぁっ…」


 タイルを叩く冷水の束の中、裸でしゃがみ込んだルナが口元を押さえていた。

 絶えず迫る嘔吐感と高なり続ける心拍。

 そして他人の記憶に伴う不快感と、脳裡を寄生虫が這い回るようなおぞましさが立て続いていた。


「…な、何で…オレっちばっかり、こんな……!」


 何処かで女が叫んでいる。


「…し、知らねぇ! 知らねぇ!! オレっちはお前らのことなんか何にも…!」


 刃に引き裂かれる。


「オレっちにゃあ関係ねぇ! 人間が人間相手に勝手にやったこったろ!?」


 衆目に吊し上げられる。


「あぁ分かったよもう分かった!! 人間が憎いんだな!? 恨みを晴らして欲しいんだな!? もうよく分かったよ!!」


 …下衆な男ども。


「でもなっ、こいつぁオレっちの身体でオレっちの心だ、おめえのもんじゃねぇ! おめえへの義理はもうオレっちなりに果たしてやったんだからな! アノロクでメデューサを食ってやったろ!? おめえらの記憶が更に入り込んでくるってのを分かってて、それでもオレっちなりおめえらの命を慰めようとしたんでい! その仕打ちがこれかよ、なぁ!!」


 …ねぇ恨めしくない?

 あたし達の犠牲の上に成り立つ平和でヘラヘラしている連中が。


「何でだよ、別にいいじゃねぇかっ! おめえがどんだけひでぇ目に遭ったからって、関係ねぇ奴らまでそれに引っ張られるこたぁねぇだろ!!」


 他人事じゃないのよ?

 あなただってあたし達と同じ、醜い人間の犠牲者なのだから…。


「犠牲者!? 何が、誰がっ!? オレっちはペール・ルナールに産まれたことを悔いちゃいねぇし恥もしねぇし惨めにも思わねぇッ!! おめえら人間の常識で勝手に哀れんでんじゃねぇ!!」


 でもあなたは人間からどう見えているのかを知った…あたし達の記憶があなたに人間の心を教えてあげたから…。

 そしてあなたは、どれだけ自分が哀れな女の子かを理解した。


「…し、知らねぇ! …しし、ししらねぇっ…!」


 あなたは祝福されて産まれた―――質の良い実験サンプルだから。


「しらねぇっしらねぇっ!」


 あなたが女の子だから博士達は喜んだ―――雌の方が霊力増大の素養があるから。


「しらねぇってんでぇ、しらねぇよ!」


 雌ならペール・ルナール同士の交配実験ができる。

 落ち目の変霊術師を高値で雇わずに済む。


「しらねぇんだよぉぉぉ!」


 あなたの母親は喜んだのかしら。

 狐と交わって出来た子供がお腹の中で大きくなるのを、どんな気持ちで見ていたのかしら。


「あぁああしるかああああッ!!」


 でもお金はたくさん貰えた。

 きっとそれで借金をチャラにでもした。

 母親を幸せにできて良かったわね。


「だまれぇぇええええ!!!」


 あなたの父親はどんな気持ちだったのかしらね。

 野狐の父。

 人間なんかに捕まって、封印術と鎖で縛られて、ただの種畜として死んでいった。


 …あぁ、彼こそあたし達と同じ…。

 彼の気持ちがあたし達には理解できる。

 人間どもに命を汚された。


「うるせぇうるせぇうるせぇえぇえ!」


 でも、あなたはそれよりもっと可哀想。

 あなたは産まれながらに汚されている。


「しんじまえぇぇえええッ!」


 …ねぇ、これでもまだ恨めしくない?



「――ルナ、大丈夫!?」


 肩を引かれ、顔を上げるとタオルで前を隠したディアナの姿がある。

 心配そうな顔……それを見るとルナの頭の中に響く声が途絶えた。


 代わりに目眩がして、微睡むように周囲が遠く感じた。

 ルナは手を引かれて立ち上がると、両腕で胸などを隠した。


「…大丈夫?」


 ディアナがもう一度問い掛ける。

 ルナは頭から被り続けた冷水で重くなった前髪を、指先でスッと横に流した。


「…だい…じょうぶ。……ぅん…」


 寝惚けたような怪しい口調で答えたルナ。

 ディアナはシャワーを一旦止めて中腰になり目線を合わせた。


「ねぇルナ、今悩んでることとか――……ううん、違った。…あたしって口下手だから、単刀直入に行くわ。…今、ルナの身に何が起きてるのかをあたしは知ってる。だから、どんな風に辛いのかを教えて。全部を分かってあげられるとは言わないけど、あたしもルナと一緒に頑張りたいから…」


「…う…ん…」


 ルナはディアナと眼を合わせている内に瞼が重くなりフラフラと揺れ始めた。

 そんな彼女の両肩を抱いて立たせ、ディアナは更に続けようとした。


 しかし抱いた身体に看過しがたい違和感を感じたディアナは、じっとある部分を凝視して言葉を失う。

 八歳の少女なら平坦なはずの部位が、不自然にも僅かばかりに膨らみかけていた。


「……ルナ、…あなた、どうしたの…それ…」


 驚愕を通り越して戦慄だった。

 そして更に視線を下へ落とすと、ルナの脚を伝った黒い経血が水溜まりを汚していた。


「……何でルナの歳で…」


 ディアナの困惑にルナはぼんやりとした意思の無い顔を向けるだけだった。

 ディアナは気を取り直して脱衣場に引き返し、タオルとナプキンを手に戻る。


「ルナ、これを――」


「うん」


 急に微睡みの抜けたルナは、差し出されたそれを奪い取るとディアナに背を向けた。

 教えてもいないのに当たり前のように血の意味を理解して淡々と身体を拭いていく彼女の様子に、女達の記憶が彼女を支配しつつあることをディアナは理解した。


「…ルナ、何でもいいから、何かあたしに話してみて。不安なことでも、嫌だったことでも、…最近楽しいこととか、やってみたいこととか…本当に何でも」


 ルナは振り向きもしない。

 ディアナの声は更に窄んだが、彼女は本音で話すと決めていた。


「何だか今のあなたが昨日までとは別人のようで、…怖いの。…ねぇ、あなたはルナよね? あたしの初めての親友の…そう思って、いいのよね…?」


 ピタリとルナの手が止まった。

 少しだけ振り返りかけて、また元の動作に戻る。


 そして、身体にタオルを巻きつけた姿で振り返ったルナは、寂しそうに俯いた。


「…ディアナは綺麗だよな。品があって、凛としてて、可愛いくて…」


「そんなこと…。それならあなただって――」


「気楽な人間に産まれたかった」


 ルナはディアナの言葉を遮って冷たく言い放った。

 思わず息を呑んだディアナの間抜けた顔を、ルナはクスリと笑う。


「…にぃちゃんも人間に産まれてきたら良かったんだ。そんで、オレっちとは近所に住んでて、産まれたときからずーっと一緒の幼馴染だったら良かったんだ。…ペール・ルナールじゃなけりゃ…にぃちゃんはこんなことにならなかったし、オレっちもずっと一緒にいられた。そのまま普通に育って、長いこと子供同士で…それが少しずつ大人になっていって、…いつかは、将来を約束し合う仲に……なんてさ」


「…あたしが…どうにかする。そうすればきっと今からだって……」


「……さっき水面に写った自分の顔を見たんだ。初めて知ったよ、オレっちの顔…こんなに気持ち悪かったなんてさ…! 今までこれが普通だと思ってたんだ! 縦長の瞳孔、暗がりで光るデカい瞳、頭の上に生えたデカい耳…! こんな人間いねぇよ! まるで化け物じゃねぇか!」


「そんなことを言うのはやめて!」


 互いに声を張り上げる。

 ルナは怒りに眉を寄せ、ディアナは涙を流した。

 シンと静まった室内にピシャンと雫の音が染み渡る。


「…あなたは綺麗な心を持ってるの…。素直で、明るくて、可愛らしい…温かな心を…」


「無知だったから?」


「変わらないわよ…! 何を知っても、どんなことがあっても、あなたはっ…!」


「…今のオレっちが綺麗に見えるか?」


 ディアナはそれに答えられなかった。

 ルナにとってはそれこそ雄弁な答えだった。


 彼女はディアナの横を通り過ぎて先に出ていく。


「もうオレっちに踏み込まねぇでくれ。最近ディアナと話してると、心がトゲトゲしてくるんだ…」


 ディアナはそれを聞くと、もう振り返ることもできなくなった。



※※※※※※※※※※※



 翌日、ディアナはヴィスと共に修業に出て、部屋にはルナとクレドだけが残った。

 元よりその予定だったとはいえ、ルナの前から逃げた後悔は常にディアナの胸を苛む。

 ヴィスは彼女の行動を訝しみはしたが、決して責めたりはしなかった。


「…ルナちゃん、今日は体調はどう? …大丈夫?」


 ベッドの上で座禅を組んでいるルナを前に、椅子を移動してきて座って見守っていたクレドが問い掛ける。

 子供に世話を焼くような優しい響きが、今の彼女にはただ耳障りだった。


「辛かったらすぐ横になっていいからね」


 温かく笑いかける。

 そんな彼に悪意を抱いてしまう自分の情けなさに彼女は苛立っていた。

 ふと座禅を解き、胡座をかいて目を開ける。


「…オレっちが横になったら襲ったりするか?」


「襲う…なんで? そんなことはしないよ、安心して。言われれば部屋の外に出ておくし、必要なら身の周りの世話くらいできる。望むならディアナをこっちに引っ張っても来られるし」


「そりゃそうだよな。オレっち人間じゃねぇしな」


 自嘲して吐き捨てたルナに、クレドは首を傾げつつそっと語りかける。


「どこで何を知ったかなんて聞かないけど、焦って大人になることないよ。今は視界を霧に遮られていても、必ず晴れる日が訪れる。君はそれをただ辛抱して待つだけでいいんだから。不安でも、手を取ってくれる人は周りにいるんだから。僕も君にとってその一人のつもりだよ」


「…『子供だから』か? ならオレっちが大人だったら襲うのか?」


「ううん、僕はディアナの信頼に応えたいからね」


「じゃあディアナと付き合ってなかったら?」


「さぁ、どうかな。実際にそうならないと分からないさ」


 彼は頑なに首を縦には振らなかった。

 自分に気を遣うよりもディアナの方が大事なのだ、とルナは解釈する。

 それは、彼の失言を拾って責めたかった彼女には剰りにつまらない回答になった。


「クレドはディアナが美人だから付き合ったのか?」


「…どうだろうね。僕としては『可愛いから』って方がしっくり来るかな。美人じゃなくても付き合ってたかもしれないし、そうじゃないかもしれないね」


「じゃあ例えば、ディアナと同じ顔で、ディアナより何でもしてくれる奴がいたら? それでもディアナを取るのか?」


「それが今現れるならディアナを取るよ」


「へえ、そっか…」


 最後の彼女の一言は一際嫌な空気を孕んだ声だった。

 そして彼女は、ベッドから降りた。


「今度は『その時にならないと分からない』って言わねぇんだ?」


「だってそれ、僕がディアナと付き合ってるのを前提にした問いでしょ? だったら答えは一択だよ」


「ディアナの信頼があるからか?」


「単純に僕の意思さ」


 真っ直ぐに答えてくる彼の誠実さ、勇ましさが彼女の心を掻き乱す。

 立ち止まったまま俯く彼女に、クレドは少し警戒して眉を寄せながら、


「…ねぇ大丈――」


 その声は突然途切れた。

 目の前の少女が、突如彼の前でチュニックを下着ごと脱ぎ始めたのだ。


「…な、何をやってるんだ君は!」


 駆け寄って彼女が床に捨てようとした服を掴み、胸のところまで持ち上げさせる。

 次の瞬間、彼は手をルナの人間離れした腕力に引かれ、いとも容易くベッドの上に押し倒された。


 そして目を開けると、彼の上には胸を腕で隠した半裸のディアナが覆い被さっていた。


「…どうだよ、クレド。本人には頼めないことができるんだぜ。何だって叶えてやっていい」


 甘やかさなど無い、怖いくらいに真剣な声で彼女は告げた。

 そして彼の首筋に唇を近付けようと迫る。


「…ッ!」


 パシンッ――…その乾いた音は、クレドの平手が奏でたものだった。

 それは子供を叱るような軽いものではなく、自分達の平穏を脅かす敵に向けたような重たい暴力。


 そして彼の眼にはくっきりと恨みの色が滲んでいる。


「…君は彼女の親友だろう!? それが何でこんなことをするんだ!?」


 ルナは元の姿に戻るとスッと身体を起こし、彼に背を向けて服を着た。

 決して彼にその顔を見せまいとするように、振り返らずドアへと歩きながら話した。


「…オレっちとディアナを仲直りさせたきゃ、簡単な方法があるんだぜ。おめえがディアナと別れればいいんだ」


 ルナはそう言うとクレドの返事を待たずドアを突き飛ばして出ていってしまう。

 彼は豹変した彼女の悲痛な叫びをその小さな背中に感じて、ベッドに座って項垂れながら自らの頬に平手を打った。



※※※※※※※※※※※



 遠くの城を背景に並んだディアナとヴィス。

 互いに睨み合い、後退って離れる。


 狼が獲物を狩るように身を低くして構える彼女に、彼は仁王立ちのまま待ち構えている。

 互いに武器は持たない。


 直後、全身に放電を帯びた彼女がヴィスへと飛び掛かる。

 対してヴィスは愚直にも真正面から殴り掛かる。


 速度はまだヴィスが勝り、彼の拳が先に彼女の眼前へ突き出された。

 しかし次の瞬間、彼の手が貫いたのは細い雷光を帯びた残像で、彼女は既に彼の横に構えていた。


 そして振り返りかけて無防備な彼の胸尖に、鋭い蹴りが見舞われる。


「グッ…!」


 ヴィスはフラリとよろめいて後退り、ディアナは静かに脚を下ろす。

 しかしディアナは不満げに俯いて身体に残る放電を見つめた。


「…上手く行かないわね。これじゃあ仙攻丹を重ね掛けしてるだけ。一回目の仙攻丹はあなたとの速度のバランスが取れていて良かったけど、二回目のは一秒間持続してしまった。ちゃんと〇・一(れいてんいち)秒に短縮できないと…」


「『瞬仙攻(しゅんせんこう)』…と言ったか。貴様の固定観念を破壊する技だ、開発に時間が掛かるのは仕方がなかろう」


「ホント、技名だけ決まっててもカッコよくないわね。…これ以上行き当たりばったりで試しても埒が明かなそうだし、一旦他の術の修業に移りましょうか。少し時間を置いた方が見えるものもあるでしょう。……そうすると、まずは『吸霊』の習得からかしらね」


「あぁ、それと『霊玉操』だ。…結局ゆっくり教える時間が取れておらんかったからな。我霊射が使えん貴様は奥の手として覚えておいた方がいい」


 ディアナはそれを聞くと、「…ふふん」と自慢げに笑って右手を上空に掲げる。

 そして消えてしまった仙攻丹の放電を再び蘇らせ、その一秒の間に右手から我霊射を放つ。


 射出された青い閃光はそれなりの威力を保持したまま天へと消えていき、彼女の右腕は大した傷も受けず高々と突き上げられていた。


「メデューサ戦で見なかった? 仙攻丹の効果が持続している間なら、こんな風に撃つことができるの。あたしだって我霊射使えるんだから」


「…しかし、今のままでは我霊射の度に仙攻丹を使うことになるのだろう? 近接戦ができない時に我霊射を撃つのだとすると、その一秒間分怪霊力が無駄になるのだ。しかも腕が摩耗し使えなくなれば貴様の長所たる近接戦も不利になるから、必然的に我霊射は出力も使用頻度も抑える羽目になる。これでは相手にダメージを与えることも難しかろう。貴様の戦術に我霊射を取り入れるのは厳しいのではないか? 無論霊玉操のコントロールは難しく、習得しても毎回数秒の集中時間を要するだろうが、相手を崩し、隙を突いた後のトドメとして用いる分には我霊射より有効と言えよう。霊玉操を習得することに集中した方がいい」


「…そうですね、はい…」


 打って変わりしょんぼりと肩を落とした彼女に、彼は思わず「フッ…」と柔らかく笑った。

 彼女に拗ねたように睨まれ、彼は笑みの抜けない口元を隠して眼を逸らす。


「まぁ、最低限の威力で撃って陽動にするくらいの戦略は立てられる。誘導我霊射のコツなら教えてやるから、貴様の好きなように戦いに取り入れればいい」


「…ええ、どうもありがとう」


 彼女は口を尖らせて言い返したが、その後眼が合ってしまうとどちらからともなく吹き出して笑い合っていた。

 …けれど、()()()()()笑っている自分への罪悪感が彼女に昨日のルナの様子を思い出させる。


 急に彼女の顔が曇るので、彼はすぐ真剣な顔に戻って言葉を待った。


「…ねぇ、どうして、何も聞いてこないの? …ルナとのこと、あたしじゃ上手くいかなかったってことくらいは感じ取ってるんでしょう?」


「それはな。だが、別に俺が意見したところで好転もしないだろう。結局のところ、貴様を信じて待っている方が確実だと踏んだだけだ」


 ヴィスの信頼をこそばゆく感じつつも、やはりディアナには落ち込みの方が大きかった。

 人から明確に拒絶されるなど交友関係に乏しい彼女には初めてのことだったのだ。


 変わらず暗い面持ちでいる彼女に、「案ずるな」と彼は無愛想ながら穏やかに告げた。


「俺様も何か策を思い付けば動く。貴様ではやり辛いことならば俺様が引き受けてやる。だからそう不安がるな」


 彼女はそれに「あたしも――」と力強く答えかけていた。

 しかし遠くに足音を感じて振り返り、言葉は途切れる。


 ヴィスも遅れて彼女の視線を追うと、クレドを部屋に置いて街を飛び出したルナが苦しげに虚空を睨み据えて佇んでいた。


「…ルナ、あなたどうして……」


 ディアナの問い掛けに、ルナは何も答えず顔を上げて僅かに笑った。

 虚勢を張ったような固い笑みは対面するディアナをたじろがせ、横に逸れた場所から観察するヴィスの瞼をピクリと震わせた。


「ヴィスに稽古つけてもらってんのか。それならオレっちも相手してやろうか?」


「…は…? あなた何を言って…」


「そりゃ仙攻丹使われちゃ敵わねぇけどさ、素の力でやり合えばオレっち相手でも練習くらいにゃなるんじゃねぇかな。なんたってオレっちは握力や足なら人間より上だからな」


「……どうしたのよ、ルナ…急にそんなこと…。それにあなた…二日目…なんだから、あまり無理しない方が――」


「…うるせぇなさっきからブツブツよ。黙って来やがれってんだ」


 ふと、ルナの声が低く唸るような調子に変わった。

 その豹変にビクリと驚き、冷風にそよがれたかのような寒気をディアナは覚えた。

 そしてその困惑を他所に、ルナが真っ直ぐに駆け出していた。


「――ま、待ってルナ! あたしはあなたとなんて戦えない…!」


「嘘こけよ、モンヴァーティで殺しかけた癖に…」


 鋭く重い拳がディアナの髪を掠める。

 間一髪内に受けて飛び退いた彼女にルナは透かさず追撃を仕掛ける。


 その動きには以前の野性的な雰囲気は無く、成人女性が多少の武道を齧ったような素人的ながら落ち着きのある所作に感じられる。

 …ルナ自身が何かを習ったのではない…名も知らない誰かの記憶から、その技術を自分の物にしているのだ。


「ホントよ、今のあなたを傷つけるなんてできるわけないじゃない! 例え練習でも、あなたに手を上げるなんてこと…!」


「…だったら好きに殴られてろよ! オレは容赦しねぇから!」


 追撃は上段の回し蹴り。

 工夫も特に無く正面からの攻撃で回避は容易だが、元の速度差が開き過ぎているためディアナは怪霊力十の仙攻丹の使用を余儀無くされた。


 身を屈めて弧拳で受け、素早くルナの横を通り過ぎて逃げる。

 技術では明らかにディアナの優勢…しかし、ルナの執念は際限無く彼女を追い立てる。


「今の…やろうと思えば反撃できたのに、やらなかったな…! オレっちなんか反撃せずあしらえるってのか!? …馬鹿にしやがって、怪霊術の才能だけならオレの方が上だッ!! 嫌でも手ぇ出させてやる!!」


「…なッ…!?」


 ルナは振り返ると走りながら地面に操霊の放電を放ち、地面から二つ土の槍を伸ばしてディアナへ迫らせる。

 その槍は太い土から細い鋼鉄の刃への姿を変えてディアナを襲い、彼女はそのあり得ない変化に目を疑った。


「鉱物の無い土から鋼なんて…いや、まさか…!?」


 ディアナはそれを両手の我霊射で相殺して確認した。

 鋼はその一瞬で土へと立ち戻り、宙でパラパラと舞う。


「土に具象変化を掛けた…!? そ、そんなバカなこと…!」


 驚愕に心奪われたディアナは、ハッと正気に返って辺りを見回す。

 ――ルナの姿が、無い。


 …そう、今の具象変化はただの陽動。

 洗脳変化で姿を隠すための一手に過ぎなかった。


 そして既に彼女はディアナの背後へと回り込んでいる。


「――ッ!」


 寸前、ディアナは気配を察知して僅かに仙攻丹を引き上げ、十字受けを取り振り向く。

 ルナの拳をギリギリで受けた両腕はくっきりと黒い痣を残して、ディアナはその痛みに顔をしかめながら身体を泳がせた。


「…く、…ル、ルナ……!」


 ディアナはその腕をだらりと垂らして必死にルナを見つめた。

 何があってもあなたには手を出さない、と、その意思を訴えるように頑なな視線を送った。


 ルナは、突き出したままの右手とディアナの怪我を見比べて唖然としていた。

 それはまるで、つい先程まで夢だと思っていた出来事が現実だと理解したかのように…。


「ご――………」


 ルナは咄嗟に言いそうになった言葉を呑み込んだ。

 そして、ディアナに背を向けてトボトボと街へと引き返し始める。


「ルナ! あたし、何があっても友達だから! あなたとそう約束したから…! あなたがそれに頷いてくれたから…! だから…!!」


 ビクッと肩が揺れて、ルナの足が止まる。

 そして振り返ることもなく唸るような声が返る。


「…うるせぇよ…! だったら…だったらにぃちゃんを返せよッ! 優しかったオレのにぃちゃんを返せッ! それがダメならクレドと別れろッ!! こんな不公平なまま友達なんて図々しく言ってんじゃねぇ!!」


 …誰かが息を呑んだのをヴィスは聞いた。

 それはルナの本心に傷付いたディアナかもしれないし、決して言うまいとした想いを隠し通せなかったルナの後悔かもしれなかった。


 彼は今にも走って逃げ出しそうなルナの前に回り込み、彼女を自らの胸に抱いてディアナを見た。

 失意に暮れてぼんやりとしている彼女に、彼は努めて普段と変わらずに呼び掛けた。


「ディアナ、先に城へ戻ってクレドと部屋にいろ。俺達は少しここで話す」


 彼女が顔を上げて、瞳に陽光が映ってその潤みを悟ると、彼は不器用に微笑んで「案ずるな」と告げた。


 ディアナは二人を見ないようにして早足で過ぎ去っていった。

 しかし抱き抱えるようにしていたヴィスは、ルナが彼の肩越しに彼女の背中を眺めているのを感触で理解してしまう。


 ディアナの影も形も遠くに消えてしまってから漸く、「まだ気は落ち着かんか?」とヴィスが問い掛けた。


「……前までは本当に好きだったんだ、ディアナも…クレドも…。…今だって、別に…嫌いって訳じゃないんだ。…だけどあの二人が、一緒に幸せそうにしているのを考えると、腹の中がグツグツ煮え立ってもう訳が分かんなくなっちまって…! …気が付くと、二人に、酷いことを……」


「…すまんが俺は貴様の気持ちを雀の涙ほどにも理解できていない。おそらく貴様の苦しみを理解してやれるのは女であるディアナ一人だろう。…しかし、貴様を苦しめる元凶たるもやはりディアナなのだろうな」


「…ディアナに、『分かってあげられる』って顔されるとムカつくんだ…」


「クレドも憎いか?」


「…多分、クレドが一番ムカつく…。……あいつがいなけりゃディアナは()()()()のままで、オレっちと痛み分けにできたんだ。そうすりゃ、今だってきっと色々納得してディアナのそばに居られたかもしんねぇ……って…そんなこと考える自分が…すっげぇ嫌だ…」


「…そうか」


 ずしりと重く吐かれた彼の声は、彼女の想いを出来る限り理解し受け止めたいとするその心情を如実に打ち明けていた。

 それは荒んだ彼女の胸にも真っ直ぐに響く。


 彼女は数日ぶりの安楽に身を委ねつつ、その相手が剰りにも意外だったものだから、気恥ずかしくて染まった頬を厚い胸板に埋めて隠した。

 そんな彼女の乙女心を露程も知らず真剣な彼は、考え尽くした末の単純な一案を示す。


「…暫く俺と二人でいてみるか?」


 彼女はそれに迷わず頷いた。

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