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改新奇譚カリバン~封じられし魔王~  作者: 北原偶司
樹海之篇
47/67

四三ノ業 新たなる課題、次なる旅に備えて…

 女子便所の個室に鍵を掛けて籠る少女。

 奥を覗けば汚物が見えるような穴開き椅子に躊躇う余裕も無く凭れ掛かり、絶えず呻き声を漏らす。


 頭の上の大きな耳はしょんぼりと萎れ、ふわふわだった長髪は一時活力を失ったように背中に張りついて、尻尾は苛立たしそうにバタバタとタイル床を叩いている。


 …朦朧とする意識の中、喘ぎながら不意に鮮明な地獄が脳裏を過ると、再び彼女の喉に胃酸が迫り上がる。

 声も漏らさずビチャビチャと便器内に嘔吐し、彼女はまた喘いで顔を上げた。


「…気持ちわりぃ……」


 今頃ディアナとクレドは部屋で何をしているだろうか…。


「気持ちわりぃ…」


 世の中の男女の多くも、同じようにしているのだろうか…。


「気持ちわりぃ…!」


 自分はそれ以下の痴態の中産まれてきたのか…。


「…気持ちわりぃ気持ちわりぃ気持ちわりぃ!!」


 彼女はまた、大きく便器の中に顔を突っ込んで嘔吐した。



※※※※※※※※※※※



「ヴィス、今回もぬらりひょんの戦い方について教えて。それに合わせた修業をしていくから」


 パロに帰還した翌日の午後、三之明の部屋にクレドも加わって、ソファーに腰掛けて向かい合っていた。

 ディアナの手の縁が、愛撫をせがむような素振りで隣のクレドの脚に何度も触れているのを、対面にヴィスと隣り合って座るルナは口角を上げたまま凝視していた。


「残念だが俺様も奴のことについてはよく知らん。何度か会ったことはあるがまともに会話も交わしておらんからな。知っていることと言えば、どんな攻撃も易々と躱してしまうという謎の特性だけだ」


「…素早いってこと? それとも、あたしのように気配を察知する能力が高いとか…」


「悪いがそれも分からん。奴がそれほど素早く動くようには思えんが、如何せん戦っているところを見たことがないのでな。可能性としては後者を推したいが、何とも言えん」


 ヴィスの返答に少し困ったディアナだが、そもそも仲間という認識に乏しいはずの怪霊獣の社会で互いの手の内を知っていることの方が稀であろうと感じた。

 そのため、この際ならと彼女は続けて問い掛ける。


「…じゃあ、他の怪霊衆の戦い方は分かる?」


「他? …朱雀以降の奴らは殆どが肉体と霊力に頼った純粋な強さだ。無論何かしらの隠し玉は持っていてもおかしくないが、詳しいことは分からん。…だがメデューサやぬらりひょんのような絡め手の敵より、純粋に強い相手の方がやり辛くはなろう。いつまでも弱点を探す戦い方は通用すまい」


「…そう。…ねぇ、でも、リーラハールスはただ強いだけではないのでしょう? 半凄霊長の力を持つ彼は、瞬間移動やその他特殊な技をたくさん使ってるって…。あなたが前に、そう話していたはずだけど…」


「奴は如何なる相手にも己を明かさん、得体の知れん奴だ。実際に見たことのある技しか俺様も知らん。そもそも奴のことなど何一つ知らんのだからな、産まれも、経緯も」


 ディアナはそれを聞くとパチクリと目を瞬かせて問い掛けた。


「…信頼してる相手…じゃなかったの?」


「誰がだ」


「リーラハールス」


「あぁ? 何故俺様があのような不気味な者を――」


 ヴィスは言いながらに自らの不自然を悟って口を閉じた。

 そして、今の発言がまるで誰かに言わされたかのような気味の悪さに陥って口元を押さえる。


「……いや、…そうだな。確かに俺様はリーラを信頼していた。力ではラーベルナルドに敵わないながらも頭のキレは良く、自信家でありながら周囲にそれを悟らせぬ振る舞いをし、自らの力の程をよく理解している…そんなあいつを俺は…信頼していた…。そうだ、それは事実だ。……だが、何かが引っ掛かる…何かが…」


 一人で混乱してブツブツと呟くヴィスに、ディアナもクレドも彼が何を言っているのかすら分からず首を傾げ合う。

 話が逸れたので「分かった、ありがとう」と質問を取り下げようとした彼女だったが、ふと思い出した彼が「待った」と遮るように口を開くとまた真剣な表情に戻る。


「…ぬらりひょんのことだが、以前も言ったように奴は個人で戦いはせん。常に何千という部下を従えて、そいつらに戦わせるのだ。加えて此方が基地へと攻め込む以上、奴は軍勢の中心に身を置くはずだ。…ならば俺達が備えるべきは乱戦の極意だろう」


「…なるほど、対複数戦術を鍛えないとまずぬらりひょんのところに辿り着けないか」


「ああ。しかし、それについては貴様より俺様が戦う方が理に適っている。瞬間的な最大速度と立ち回りの切れは今や貴様の方が上だろうが、絶えず迫り来る敵を往なすには膨大な霊力と強靭な肉体を持つ俺様に分があろう。しかしいくら俺様でも無数の雑魚と戦い抜いた後にぬらりひょんとは戦えまい」


 ヴィスは本腰を入れるジェスチャーのように両肘を膝に乗せて前のめりに告げる。


「…ディアナ、貴様はぬらりひょんを倒せ。俺様は全力で貴様をその場所へ連れていく。無論無傷でな」


 ディアナは両手を膝に戻し、拳に決意を握り締めて頷こうとした。

 しかし、その寸前になってピタリと止まって、瞼を閉じて耽考すると、彼の目を見て首を振る。


「…メデューサを倒すだけでもあれだけ苦労したのよ。あたし一人で倒せるような計算はしない方がいい。やるなら、周囲の怪霊獣を根刮ぎ倒してから全員で攻めるべきよ」


「ふむ…。そうも考えたが、やはり貴様のスタミナの無さは乱戦では大きな欠点になる。そこで無理をするよりは…」


「そうよね、あたしの持久力の無さが響いてくる。…だから、それを克服するか…もしくは補うための修業をすべきだと思うの」


 ヴィスは腕を組んで険しい顔をしたが、ディアナは彼に訴えかけるような視線を浴びせ続けた。


 実際ディアナが持久戦を行えるようになれば、これ程戦力を増大させることはない。

 しかし一筋縄ではいかないだろう。


 ディアナの霊力を増やすには『食事』を摂る以外に方法は無いが、ただの人間である彼女がその方法を続けても一日八十の霊力が限界なのだ。

 怪霊領域を広げて収霊で怪霊力を蓄えておけば一時的な解決にはなるが、より強い敵が出てくる度に広げていっては切りがない。


「…僕としても、その方がディアナ一人に負担が掛からなくて安心するかな」


 ポツリとクレドがそう溢し、ヴィスはフンと鼻で笑った。


「ディアナは貴様に案じられる程弱くはない。メデューサを倒した女なのだからな」


「…そうさ、僕よりずっと強い。…だけど、それが僕が彼女を心配しない理由にはならないよ」


「ほう…、そいつは面白い主張だな」


 ヴィスは予想外の答えが返ってきて素直に感心した。

 そして暫し彼と見つめ合ってから、静かに挑戦的な笑みを向ける。


「ならばクレド、貴様もルナと共にディアナの指導を受けろ。貴様が多少でも戦力になれば戦いに連れていってやる。そうなれば貴様の不安も無くなろう。ルナもライバルがいる方が修業に身が入るはずだぜ。どうだ?」


 問われた彼を含め、ディアナも、作り笑いで茫然としていたルナも顔を上げて驚いた。


「…今、もしかして僕のこと名前で呼んだ…?」


「不服か?」


「あー、いや、そんなことはない…けど…。……何で…?」


 ヴィスはフンと笑い飛ばし、ディアナに矛先を向け直す。

 クレドは困惑したまま、他の二人に視線で疑問を訴えた。


「今はとにかく情報が無い。一先ずはディアナ、貴様の案に乗るとしよう。だが、具合的にどうすべきかは考えが及んでいるのか? 経練の業とやらで領域を広げるなど短絡的な手段しかないのなら、賛同はしかねるぞ」


「大丈夫、ちゃんと考えてはあるよ。勿論怪霊領域はもっと広げるつもりだけど、それよりも手っ取り早くて実践的な方法がある」


「ふむ、言ってみろ」


 ヴィスに促されると、彼女は神妙に頷いて答えた。


「まず一つは、仙攻丹の無駄をなくすこと。今のあたしは相手に攻撃を当てるために必要な分量を見極めて怪霊力を使っているけど、本当は間合いに入るまではそれほど速くなくても対応できるの。だから、攻撃をする瞬間の〇・一(れいてんいち)秒さえ相手に追いつけられれば十分」


「…なるほど、一秒という持続時間に着眼したわけか。〇・一秒だけに効果を狭めれば、それだけ怪霊力を節約できるということだな」


「ええ。まぁ、そのやり方はこれから模索していくことになるんだけどね。…もう一つが、吸霊の習得。今回のルナの協力で、怪霊力を吸い取る戦法の有用性をよく理解できた。『相手に触れて吸収する』という条件が大きなリスクにはなるけど、仙攻丹で相手の身体能力に追いつけるあたしならそれなりに有効だと思う」


 ヴィスはその提案に耳を傾け、腕を組んでフムフムと繰り返し頷く。

 そして最後に一際大きく頷くと顔を上げて彼女の目を見た。


「ふむ、いいではないか。そういうことなら共に戦っても良かろう」


「ありがとう。…そうしたら、あなたの方も何か強化する方法を考えなければね」


「…俺がか?」


 ヴィスは自らの手を見下ろして首を傾げた。

 それは不満と言うよりは悩みの表情だった。


「俺様が力を存分に用いるにはカリバンの封印を解く他無いだろうな。…身体能力だけは怪霊領域や回復力よりも立ち直りが早い。一パーセントまで封印が解ければ元通りになるだろう。しかし、現状はまだ〇・〇五(れいてんれいご)パーセント。その上リーラ基地での戦い以来急に封印の解放があまり進まなくなった。やはり封印解放の鍵が何であるかを俺自身が自覚しなければならんということだな」


「別に封印を解かなくてもあなたならどうにかして強くなってしまうと思うけどね。幻弄や我霊射外しを覚えて有効に使えてるし、誘導我霊射なんて技も編み出して…」


「あんな技、理屈が分かれば誰でも使えてしまう。当然今後も新技の開発は怠らんが、それだけでは太刀打ちできん奴らがこれから現れてくる。やはり封印の解放条件を知るのは急務だろう。…ディアナ、貴様は本当に姉から何も聞いておらんのか? ヒントになりそうな言動にも覚えは無いか?」


「な、無いよそんなの…。あたしが聞いているのは、『術者の定めた資格を手に入れれば解放される』ということだけ。その資格が何かまでは本人以外には知り得ないもの」


 少々困り顔のディアナを責められず、ヴィスは悔しそうに舌を打ってソファーの背に凭れ掛かった。


「…ディエシレの戦いから今日までで、『封印を解くに価する資格』というやつを俺様は、少なくとも〇・〇五(れいてんれいご)パーセントは手に入れていたという訳だ。…これまで俺様がしてきたことを一つ一つ紐解いていけば判明するやもしれん。…そうだな、暫くは己の修業を控えてその事を考えてみるとするか」


「あ…。あたし、仙攻丹の使い方を試しながら改善していきたいから、できたらヴィスには組み手の相手をして欲しかったんだけど…」


「ほう、いいだろう。面白そうだ」


「…でも、修業控えるんでしょ?」


「別にその程度なら付き合う。貴様とやりあえるのも中々興味深いしな」


「…あぁ、そうよね。うん、ありがとう」


 ディアナが安堵を笑みに滲ませると、ヴィスはフッと笑って組んでいた腕を解き、それまでずっと沈黙していたルナへと視線を移す。

 ルナはぼんやりとディアナの下腹部を見るとなしに見ていた。


「ルナももうじき戦力に数えられるようになるのだろう? 術は十分に習得しておるのだから、あとは経練の業とやらで怪霊領域を広げるだけだ」


 ルナは自分のことが話題に上がるとバッと顔を上げてぐわりと目を見開き、そしてやたらと明るい笑顔をニィッと作った。

 ヴィスはそれを凝視して、訝しそうに眉を寄せていった。


「…いいえ、そう上手く行くかはまだ分からないわ。経練の業に入る前にまず『無我(むが)(めい)』という仮死レベルの静止状態を維持できるようにならなければいけない。今はその第一歩として座禅を組ませているだけの段階だから…」


 ルナの異変など素知らぬ風にディアナが話を続けた。

 それにヴィスが「おい貴様――」と顔をしかめると、彼女は真剣な眼差しを返しゆっくりと首を振った。


「そういう訳なの、クレド。悪いけど暫くはこの部屋でルナの座禅を見ててあげて。あたし達の修業についてきたんじゃ座禅なんてできないだろうから、できるだけリラックスできる場所の方がいいの」


 急に矛先を向けられたクレドは戸惑い気味に「あ、あぁ、いいけど…」と頷き、それを一目見たディアナはすぐに立ち上がってヴィスを手招きしながら歩き出した。

 ヴィスは彼女の素振りに妙な気配を感じながら、大人しく応じてついて歩く。


「じゃあ早速出てくるから、お願いね。ほらヴィス、行きましょう」


「おう。…ルナ、しっかりやれ」


 二人は連れ立ってバタンと扉を閉めて部屋の外へ去っていく。

 困惑の剰り半立ちになってそれを見送ったクレドは、いつの間にか項垂れて前髪に顔を隠して座っているルナへと視線を移す。


 指導役になど殆ど回った試しの無い彼は、かつて未熟だったディアナに怪霊術を教えてやっていた頃を思い返しながら頭を掻いて笑う。


「…まいったな」


 そうして困り笑いのままルナの肩へと手を伸ばす。


「ルナちゃん、ベッドの上に移動しよう。それなら脚も痛まないし、最初はとにかくリラックスする事から始めた方が――」


 ――パシンッ!


 乾いた音がその小さな部屋に反響した。

 何かが弾けたようだと彼は思った。

 ただそれが何かは分からない。


 否、認め難かったのだ。

 目の前の彼女―――いつも明るく笑うルナが、仇を呪い殺すような鋭い眼で自分を見ていた。


「…ルナ…ちゃん……?」


 ルナは、クレドを手を叩き退けていた。


「……臭い…」


 ルナはそう呟くと困惑する彼の胸ぐらを引き寄せながら立ち上がり、その肩に鼻を埋める。

 そうして短く…スン…と、確かめるように吸い込んだ。


「……ディアナ臭い」


 その憎悪に濁った低い声が、一体誰から発せられているのかとクレドは驚かざるを得なかった。

 奇怪な空気につい怯えて、彼は相手がルナだとも忘れて両手で突き飛ばしていた。


 ガンッとソファーの角に後頭部を打ち付けて座面に横たわった彼女に、遅れて正気に戻ったクレドが駆け寄る。


「ご、ごめん! 大丈夫!?」


 すると、起き上がったルナはいつも通りの無邪気な笑みを浮かべていた。


「…へへ、オレっち平気でぇ。…ちょっくら驚かしてやろうって思ったんだけど、やり過ぎちまったみてぇだな! ははっ! さぁ修業だ修業! ベッドの上でやんだろっ? 急げ急げ!」


 彼女はカラカラと笑いながらベッドの飛び込んでいくと、開始の合図も待たずに座禅を組み始める。

 しかし心を落ち着けるどころか彼女の様子のおかしさは一向に無くならなかった。


 数秒じっとしたかと思うと、「へへ…!」と笑い声が漏れる。

 口を閉じて集中し始めたかと思うと、両足が不気味なほどにガクガクと震え出す。


 そして本人はそれを自覚していないのか、ずっと同じ調子で静止と奇行を往き来していた。

 クレドはそれを目にして、掛ける言葉など何も思い付かなかった。



※※※※※※※※※※※



「――き、貴様! そんな大事なことを何故今日まで黙っていた!」


 街から離れ平原に立ったヴィスは、ディアナに告げられた事実に声を荒げた。

 彼女はそんな彼の様子に、「…やっぱり話せば良かったわね」と苦い顔をしている。


「当たり前だ! ステンノーの肉体というのはな、人間の怨霊どもの魂から形成されておるのだ! しかも統制するのも未熟な人間だったせいで肉体に生前の記憶が染み付いたままになっていた! それを食ったのだぞ、平気なはずがあるまい!」


「…ごめんなさい。パロに帰ってくるまで殆ど異変が無かったものだから、気のせいなのかと思ってしまって…。変になってしまったのも今朝急にだったし」


「それはそうなのだろうが…、しかし、帰還までにも時間はあったはずだろう…!」


「…あなたもノサティスとの会話の内容を控えていたようだから、あたしも休息を取った後がいいかと…」


 ディアナにそう言われると、ヴィスもこれ以上は責められなかった。

 彼は額を押さえて息をつくと、


「…仕方ないか…。いや、今からでも遅くはあるまい」


 そう告げて、一旦冷静に状況を俯瞰することとした。

 安心できる状態では勿論ないが、気を急いてもどうにもならないのも確かだった。


「今、ルナはどんな状態にあるのか…訊いても?」


「俺様も飽くまで推測でしか語れんことだが…、ルナはアノロク事件の被害者達の記憶を送り込まれたのだろう。今はその記憶に自分自身が呑まれぬように踏み留まっているというところだろうな。…しかし、所詮は他者から与えられた記憶だ。ルナ自身の記憶や感情とは隔たりがあり、数日もすれば奴も忘れてしまうだろう」


「…じゃあ、記憶が消えるのを待っていればいいの…? 何もせずに…?」


「ルナがその記憶に呑まれなければだがな。…しかし、死に際のメデューサがそんな無駄なことはすまい。『ルナなら呑まれるだろう』という想定があればこその行動だったに違いないさ。ならば俺達は、最悪の事態を想定して行動していくべきだ」


 ディアナはこの三日間で何も行動に出なかった自らを悔い、「…悪化を、食い止められたかもしれなかったのに…」と項垂れる。


「いや、まだ呑まれてはいないのだ。今日から片時も眼を離さずにおれば問題は無かろう。貴様がよく面倒を見てやれよ、俺などより貴様の方がルナからは慕われているだろうからな」


「…そう、ね。…ルナはあたしと友達でいると言ってくれたんだもの。あたしが傍にいてあげないとね」



 ――恨まねぇ自信があったのに、こればっかりは思っちまうみてぇだ。…何でディアナにはクレドがいて、オレっちの傍にはにぃちゃんがいねぇんだろ、って…――



「………なぁ、ディアナよ。…奴は、貴様を…」


 ヴィスは記憶の底からルナの本心を汲み出してディアナに聞かせたくなった。

 おそらくそれが問題を解決する何よりも手早い手段だと知っていたから。



 ――今の、ディアナには内緒な。墓まで持ってってくれ――



「…あたしを? …なぁに?」


 目の前で不思議そうに首を傾げている彼女に、ヴィスは首を振ってその肩を叩いた。


「奴は貴様を責めたくなど無かろう。メデューサが与えた…人類への憎しみの記憶から、貴様が奴を救ってやって欲しい。人間でありながらルナの親友でもある、貴様がな」


「ええ…。でも、あなたも一緒に救うのよ? ルナの友達はあたしだけじゃないんだから」


「そうか? …ならばいいがな」


 ディアナは彼のささやかな笑みに大きく頷き返す。

 それからふと気付いて、「そういえば…」と彼女が首を傾げる


「ノサティスとは何を話してたの? 隠してたってことは、…何か重大なこと?」


「いや、間を置いたのは少しルナを不安にさせるかと思ったからというだけだ。…スティリウスが怪霊衆に加わった。順位はメデューサの一つ上だそうだ。そしてどうやら怪霊衆を狙って歩き回っているらしい」


「スティリウスが…? …怪霊衆に加わったのに、怪霊衆を殺すの?」


「俺様は怪霊獣に『人間への攻撃は加減する』ように命令していた。今の怪霊王がラーベルナルドならば俺様と同様に人間の力を引き出せるだけ引き出してから殺そうと考え、その命令を継続させているだろう。…これは人間を滅ぼしたいスティリウスからしてみれば邪魔でしかない。そして、その命令を解くには自らが王となり命令を塗り替えるしかない。だから怪霊衆を順に倒し、力をつけながら怪霊王の座を目指している…と、こんなところだろうな」


 ディアナは淡々と告げられるそれを、思わず楽観的な言葉で覆い隠そうとする。


「…もし彼も怪霊衆を狙うなら、あたし達の味方に――」


「奴が仮にも怪霊衆の一員として動こうと云うのなら俺達が倒すべき敵だ。…ましてや、怪霊王などを目指すのであればな」


 ヴィスは敢えて彼女の言葉を覆した。

 …楽観して誤魔化すべきではない。

 スティリウスが悪の道へと堕ちた原因は間違いなくディアナにある。

 ならばディアナはその責めを負うべきなのだ。


 しかし彼女一人を悲しませることなどもうヴィスには出来なかった。

 だから彼は、悔しそうに唇を噛んで俯く彼女に一言、


「だがスティリウスは俺が殺す」


 彼のそれに彼女は答えようが無かった。

 できるならば殺したくない…そして、どうにかルナを彼の傍にいさせてやりたい。

 彼女の胸にはそれしかない。


 そして二人は、スティリウスの件に納得できる答えを見出だせぬまま、せめて今のルナを救ってやるべく、元の部屋へと真っ直ぐに帰っていった。



※※※※※※※※※※※



「――…なるほど、こいつが地獄というやつじゃな」


 エクソシズム連合軍の本拠地である要塞都市パレゲオ。

 そこから遥か千キロメートルに敷かれた防衛ラインに、今日もワイバーンの軍勢が攻め込んできていた。


 怪霊術を駆使して一歩もラインを超えさせまいとする戦士達に対し、ワイバーンは術など不要だと嗤いながらその音速をも超える飛行や炎の吐息のみを以て蹴散らしていく。


 戦いは一分と持たなかった。

 砂塵と血の嵐が過ぎ去った後には分断された肉塊の山が聳えた。


 総勢三〇〇〇の兵士が、今や一五〇〇以下。

 兵士達が戦意を喪失し屍に跪くと、ワイバーンの群れは満足して引き返していく。


 それは暗黙のルールだった。

 一定周期で攻めてくる怪霊獣達に、人間が諦めず防戦を続けれていれば、毎回少しずつ人数を増やしつつ殺していくだけで撤退するという、謂わばゲームのようなものだった。


 …これは戦いなどではない。

 今日此処で死んだ兵士達は勇敢な英雄などではなく、ただの生け贄なのだ。

 悪魔が呈示するゲームに応じることで、滅びの日を少しでも先延ばしているだけに過ぎない。


 その戦いを遠方の見張り塔から眺めていた神仙は、案内役についていた長官に背後から囁かれる。


「…ご覧の有り様です。この戦いの当初よりは明らかに我々の力は上がっているはずなのですが、それでも所詮はこの程度…。今日戦った多くの兵は怪霊領域を二百以上まで広げてきた猛者達ですが、…それでも一矢報いることすらできないのです。……二怪霊神仙様、どうか我らの軍に加わっては頂けないでしょうか…?」


「……そうじゃなぁ…。…こんな先の無い老い耄れではなく、今後を生きる者達にこそ解決してもらいたかったが…ここまで酷いとなぁ…」


 神仙は遠ざかるワイバーンの影を、…その行く先を見つめて「ふむ…」と息をつく。


「…神仙様、どうか…」


「おうおう、分かっとる。ちゃーんと協力してやるから」


 神仙はカラカラと笑いかけたが、そんな陽気も疲労の溜まった長官の心を解すには至らない。

 おちゃらけているのもこれまでだな、と彼は笑みを引っ込めた。


 全身を青い光に包んで宙に浮かび、「すぐ戻るぞ」と言い残して高速で飛び立つ。

 長官が「ど、どこへ!?」と手を伸ばしたが、彼は既にその手の届かない先へと向かっていた。


 彼は高速移動ですぐにワイバーンの群れへと追いつく。

 その群れの全員に素早く洗脳変化を掛けた彼は、気付かれることなく後をついていった。


 そうして暫し進んでいった先に、得体のしれない巨大な怪物の姿を二つ見た。

 一つは鋼のような身体を桑の実色に鈍く光らせた大蛇――それも、一つの尾に対し首が九つに別れた異様な姿だった。


「…なるほど、あれがヴィスの奴が言っておった不死の蛇…ヒュドラとかいう奴か。……ならば、もう一体は…」


 もう一つは、コブラのように頸部の広がったシルエットに、一切の色彩も無く、何処からが実体で何処からが影なのかも曖昧な漆黒の大蛇だった。


「太陽に仇なす者…アポピスか。……両方とんでもない巨体じゃな、あれこそ化け物じゃろう…」


 神仙は僅かに冷や汗を背に滲ませてその場に止まった。

 ワイバーン達はそれに気付くことも出来ないまま飛び去っていく。

 恐ろしいその二体の化け物に、神仙はそれ以上近づいてはならないと感じたのだ。


 …しかし、その二体が神仙に気付くことはない。

 ヒュドラもアポピスも互いに絡み合った状態で、これまた巨大な無数の鋼柱に押さえ込まれたまま深く眠りについていたのだ。


 …あの柱群が無くなれば、二体はすぐにも目を覚ます…あれはそういう封印なのだと理解した。

 しかしそれは剰りにも軟弱な封印だった。

 封印を掛けた者が、まるで封印を解かれても何も困らないとでも考えていたかのような杜撰な封印――…否、それどころか、愚かな人間が間違って封印を解いてしまうのを今か今かと待ち望むような意地の悪さを垣間見た。


 あの二体は柱を退かさずとも少し刺激でも与えれば目を覚ますのだ。

 とてつもなく凶悪な爆弾だと神仙は理解した。


「…やれやれ、怪霊獣という奴らは…とことん人間の命で遊ぶつもりのようじゃな…。相当心根の腐った輩のようじゃのぉ、()()()()()()とやらは…。これではやはり、ディアナ達だけでは荷が重すぎるか」


 神仙は二体の化け物を見下ろして遂に決意する。


「…光栄に思え。この戦いを二怪霊神仙の死に場所にしてやろう」


 今はまだ眠る化け物達に、彼は静かな宣告を下した。

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