三九ノ業 昨日の敵は今日の友!宿命の強敵を討つために!
ルナにはディアナに掛ける言葉など無かった。
…リーラ基地でも、今回も、…自分は何もしていない。
ただディアナの背に隠れていただけ。
それがどうして慰めの言葉など吐けるだろう。
石となってしまったヴィスに縋りつくディアナの背を、鼻の奥にツンとした痛みと熱を感じながら眺めているしかないのだった。
「…こ、こうなったら…お前達だけでも…!!」
ノサティスは恨みの籠った声を上げながら、ゆらゆらと宙に浮かび上がる。
悲しみに暮れていたディアナもすぐに気が付いて臨戦態勢を取り、ルナは何もできないと分かった上で彼女を庇うように前に出て叫ぶ。
「しょ、勝負はさっき着いたろ! おめえの敗けだ! …これ以上何をする気なんでい!」
「…わ、私には…もう後が無いのだ! お前達に基地を滅茶苦茶にされ私の信用は貶められた! その上リーラハールス様はスティリウスなんぞ云う小僧を拾って以来酷く御執心だ…私など視界にすら入れて下さらない! これ以上敗けを重ねる訳にはいかぬのだ!」
「へ、へんっ…! 四肢を斬られたおめえに何ができるってんでぇ…」
「…脚が使えずとも、こうして空を飛ぶことはできる! 全ての怪霊力を速度に変換して突撃すればお前達もただでは済むまいッ! 刺し違えてでも勝ってみせるぞ! この討ち死にの後、リーラ様が弔ってくれるならばなぁ!!」
ノサティスは身体を縮めて突進の用意を始める。
その目の据わり様はもはや正気とは呼べない。
追い詰められた彼が取れる最大にして最後の手段だった。
…ディアナの領域にはもう殆ど怪霊力が残っていない。
彼女が万全の状態で戦うには、二分半以上も収霊で怪霊力を周囲から取り込まなければならない。
彼女自身が持つ七千の霊力でも対処は可能かもしれないが、一秒で倒しきれなかった時に保険が効かない。
そこまで考えた後、ルナは両手に霊玉操を発動して、その怪霊力の玉の固形化を微量の操霊で維持しつつ手の平に乗せた。
「…私に勝つつもりか? お前が? ふざけるなよ…」
ノサティスの額にビキビキと血管が浮き出る。
それに及び腰になりながらもルナは決して逃げぬように自らに言い聞かせた。
…今度こそ自分が命を掛けて戦うんだ、と。
「待って、取り引きしましょう」
突然ディアナの声が二人の間に割り込んだ。
ルナは彼女の介入に少し安心してしまいつつも、ノサティスへの警戒を改めて強める。
そしてノサティスは、苛立たしそうにディアナを見ながらも身体の竦みを感じていた。
「また『取り引き』か、剣聖ディアナ…! 私はもうお前の思い通りになど絶対に――」
「メデューサを殺させてあげる。…どう?」
その魅力的な提案は、一瞬にして彼から怒りを取り除いた。
まだ敵意は残っていながらも、彼は地面に降りて座り込み「どういうことだ…」と先を促した。
空気の変化を察したルナは霊玉操を解除して腕を下ろし、彼女に身体を向けて聞く。
「僕にはメデューサを倒すことはできない。読霊と仙攻丹を併用できない僕では相性が悪過ぎる。けれど、あなたにはその肉体と十分な霊力がある。目を瞑って常に読霊を用い、踏み込むタイミングさえ掴められれば必ず勝てる。…そして僕の頭の中には既に、あなたがメデューサを倒すための作戦が出来上がっている」
「…それを私に教えるから、この場は見逃せと、そういうことか…?」
「いいえ、それだけじゃない。…今、気づいたわ。ヴィスを助ける方法、あなたなら…知っているんじゃない?」
ディアナの問い掛けにノサティスの目尻がピクリと反応する。
ルナは再度ヴィスの方を振り向いて、
「ほ、ホントか!? ヴィス、助かるのか!?」
「ルナ、ちょっと読霊で見てみて。彼の魂が無事かどうか」
「お、おう!」
彼女は速やかにディアナの指示に従った。
そして読霊で見ると、ヴィスの肉体は確かに石になり、霊力の波長も石のものに近づいてはいるが、…その奥にある熱が――魂が消えていなかった。
「い、生きてる! ディアナ、ヴィス生きてんぞ!」
「…ええ! 良かった…。でも、早く元に戻してあげないと。このまま放置していたら、きっと、他の石像と同じように魂まで失われてしまう…!」
ディアナは生存が確定すると安堵して微笑む。
二人は頷き合うと今一度ノサティスへと注視した。
彼がその答えを持っていると期待して。
…しかし、彼は苦い顔をしていた。
それは彼女達の言いなりになってしまうことへの抵抗感もあるが、何より彼には答えようの無いことだったからだ。
「…何故私が石化の解除方法を知っていると思った?」
「ヴィスから聞いたよ、あなたは怪霊衆の座を争ってメデューサと戦い、そして敗けたことがある。…つまり、石化してから復活した経験がある。そうでしょう?」
「……残念だったな。確かに私は石化された。全身を石にされ、意識だけはあるものの五感も行動も封じられてしまう、その体験もした。そしてリーラ様に解除して頂いた。…しかし、私にはそれがどうやって解除されたものか分からない。故に、ヴィスドミナトルを解放することはできない」
「……そう。いえ、解除できることを知れただけでも収穫だよ。ありがとう。…そこから先は、メデューサを脅してでも解除させる」
ディアナは少し気落ちしつつも冷静に告げて、剣を納めるとヴィスが提げている革袋から仙活湯を六瓶取り出す。
ノサティスは敵から礼を言われたことに居心地の悪さを感じながら眼を逸らしていて、目の前に小瓶を一瓶突き出されると怪訝な顔をした。
「何だ、それは」
「十時間くらいの間回復力を上げることができる薬だよ。今のあなたがヴィスと変わらないくらいの回復力なら、その傷の修復には十分は掛かる。でもこれを飲めば数十秒で治る。…メデューサの倒し方を話すのはそれから」
ノサティスはそれを信頼してもいいものか悩み、そして腕が使えないという事実にも直面する。
そして彼女の厚意から逃げるように顔を背け、「十分待つ」と告げた。
しかしその直後、ディアナは残り五瓶を地面に置いて一瓶から栓を抜いて彼の顎を押し上げた。
「お、おい…! 要らないと言っている!」
「いいから、飲ませてあげるから大人しくなさい。『十時間持続する』と言ったでしょ? 飲めばメデューサとの戦闘も有利に運べる」
ノサティスは顔を振って彼女の手を振り解こうとも考えたが、仙攻丹を使っていない彼女の微弱過ぎる腕力を感じると、どうしてかその気が失せた。
…弱く、小さく、温かい……そんな手の感触は産まれて初めてだった。
知らず知らず彼女の手に従っていた彼は、仙活湯に喉が潤うと同時に傷口を見つめた。
四つの傷が彼女の言った通り八十秒で全快すると、立ち上がって全身を見渡し、驚き戸惑っていた。
「あたしも一応飲んでおこうかな…。無駄になるなら無駄になるでいいし」
ディアナはノサティスの反応を見て頷くと、残りの五瓶を開けて一気に飲み干した。
空き瓶をまたヴィスの革袋に押し込んで、身体を起こすと『さて本題』と言うように一息つきながら振り返る。
「メデューサとステンノーの区別とかはややこしいから一先ず置いておいて、作戦自体は非常にシンプル。あなたの読霊をメデューサも読霊で対抗してくることはまず第一に考えられる。そうすると、こう言った狭所では相手と自分とで展開している怪霊力の間にはっきりとした境界線が生まれる。その境界線へ垂直に進んだ先にメデューサがいるはずだから、まずは読霊を解いてそこへ突撃。この時、読霊解除から突撃への間は絶対に開けないこと……ここで畳み掛けられると一切対処ができなくなる」
「…しかし、そんなやり方で攻撃を当てられるのか? 曖昧な位置しか分からなくては…」
「いいえ、攻撃を当てる必要は無い。とにかく懐に潜り込むことが先決だよ。接近できたと思ったら透かさず我霊閃でメデューサの読霊を消して、読霊。ここで怪霊力は出し惜しみしないで。この一回を逃すと、流石にメデューサも次のチャンスはくれない」
「ともかく近づいて読霊の範囲下に置くのだな」
「そう。そしてそのままメデューサの腕か何処か掴んで、至近距離で我霊射を食らわせる。…多分、これで倒せるはず」
ノサティスは両手を腰に当てて俯き、作戦に穴が無いか、そしてそれを埋める案は無いかと考えた。
…穴と言うなら、そもそもこの作戦自体全てが一か八かの行動の上に成り立っている。
剰りにも確実性が無い……しかし、今ある手札から出せる手段ではこれが限界だということは諦めなくてはならない。
「…そうするしかないようだな」
苦味走った顔で結論するノサティスに、ディアナも苦笑いで頷く。
「駄目そうなら僕が突入して我霊閃をする。その時は合図を送るから、読霊をお願い」
「…分かったが、お前の出番は来させない。私一人で事を為さねば意味がないのだ」
一人でメデューサを倒す…そう告げるノサティスに、ディアナは遠くを見るようにして首を振った。
ノサティスの視線は不思議とそちらに引き付けられた。
「……前はあたしも同じようなことを考えたけど、皆で力を合わせられるって、とても重要な能力だと思うわ。一人で為し遂げられることだけが強さの証明ではないもの」
彼女の言葉にノサティスが聞き返そうとするより早く、ルナがピョコンと手を挙げて訊ねる。
彼は開きかけた口を密かに閉じて他所を向いた。
「メデューサが読霊使ってなかったら普通に攻撃すんのか? オレっちは何したらいい?」
「そうね。普通に読霊した感覚を頼りに攻撃すればいいと思う。……ルナはね、…うん、ルナはヴィスの傍で待機してて。メデューサの顔を見ないように目を閉じて戦う以上、あまり大人数で行っても連携が取れないから。何か危なそうになったらヴィスを連れて何処かに逃げるの。お願いできる? ヴィスを守ってあげて」
「……おう、がってんでぇ!」
優しく取り繕った彼女の発言が何を意味するか、分からないルナではない。
しかし彼女が戦力になどならないのも事実で、それは彼女も重々承知するところだった。
そこへ、一応作戦内容に納得することにしたノサティスが続けて議題を持ち掛ける。
それは先程の作戦などよりも急を要する。
「…結局、ヴィスドミナトルが戦っていた白蛇の女がステンノー、黒髪の方がメデューサと判断していいんだろうな」
「…それは…分からない。申し訳ないけど、僕はずっと目を閉じていたから容姿すら知らない。二人分の女性の声がしたのは聞いたけれど…。その二人は両方とも不死の法を使っていると見て間違いないの?」
「間違いない。読霊で確認したが両者とも魂が無かった」
「じゃああなたが推測していた通り、拠り代となるもう一人がいる。…石化の能力者は三人以上。これは確実だね?」
「そのようだ」
結局答えは出せないまま進むしかないのか、と二人が深刻そうに眉を寄せるとその間にまたピョコンとルナが手を挙げる。
また下らないことを聞くのだろうと決めてかかったノサティスは鬱陶しそうに彼女を見下した。
「何だ、話の腰を折るな。黙っていろ」
「腰なんて折らねえよ、大事な話だ! …あのさ、オレっちさっき、白蛇の髪のお化けの胸に『ステンノー』って書いてあんの見たぜ」
思わぬ情報に、聞いた二人は目の色を変えて振り向く。
ディアナはノサティスを手で制して、「本当なの?」と先を促した。
「おう、ホントだ。何か三角みたいなマークがあって、そん中に色々書いてあんだけど、他の文字よりもでっかくくっきり書いてあった。ヴィスもそれを見てステンノーって呼んだんじゃねぇかな?」
「…黒蛇の方は?」
「あっ、わりぃ、そこまで見てねぇんでぇ…。ディアナ達が目ぇ瞑ってたからオレっちも急いで瞑っちまって…」
「そう…。十分助かったわ、ありがとう。これでステンノーは特定できた。でも、よく顔を見ないようにして胸のマークなんて確認できたわね。あたし達もそんな風にできれば…」
頭の中を整理しつつ優しく褒めた彼女の、最後の一言。
ルナはそれにキョトンと目を開いて、
「…ん、顔…オレっち見たぞ。左目が取れてて怖かった」
…その瞬間、ディアナは息を呑んでルナの両肩を掴んで詰め寄る。
――顔を見ても石にならなかった。
その事実は、この戦いを征する最大のヒントになり得るからだ。
「顔を見たの!? でも、じゃあ、何で無事で…! …まさか、実はステンノーは石化能力を使えない…? ヴィスを石化したのは黒蛇髪の方で、ステンノーの石化能力はただのブラフということ?」
走り気味に仮説を立てる彼女に対し、「いや、待った」とノサティスが答える。
ルナは混乱してオロオロしているだけなので、そのまま二人が顔を合わせて話し始める。
「それはない。あのステンノーという人物は間違いなく、今まで『メデューサを名乗って』怪霊衆の前に現れていた者だ。奴が他の怪霊獣を石化したのを見たことがあるし、私も一度対峙して石にされたことがある。石化能力は本物だろう。……そもそも、仮にヴィスドミナトルを石化したのが黒蛇髪だとしても、それとほぼ同一の波長を持つステンノーが石化能力を持たないはずがない。…少し頭を冷やせ」
「…そうね、落ち着くわ。…ステンノーはメデューサの影武者だった、ってことね…。石化能力は確かにある、と。…ルナが言うにはステンノーの顔が崩れていたということだったわね。…顔を見た者が特殊な暗示に掛けられて石化するという能力なら、識別不能になるほどのダメージを顔に与えてしまえば、あたし達も目を開けて戦える…? …いえ、確証がないわ。やはり無理な挑戦はせず、堅実に進めるべきね」
「つまりは例の作戦通りにやるということだろう? ……ここでいつまでも喋っていても堂々巡りだな。…行くか、そろそろ」
ディアナは彼の結論に首肯すると、ルナと目線を合わせる。
話についてこられず混乱が続いているルナの頭を撫で、安心させるように微笑を湛えながら一言だけ伝える。
「ルナ、次に何か現れたら目じゃなく読霊を頼って。ヴィスを守れるのはあなたしかいない。…頼りにしてるわ」
「…お、おう…」
ルナの煮え切らない返事をそのままに、ディアナとノサティスはステンノーが消えていった方へと歩き出す。
その背中をぼんやりと見送ったルナは、石化したヴィスを近づいて見つめ、闘士を奮い起たせる。
そしてその傍に残されていたステンノーの下半身を見つけると、彼女はいそいそとその肉に食らいついた。
※※※※※※※※※※※
道中、いつステンノーや黒蛇髪と戦闘になるか定かでないため、ノサティスが読霊を用いていた。
その中で隣を歩く以上、ディアナは敵襲を受けても感知できない。
しかし、そんな状況にも関わらず彼女は臆病にならずにいる。
『本気で私を信用するつもりなのか』と、ノサティスは理解に苦しみながら横目で彼女を見つめた。
彼の奇妙な心情など知らない彼女は、顎に手を当てて先程までの議論を振り返り、難しい顔をしていた。
「……でも待って…そうだとすると、不死の黒蛇髪だってメデューサのはずがないわ。メデューサが不死だったら影武者なんて立てる必要が無い。…魂を預けて不死になったステンノーと、ステンノーの魂を預かっている拠り代の人物という構図から考えれば、影武者を立てたいのは寧ろ拠り代の方のはず。……だとしたら、…」
「…ステンノーと、黒蛇髪の女、……他にもまだ何人かいるのかもしれないが、そうした不死の者達の魂を預かっているたった一人の拠り代が、メデューサの正体…ということか? …確かに最も説得力がある説だが…」
「……弱ったわね。それが真相なのだとしたら、その黒蛇髪の名前も分からないままだし、他に後どれだけ不死の敵が来るかも分からない。そして、大量に現れるかもしれない石化能力者を捌きながらメデューサを探すというのは負担が計り知れない…」
「…私も詳しくはないが、同一波長の存在がそれほど大勢いるとは俄に考えがたいし、無数の魂を肉体一つで抱え込める訳もない。…いたとしても最大で五、六程度のはずだ。……それに、メデューサさえ倒せばいい話だ…」
その後もブツブツと呟き考え事をしているディアナに、ノサティスの足がふと止まる。
自分の世界にいた彼女は少し歩いた先でそれに気付き、「どうしたの?」と振り向く。
「…何故お前は私を信用する? 何故恐れない? 何故恨まない? …ヴィスドミナトルのこともそうだ…私達怪霊獣は人間に仇なす者なのだぞ。…何故そうも平然と口を利けるのだ」
「…信用してないし、恐れてるよ。…でも、まぁ、あなたへの恨みは特に無いしね…今のところ。……無理に仲良くしようとしてる気は無いし、ツンケンしてても得は無いから。…利害が一致してて今だけは協力関係なんだから、普通にしてればいいでしょ。この件が終わって敵になったら、また殺し合う。それでいいよ」
聞いてもやはり、ノサティスにはピンと来なかった。
これが人間の考え方なのか、彼女特有の思想なのかすら、彼には分からない。
ただ一つ言えるのは、彼女が言うように今はメデューサだけに集中すれば良いということだった。
「…ヴィスとは仲良くなれたから、…少し夢を見たくもなるけどね」
彼女はそう告げて寂しそうに笑った。
…そうかと思うと、急に何かに気付いたというように太腿を閉じてキョロキョロし始める。
そして、これまで進んできた道の途中に隠れられる窪みを見つけると、顔を赤くして駆け足で引き返す。
「何だ。何かするのか?」
「こ、ここで待ってて! 進行方向に読霊を広げて! …僕はちょっとお花摘みに…」
「…花? 摘んで何を――」
「ト・イ・レ!! …あぁもう、仙活湯なんてガブ飲みするからっ…!」
結局何だったのか分からない彼は、「…何だ、といれとは…」と眉を寄せながら言われたように読霊の範囲を前方に偏らせた。
そうして暫くは待っていたが、ディアナの小さな手や先程の微笑を思い返すと背中がこそばゆくなり、居ても立ってもおれず一人で先に進むことにした。
…私とあの女は違う…私に必要なのは、私の有用性を証明できる手柄だ…この者達と馴れ合いに来たのではない。
奇妙なプライドが彼の足を速めた。
※※※※※※※※※※※
ルナは周辺に読霊を張ったきり、ヴィスの傍から一歩も動かないでいた。
最初こそ緊張から頻りに見渡したり、行ったり来たりもしていたが、どうせ敵が現れたら目を閉じないといけないのだから見張っても無駄だと思い始めてからは傍にあるものを好きなように眺めて時間を潰していた。
そうしていて、ふとヴィスの顔が気になったので正面から眺めてみていると、石化寸前の彼の表情はこんなものだったのかと染々感じるものがあった。
「…何でこいつ、死ぬかもしれねぇって時に笑ってやがんだよ…」
石にされる間際、ヴィスは視線を後ろに送りながら清々しく笑っていた。
まるで鋼の壁の先にいたディアナやルナに、後を託そうとしていたかのように。
「……ちゃんと戻ってこいよ、おめえ…。……泣くかんな、ディアナも……多分、オレっちも……」
手で撫でて、生き物の熱を失った石像の触感に僅かにショックを受ける。
…ここでこのまま待っていていいんだろうか、本当は何かできるんじゃないか…。
そんな想いがルナの胸に渦巻く。
「ルナー!」
不意に通路の遥か先から呼び声が響いた。
彼女はビクッと飛び上がっておずおずと振り返る。
「ルナー!」
耳を済ませると、どうやらディアナの声だった。
ノサティスと共に進んでいったはずのディアナが、どうしてか戻ってきたようだった。
「ど、どうしたんでぇー! 何か忘れ物かー!?」
「ルナー!」
身を凝らすと、通路の影からディアナが顔を出してゆらゆらとゆっくり手招きしていた。
「ルナー! 来テー! ルナー!」
「わ、わぁったー! 今行くってー!」
妙に思いながらもルナはテコテコ走り出した。
彼女の移動に従って読霊の網も移動していくと、その網の中にディアナも掛かった。
しかし、どうしたことかそのディアナは霊力も身体の質感も遮断されたように読み取れなかった。
「ディアナー? 霊力読めねぇけど、読霊でも使ってんのか?」
訊ねても彼女は無言で手招きしているだけだった。
ルナは変に寒気を覚えたが、気のせいだろうと高を括って彼女の傍まで近づく。
彼女はルナを迎え入れるとニコニコ笑って手を繋ぎ、歩き出した。
しかし、看過できない違和感が襲ってルナは身震いしていた。
「…ディアナ、おめえ…服と剣はどうしたんでぇ…? …それに手がメチャクチャ冷てぇぞ」
「ハハハ」
機械音のような乾いた笑い声を上げ、ディアナは足を速めた。
両手でグイッと強く手首を握られたルナは、何かに追い立てられるように取り乱した。
「ディアナ、一旦…一旦手ぇ放してくれよ! い、痛ぇよ…! なぁ、ディアナって…!」
万力のような冷たい手を振り解こうと懸命に腕を引くルナ。
説明のつかない恐怖がジワジワと彼女を侵食していた。
「は、放してっ…! 放せ…って…――」
偶然、下を向いたルナの視界にその女の足首が入り込んだ。
ディアナのはずがない目の前の誰かの足は、まるで数日前に死んだもののように黒々と変色して、裂け口には蟻が群がっていた。
「…ディ……ア…ナ……………ヒッ――」
ルナの口から短く、絹を裂くような高い音が漏れ、その手が無遠慮に振り解いた冷たい両手は血も出さずボロッと取れて落ちた。
そして顔を上げると、ディアナだったその顔は黒ずんで皺をだらけになり、笑った顔のまま自重で首が折れていく。
「…ぃ……ひぃ……ぃぃぃ…」
言葉にならず、全身を強張らせて後退る。
目の前の光景を否定するように、無自覚の内にルナの首が力無く横に振られる。
そしてディアナの首が在るべき場所から離れて茶色い糸を引きながら伸びていく恐ろしい現実を最後まで見届けられず、ルナはペタンと尻餅をついて頭を抱えた。
不意に背後から肩を引かれる。
ルナは思わず絶叫しバッと風を切って振り向く。
彼女の目ははっきりと見開かれていた。
彼女の前には、左目を元通りに引っ込めて、生者を黄泉へと誘うような危うくも美しい青白い顔がぐわりと見開いて笑っていた。
白蛇がうねってできた長髪が逆立って、右手は肩の上に、左手は頬へと優しく触れてくる。
暫し焦点が合わなくなったルナの瞳は、背後で腐った首がぐちゃりと落ちるとその音に怯えて定まった。
はっきりとステンノーの顔を見たルナは、逃げるように胸のマークへ、そして真っ二つにされた腹からひょろりと覗く脊髄へと眼を移した。
「…トモダチニ…ナロウ…」
無邪気そうな鈴の音のような声が甘ったるく囁く。
「…トモダチニナロウ…」
思考が働くゆとりなどない。
「…トモダチニナロウ…トモダチニナロウ……ル…ナ…」
…頷いたら…終わる……。
「…トモダチニナロウ…トモダチニナロウ…トもダチにナロウ…トもダチにナロう…トもダチにナロう…トもだチにナろう…トもだチにナろうルナともだチにナろうルナともだチナろうルナ友だちろうルナ友だちろルナ友だちルナ友だルナとルナとルナルナルナルナルルルルルルルルルルルルルル――」
「ルナ、伏せて!」
――ハッと正気に返り、咄嗟に具象変化で亀のように首を引っ込める。
直後、銀色の旋風がステンノーの首を巻き込んで通り過ぎ、黒い血が噴水のようにびちゃびちゃと飛び出した。
ルナは腕と胸だけになったステンノーを突き飛ばして後退る。
ステンノーは両腕を死にかけた毛虫のようにぐにゃぐにゃぐにゃぐにゃと忙しなく蠢かし、急にビクッビクッと仰け反ると首の断面から黄色い液体と無数の繊維を湧き出させた。
「ギィィィッ! ギィィィッ! ギィィィッ! ギ――」
地面に転がって両目と歯茎を飛び出させ虫のような鳴き声を発する生首を、二本の剣がバラバラに叩き潰す。
恨みの籠った恐ろしいその顔がまた騒ぎ出さないかと怯えながら、ルナはその剣の持ち主――本物のディアナへと抱き着いた。
「ディアナっ…! ディアナぁぁぁ…!」
「…よ、よーしよーし…。こ、怖かったね…。もう大丈夫だからね~……。……うわぁぁ…やだぁこわぁぁ……!」
泣きつくルナをしっかり抱いたディアナは、ゆっくりと瞼を開けて足下に散らばる顔の破片達を眺めた後、痙攣する上半身を眺めて頼りない声を上げた。
上半身は首と腹部の断面からミチミチと水っぽい音を鳴らして組織を繋ぎ合わせていた。
しかし数秒するとそれは終わり、打って変わってステンノーの肉体が黒ずんで溶けていく。
地面に茶色い液体が染み渡っていく様は、まるで永い月日を経た腐乱死体だった。
ディアナは読霊でそれを見て、目の前の現象を理解するとホッと息をついた。
「…ルナ、もう大丈夫よ。ステンノーの肉体は霊力を完全に失って形を保てなくなった。魂は別の場所にあるから時間を置くと復活するのでしょうけど、暫くはこれで大丈夫。…先程の急激な回復力の上昇を見るに、ステンノーは一時的に回復力を上げる怪霊術を有していたのでしょうね。そしてそれが、頭部への損傷があると半自動的に発動する。けど、ヴィスとの戦闘で既に大幅に霊力を失っていたステンノーはその術で自滅してしまった。…多分、こういうこと」
冷静に分析する彼女の声に呼ばれ、半泣きのルナが身体を離す。
ディアナはルナの頭をそっと撫でて、「無事で良かったよ」と笑った。
「凄い悲鳴が聞こえたからどうしたかと思って戻ってみたら、こんなことになってて。…ステンノーは、あたしとノサティスがいなくなるのをここで隠れて待っていたのね。読霊に引っ掛からなかったってことは、領域を閉じる心得があるってことか…。厄介な相手だな」
「あ、ありがとう、ディアナ…。来てくれて…。でも、もうオレっち、平気だ! ノサティスんとこ行ってやってくれ!」
ぎこちなく空元気を振り撒くルナの笑顔に応え、ディアナは「ええ、急ぐわね」と頷く。
「ただ、まだ何かあるかもしれないし、念のためヴィスを連れてアノロクの街まで逃げておいて。あたし達も引き際を見極めて合流しに行くから。…場所は、そうね……大きく分かり易い施設…。……『アノロク歴史資料館』っていう高い時計塔付きの施設があるから、そこへ。場所は、この基地の入り口付近に看板が立っていたからそれを見て」
「…う、うん。…分かった」
「……今回はルナにはまだ荷が重過ぎる。あのヴィスですら石にされたんだから。今はとにかく、ヴィスをお願い」
「…うん!」
ディアナは最後にポンポンと彼女の肩を叩いて笑い掛け、ノサティスと合流しに走っていった。
それを見送ったルナは、腐った肉塊達を放置して来た道を引き返す。
…しかし、ルナはまだ納得していなかった。
「…何かある…何かあるんだ…! オレっちにできること…オレっちにしかできないことが、何か…!」
それは、ステンノーの顔を見ても石化しなかったという不可解な事実がそう思わせた。
ヴィスが石にされて、自分は石にならずに済んだ訳――その条件が分かれば、現状を打開する大きな鍵になるはずだ。
「…考えろ…考えろ…! ヴィスにはあって、オレっちには無いもの…。…ヴィスには無くて、オレっちは持っていたもの…!」
…そして一つ、思い至る。
彼女はその答えにハッと息を呑み、ヴィスの下へと走り出した。
「…ディアナ、ヴィス…オレっち、役に立てる! 役に立てるぞ! オレっちも戦ってやる…! オレっちの土俵で、皆のために戦うんだ!」
小さな勇気の足音が、猛々しく鳴り響く。




