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改新奇譚カリバン~封じられし魔王~  作者: 北原偶司
遺恨之篇
39/67

三六ノ業 当たり前だろ、友達でいいんだよ

 訓練場の空気は冷めきっている。

 晩春の風が未だ吹き抜けている。


 四日目の深夜、灯りも点さず修業は続いていた。


 左中段に開き下がり、両腕を広げて蟷螂(かまきり)のように二刀の切っ先を目標へ向けたディアナは、渇いた口腔を一つ舐め回して息を殺し、その姿勢のまま駆け出した。

 相対するルキウスは右前の一字構えを取り、その右手の一太刀をノの字に傾けた。


 彼の防御姿勢はあらゆる切り口を想定していた。

 一見上段と袈裟に弱く隙が多いようにも見えるが、それは彼自身が何より承知している。

 彼は現行の構えで対処できる全ての攻撃をその剣一本と直感に任せ、それ以外の攻撃を回避することに全神経を注いでいた。


 彼の武人としての恐ろしさはそこにある。

 彼にとって剣は飽くまで最後の砦であり、そしてトドメの一撃である。

 平時には八方目と読みを洗練した格闘戦術としての回避を繰り広げ、剣はその限界を埋めるためだけに存在している。


 心得として、彼は、例え二刀流の達人と対しようとも武器を過信しない戦いを貫く。

 武器を持つ相手に素手で挑むのと殆ど変わらない意気込みで、常に限界を見極めて戦う。

 『自らに拠るべし』の一句を生涯を以て体現してきた人物であった。


 …彼と比べ、ディアナの技術にはまだまだ粗が多い。

 彼女は怪霊術があってこそ剣聖の名を馳せられるのであり、単純な剣士としての実力は彼には遠く及ばない。


 ならば彼女が彼より優位に立てる条件は武器の数だった。

 彼が一刀流なら彼女は二刀流。

 …しかもそれは付け焼き刃の二本ではなく、彼女は本来から二刀流の使い手である。

 だからこそ手数の違いが小さくとも確実な勝機への切符であり得る。


「…師匠、行きます…!」


 彼女は気合を入れ、遠間から左剣の突きを放った。

 …この攻撃がただの誘導であることは彼も理解している。

 この距離感で彼が避ければ、その直後にこそ彼女は適した間合いに入ることとなる。


 しかし、彼女の攻撃は()()……如何に遠間と云えどもこの攻撃を後ろには避けられない。

 従って彼は誘導と分かっていても左右いずれかに避けるしかない。

 更に彼女は二刀流である――つまり、左の手を避けても必ず右の手が迫ってくる。

 ――『外に避けるしかない』…そう彼も直感する。


 彼はフッと笑い、望み通り刃を内向きに受けて彼女の左肩へと避けた。

 その瞬間彼女は互いの刃の接点を支点にして、肘から突き出すように鍔寄りの刃を押し込んだ。

 …狙いは彼の首、避けられるはずはない。


 しかし、彼に動揺は無かった。

 彼は迫り来る刃を何の躊躇いもなく右肩で受けた。

 その行動にゾッとしたのは寧ろ彼女の方だった。

 彼ならどうにでもして避けるだろう、体勢を崩す程度の効果で終わるだろうと、そう考えていたのだから…。


 そして彼女は、用意していた右手での追撃をすっかり忘れてしまった。

 その一瞬を見逃さなかった彼が逆脚で蹴り倒し形勢は逆転する。


「…また、()()()()()()な。…しかしやっとお前も俺を殺すつもりで来るようになったか。惜しかったな、首の動脈ならいざ知らず、あんな攻撃では勢いが生まれ難く肩の筋肉を断つ威力には至らん。…見ろ、少し切れただけだ」


 ルキウスは満足げに笑いながらマントを脱ぎ去り、袖を引き千切ったような肩出しチュニックからその屈強な肉体を晒した。

 彼の言うように右肩にはパックリと切り傷が開いて血が溢れていながらも、全く平気で動かされている。

 それ以外にも全身にはこの四日間で受けた様々な切り傷・裂傷・青痣が残っているが、彼にとっては掠り傷程度の損傷でしかない。


 急いで身体を起こし飛び退くようにして立ち上がった彼女は、素早く左剣で防御と、右剣を引いての攻撃体勢を作り息を整える。

 …この攻撃でも有効打にならなかった…その思いが彼女にプレッシャーを掛けて更に焦らせる。


 傷や疲労の量は明らかに彼女の方が勝っていた。

 既に視界が霞みつつある、手足の感覚も希薄、それに対して彼にはまだ余力が残っていた。

 …最悪このまま殺されるかもしれない…彼女はそう感じていた。


「もう一つだけ忠告してやろうか。『必死にやれ』」


「…必死ですよ、もう十分に。…何せあなたは、僕を殺すことに躊躇いなんて持たないでしょうからね…」


「いや、まだ必死さが足りない。さっきの攻撃、お前は頭で考えてから仕掛けた。頭で考えるということは、それだけの余裕があるということだ。…そしてその余裕が、俺の前では命取りなのさ」


 彼は剣を左に持ち替えて突き出すと、その先を彼女の顔へと狙い澄ませながら半身になる。

 彼女は暫し彼の言葉に意識を集中したが、その殺気にビクリと身体が反応し警戒の態勢に入った。


「お前に殺意があるなら、俺もお前を殺すために戦う。今のようなアドバイスももう終わりだ。精々殺し甲斐のある戦いを見せてくれよ。…そして生きたくば俺を殺してこの部屋を出ろ」


 ――そうして彼は一気に間合いを詰める。

 それこそ、彼女が対処の動作に移るよりもずっと素早く。


 彼は身を低く屈めて、左上段の攻撃を逸らすように刃を担ぐ状態のまま彼女の左脇へと忍び込む。

 後手に回った彼女は左へ薙いで跳び退くが、その太刀筋は彼の頭をすり抜けていき、しかも却って彼の間合いに合わさっていく始末である。


 その瞬間を狙い、彼はつまらなそうに彼女の右腕を斬りつけた。


「う、ぎゃぁああッ!!」


 悲鳴が木霊し、彼女は右手の剣を取り落としながら転びそうな身体をヨタヨタと立ち直らせて彼に背を向けて逃げた。

 全身に玉のような汗を大量に噴き、怯えた顔で背後を気にする小動物がそこにはいた。


 …右腕は、辛うじて切り離されてはいない。

 前腕の筋を断たれてはいるが、傷口は骨までは達していない。

 仙活湯か仙攻丹で早期に回復を行えば剣士生命まで絶たれずに済むであろうが、今はそんなことを気にしている場合ではない。


 ルキウスという強敵を前に片腕が使えないことが何よりの問題であった。

 …このままでは本当に殺されてしまう。




 …師匠が弟子を殺すなんてことあるものか、それは怯えすぎだと、何も知らぬ普通の人は言うだろう。

 しかし、ことルキウスに限っては十分想定すべき話であった。


 彼は普通の人ではない。

 一時は国家転覆罪の容疑を掛けられ数多の軍勢に追われ、たった一人でその軍隊を壊滅に追いやった化け物なのだ。

 …彼は紛れもなく、大量殺人を犯した大罪人だった。


 果てに軍は彼一人を殺すために無数の機関銃と大砲を用意した。

 しかしその上での敗戦。

 彼は文字通り一国を一人で攻め落としたのだった。


 彼と戦ってはならない……そう判断した首相は交渉で解決することにした。

 そしてその結果、彼は傭兵として生きることで人殺しを黙認される存在となった。


 今でこそ剣帝と呼び声高い彼だが、その実はなおも多くの人間に恐れられ、しかもそれが間違いでないことを証明するかのように戦場では敵味方とも好きなように殺していく。

 …その彼に兵士の育成を任せるとはどういうことかなど、想像に難くないだろう。


 彼は見込みの無い兵士を殺しても罪に問われない絶対の権限を持っている。




「はァッ…はッ! …こ、殺される…殺されるッ…!」


 彼女は彼の経歴を思い出し、そしてかつて離島のジャングルで彼に修業をつけられていた時期のことも思い出した。

 …あの頃だって、いつ死んでもおかしくはなかったのだ。


 肉食獣に溢れ、視界も悪く、常人なら数日と生きてはいられないはずの環境下で、彼女は怪霊術を駆使して何とか生き延びてきただけだ。

 そしてその修業内容は、ルキウスが守るテントから金のインゴットを奪い取れれば離島を脱出できるというもの――積極的に彼が殺しに掛かってきたわけではなかったその頃でさえ彼女は幾度となく殺されかけていた。


 …そして彼女の脳裡には鮮明にとある一つの事柄が焼きついていた。

 ……あの離島で、彼がテントを張っていた場所の周辺にはいつも当たり前のように転がっていたのだ。


 ――人の骸が。


「ヒッ…ィ…、ハッ…ハッ、ハッ…!」


 彼女の喉から、絶えずか細い悲鳴が溢れる。

 止めどなく血が溢れ、傷だらけの床に落ちて染み込んでいく。

 しかしそんな様子を見ても彼には一切温情が無い。

 すぐに追い掛けていき左脚に斬りかかる。


 ディアナは間一髪前宙で回避し、続けざまの前蹴りを逆さになって振り返る格好で腕で防いだ。

 しかも防御に用いたのは既に深く負傷して使い物にならなくなってしまった右腕の外腕刀で、前宙の軌道に乗ることで衝撃も逃がしている。

 転がるように着地して再び逃げ出した彼女は怯え顔だが、それを見たルキウスは満足げに笑って追撃に走る。


「一つサービスしてやろうか。お前の強みはその研ぎ澄まされた感覚だ。それは既にこの俺すらも超えている。残念なのは、その強みをお前自身が信じていないことだ」


 ディアナは僅かに彼を振り向いてその言葉を反芻した。


 …あたしの強みが『感覚』……視覚……聴覚…嗅覚…触覚…?

 ――……動体視力…それが、師匠よりも上?

 …怪霊獣との戦いでは常に使ってきた仙攻丹…その効果で身体能力、自己回復能力と共に五感も強化されるけど、それらは数秒で元に戻るもの……継続的なものではなかったはず。

 …だけどもしも、…仙攻丹での『眼で追える状態』と、通常時の『眼で追えない状態』を交互に繰り返すことで知らず知らず鍛えられていたのなら……。


「考え事か、余裕だな」


 ハッ、と彼女が顔を上げた時には既に彼の刃が右脚に迫っていた。

 腹を内へ向けて腱を狙った刺突…彼女は右脚を高く上げて避けた。

 そして直後、彼の刃は横薙ぎに変換されて彼女の左脚に触れる。


 肌がゾワリと粟立ち、彼女は切断を避けるために無理やり身体を右へ倒した。

 左脚が浮いて、多少は攻撃を受け流すに至る。

 …しかし彼は剣を払うのではなく手前に引いていた。

 空間を斬るような繊細で鋭い刃に撫でられ、彼女の左脚はパックリと腱と肉を切り裂かれた。


「――ぎぃ、…あぁッ!!」


 短い悲鳴、そして転倒。

 …しかしそこで気を弛めてはいけない、ルキウスはすぐに攻撃を仕掛けてくる。


 彼が大きく振りかぶった真っ向の太刀を寸でで防いだ彼女は、不格好な仰向けの姿勢のまま鍔競り合いに応じるしかなかった。

 そして彼もそれだけで終わる人物ではなく、ピッと素早く右腕を振るい、指先まで伝っていた滴血を飛ばした。

 その血が両目に直撃し、ディアナの視界が塞がれた。


「――ひっ…う、うぁああッ! ぁああああッ!!」


 …全身を恐怖に包まれた彼女が、今更何を取り繕うだろうか。

 もう剣術の修業などとは格好つけていられなかった。

 仙攻丹を使う以外に、彼女が生き残る術など無かったのだ。

 もはやそれを悔いる余裕など無い。


 …ルナに生きろと言われた…クレドが帰りを待ってくれている…それに、ヴィスだって……。

 …死ねない。

 もう死ぬわけにはいかない…!

 生きていたい…!

 生きて、今度こそ、ルナと…!!


 ディアナの剣は凡そ人間に放てるはずのない速度と力でルキウスを襲った。

 彼女自身も力の入らない右の肘で必死に床を叩き、その勢いを以て立ち上がる。

 それに押されたルキウスは、既に右腕を後ろへ振り切ってしまい、左手の力だけで応じなければならない。


 彼女の左手は柄をしっかりと握り締めて払いきられた。

 …本来ならば、彼は力負けして薙ぎ払われていたはずだろう。

 ――彼が、彼女の力に力で応じていたならば。


「例えば熊を斬る時、重要なのは力の入れ方ではなく刃の当て方だ。…いつか密林でもこの話はしただろう」


 彼の言葉が終わる頃、ヒュルヒュルと風切り音を奏でて回転していた剣身が、トンと静かに遠くの床へ突き刺さった。

 彼女が握る剣は異様に軽い。


 ……鍔競り合いの果てに、彼女の剣は折れ、対して彼は悠々とそこに佇んでいた。

 如何ともし難い実力の壁が再び二人の間に立ちはだかっていた。


「最期に良いことを教えてやろう。お前の剣はこれが限界だ。ここまで御膳立てさせておきながら、お前は俺との力量差を全く埋められなかった。…これ以上武術を修得することはできんだろう。お前の才能では、これが限界だ」


 ――音も無く彼の気配が彼女の前から去る。

 その時、ディアナは直感した。

 …あぁ、次の瞬間、あたしは死ぬのだ。


 …何秒経っただろう。

 十秒は経ったような、まだ一秒すらも経っていないような…。

 自分の吐息も鼓動もうるさいけれど、妙に静かで、空気がとても澄みきっている。


 この身体が、魂が、運命が、…今、死へと向かっている。

 …風が来る。

 左から迫ってくる。

 一切の雑念もなく、純粋で透明な殺意が、刻一刻とあたしの首筋を狙ってくる。


 …最期にもう一度だけ、踏み出してみよう。


 左脚を開き下がり、深く腰を落とし、左手を右肩に引き寄せるようにして構える。

 二人の間合いが揃う。

 防御は必要無い。

 回避の予定も無い。

 ただこの一閃の横薙ぎに命運を預ける。


 既に風の動きは捉えている。

 風は、逆袈裟で首を斬ろうとしている。

 しかし確実な一撃のために近前まで待つつもりだ。


 身体は自然に動いた。

 先手を取ったのは此方だった。

 ディアナの剣は淀み無くルキウスの脇腹へと直進し、そのまま速やかに通過していく。


 しかし手応えが無い。

 視界を奪われた彼女には実感のしようが無いが、その剣は既に鍔の手前まで刃を失っていた。

 無情にも彼女の剣は虚無を裂いて払われ、彼の刃が彼女の首を刈ろうとしている。


 ……生まれ変われるなら、今度はもう少しだけ素直な人になろう。

 簡単に泣けて、簡単に怒れて、簡単に笑える…そんな人に…。

 …そうしたらきっと、もっと簡単に自分を好きになれるから。


 鋭い風圧が首筋に触れた時、彼女は笑いながら意識を閉じた。




 ――ルキウスは目の前で倒れた彼女を見下ろしながら、彼女の首があった場所の直前で凝り固まるように静止した剣をゆっくりと降ろした。

 …彼女に情が湧いたから容赦したのではない。

 彼女が最後に見せた一撃が、彼の心を魅了して手を止めさせたのだ。


「…今のは、…折れた剣でなければ通った一撃だ。…俺が、敗けていた…?」


 彼は彼女と、彼女の手から零れ落ちた柄だけの剣とを見つめて深く沈黙した。



※※※※※※※※※※※



 耳に心地好い小鳥の囀ずりと、そよいだ前髪に擽られてディアナが目を覚ます。

 最初に目に飛び込んできたのは広く高い天井、続いて顔を横に倒すと開け放たれた窓から朝日が差し込んでいた。


「…あたし…生きてる…?」


 それは疑いようがない。

 床がこんなにも冷たくて、日差しはこんなにも暖かいのだから。

 けれど、ルキウスがあの好機をわざわざ見逃したとは考えにくい。

 彼は殺すと言った以上、誰であっても殺すはずだ。


「…全部、夢…?」


「夢なものか」


 ぼんやりと呟いた彼女に、ルキウスの低い声が答える。

 彼女は一気に頭が冴え、立ち上がって防御姿勢を取りながら辺りを見回した。

 正面では少し離れた所で彼がマントを着直して胡座を掻いている。


 生唾を呑み込み十字足で右へ移ろうとしたところ、運んだ左踵に硬い物が触れた。

 見ると、鞘に収まった一本と、鞘と並べて折れ目を雑に繋げて修復した抜き身の一本の、二本の剣が纏めて置かれていた。

 そしてその先には、使用して空になった仙活湯の小瓶の山をそっと上から押さえて座るクレドの姿がある。


 クレドは、安心させるように柔らかい笑みを浮かべて彼女を見上げた。


「よく頑張ったね。もう修業は終わりだよ、ディアナ」


「…終わり…? …あっ、そうだっ、あたし怪我を――」


 暫し呆気に取られていた彼女は、気を取り直して腕と脚の負傷を思い出した。

 …傷は二つとも、早急に治さねば一生ものの傷になってしまうものだったはずだ。


 ――そのはずが、今一度見てみると右腕も左脚も跡すら残さず綺麗に治っていた。

 寧ろ全身についた擦り傷や痣等の方が薄く跡を残しているようだ。


「…クレドが治してくれたの? …いつ…」


「昨日の深夜。ルキウス様が訓練場に入れてくれて、君が酷い状態だったから急いで仙活湯を持ち出してきたんだ。完全修復出来て良かったよ」


「…師匠…が…?」


 彼女はクレドの言葉に耳を疑い、大きく見開いた目をルキウスへと向けた。

 ルキウスはそれに対して特に弁明もせず立ち上がり、彼女の前まで歩いてきた。

 その表情はやはり冷たく、全く優しさが無い。


「昨夜にも言ったが、お前の武術は今が限界だ。これ以上俺から技術を奪おうとしても無意味だ。俺はもうお前に何も教えん。大人しく己の技術センスを見限れ」


「…僕…いえ、あたしは、それでも、強くなりたい…です」


「最後まで聞け、技術はもう伸びないと言っているだけだ。全てを諦めろとは言っていない。…お前の長所は他にある。強くなりたければ効率良く鍛えろ。戦いと同じ……『勝つためには、勝負すべき場所を見極めること』だ。お前が勝負すべきは戦闘技術の多様さではない」


 ルキウスは一方的にそう告げると、要領を得ておらずポカンとしている彼女を置いて出入口へと歩いていった。

 すると扉が勝手に開き、外からノブを押して現れた小さな人影がビクゥッと飛び上がって大きな耳をピコピコさせながら彼に道を譲った。


 その拍子にルキウスの陰から顔を覗かせたルナは、隙間からディアナの顔を見つけてパァッと明るく笑った。

 そうしてヒラヒラと手を振っている彼女を邪魔そうに横目で睨みながら彼は通り過ぎていく。


 ルナは彼の遠慮の無い殺気に身を縮み込ませながらテトテトとディアナに走り寄っていった。




「おい貴様、怪霊術を覚えたら俺様に会いに来い。その頃には俺様も今より更に更に強くなる。…必ずや互いにとって満足の一戦となろう」


 廊下の壁に背凭れて待っていたヴィスがそうして声を掛けると、ルキウスは道の真ん中で立ち止まって振り返らず答える。


「…俺とお前はよく似ているが、一つだけ違うところがある。…俺は、俺が気分良く殺せればそれでいい。だから強要されん限り俺がお前と戦うことは無い。高みを目指す気なども毛頭無い」


「…フン、そういう考え方も分からんではないがな。俺様とて怪霊王と名を馳せた時代には、自らこそ頂点だと、これ以上など存在せんと誇っていた。それ故に『上を目指す』というのは雑魚の思考だと見下げていたものだ」


 ルキウスはヴィスの発言に同調するようにフッと笑った。

 しかしそれに待ったを掛けるようにヴィスが手を伸ばし、苦笑混じりにまた口を開くと、ルキウスの表情にも僅かに真剣な色が滲んだ。


「だがな、案外悪くないもんだぜ、上を目指せるというのは。常に新しい自分を探し、目の当たりにし、更に上をと探し回るのだ。徐々に自身が補強され、進化していくのを実感する。その在り方はまさしくその者の誇りだ。誇りのある命にこそ価値は宿る。…俺は自らも極める者で在りたいと考えるが、同じく極めようとする者がいるならばその者に手を貸してやっても良いと感じている。…まぁ、その価値ある命を踏みにじることも一興だが、どうせなら花咲く瞬間を心待ちにするのもまた一興であろう? 貴様もそう思ってディアナに稽古をつけているのだと思ったが…」


「何度も言わせるな、俺は好きなように殺したいだけだ。殺し甲斐のある相手をな」


 そう告げて歩き出したルキウスにヴィスはつまらなそうに肩を竦めて腕を組む。

 しかしルキウスは彼を通り過ぎた後、「だが、」と何処か柔らかく呟いた。


「…ディアナ・テネリタス、あれはもっと成熟してからの方が殺し甲斐がある。…殺すならそれを待ってから殺したい。お前が言いたいのは、これと同じことか?」


「…フッ、大体はあっているな。今、貴様がそれを楽しく思っておるのなら、それでいい。その内貴様にも理解ができるだろう」


「そうらしいな。…あいつに伝えておけ、『いつか俺を殺しに来い』とな」


 ルキウスがそう言い残して去っていくのを見送ったヴィスは、一人でニヤニヤと笑みを浮かべながら訓練場へと歩き、賑やかに話しているディアナ達の下へと現れた。


 そこでは丁度、ルナが小銀貨二枚をクレドに手渡していた。

 その傍ではディアナが嬉しそうに頬を染めて微笑み、ハンカチが入っているらしい包みを脇に抱えて貰った手作りの指輪を手の平に転がしてじっと見つめている。

 少し不格好な指輪には小さなアメジストが嵌められていた。


「いやぁ、驚いたよ。よく取り戻せたね」


「取り戻せたってぇか…ははっ! あのおっちゃん、けっこー良いヤツだったんだぜ。このリング、おっちゃんに教えてもらって作ったんでい」


 クレドは魔法でも見たような顔で手に乗せた小銀貨を凝視し、ルナはエヘンと胸を張った。

 彼女は隣に並んできたヴィスを見上げると、急にムッと眉を寄せてゲシッと肘で彼の脇を小突いた。

 勢い良く肘が入り少しよろけた彼は「…あ゛ぁ?」と威圧的に彼女へ睨み返す。


「おめえ、ホントに何も渡さねぇ気か?」


「渡すだとォ…? プレゼントなどと訳の分からん文化に付き合ってやる謂れはない! 貴様が渡したのならもう十分だろう!」


「てめえ、仲間のお祝いなんだからちったぁ愛想良くしやがれ! …じゃあ、その、あれだっ! 付き合ってくれたらオレっちが幻弄のやり方一から教えてやっから!」


 そう言い合ってルナがヴィスの背中を押してディアナの前へと立たせる。


 用意してるわけがなかろうが…とブツブツ呟いて舌打ちまでしている彼を前に、ディアナは困り顔で笑っていた。

 …楽しい…。

 ふと、そんな言葉が出かかって、彼女はそっと口元を手の平で押さえる。


 ヴィスは不機嫌そうな顔のまま頭を掻き、考え抜いた末に大きな溜め息をついた。

 それが合図だったかのように、彼女は真っ直ぐ彼の目を見て言葉を待った。


「…生憎、貴様に物を貢ぐ気は無い。だが、貴様が望むなら霊玉操の修業をこれから毎日つけてやってもいい。勿論そのために仙攻丹のことを聞き出そうとはせん。…どうだ、これなら文句は無いだろう。文句を言うなら殺すぞ」


「無いわよ、無い。…ありがとう、ヴィス。…ルナもありがとうね。クレドも、ね。…あたし、家族以外からちゃんと誕生日プレゼントを貰ったの、初めてよ。…みんな、ありがとう」


 ディアナはにっこりと笑ってそう告げた。

 無邪気で、無防備な笑顔だった。

 そしてそれが、ルナへと向けられると、不安な顔が垣間見える。


「…ルナ、あのね、…あたし、あなたとは友達になれないと思ってた。…ペール・ルナールを殺したあたしには、その資格なんて無いから、って…。……でも、だけどね、…あたしはあなたと友達になりたいの。…義務感でも贖罪でもない……ただ可愛らしくて明るいあなたと、友達になれたら嬉しいと思う…それだけの気持ち。……もし、そんな気持ちを許してもらえるなら…」


 ルナは深刻な考えなど持たず、両手でぎゅっと彼女の手を掴んだ。

 そうしてニカッと笑って大きく頷く。


「オレっち達三人で三之明(みのさや)だろ? とっくに友達だって、胸張って言えらぁ」


 ディアナはそれに満面の笑みを返すと、頬に涙を伝わせながらルナをぎゅっと抱き締めた。


「…ルナ、大好きっ」


「へへっ…おう!」


 抱き合う二人を見守りながらクレドは少し涙ぐみ、ヴィスは腕を組んで二人に背を向けるとフンと鼻で笑って差し込む陽に眼を移す。


 訓練場の空気は冷めきっている。

 晩春の風が未だ吹き抜けている。

 けれど、太陽に微睡める平穏が、いつかはディアナの下に訪れるだろうことを、彼は密かに望み続けている。



※※※※※※※※※※※



 十数日後、朱雀基地にて。

 鍾乳洞の集会フロアには低級の怪霊獣達が集まり、一対一の殺し合いを取り囲んで歓声を巻き起こしている。

 その集団の中で最強の個体を選出し、ノサティスと共に部下の管理を行う係りに宛がおうというリーラの画策に則りコロシアムをさせているのだ。


 当のリーラは自分で言い出しておきながら全くの無関心で、玉座に鎮座したまま涼しい顔で眠りに就いている。

 その傍にはノサティスが立ち、決闘の成り行きを遠巻きから観戦しているのだが、リーラの唯一の右腕だと自負していた彼にはこれ以上に居心地の悪い時間は無い。

 全員共倒れて、勝者など現れなければいいのに…そんな暗い考えが何度も過るのだった。


 しかし、例えこのコロシアムに勝者が出なくとも、既にノサティスの地位は一人の半怪霊獣によって貶められている。

 ――今やスティリウスの方こそがリーラの右腕に等しいという扱いを受けており、自分はもう何者でもないのだと、鬱屈した想いを抱きながら日々命じられた雑務をこなしていた。


 また決闘が一つ終わった。

 勝者は拍手と声援、新たな挑戦者の雄叫びに包まれ、敗者はまるでそこに存在すらしていないかのように各々が視界の隅に追いやってしまい、踏まれ、蹴飛ばされ、無惨に汚された死体だけが残る。


 その様はまるで今の自分のようだと憂いに身を投じて歓声を虚ろに聞いていたノサティスだったが、ふとその騒ぎが止むのと同時に正気を取り戻す。


 彼が何事かと顔を上げ、眼を凝らしていると、怪霊獣達が噛み殺した悲鳴と共に道を開けて、その間を小柄な白い影が堂々と突き進む。

 …スティリウスだ、とノサティスは忌々しく思い顔を歪めるが、すぐにそれどころではない事態だと気が付く。


 スティリウスの背後に、どういうわけか道を譲らずに留まり、逃げ惑う場面の切り抜きのような姿勢で静止している者達がいた。

 …そう、それは、恐怖に顔を歪めた怪霊獣達の石化した姿だった。


 その時、折を合わせたようにリーラがパチッと目を開き、呑気に欠伸を漏らしながらその光景を見つめた。


「スティリウス、帰ったのですね。今まで一体何処へ……おや?」


 リーラは石化した部下達を一瞥するとすぐにリーラが右手に掴む奇妙な物体に注意を移した。

 そして全ての事情を察すると「…ほう」と楽しげに笑う。


 ノサティスは、部下達が石にされた現状を見て何も思わない様子のリーラに対し疑心と恐怖の両方を強く抱いていた。

 彼が今まで『そうだ』と思ってきたリーラの人物像は、聡明な人格者で、多くの部下を平等に包み込んでくれる大きな存在だったのだから。


「メデューサの基地へ、少しな。あんたら怪霊衆の意向とやらのせいで、オレの目的…『人類殲滅』の夢が遠くなっちまった。だから、とりあえず、怪霊衆のお一人のメデューサ様にさっさと席を空けてもらうことにしたのさ。オレも怪霊衆の一員になれば、少しは聞く耳持ってくれるだろうと思ってな」


 スティリウスはそう言って冷たい笑みを浮かべ、右手に掴んでいた物を高く掲げてみせる。

 その物体からは無数の白蛇が入り乱れて生え、髪のように纏まっている。

 既に白蛇は皆干からびて死んでいるが、その内の後ろ髪のように見える位置の蛇達は真横にざっくりと刃が通ったように纏めて首を切り落とされている。

 そして、その下には青白い女の首が覗き、断面を露にしていた。


「…ま、まさか……貴様…」


 震えながらに口を開いたノサティスに、スティリウスは一瞥もくれなかった。

 スティリウスにとってはノサティスもその他大勢の怪霊獣と変わらない雑魚なのだ。


 リーラは我が子の成長を喜ぶような誇らしげな眼差しをスティリウスへと向け、スティリウスはそれすらも鼻で笑い飛ばして告げる。


「メデューサの生首だ。これでオレは事実上、怪霊衆にメンバー入りしたことになる。…文句はねぇだろ」


「えぇ、ありませんとも。あなたが怪霊衆の八番手です。…そして、まだまだあなたは強くなれますよ。…もっと、…更に、上へ…」


 暫しノサティスは、リーラの期待を一身に受けるスティリウスへの嫉妬の心を忘れていた。

 白く濁った血の瞳が鈍い光を放つ…そんなスティリウスの姿が、『血に餓えた化け物』という感を一層際立たせているのがただただ恐ろしかったのだ。


 それは太陽に見放され、冷たい地下を這い回り泥を啜って生き長らえた憎悪の行く末とも言えた。

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