三五ノ業 失えないもの、銀貨のまごころ
ルナはヴィスに急かされて早速馬小屋へ向かった。
小屋には騎士達の馬も繋がれているが、それぞれの馬のゲートに所有者のプレートが提げられているため彼女らだけでも判別はできる。
セクレト達の世話をしている飼育員は、これまで直接の会話はしたことがなかったものの、ディアナが二人を連れてよく此処に訪れるのを見知っていたため驚きはしなかった。
飼育員はヴィスの容姿の異様さにたじろぎつつ会釈して去っていく。
「さて、俺様はここでイプセと幻弄の修業をしている。貴様は褒美の餌を買ってこい」
ヴィスはそう告げて青鹿毛の鬣を撫でると、すぐに読霊でイプセの霊力波長を調べた。
ルナはムッと旋毛を曲げて、「オレっちが行くのかよ」と抗議する。
しかしそんな彼女の反論にも、彼は少しも悪びれず頷いた。
「俺様が街に出ていってどうする。餌を買うどころではなくなるだろうが。貴様なら具象変化で人間に化ければ済むはずだ」
「…オレっち馬の餌売ってるところなんか知らねぇし金ってやつも持ってねぇぞ」
「あの男が持っているだろう。さっさと行け」
「クレドな、クレド。わぁったよ、行くよ」
彼女は大きな溜め息を残して元来た通路を遡る。
その背中に再度「…おい、ルナ!」とヴィスが呼び掛け、彼女はうんざりと振り返り「何でぇ!」と大声で返した。
「街で人間に呼ばれてもついていくなよ。貴様なら何とでもできるだろうが、一応危ないからな」
「…おう。行ってくる」
ルナは彼に背を向けると熱くなった頬をポリポリと掻いて歩き出した。
※※※※※※※※※※※
「ちょっと待ってて、ルナちゃん。今財布出すから」
クレドはルナを部屋の前まで連れてくると、彼女を廊下に待たせて、床に山積みになっている衣類を捲り上げて財布を捜索した。
部屋の様子はと云うと、インテリアはベッドだけで日用品等を積めた箱が部屋の奥に纏められ、取り出した物がそのまま箱の周囲に散らばっているような有り様だった。
おっかしいなぁ…、と今度は雑貨の山を切り崩しているクレドの背中を眺めるルナであったが、ふと、その視線が衣類の方に戻されると妙なものが眼に入った。
彼女は断りも入れず部屋に進み、気になったものを両手で広げて持ち上げる。
それは淡い緑のレースのハンカチで、その隅の方にはささやかな大きさで『愛してる』の刺繍が施されていた。
「…これ…」
「え? …あっ、ちょ…!」
クレドはそれを見上げると慌てて奪い返し、大事そうに胸に引き寄せて綺麗に畳み直していた。
「…それ、…どうしたんだ? ディアナにあげんのか?」
「いや、これは……逆だよ、僕が彼女から貰ったんだ。…ディエシレの丘での戦いに行く前の彼女が、…『さよなら』って言って手渡してくれたんだ」
彼は悔恨の思い出であるように切なく告げると、今度はそれを振り切るようにパァッと笑って立ち上がった。
「でも、彼女はちゃんと帰ってきてくれた。…だから今度は、僕の方から彼女を送り出すんだ。…それも『別れ』とかの気持ちじゃなくて、もっと明るくて嬉しい想いで…」
彼はそう言って、一番奥の箱から平べったい花柄の小包を取り出した。
そうして小包をヒラヒラと彼女に見せつけて、中身を明かさないままその箱に戻した。
「明後日さ、ディアナの誕生日なんだよ」
「たん…じょうび?」
「そうさ。…って、そっか。ペール・ルナールって誕生日を祝う習慣が無いのか。…人間ってね、毎年自分が産まれた日が来るとお祝いするんだよ。パーティーを開いたり、プレゼントを渡したりさ。おっかしいでしょ?」
「…誕生…日…。…ふーん…」
ルナはとりわけ感心したという風でもなく、ただ事実を呑み込んで小さく頷いた。
そんな彼女に、財布を見つけ出したクレドが小銀貨を二枚取って差し出す。
彼女は両手の椀に乗せたそれを不思議そうに眺めると、「これで餌が買えるんだな?」と見上げた。
彼はフフッと楽しげに笑って首を振った。
「馬小屋にはいつも誰かしら飼育員が常駐してるでしょ。その人達に『調教馬用のお菓子をください』ってお願いすればタダで貰えるよ。多分ニンジンかリンゴだと思うけどね。君達の馬にも担当の人がついてたはずだし、一度戻って頼むといいよ」
「そうだったのか。…ん、じゃあ、このお金は何でぇ? オレっち馬の餌が欲しいだけだから、使わねぇで済むんなら返すぜ」
「うん、そのお金でね、ディアナにプレゼントを買ってきてあげて欲しいんだ。小物とかアクセとか。…明後日、ルキウス様との修業でヘトヘトになって帰ってくると思うからさ。頑張ったご褒美も兼ねて渡せたらと考えてるんだけど、僕一人が渡すより、君からもあげた方がディアナも嬉しいはずだよ。…君は、多分ディアナの初めての女友達だからさ」
ほー、と納得してコクコク頷いたルナだったが、ふと首を傾げて「…初めての…?」と問い返した。
「多分、だけどね。前に一度ポロッと漏らしてたんだけど、彼女、周りの女の子からは『アモルさんの妹さん』としか呼ばれたことがなかったって言ってたんだ。……ひょっとするとそれも、彼女が自信を持てない理由の根底にあるのかもしれないな…」
「…そうなのか。…ディアナ……」
彼は寂しげに笑いながらそう告げて、願いを託すように小銀貨を持つ彼女の手の平をポンポンと触れた。
ルナはそれににっこりと笑って大きく頷く。
「分かった! オレっちもディアナに誕生日プレゼント買うよ! …ヴィスからの分も用意しねぇとな」
「え、彼かい? …彼がそういうことに付き合ってくれるとはとても思えないけど…」
「大丈夫でぇ。あいつ、殺戮癖と優勝劣敗主義さえなけりゃあそんなに悪いやつじゃねぇから。オレっちが落ち込んでた時も遊びに付き合ってくれたしな!」
「その二つ、片方あるだけでも悪人相当だと思うよ…。まぁ付き合ってくれるか訊いてごらん? お金貸すかはその後決めるよ」
クレドは財布をポケットにしまうと彼女を送り出して訓練場の出入口へと戻った。
※※※※※※※※※※※
「…あんにゃろー、なぁにが『人間の不気味な風習に俺様を付き合わせるな』でい! オレっちにゃあ怪霊獣になれって再三押し付けやぁったくせによー!」
ヴィスにスライスしたリンゴの山を渡してきたルナは、そうして一人言ちながらブスッと頬をむくれさせた。
苛立ちを込めるようにドシンドシンと大きな足音――少なくとも彼女にとっては――を立てて、アクセサリーを取り扱っている店を探して街中を練り歩いていた。
「そっちがその気なら、オレっちだってヴィスの誕生日祝ってやんねぇぞ! ……って、ヴィスも自分の誕生日なんて知らねぇか。オレっちも…。…にぃちゃんも知らねぇんだろうな。…やっぱ人間だけの風習か」
腕を組み、ムー…と難しい顔で唸るルナ。
そんな彼女を道行く何人かが振り返って眺めていくが、その視線は彼女を不審がってのものではなく、にこやかで明るいものだった。
具象変化で耳と尻尾を引っ込めて瞳を人間らしく変え、外行き用の赤いドレス姿を纏った彼女は、誰から見ても『可愛らしいお嬢さん』といった風貌である。
肩から提げた小さなポーチが、また一層子供らしさを助長する。
彼女は右手に握り締めた小銀貨をチラリと見下ろし、立ち止まって辺りを見回した。
一人でパロを歩いたことがない彼女では何処に何の店があるのかは分からないし、その見分け方も知らない。
そもそもアクセサリーという物の意味もよく分かっていないのだった。
悩んだ挙げ句、一度帰ってクレドに地図でも書いてもらおうかと考えていたところへ、「やぁお嬢さん」ときらびやかなベストを着た紳士が近寄ってきた。
ルナは知らない人間に話し掛けられたとあってキュッと身を固くしたが、その不安そうな顔を見た紳士は優しい面持ちで膝をつき彼女と目線を合わせる。
「失礼、道に迷っているように見えたものでね。平気なら良いのだが」
「…あ、んっと……オレっち、アクセサリー売ってる店行きてぇんでぇ…。でもどれがその店か分かんなくて…」
紳士は彼女の口調を聞くとそのドレスと顔を交互に見て驚いていたが、特に詮索はせず立ち上がると左手のステッキで近場に見えている赤煉瓦張りの店を指した。
「うむ、あそこに見えるのがそうだよ。しかし、この一帯は少し治安が悪くてね、本当はあまり長居もしていられないんだ。もう少し歩いた場所にも店はあるのだが…。来るかね?」
「…うんにゃ、そこの店行くよ。オレっち、知らない奴に呼ばれてもついていくな、って言われてんでぇ」
「ハッハッハッ、それなら仕方がないね。…ふむ、確かに子供の小遣いで買うなら良い店かもしれない。では、私はまだ少し用があるので、これで。良い買い物になること、そして…貴重な思い出となることを祈るよ。さようなら、お嬢さん」
紳士はシルクハットを脱いで一礼すると優雅に去っていった。
ルナはその背中を見送りながら「人間の格好だと得だな。てんで冷たくされねぇや」と呟いて目当ての店へと進んでいった。
入ってみると随分と寂れた内装の店だった。
置いてある商品もゴミと見紛うような大雑把な配置と手入れで、値札も置いていたり無かったりしている。
ただ彼女は初めて見る物ばかりなので『そういうもの』として見て周り、会計カウンターにどっかりと脚を乗せて帳簿を読んでいる柄の悪い男に「なぁ」と声を掛けに行った。
オーナーとおぼしきその男は帳簿を下ろして不機嫌そうに彼女を睨んだ。
「アクセサリー買いてぇんだけどさ、見ても何がなんだか分かんねぇんでぇ。十九歳の女にプレゼントするにゃあ何を選んだらいいんでぇ?」
「…知らねぇよ、んなもん。てめぇで考えろ。物の価値も分からねぇくせして来てんじゃねぇ、冷やかしかよ」
男は腹立たしそうに帳簿に視線を戻し、ルナも少し落ち込んでトボトボと背を向けて歩き始めた。
しかし男はふと考え直して嫌らしく笑うと脚を机上から下ろして「おいガキ、こっち来い」と呼び寄せる。
「プレゼントがしてぇんだったよな。だったら出し惜しみしちゃあ良くねぇよな。日頃の感謝を物で表すってこたぁ、出した金の量が感謝の大きさってことになるわけだ。そう思わねぇか?」
「んー…。…分っかんねぇけど、そうなのかなぁ…」
「そうだろ、そうに決まってらぁな。だからな、とりあえずてめぇが出せる金を全部よこせ。俺がその金で買える品を選んできてやるよ」
「ホントかっ? うん、その方がオレっちが選ぶよりよっぽどいいや! 頼んだぜ!」
「よし、交渉成立だ。ほら、出せ」
ニタニタと笑うその男にルナは嬉しそうに小銀貨を二つ手渡した。
すると男はあからさまに態度を悪くして舌打ちし、「…小銀二つかよ。まぁいいや、そこで待ってろ」と吐き捨てるように告げてカウンター裏の引き出しを漁った。
そうして彼が差し出したのは、形の悪い小さな石に安物の紐を通しただけの、子供が数分で作ったようなネックレスだった。
その石には何かのイニシャルなのか一文字が刻み込まれている。
「ほーら、どうだ。こいつがてめぇが持ってきた金に見合うプレゼントってやつだ。それ持ってきゃあ大喜びだぜ」
「…へぇ、これがアクセサリーってやつなのか。…オレっちでも作れそうだな、これ…」
「あぁ? 文句あんのか?」
男は彼女がまじまじとネックレスを見つめる前で、捲って拳骨を作り威嚇している。
実際には何度か死闘を経験してきた彼女にはまるで脅威ではないのだが、それ以前に彼女は男の態度の悪さに気が付いていなかった。
ただ純粋に、初めて自分が買ったアクセサリーというものを観察していて、そして満足そうに笑っていた。
「でもこれ、オレっち好きだな! 何かさ、一生懸命作ったんだなって感じがしてあったかいんだ! ありがとな、おっちゃん! きっとディアナも喜ぶよ!」
男はそれを聞くと、彼女を凝視して拳骨を力無く下ろした。
それから「…おう」とだけ答え、彼女から顔を背けるようにして頬杖をつく。
じゃあな、と走り出した彼女の背中を横目で見届けた彼は、深く項垂れて小さな溜め息を一つ吐く。
「…すまねぇな」
…それでも足りなかったようで、彼はもう一度、
「……すまねぇ」
腹の奥から吐き出すように掠れ声を上げた。
※※※※※※※※※※※
「…に、偽物ぉ!?」
訓練場外の廊下に響き渡ったルナの声に、クレドは困ったように笑って頷いた。
「うん、きっと騙されたんだよ。だって、そんな作りのネックレスが小銀貨の値打ちなはずないもの。これじゃあ大銅貨一枚…いやそれ以下だと思う。…もしかして大通りから外れたところの赤煉瓦の店に行ったの?」
「う、うん…。そこ行った」
「そこって経営不振でもうすぐ廃業になるところだったはずだよ。そこへ君みたいな無垢な子が行っちゃったもんだから、…良いカモだと思われちゃったんだね。…仕方ない、今度は僕も一緒に行くよ。もっとちゃんとしたお店知ってるから案内する。お金もまた出すよ」
ルナはサァッと青冷めていたその顔を今度は怒りで真っ赤にして、そして突如風を切るように翻って走り出した。
「すまねぇクレド、オレっち急いで取り返してくるから! そんであのおっちゃんにちゃんと謝らせてくらぁ!」
「あ、いやっ、いいよ! そんなことしなくても――」
クレドは急いで引き止めようとしたが、彼女の速度は人間の足など簡単に振り切って行ってしまった。
彼は廊下の先へと腕を伸ばしたまま立ち止まり、『そのうち諦めて帰ってくるだろう』と楽観して元の持ち場に戻った。
※※※※※※※※※※※
「だ・か・ら! おっちゃんオレっちのこと騙してコギンカくすねやがったろ!? 聞いたらこのネックレス、オオドウカくらいの安物らしいじゃねぇか! ちゃんと渡した分とおんなじ値段のやつくれよ!」
「知らねぇな! こちとら一々どの客からいくら貰ったかなんざ覚えちゃいねぇんだよ! てめぇが嘘ついて俺から高い物掻っ払ってこうとしてる訳じゃねぇって証明できんのか、あぁ!? 大体てめぇ、自分で納得してその商品受け取ってったんだろうが! なら話はそこでおしまいだ! てめぇのミスの責任はてめぇで取りやがれ!」
ルナはまた赤煉瓦の店に戻りカウンター越しに男と言い合っていた。
しかし話はいつまでも並行線で、彼の年季の入った悪知恵には太刀打ちできないでいた。
彼女は泣く泣く店を出て、せめて何か別の方法で小銀貨二枚を取り戻し、クレドへの謝罪としなければならないと焦った。
しかしディアナも神仙もいない今、人間社会に関わることで彼女に知恵を貸してくれる者はもう他にはいない。
「…ど、どうすりゃいいんだ…。か、金ってどうやって貰えるんだ…?」
何も分からず涙目でキョロキョロとしていた。
またあの紳士が来てくれれば何か教えてくれるかもしれない、と脳裡を過ったが、それを期待しても仕方ないことは分かっている。
…だから彼女は、不意に目に入った光景を参考にすることにした。
薄暗い路地で男の手を取り、豊満な胸に谷間を作って誘惑した女が、甘い声と口調で囁いて大金をせびっていた。
そして懐に金を収めると、女は男の腕に絡みついて路地の裏手へと消えていく。
…よくは分からないが綺麗な女性が媚びれば男は金を渡すらしい、ということを学んだルナは、人目も憚らず具象変化で大人の女性の姿に変わった。
咄嗟に浮かんだ大人の女性のイメージのせいでディアナの姿を借りることになった彼女だったが、子供用のドレスは流石に合わず、意図せず脚を露出する格好になってしまう。
しかし子供な彼女はそれにも無頓着で、意気揚々と例の店へ突撃していった。
「あいよ、らっしゃい。冷やかしならそのまま正面口から――」
うんざり顔の男は彼女の姿を見ると帳簿をバサッと落とした。
そして男の顔が赤くなり鼻の下が伸びているのを確認すると、彼女は成功を確信して更に進む。
先程の女の真似をしてクネクネした動きで迫ったルナは、甘い声を作って単刀直入に切り出す。
…女らしい口調をしたことがない彼女は、やはり先程の女の言葉を愚直にトレースすることにした。
「ねぇ、お兄さん…。ちょっとあたしのお願い聞いて欲しいんだけど…」
「…お、おう。…な、何だ?」
「あのね…、あたし今、食べるものにも困っているの。ほら、見て。痩せてるの。分かるでしょ」
「…お、おぉ…? ……そう、か? …そうでもなくねぇか?」
何気なさそうに答える彼の視線は彼女の脚や胸を行き交っている。
…上手く行っているようだと感じているものの、妙にその眼に肌がゾワついて気分が悪かったので彼女は少し急ぐことにした。
鳥肌立った脚をカウンターの下に隠すように近づいて、彼の手を両手で握る。
「…いいことしてあげる。だから、ね、小銀貨でいいの。たった二枚。…お願い」
精一杯の笑顔を作っている彼女だが、慣れないことをしているせいで若干頬が引き攣っていた。
男の方は彼女から必死に顔を背け、手を払い、急いで金銭箱から小銀貨を取り出した。
そしてそれを彼女の眼前に突き出して、「ほら、やるよ! 好きに持ってけ!」とぶっきらぼうに言い放つ。
「おぉあんがと! …じゃねぇや……まぁ、ありがとう! じゃあ、いいことしてあげるね」
こんなにすんなりいくとは思わず、ルナはキラキラと目を輝かせた。
…しかし、『そう言えばいいことって何だろう』と今更なことを思い、少し困り始める。
何しろ先程の女性はその言葉の後路地裏に消えてそれきりなのだ。
棒立ちになって少し嫌な汗を掻き始めていた彼女だったが、そこへ「…あー、あのな、姉ちゃん」と男が頭をガシガシと掻いて口を切った。
その顔からは嫌らしい笑みも卑猥な赤らみも無い。
「俺が言えたこっちゃねぇが、いくら生活のためでも自分の芯っつーか、大事なもんは捨てちゃいけねぇぜ。まだあんたが汚れきってねぇなら、今からでも考えてみな」
「…え、っと…」
それがどういう意味かはルナには分からなかった。
しかし今、自分はこの男を騙して金を貰ったのだと自覚した彼女は、少し悩んでその小銀貨をコトンとカウンターに置いて踵を返した。
その肩に彼の手が伸びる。
「いや、このくらいの駄賃持ってきゃいいっての! 俺が言いてえのは、…そう、生き方を考えろってだけだ! 路頭に迷って死ぬくらいならそりゃ取捨選択すりゃいい! ただ生きてるだけの人生に満足しちゃいけねぇぜってこった!」
彼女には彼のことがよく分からなかった。
平気で他人を騙す人間かと思えば、こうやって真剣に他人と向き合う。
…もしこれが人間と言うものならば、彼女には一生懸けても理解できないと思ったのだ。
「…おめえ、何でオレっちから金騙し取ったりしたんでぇ。…それなのに何で、オレっちには正しく生きさせようとするんでぇ…」
「…は? 何の話………って、…お前…その喋り方……そういや服装も…」
じっと互いの目を見つめる。
互いにあり得ない事実に驚き戸惑っていた。
そこへバンッと乱暴に扉を開け放ち、ちょび髭の役人が二人ほど部下を引き連れて現れた。
二人の硬直は一旦解け、男はニタニタ笑いの役人の前へと歩いていきながら警戒を剥き出したような憎しみの表情を浮かべた。
「またあんた達か。お偉いが俺の店に何の用だって? 何か買いにでも来たか」
「ハッ? こんなゴミ屋敷に金なんか注ぎ込むバカはおらんでしょう。いい加減ねぇ、こちらのお願いを聞いちゃくれないかと申し立てに来たんですよ。分かってくれますかねぇ、あなたが引き受けてさえくれればこの貧困区域にも僅かですが利益がもたらされるんですよ」
「『立ち退き』ってか? 冗談じゃねぇ! ここの土地は俺のじい様の代から継いできたもんだぜ。この店も、家も、思い出も、俺の目の黒い内は売れやしねぇもんだ! それを金押しつけてかっさらってくてのは横暴が過ぎるってんだよ!」
「けどぉ、あなたもこんな所でゴミなんか売っててもしょうがないでしょう? まさかこんなガラクタまであなたのオタカラなんですか?」
「そうさ、文句あるかよ! どれもこれも大金貨払い相当の上物さ! 俺はそいつを大マケにマケて売ってきてんだよ!」
その役人は大声で笑い飛ばし、部下達も命令を受けたかのように同時に高笑いする。
それにギリギリと奥歯を噛み鳴らすオーナーの男の姿に、ルナはポーチの蓋を開けてあのネックレスを見つめた。
小銀貨二枚で買い取ったそれは、彼にとっては金貨にすら替えがたい宝だというのだ。
「…ここから大通りと反対に歩いていった先に、煤だらけの廃墟がある。そこは十年前は孤児院だった場所さ。その頃の俺は城の兵士さ。シスターと顔見知りだった俺は、その子らにささやかでも仕事ができるようにたまの休みに趣味だった小物作りを教えてやってたんだ。けどある日馬鹿な大臣サマが人口削減のためとか言って孤児院の悪評を垂れ流し市民に暴動を煽って火をつけさせやがった。…ここに並んでる品物は全部なぁ、ドブネズミだぁゴキブリだぁ罵られながら焼き殺された孤児達の遺作だ…! …以来俺は退役して、実家を改造しこの店を開いた。…ガキどもが生きた証をこの街に遺すために…」
「ほほぉ、じゃあ、今回も同じわけですな。悪評が広まって居辛くなったあなたがここを立ち退いてハッピーエンド、と。今でも十分居辛くなっているんじゃありませんか? 少しタネを撒いただけで皆さん面白がって広めてくれましたからね、『赤煉瓦のゴミ屋敷』なんて」
「…クズ野郎どもめ」
静かに罵倒して睨んだ彼に、役人はフッと冷笑し、続いて商品棚に並ぶ指輪に眼を落とす。
そうして役人がその指輪に唾を吐き掛けると、男は鬼のような形相に変わって拳を振り上げ、
「てめ――」
「――何しやがんでい、ばっきゃろーッ!!」
――彼の叫び声は、ルナの声に塗り潰された。
そして彼の目の前に飛び出していったルナは、勢いそのままに役人の右足を蹴り飛ばす。
華麗にスッ転ばされた役人はヒビの入った脛を押さえて苦痛に声を噛み殺して彼女を見上げる。
そこには怒りの剰りに大きな耳と尻尾を飛び出させ、髪を逆立てて瞳孔を縦長に鋭くした少女が立っていた。
「…人間ってなぁ…人間ってなぁ、同じ人間の子供達ですら人間の都合で殺すのかッ! …しかもそれを当たり前だと思ってる奴までいやがる…! …ふざけやぁって…!」
「ひっ…こ、…こいつ、この店のガキか!? わ、私を蹴って、ただで済むとでも――」
「この店とは無関係だし人間なんかでもねぇよッ!! …ただの、化け物だッ!!」
紫の小さな光の玉が三つ、彼女と放電で繋がりながら周囲に発生する。
それらが一斉に役人と部下達へ飛ばされ、それぞれの肩に衝突し爆発する。
三人は店の外へと弾き出され、服の破れ目から痣を覗かせ血を流した。
化け物、化け物と悲鳴を上げて去っていく彼らに、扉の外まで走って出たルナは鋭く牙を剥きながら、
「二度と来んじゃねぇバカヤロー!」
…そして彼女は、その姿のまま男へと振り返って、悲しく笑いかけた。
「…さっきは、騙そうとして悪かったな。…オレっち、化け物だから、姿を変えられるんだ。…うん、そんじゃ…」
そうして去ろうとしていた。
…彼女の脳裡に過ったのは、オネット達との別離の記憶。
避けようのない現実だと思っていた。
「…おい、待てよ。…ガキ」
彼の声が呼び止める。
僅かに期待しつつ、彼女も振り返った。
彼は突き返された小銀貨を二枚手に乗せていた。
「…お前、何でこれを返したんだよ。…お前には、俺からこいつを騙しとる権利があったんだぜ。…あのネックレス、本当は小銅貨五枚しか値打ちが…」
「…おめえが言ったのを実践しただけでぇ。オレっちはオレっちの芯を貫いたんだ。それにさ、おめえもあながちただ騙しただけって訳じゃなかったろ。おめえにとってこのネックレスは、本当に価値があるものだったんだから。…このネックレスは、コギンカ二枚で買う。そんで、大事にするよ」
「…そりゃ、俺の気が済まねぇってもんだ」
男は力無く笑っていた。
ルナは彼の前までテコテコと近づき、八重歯を覗かせて満面の笑顔を浮かべた。
「んじゃあ、これでどーだ? オレっち、誕生日プレゼントを作りてぇんだ。でも作り方が分かんねぇ。だからさ、おめえがオレっちに教えてくれよ。そんで完成したやつをプレゼントにする。試作品は全部纏めてこの店に売るよ。コギンカ二枚だ!」
「…クッ…ハハッ! すげぇガキだな、お前。そんな高値で出来損ないばっか寄越された俺はどうすりゃいいんだよ、ハハッ。…あぁ、いいよ。そうしよう。けど俺はけっこー厳しいぜ。完成するまで家に返さねぇからな」
「おう! …んじゃあ、二日間帰らねぇって伝えてからもっかい来るからな! ちゃんと教えてくれよっ!」
ルナはそう言い残すと返事も待たずにパタパタと走り出していった。
男が呆れたような、けれど楽しそうな含み笑いを浮かべてカウンターへ戻ろうとしていると、彼女と入れ違いに足音が入り込んできた。
振り返るとそこには一人の紳士が立っている。
「…何だ、珍しい客が来たな。お貴族さんがこんなゴミ屋敷に何かようですかね」
彼の自虐は少しの明るさを孕んだ。
彼女のお蔭だろうか…。
しかし、紳士はそれに暫く返事をしなかった。
妙に思って彼が見ていると、紳士はシルクハットを脱いで感極まったように肩を震わせながら笑っていた。
「…子供が作ったような小物を売る店だと聞いて…もしやと思ったのですが……。…会えて良かった、本当に嬉しいです。…先生」
紳士の言葉に、男は徐々に目を見開き、驚愕と歓喜を表情一杯に示した。
その紳士は、かつて孤児院で指導していた孤児の一人だった。
「…お、お前…どうして…」
「あれから何とか逃げ延びて、親切な家庭に拾っていただけたんです。…今は、あなたに学んだ技術を自己流で磨いて、それなりのジュエリーショップを立ち上げることができてます。…今、幸せです。…あなたのお蔭で」
「…ハ…ハハハ……アハハッ…!」
男はその場に膝をつき、絶えず笑っていた。
紳士は服の汚れなど気に留めず彼の前に膝をつき、一緒になって笑っていた。
男の両目からは、いつしか大粒の涙が溢れていた。
「なぁ、聞いてくれ…! 面白いことがあったんだ!」
男は心から嬉しそうに、…あの頃の若々しく純粋な笑顔で告げた。
――お前が初めて作ったネックレス、銀貨で売れたんだ。




