三一ノ業 白髪鬼のスティリウス!許されざる恨みの先は…
パロでの修業を終え、再出発の日を迎える。
三之明の客室にはルナとヴィスだけがいて、消灯した部屋の中にカーテンの隙間から白い朝陽が差し込んでいる。
二人は互いのベッドに腰掛けて靴を履きながらアンニュイの空気を背負って話していた。
「…結局四日間しか修業しなかったなぁ。クレドに修業つけてもらってたのも初日だけだったし、その日以来ディアナもクレドも全然顔見せねぇしさ…」
「うむ、食事の時間にも現れんかったな。奴がどんな修業をしているのかも謎のままだ。…まぁ、何もしておらんことはないだろうが…」
「どーなってんのかなぁ。…でも、調査に行ったらもっかいパロに戻ってくんだろ? そんでもうちっとだけ修業してからメデューサ退治なんだろ?」
「あぁ…」
「…オネット達、多分ちゃんと逃げられたよな?」
「……あぁ…」
彼が口を噤むと、彼女も俯いて靴紐を直した。
ヴィスがソウラモンブルの調査依頼をディアナ達に報せたのは、神仙から伝言を頼まれてすぐのことであった。
彼はただ『ソウラモンブルが攻め込まれたらしい』とだけ伝え、それが誰の手によるものかなどは口にしなかった。
…何事も起きないのであれば二人に気負わせる必要はない、万が一の事態には事情を知る彼が即座に対処する。
だからその時が訪れるまで何も言わないと決められていた。
例え一二五番体がルナと同等かそれ以上の才能を持ち合わせていたとしても、この短期間のうちに辿り着ける高みなどたかが知れている。
彼の力で十分対処はできるはずだった。
…室内の固まったような空気は、不意にドアを三つノックする軽い音に崩される。
はーい、とルナが声を張ってベッドから応答すると、遠慮したようにゆっくりとドアが開いてクレドが顔を出した。
ルナは急くように立ち上がって彼の下へ歩く。
自然、ヴィスも続いて歩き出した。
しかしそれに応じて部屋に入ったクレドの後には続いてくるはずの彼女はいなかった。
ルナは目を丸くして訊ねる。
「…あれ? ディアナは? クレドの部屋で一緒に寝てたんだろ?」
「えっ…。……あっ、いやっ、彼女、僕の部屋には来てないよ。この三日間はずっと一人で空き部屋に籠ってたんだ。経練の行ってやつだよ。怪霊領域を広げるんだ」
「へぇー…けいれん…? …痙攣……?」
楽しげな想像を膨らませてしまりのない顔をしているルナに、僅かに頬を染めたクレドがコホンと咳をつく。
「今はシャワー浴びに行ってるよ。ずっと入れなかったから。終わったらまっすぐ合流しに来ると思う」
「風呂にも入らず修業すんのかー。綺麗好きのディアナには辛ぇな」
二人はそうしてとりとめのない会話を続けていたが、「おい、ディアナの男」とヴィスが呼び掛けると半ば呆れた顔で二人とも振り返った。
クレドの恨めしそうな声にも彼は動じない。
「いい加減クレドって呼んでくれないかな」
「フン…。男、ディアナの修業は上手くいったのか? それと奴の心の変革も、進んだのか?」
「頑なだな…。修業は大丈夫だと思うよ。三日しかなかったから経練の行は一回しかできなかったと思うけど、十分大きな変化になるはず。……心の方は、どうかな。たった数日で解決するものでもないし、僕とも軽い業務連絡くらいしか会話しなかったしね」
ヴィスは「ふむ…」と腕を組みディアナの様子と今後を案じた。
…これで少しは本調子に戻るだろうか、また敗けたら落ち込んで手がつけられないだろうか…。
そんなヴィスを見上げてルナが不思議そうに、
「なぁおめえ、名前で呼ぶの無理に避けてねぇか? 神仙様も未だに『老い耄れ』だしよ」
「名付けるということは、それが何者か断ずるということだ。『こいつはこういう存在だ』と理解するということだ。どうでもいい相手ならばさっさと名前で呼ぶ。だが興味が湧いた相手ならば、それが何者なのかを俺様の中で明らかにしない限り名で呼びたくはない」
「…変なこと考えんだな、おめえ。じゃあ、オレっちやディアナのことは何者か分かってきたってのか。自分のことも?」
「見てきた限りでは知っている。全てを理解したなどと言うつもりはない」
「ふーん…。オレっちは自分が何考えてんだかさっぱりだけどな」
ルナは彼の真似をするように腕を組んで深く考え込む。
しかし彼女の言葉に暗い影を思ったクレドは、すぐに話を変えに掛かった。
「ルナちゃんの方は? 発霊の修業、上手く行ったかい?」
「オレっちか? 神仙様が教えてくれたからバッチリでぇ。理屈も覚えてんぜ、対象物と同じ波長の怪霊力を放出して具象化すんだ。そーすっとこんな風に物体を発生させられる」
彼女もすぐに思考を切り替え、彼の前に両手皿を突き出すとその上に水を湧き出させた。
クレドがそれに頷き、ヴィスも「うむ」とそれを見届けると、彼女は少し得意気になって微笑みながら水を飲み干した。
「あとは、『洗脳変化』、『幻弄』、『吸霊』を覚えりゃあ目標達成でぇ。それぞれのやり方も教わったぜ。洗脳変化は、『相手に自分の姿を勘違いさせるイメージを送信する』。幻弄は、『相手の五感を全て塗り替えるイメージを送信する』。そんで吸霊は、『触れた相手自身に怪霊力の波長変化の指示を送り、自分と同じ波長にさせることで、大量の怪霊力を一気に収霊する』。…全部難しくて中々できねぇけど、でも早く覚えたいからがんばるぜっ」
「うん、ルナちゃんならきっと数日もあれば覚えちゃうと思うよ。操霊の修業の時とか凄かったしね」
彼は嫌味無くそう告げて笑ったが、ルナは少し複雑そうな渋い顔をしていた。
ヴィスはそれに何と声を掛けるのが正解かと悩んでいたが、廊下から二人分の足音が近付いているのに気が付いて口を閉ざす。
後の二人もすぐに気が付き、三人揃って部屋を出て待ち構えた。
視線の先の曲がり角から、神妙な顔をした神仙と、濡れた髪をタオルで淡々と拭きながらディアナが歩いてきた。
ディアナはヴィスとルナに「久しぶり。仲良くしてた?」と声を掛け、ルナの首肯が返ると寂しげな笑みを浮かべて、そのままクレドに視線を移す。
「…クレド、色々手伝ってくれてありがとう。また数日で戻ってくるから、その時はあたしの『弱さ』のこととかの話……うん、お願いね」
「うん、喜んで。…気をつけてね、自分の命を第一にね」
「ええ、ありがとう」
その恋人同士が交わす決意と甘えの入り混じった眼を、ヴィスと神仙は神妙な面持ちで、ルナは苦痛を堪えるような面持ちで見守った。
※※※※※※※※※※※
馬を走らせて丸一日経つ頃、ソウラモンブルに到着した。
いつものように各々の馬を石のポールに繋いでおいて進み、その小さな村へと踏み入った三人だったが、先頭を歩くディアナの足は直ぐ様止まることとなった。
覚悟して訪れた彼女だったが、実際に眼にしてしまうと動揺は避けられなかった。
それはルナも同じで、二人は息を殺して辺りを見回していた。
その異様な凄惨さは夜闇などでは隠せない。
風車も、家屋も、店も壊されていないのに、道だけは人骨と血痕が散らばっていた。
全ての家の扉が開け放たれていて、何者かが一軒ずつ訪問して回ったようである。
「…これは…多分、集団の犯行じゃない。…もし集団で殺して回ったりすれば騒ぎになるはずだけど、…そうなった痕跡が無い、村が綺麗すぎる…。…怪霊獣か何か、圧倒的な力を持った誰かが暗殺して回ったんだよ…」
ディアナの考察は的を射ていた。
血痕は家の中から溢れたものか、人骨から垂れたり飛び散ったようなものしかない。
つまり、全ての住民が家の中で殺され、骨だけになって窓から投げ捨てられていたのだ。
瞳孔が縮み、汗を掻き、鼓動に肺を潰されそうになっているルナは、「…オネット…スール…」と縋るように呼びながら駆け出していた。
「ま、待ってルナ! 何があるか分からない、迂闊に動いたら――」
ディアナは手を伸ばして呼び掛けたが、ルナは聞く耳を持たずに走り続ける。
彼女はヴィスと顔を見合わせ、頷き合うとルナの後を追って走り出す。
ヴィスは、今すぐ真相を告げてしまうべきではないかと悩み始めていた。
「…ペトゥ…クッタ…!」
ルナは息を切らしながら呼び続けた。
どこにも人の声など無い。
彼女の声に反応を示すのは、開け放たれた柵の傍で眠っていたり草を食んでいる置き去りの家畜達だけだった。
そこへ、彼女の進行方向に小さな影が現れた。
…流石に人間ではない、ルナにもそれは分かっている。
しかし事実を知る手掛かりはあるのではないかと、彼女はその影に眼を凝らした。
…影の正体は一匹の小さな犬だった。
『ルフトゥ』と書かれたプレートが首輪に付けられていて、散歩の途中で逃げてきたかのようにボロボロのリードを引き摺っていた。
風雨に曝されたためか茶色い毛並みは幾らか黒ずんでいて、口元の毛は血で固まっている。
その犬は衰弱していたが、子供の人骨の傍に座り込んだまま、一歩たりとも動く気配が無かった。
そうしてただ悲しそうに人骨を見つめている。
ルナは犬の隣まで歩いてくるとリードから嗅いだことのある匂いがしていることに気が付いた。
…彼女を遊び仲間に加えてくれて、懸命に仲を取り持ってくれて、けれど最後には悲しい別れをした…あの少年…。
「…お別れ言いたかったよ、オネット。……うんにゃ、オレっちの言葉なんか欲しくねぇかな。…天国で、リナリアと仲良くすんだぞ」
ルナは静かに涙を流して微笑んでいた。
その後に駆けつけたディアナとヴィスは、慰めの言葉など容易に掛けられず唇を噛んで眺めていた。
―――パチッ―――
石が打ち合う音がした。
―――パチッ―――
音源は…いつか遊んだあの空き地。
―――パチッ―――
何度も何度も、絶えず響いていた。
…オネット達は幽霊になっても皆で遊んでいるのだろうか…。
ルナはそんな光景を優しい気持ちで想っていたが、そんなはずはないことは理解している。
それは明らかに、生きた何かの気配だった。
示し会わせることもなく、疑問を口にすることもなく、彼女達は変わらぬ足取りでその音を追い掛けて歩いた。
石の音は相変わらず響いている。
決まったように等間隔に音が続く。
その音の鳴り方に、三人は覚えがあった。
…空き地に辿り着く。
芝生の上に立て膝で座り、傍にかき集めておいた石を一つ取って投げる少年がいた。
その投げ石は、塔のように積み上げた石の頭をかすっていくと、その先に散らばっている石にぶつかってパチッと奏でる。
積み石は少し揺れただけで塔の形を守り通した。
「…『崩し石』…とか言ってたな、あのチビすけ達は。人間の子供にしては良い遊びを考えてくれたもんだ。お蔭であんたらが来るまで良い暇潰しになったよ。少し簡単過ぎるのが残念だけどな」
少年はそう呟くと仄暗い笑みを浮かべて立ち上がる。
純白の長髪、純白の肌、…そして頭の上の大きな耳。
柔らかな毛に覆われた尾は獲物を狙う蛇のように怪しく蠢き、前髪の下から覗く白く濁った血の色の瞳は三人を捉えているのかいないのか…ただ向けられているだけの目におぞましささえ感じられる。
…その少年――スティリウスは、ズルズルと両足を地面に摩るようにしてゆっくりと歩み寄ってきた。
…ディアナは必死に彼の姿を目に焼き付けようとしていた。
それが自らへの罰だと、戒めだと信じた。
この村で彼と鉢合わせることは、彼女にとって何ら不思議なことではなかった。
ヴィスは警戒の意思を強めて右手の狙いを定めていた。
ディアナの身に何か起きそうであれば、ルナの兄と言えども容赦はしない…そう決めていた。
…ルナだけは、喉の渇きと心臓の激しさを呑み込むように盲目的な笑顔を浮かべてスティリウスへと歩み寄っていこうとしていた。
「…にぃちゃん……生きてたんだな、…にぃちゃん…!」
その声はこの上無く喜びに溢れていた。
彼がこの村の人々を殺したのであろうという推測も、事実博士達を彼が殺したのだという過去も今の彼女の頭の中には無い。
そんな感情、そんな記憶は彼女が必死に笑顔を作って頭から追い出していた。
「…キョロすけか。あぁ、生きていたさ。…太陽に目を奪われ、野獣野党に追われながら…この日をどれだけ待ち望んだことか…」
スティリウスも、心の底から喜ぶような優しい笑顔を浮かべた。
そして抱擁に臨むように両腕を広げる。
「…ル、ルナ! ダメ、ルナ、行っちゃ――」
ディアナは迷いながらもそう声を上げた。
…ルナは振り返ろうともしていない。
「行っちゃダメ、ルナ!」
「…にぃちゃん、オレっち、ずっと寂しかったんだ…。オレっち、ダメダメでさ、いつもにぃちゃんの背中に隠れてたよな。…今もそうなんだ、にぃちゃんがいてくんなきゃ何にもできねぇんだ」
「戻ってきて! 彼はもう、あなたが知っているお兄さんではないのよ!」
「オレっち、にぃちゃんやみんなが死んだって言われてから凄く後悔したんだ…。…オレっちがいたからみんな死んじまったんだって…。オレっちなんか、成功体でも何でもねぇよ。…ただの気が小さいペール・ルナールだった」
「お願いルナ、あたしの言うことを――」
「ディアナうるせぇッ!」
ルナは胸が張り裂けそうな大声を返して黙らせた。
ディアナは息を呑み、もう何も言えず彼女の背中を見ているしかなかった。
ルナは再び虚ろな笑みをスティリウスに向ける。
スティリウスはそれに甘やかな微笑を返しながら足を進めた。
ルナは涙を流しながら彼の抱擁を受け入れようと腕を広げ、あと数歩で触れる距離まで来た。
「…にぃちゃん、オレっち、にぃちゃんの味方だから…。…にぃちゃんが悪く言われねぇように、オレっち頑張るから…。だから、にぃちゃん…」
「大変だったな、キョロすけ。その口振りだと、にぃちゃんが今日まで何をしてきたのか知ってるんだろ? 苦労を掛けて悪かったな…」
「…ううん、いいんだ、にぃちゃん…。オレっち、何があってもにぃちゃんの味方だ…」
「あぁ、ありがとな。……因みにオレはさ、…ルナール――」
次の瞬間、刃と化した彼の人差し指がルナの脇腹を貫いた。
「――オレはお前を敵だと知ってるよ」
指が引き抜かれた後、放心してよろめいた彼女の脇腹が血で黒く滲んでいく。
「…にぃ…ちゃん……、な…何で……」
「人間どもと仲良しこよしのお前が味方だと? 笑わせるな。そこで這いつくばってろ」
彼は一変して冷たく睨むと彼女の傷口を容赦なく蹴り飛ばした。
その重く鋭い蹴りに倒された彼女は両手で脇腹を押さえて芋虫のように身を捩らせて呻いた。
スティリウスはそんな彼女をフンと鼻で笑った。
「…き、貴様ぁぁあああッ!!」
額に血管を浮かせ、牙を剥き出しにしたヴィスは自らの腕を血塗れにしても構わず全力の我霊射を放った。
その赤い閃光が迫るのを見ても、スティリウスは自信げに笑うだけでまるで動じない。
垂れ下がった彼の右手、その人差し指が刃の姿から戻ってスッと横を指した。
そしてその指先からは赤い我霊射が放たれ、ヴィスが放った我霊射はそれを追い掛けるように横に逸れていった。
そうして攻撃を外されたヴィスだったが、その程度のことで物怖じする彼でもない。
寧ろ彼の怒りは助長された。
「…我霊射を外させるとは…あの老い耄れ以来だな…。涼しい顔しやがって……貴様、よくもルナを…!」
「冷酷無慈悲の怪霊王と聞いてたんだが、やけに優しいじゃないか。…自分の腕の心配でもしてたらどうだ?」
「フン…。こんな怪我三十分もあれば勝手に治る。……だがルナの心の傷は別だ…! 奴は貴様を本当に、…本当に慕っておったのだぞ! その想いをよくも踏みにじって…!!」
スティリウスは彼の言葉を聞くとキョトンと目を丸くした。
その様子がルナによく似ているのが、却ってヴィスの癪に障る。
「随分と青臭いことを言うんだな。…自分は何人も遊びで殺してきた分際でさ」
彼はそう呟きながらディアナへと視線を移し、その目を細めた。
彼女は仙攻丹の放電を全身に起こし、四千の怪霊力でルナの下へ駆けつけようとしていた。
…『自分はスティリウスを責める立場にはない』という自戒が、彼女に冷静さを与え、逆上で眼が曇ることなども無くルナを助けることだけ考えられたのだ。
…しかし、彼女の進路は突如目の前に移動してきていたスティリウスに阻まれる。
彼もまた同じように身体に放電を起こしているのを発見し、ディアナは眼を疑って後退った。
「…クレドのあの話が、まさか、本当だったなんて…。…何故あなたが、仙攻丹を使えるの…!?」
「…センコウタン? …へぇ、そんな名前なのか…この技。何故って、簡単だろ。あんたが使ってるのを見て覚えたんだよ」
ディアナは生唾を呑んで「…見る…?」と疑問の声を上げた。
スティリウスはそれに「クックック…」と目を瞑って笑う。
「盲のオレじゃあ見えないだろって? …具象変化って技は便利でな、お蔭様でこんな芸当もできるのさ」
…そう言って見開かれた彼の瞳は、白い濁りが消えて鮮やかな血の色を宿し、縦長の瞳孔は黒に染まっていた。
「――そ、そんなバカな…! 具象変化で身体機能を増やすなんて、普通そんなことできるわけ――」
「誇れよ人間、あんたらがオレ達をそういう風に作ったんだぜ」
暴力的なまでの絶対的な才能。
ディアナは目の前の化け物に萎縮して足を止めていた。
ヴィスはディアナとルナを巻き込まずに接近戦に持ち込む手段を考え、険しい表情でじっとスティリウスを睨む。
そしてルナは、息を切らしながら必死にスティリウスを見上げていた。
「…剣聖ディアナ、あんたが戦うのを見たのは都合三回だ。まずオレがパロで狐どもをけしかけた時、そしてモンヴァーティでインプやオーガと戦っていた時、……そして…――」
スティリウスはルナをチラリと見て笑う。
「オレ以外のペール・ルナールを皆殺しにした時だ」
…ルナは呼吸も忘れて目を見開いた。
脇腹の痛みすら忘れていた。
そんな彼女に差し伸べるように手を出して、彼は優しげな笑みを向けた。
「聞かされてなかったんだろ? どうりでその女と仲良くできたわけだ。…なぁ、ルナール、オレと来いよ。人間どもを滅ぼし、この世界を人間の魔の手から解き放とう。きっと誰の命も不要に汚されることのない素晴らしい世界になる。メインディッシュを飾るのは勿論剣聖ディアナだ。…お前だって許せないだろ? なぁ、ルナール…」
彼の言葉を遮る者はいない。
ディアナは肩の荷が降りたというように俯いて笑い、ヴィスは彼女を哀れみながらもルナがどんな選択をするのか待ち構えていた。
…ルナがどちらを選んだとしても受け止める、その覚悟だった。
「……すっきりした」
しかし、ルナが呟いたのはそんな一言だった。
その意味を測りかねたスティリウスは眉を寄せて彼女を見る。
「…何でいつもディアナが辛そうにオレを見るのか分からなかった。何でもないことで謝ったり、泣き出したりするのか不思議だった。…オレが傍にいることで、何かがディアナを不幸にするんだって…それ以上のことが分からなくて、ずっと不安だった…。……でも、やっとどうすりゃいいのか分かったんだ…」
彼女は震える手足で身体を押し上げるようにして立った。
そうして更に血が滲む脇を押さえながら、青白い顔に汗を噴かせてスティリウスと向き合う。
スティリウスは再び表情に敵意を帯びて彼女を睨み付けた。
「…まさかその女を許すのか? …その女は人類の一時の安寧のためにペール・ルナールを滅ぼそうとした張本人だ。…報いを受けて当然のクズなんだぞ」
「…ちげぇよ、にぃちゃん。オレはペール・ルナールの皆を殺されたことは許しちゃいねぇ。この先もずっと許さねぇつもりだ。…でも、でもさ、にぃちゃん……ディアナは自分からその報いを受けてるんだ。罪の意識がちゃんとあるんだよ。ディアナはいつだって自分のしてることを正しいなんて思っちゃいねぇんだ。…ペール・ルナールを殺したことは罪だ。許すことはできねぇ。けど、だからっていつまでも恨む必要もねぇだろ。オレはペール・ルナールの味方でもいてぇけど、ディアナの友達でもいてぇ。だからディアナを恨まねぇ」
「…オレが間違ってるってのか、キョロすけ…」
「……間違っちゃいねぇ。…でも、正しいかだって分からねぇ。……ただオレっちは、にぃちゃんには幸せでいてもらいたかった…」
ルナは涙を溢しながら微笑んで訴えかけた。
しかし、その想いはスティリウスには届かない。
彼は不満げに顔をしかめると、そのままスタスタとルナの横を通り過ぎて歩いていった。
予想だにしなかった会話に呆気に取られていたディアナはふと我に返り、急ぐように声を張り上げた。
「…ま、待ちなさい! 僕が憎いんでしょう!? だったら今すぐ僕を――」
「言ったはずだぜ、あんたはメインディッシュだ。まだ殺さねぇよ。人間全てを殺した暁にはあんたを殺しにやってくるさ。…ルナール、その日までにオレと剣聖ディアナのどちらに味方するか考えておけ。オレに味方するならその証明にお前の手でディアナを殺させてやる。……オレと敵対するのなら、オレは迷わずお前を……」
彼は立ち止まってルナにそう念を押すと、今一度ディアナに強い殺意の視線を送ってから歩き出した。
その背中にヴィスが怒鳴り付けようと、彼が立ち止まることはない。
「貴様、無事に俺様の前から逃げ仰せると思うなよ…! いくら仙攻丹が使えると言えども怪霊領域が然程でもなければ脅威ではないのだぞ!」
しかしそう叫ぶヴィスの前に、よたよたと飛び出してきたルナが息絶え絶えに首を振って、
「やめてくれ、ヴィス…。に、にぃちゃんに…ひでぇことはしねぇでくれ…。…頼むよ、ごめん…」
彼女の必死の訴えに、彼は舌を打って渋々腕を下げる。
スティリウスはその気配を察して「ハッ」と笑った。
「前に空狐のやつが言ってただろ…『例え居場所が分かろうと、スティリウスをどうすることもできまい』ってな。……こういうことさ、オレがやられればルナールが悲しむらしいぜ。仲間のお願いなら聞いてやらなくちゃな、前怪霊王さんよ」
ヴィスは今にも噛みつきそうな険しい顔でスティリウスを睨み付ける。
ディアナはもう何も言えず、ただ去っていくスティリウスを見つめているのが精一杯だった。
そしてルナは、一歩彼へと踏み出して、傷も構わず大声で呼び掛けた。
「オレっちはルナールじゃねぇ、ルナだ! それが今のオレっちの名前だ! オレっちはその名前と一緒に新しい人生を歩み始めたんだ! にぃちゃんには尚更、ルナールなんて呼び方されたくねぇ!」
「…だったらオレを兄と呼ぶのはやめろよ、ルナ。オレはもうお前の手を引き、撫でて慰め、腕で庇ってやっていたお前の兄貴じゃない。スティリウスと名を変えた…復讐の鬼に生まれ変わったのさ」
彼女の胸を悲しみが満たす。
彼女は彼の言葉に頷くこともできなかった。
例え彼が変わってしまったのだとしても、彼女にとっては今でも紛れもなく彼が『にぃちゃん』だったのだ。
スティリウスは高速で空を飛び去っていく。
その影が遠く消えていくのを、三人は安堵と悲しみ、恐怖の入り雑じった複雑な心境で見送った。
スティリウス
握力4t
パンチ力8.63t
キック力25.8t
耐久度5697
走力243m/s
霊力2,586,643
怪霊領域4096
回復力13
術: 我霊閃、我霊射、読霊、吸霊、具象変化、洗脳変化、幻弄、操霊、発霊、仙攻丹、霊玉操




