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改新奇譚カリバン~封じられし魔王~  作者: 北原偶司
遺恨之篇
33/67

三十ノ業 選ばれし化け物と、凡庸な英雄

 ヴィスと神仙は共に、これから現れ得る悲しい脅威に思い馳せ、神妙な顔付きのまま城の客室へと歩いていた。


 そこに会話はない。

 話すべきことは神仙が話し終えていた。

 そして二人は今、全ての事情を理解した上で、共通の鬼胎に突き動かされ足を速めているのだった。


 ディアナとルナの絆を揺るがす、大きな不安に…。


『――…ディアナは、にぃちゃんを殺すのか…?』


 部屋の前に着くとルナの声が廊下に漏れ聞こえた。

 ヴィスも神仙も、ピタリと足を止め、生唾を呑むような緊張の中その返答に聞き耳を立てる。


 暫く待っても、ディアナの言葉は返らなかった。

 若しくは首肯なり態度なり、無言なりで応じたのだろう。

 ルナが何かの答えを貰って動揺している様は空気で伝わった。


 それからすぐに荒々しい足音が近づいてきて、突き飛ばすような勢いでドアを開けたルナが走り去っていった。

 彼女の表情は感情が定まらず青冷めていて、彼らの事など視界にすら入っていない。


「…ル…」


 ヴィスは呼び止めようとしてやめた。

 廊下の遠くの角を曲がっていくまで見送って、彼はそのまま彼女がいなくなった後を眺め続けた。


 神仙はヴィスを横目で見ながら通り過ぎ、部屋の中で俯いているディアナと、その肩に触れて慰めるクレドへと声を掛ける。

 流石にこの時ばかりは彼も明るく努めることはしなかった。


「…ルナさんに伝えたのか」


「…はい」


 物も言えない彼女に代わり、クレドが顔を上げて答える。


「何故一二五番体がディアナを恨んでおるかも、か?」


「…いえ、それは見送らせました。今はルナちゃんも混乱してるでしょうし、…それを知ったら、ルナちゃんはもうディアナと旅ができなくなるかもしれませんから…」


「…ふむ、今はその方が良いじゃろな…。……しかし、旅を続ければいずれルナさんは奴と相見える。それは避けられんはずじゃ。今伝えんでも、ルナさん自身が気付くか一二五番体が明かすか…遅かれ早かれ知ることになろう。…その時にどうするか、じゃな」


 神仙は最後の一言で腕を組み眉間に皺を寄せた。


 クレドはそれに何も提案できない。

 勿論ディアナとルナが和解する道も目指せれば、徹底的に決別する道もある…選択肢は無限にあるのだ。

 しかし、そこに正解は無い。


 二人が何を選ぶのかを受け止めることだけが、その現実に許された彼の答えだった。

 その意を込めてディアナの顔を覗き見ると、彼女は震える手を押さえて口を開いていた。


「…ルナは優しすぎるから、きっとあたしが謝ったりしたら素直に恨めなくなってしまうでしょう。…どうせ彼と出会って全てを理解するのなら、それに任せてしまうのもいいかもしれません。……そうすればきっと、彼女もあたしを純粋に恨んでくれます。…あたしを罰することができるのは、彼とルナの二人だけだと思いますから……」


 クレドは彼女の答えを聞いて、容易には頷けなかった。

 しかし、彼女の声と表情は剰りに心細そうで、非難することもできなかった。

 それは神仙も同じで、部屋には無言だけが残った。


 ふと、その静寂が緩やかな足音に断ち切られる。

 …ヴィスが歩き出そうとしていた。


「待て、ヴィス。何処へ行く気じゃ」


 神仙に呼び止められた彼は、振り返って真っ直ぐな視線を返す。

 その愚直とも呼べる純真さは、今の彼らには痛くすらあった。


「ルナは一階のとある個室だ。怪霊領域は閉じていても、人物の判別さえつけば読霊で行き先は把握できるからな」


「そんなことを聞いとるんじゃない。今あの子を追い掛けてどうするつもりだということじゃ。ワシらより上手くあの子を元気付けられるのか? 悩みから救ってやれるか? …お前さんにそんな力が無いことは、お前さん自身がよく分かっておるんじゃろう?」


「…俺には奴が泣いているように見えた。何故放っておく必要があるのだ。確かに俺ではどうルナを慰めればいいか分からんが、それはルナ本人に訊けばいい。涙を止めてやれるなら、ルナが求めることを何だってしてやる。…何もしないでいたくはない」


 神仙は溜め息をついて諭し、遠巻きに見ていたディアナはまた唇を噛んで俯いていた。

 …自分の感情を素直に言葉にできる彼が、彼女には堪らなく羨ましかった。


「……そんなことはワシらだって同じじゃ。しかしワシらもどうしてやればいいか分からんし、ルナさん自身も思考を整理するので手一杯じゃろう。…人との関わりを断ちたい瞬間など人間にはありふれておる、ワシの経験ではルナさんにとって今がその時なのじゃよ。今ルナさんを追い掛けて言葉を引き出そうとするのは得策ではない」


 ヴィスは苛立ちを隠せなかった。

 …神仙への怒りではない……それは自分に向けた怒りだった。

 その激しい心に奥歯を噛み締めながら、彼は舌を打って呟く。


「…『無力感』というのは、こういうもののことを言うのだな。…自分を殺したくて堪らなくなる」


 そんな吐露をした彼に神仙が憂いを帯びた眼を向けているのを、クレドは自分の目を疑いながら見た。

 かつて多くの人間を高笑いして殺していた怪霊王と、自分達と同じようにルナを心配している今の姿とが噛み合わず、彼の心境は複雑怪奇を極める。


 彼らの時間は、陽が暮れ始めてルナが戻ってくるまで停滞し続けた。



※※※※※※※※※※※



「…一所に集うのはいつぶりか…」


 威圧的に濁った太い声にそぐわぬ、高貴さを思わせる口調。

 それが怪霊王国――怪霊獣が全域を占領せし、かつてメリカナキダと呼ばれた大陸――の地下空洞に響き渡り、その場に集まる他五名は黙してこれを聞いた。


 いずれも粛然と顔を伏せている。

 伏せた顔の下には各々に表情を持つ。


 ぬらりひょんは嗄れた老獪の笑み。

 朱雀は野望を秘めた戦意旺盛の笑み。

 そしてリーラハールスは、あらゆる感情を内に隠す固い仮面のような取り澄ました顔をしていた。


 そのリーラの隣では、肩を窄めて額に汗が滲みそうなほどの緊張を抱えたノサティスが、怪霊衆の面々を上目で盗み見て萎縮している。

 その彼の眼が、遠くの暗がりからひっそりと顔を覗かせた細身の黒豹を捉える。


 ――それはただの黒豹ではない。

 その血がてかるような朱色の眼光は、大いなる悪魔の本性をはっきりと包含して鋭くなる。


 危うく悲鳴を上げかけて汗を吹き出した彼に、先程の濁った太い声が降り掛かる。

 思わず顔を上げた彼だったが、その声の主を、――あの黒豹より更に強大な存在を仰いだ恐怖に再び顔を伏せる。


 …ラーベルナルド。

 その濃色の岩のような肉体を一丈に膨れ上がらせた巨人は、怪霊王の座に在ったかつてのヴィスドミナトルを彷彿とさせる紅紫色の条帛と裳を纏い、漆黒の強膜に浮かぶようにして光る銀の瞳をノサティス一人に向ける。


 忌々しげに、睨み付けていた。


「今日この場は、この我輩が新たなる怪霊王として君臨し、初めて開かれた会合――謂わば門出の場だ。…そこに、(うぬ)が如き脆弱非力な小物が顔を見せるということは、さぞ莞爾たる吉報があるのだろうな…?」


「…ぅ………」


 彼はその空気感に窒息し返事もままならなかった。

 ラーベルナルドの視線や一挙一動に怯えた。

 果てにその攻撃的な姿――両肩、両肘から大きく伸びた銀の刺や、無数の針のように鋭く尖った鉄紺の髪すらも彼の恐怖を駆り立てた。


 そうして彼が返事に窮していると、冷たい眼でチラリと彼を見たリーラが顔を上げて「私からご報告致しましょう」と申し出た。


「汝に問うてなどない。我輩は、そこの小僧に、何の了見でおめおめと顔を見せたのかその真意を問うているのだ。…怪霊衆の枠を争いメデューサに敗れながら自決もしなかった屑の分際で、この恥知らずめが…」


「彼は私の信頼のおける部下ですよ。実際私の指示には常に従事してくれます。だからこそ私は彼を死なさず部下に引き入れた。今日この場に呼んだのも私です。強き者が正……彼は怪霊獣の思想理念に従ったまで。恥知らずと呼ぶのは些か検討違いですね」


「『信頼』など、よく言う。知っておるぞ。汝が弱い怪霊獣ばかりを部下に集め従えておるのは、手足に戦力など求めておらんからだ。部下は飽くまで汝が敵を特定するための手足、倒すのは力のある自分……これまで汝はそうやって自分一人の手柄を立ててきたはずだ」


「ええ、そうですね。彼には力ではない別のものを期待していますよ。…そう、誠実さ…とでも言いましょうか。…今日は彼の誠実のお蔭でそれなりに悪くない話が聞けると思いますよ。身分不相応な彼の出席はそれに免じていただければ」


 リーラハールスの淡々とした切り返しに、ラーベルナルドは腹立たしそうに腕を組み顔をしかめたが、納得する他無い話だとは感じていた。

 不満げながらも『話せ』と命じるようにノサティスへ顎をしゃくる。


 ノサティスはリーラの物言いに愕然としていた。

 ――力など期待していない――その鋭利な言葉が彼の胸を貫いた。


 しかしリーラは何食わぬ顔でノサティスに笑い掛け、「さ、報告を」と促す。

 ノサティスは初めて、その笑顔が作り物の感を帯びている事実を直視して、リーラにとって自分がどんな存在なのかを気にした。


 …しかし、それは今やるべきではないと即座に判断し、ともかく指示に従うのだった。


「…か、怪霊お…いえ、前怪霊王ヴィスドミナトルが行方知らずになっていたことは、ラーベルナルド様にも記憶に新しいと思います。そのヴィスドミナトルですが、リーラハールス様が今眼に掛けておられる()()()()から報告を受けたのです。…奴は、人間による封印を受けて大幅に肉体と怪霊領域を弱体化させられ、現在一人の人間の支配下にあります。…その人間の名はディアナ…――剣聖ディアナ」


「……ほう…」


 ラーベルナルドの眼から苛立ちが消え、純粋な関心がノサティスへと向けられた。

 それで幾ばくかノサティスの緊張も解れたが、手の震えは変わらない。


「剣聖ディアナか……よくは知らぬが、ヴィスドミナトルにディエシレの丘での決闘を申し入れた者か? 気狐を二匹仕留めるのがやっとの雑魚だったはずだが…。その者があれを封印したのか。……あの化け物を封印するほどの強者が人間にいるはずが……いや、凄霊長か…?」


「…果たしてその者が封印したのかは分かりかねますが、剣聖ディアナはヴィスドミナトルと、もう一人曲者を従えてリーラハールス様の基地を攻めてきました。……どうやら仲間割れを起こしていたらしく、元々はヴィスドミナトルがメデューサ様の基地と偽って誘導してきたようですが、何の気変わりなのか最終的にヴィスドミナトル自身の意志で剣聖ディアナに味方することとしたようでした」


 ピクリとラーベルナルドの眉が震え、「…『攻めてきた』?」と問い返す。

 再びノサティスの肌を嫌な汗が撫でた。


「それで、今此処に汝とリーラハールスが生きて現れたのは何だ? ヴィスドミナトルを始末したのか? …逃げてきたのではないだろうな?」


「…リ、リーラハールス様は、ヴィスドミナトルが完全に人間どもと結託しているとお考えになられたのです! ヴィスドミナトルは僅かずつにも力を付け始めた人間達に興味を持ち、侵攻に待ったを掛けた経緯もありますから…! それで、ならば最初の標的はメデューサ様になるだろうと…」


「ならば汝がリーラハールスから留守を頼まれたはずだが、…吉報、であろうな?」


 ノサティスは言葉を詰まらせ、縋りつくようにリーラを見た。

 …凍えるような、恐ろしく冷たい目が返る。


 リーラのそんな顔を見たのはノサティスには初めてのことで、心臓が張り裂けそうな程の切迫感を抱きながら必死にラーベルナルドを向く。

 …失望の眼かもしれない…そんな不安を掻き消そうとしていた。


「け、剣聖ディアナとの勝負は私の圧勝です。…一瞬、私と並び得るほどの身体能力を発揮しましたが、私がカウンターを打ったことで敗北を悟り、それ以上戦う姿勢は見せませんでした。……そ、そして、ディアナを殺そうとしていた所に、ある妙な老人が現れたのです。その老人は私の他にいた総勢五十体もの部下達を一瞬にして全滅させました。…警戒すべきはどちらかと言えばあの老人のようにも思いますが、その者は私とは対峙せず、共に現れたヴィスドミナトルに出番を譲りました。……ヴィスドミナトルは封印を受けた身とはいえ、私より少し勝る程度の身体能力は持っていました。その戦いで基地は崩壊し、建て直すことも難しい有り様です。…勝負の方は……け、結果を言えば……私の、自滅敗けです」


「…()()()()()()()()()()…それに()()か……。意味の分からぬ外野が多いが、そんなことよりもヴィスドミナトルだ。…封印の影響が肉体にまで出るとは剰りにも強力過ぎる封印だが、奴の怪霊領域は今どれほど開く?」


「…も、申し訳ありません…分かりません…。…ヴィスドミナトルは、私との戦いには読霊以外の術を使いませんでした。肉弾戦で私にプレッシャーを掛け、我霊射の空振りを誘発させてきたのです。……その末の、自滅です…」


「…そうか。汝などもう良い。義によって自決するも厚顔無恥に生きるも好きにするが良い。即刻我輩の前を去れ…」


 ラーベルナルドは吐き捨てるように言い渡すともうノサティスを見なかった。

 そうして、まるでもう彼などいないかのように放置してリーラハールスに話し掛け始める。

 リーラにも彼を気にする素振りは無く、それがまた彼の胸に杭を打つ。


「…あのヴィスドミナトルがそのような戦い方をするとは俄に信じられぬな…。あれは閃と射を荒々しく放つような呆れた戦法しか用いなかったはずだ。人間どもに何か影響でもされたか…。……しかし、それでもノサティスと大差無しとは張り合いが無さすぎる。……奴さえいなければ我輩は初めから怪霊王となれていたのだ、その恨みを晴らすにはある程度元の力を取り戻した状態の奴を殺す他に無い…」


「……私が基地を離れ、ノサティスが敗けたことは、結果的にあなたにとっても良いことだったようですね。彼に聞くところによれば、前怪霊王は剣聖ディアナと共に怪霊衆を全滅させるつもりのようです。…今攻めれば容易に潰せるレベルの敵でしょうけれど、それではあなたも気が済みますまい」


「奴め、この我輩が率いる新たな怪霊衆に戦争を挑むつもりか! …フンッ、受けて立とうぞ…。ヴィスドミナトル、もはや汝の天下は無い。これからは我輩の時代だ…!」


 ラーベルナルドは活気付いた高笑いを空洞に響き渡らせた。

 耳鳴りのように付き纏うその声に脅かされながら、ノサティスは無言のままトボトボとその場を立ち去っていく。

 その姿が闇へと消えていく直前、「ノサティス」と涼しげなリーラの声が届いた。


「あなたに死ぬ許可は出しませんよ。一足先にスティリウスとの合流地点へ移動していなさい」


「……はい」


 ノサティスは消え入りそうな声で短く答え、足音も殺して去っていった。

 しかしそれを気にする者はやはりおらず、なおも会話が続く。


「おいリーラハールスよ、スティリウスとは何奴だ? 我輩は初めて耳にする名だが」


「私が眼を掛けた()()()()ですよ。中々興味深い経歴を持つ少年でしてね。剣聖ディアナに付いている曲者と合わせて、近い将来我らが怪霊獣に一つの道を指し示してくれることでしょう」


「ほう。…して、そのスティリウスという輩はどれほどの腕だ? 曲者という奴も気になる」


「現状スティリウスの力は未知数と言うしかありませんが、メデューサの上に空いた枠に加われる程の逸材であることは間違いありません。その曲者という者もスティリウスと同等かそれ以上の才能を持っていることは疑いようがない。剣聖ディアナより此方の方が警戒のし甲斐があるでしょうね」


「フハハッ! 汝がそれほどに言う奴らとはな! ディアナなど初めから歯牙にも掛けておらぬが、その曲者と(まみ)えるのは少々胸踊るぞ。……面白い。近々そのスティリウスを連れて参れ。実力の程を確かめてくれるわ」


 響き渡る談笑。

 その声は、ノサティスにもまだ届いていた。

 夥しい焦燥が彼の胸に燻り積もる。



※※※※※※※※※※※



「そうそう、まずは霊力をよぉく確認するんだ。自分とその石との霊力の違いを見極めてごらん。そこから先は感覚の世界だけど、とにかく石の波長を思い浮かべながら怪霊力に念じかけるんだ。…繰り返し試している内に、『これだ!』ってピンと来る瞬間があるはずだから、根気強く注意するんだよ」


 広い訓練場の隅のスペースで、石を両手で持ちながら目を閉じて集中するルナに向かい合ってクレドが波長変化の修業をつけていた。

 ルナの修業に向かう態度は真剣そのもので、彼女の心を乱したあの一件など無かったかのような様子だった。


 その態度の変化がやはり気掛かりで、クレドも、修業を腕を組んで見守るヴィスも訝しむような視線を延々とルナに差し向けていた。


 一方ディアナは、まるで『ルナを心配する資格すらあたしにはない』と言うように彼女から距離を取り、床にペタンと坐禅を組んだまま死んだように目を瞑って静止していた。

 呼吸すら聞こえず、肩の揺れも無く、完全に自然と一体化したような様子のディアナに、誰も声を掛けられない。


「…波長の違い……その感覚ってさ、もしかして…」


 ルナはまん丸い目をクレドに向けながら、自分の手を具象変化で一瞬だけ石に変えて見せた。

 クレドは少し驚いてビクリとしたが、彼女は勝手に検証に成功して「あっ、やっぱそーだ!」と微笑んでいた。


変化(へんげ)やると霊力の波長もほんのちょっぴしだけ変わるんだ。石になると石の波長に、剣になると鋼の波長に寄ってく。この、霊力の波長がフッと変わる瞬間の感覚を怪霊領域でもできれば…」


 ルナはそう呟いて手の平の石をじっと見つめ、そして――


「…おっ」


 石は独りでにグニャリと湾曲した。

 それにはクレドも当然驚き、思わず声を荒げていた。


「えっ!? もう!? …ル、ルナちゃん、波長を変化する訓練…どのくらいしたの?」


「ん、したことないぞ? だからクレドに教えてもらうことにしたんだ。もうできちまった、教えんのうめぇな」


「いや、まだ何も教えてないんだけど…」


 驚愕している彼を置いておき、ルナは石を色々な形に変えたり宙を飛び回らせたりして遊び始める。

 然程意外とも思わなかったヴィスは呑気な彼女の姿を見てほくそ笑み、スタスタと近づいていった。


「やはり人間などより頭が上等なのだろうな。俺達怪霊獣よりも優れているとすら感じる。妙なところで抜けているのは…単に培われた知識の少なさや価値観に依るものだろう。術の扱いは既にこの俺を超えている。…あとは場数を踏むことと、強者に太刀打ちできる程の領域を得ることだ。そうすれば、いずれ俺様すらも凌ぐかもな」


 彼の言葉にキョトンと目を丸くした彼女に、「何だ?」と彼は首を傾げる。


「…おめえ、オレっちのこと下僕にするっつってたのに、オレっちが強くなることに抵抗ねぇのか?」


「フン…。強くなれる者は強くなるべきだ。それを弱いままにさせて上に立っても何ら面白くはない。貴様が強くなるならば、俺様も同じように強くなろう。その結果貴様が俺を超えるならば、それを受け入れるまでだ」


「ふぇ~…おめえって何か変なとこだけ達観してんなぁ」


 そうして感心しているのはルナだけではなく、クレドもまたポカンと口を開けて彼を見ていた。

 しかし彼にはヴィスの手で奪われたものがある。

 それを思い出すと、容易には認めることができないでいた。


「…怪霊王、君は…その思いがありながら、何故人間達を…」


「何故殺したか? 立ち向かってきたからだ。それ以上の理由などある訳無かろう。その結果弱い者達は死んだ。…寧ろ何故貴様らはこんな単純なことをいつまでも受け入れられんのか理解に苦しむぞ」


「……何で、こんなにも感覚がズレちゃうかな…」


 諦めるしかないことなのだろうか、とクレドは悲しく溜め息を溢した。


 ヴィスは彼の葛藤など放っておき、『悪手だろうか』と思いながらルナへと踏み込むことにした。

 思い付いたら即行動……段階を踏むなどのテクニックは彼には無い。


「しかし、ペール・ルナールは全員これ程の才能を持っていたのだろうかな。…それを理解しようともせず、自分達の基準で優劣を決めて滅ぼした人間どもというのは何と愚かなものか…」


 ヴィスはルナの反応を見ていた。

 今日一日の剰りにも平静過ぎる態度が、虚勢なのか、本当に立ち直ったのかを確かめたかったのだ。


 しかしルナは、何故だか普通そうに返していた。


「全員がどうとか分かんねぇけど、にぃちゃんだったら絶対オレっちより才能があると思う。…昔っからにぃちゃんは他のみんなより凄かったんだ。狩りすんのも上手かったし、少し教えられただけで何でも吸収すっから文字書いたり読んだりもできたし、いろいろさ…。だから絶対、怪霊術もオレっちより上手く使えるはずだ」


 …ヴィスは返す言葉に迷った。

 本当に彼女が気にしないならば、『それが敵に回るのは脅威だ』と告げるつもりだった。

 しかし確証を得られなかった彼は、彼女に次の一言を許していた。


「けど途中から片目見えなくなって色々できなくなっちまってさ。…もしにぃちゃんが生きてるんなら、…ちゃんと一人でやれてるか心配だ」


 ルナは一瞬だけ顔を強張らせ、無理に笑うようにして告げた。

 …まるで何かが頭を過って、それを必死に無視したかのように。


 ヴィスはそれを疑問に思い、問い掛けようとしていたが、そんな彼の言葉が横から断ち切られる。

 振り向くと、精神統一をしていたはずのディアナが傍まで歩いてきて一心にヴィスを見つめていた。


「ねぇヴィス、あの霊玉操って術…あたしにも教えてくれる?」


「貴様が俺に教えを請うだと? …ならば俺様にも仙攻丹を教えろ」


「………」


 ディアナはその返しに少し悩んだ挙げ句、さっさとルナの方を向いて「教えてくれない?」と請い直していた。

 ヴィスは舌を打って不機嫌になったものの、ルナがどう答えるだろうかと成り行きを見ていた。


 するとルナが明らかに頬を引き攣らせ、ディアナから眼を逸らしていることに気が付いた。


「昨日、ヴィスがオレっちに教えた通りでぇ。読霊みたいに怪霊力展開して、その状態を保ったまんま別の怪霊力を込めて操るんだ」


「…何か、読霊と心依作用を一つの領域で同時に行うコツみたいなのって…ない?」


「…コツ、か? ……領域を半分ずつ使うみたいな、感じ…か?」


 ふむ、と難しい顔をして言われるままに試したディアナ。

 しかし、読霊の状態から怪霊力を込めようとするとその瞬間領域が限界を迎えて怪霊力が全て外に逃げていってしまう。

 それを何度か繰り返し、表情は自嘲に染まっていった。


 そこへ、訓練場の入り口から「おーい、ヴィスー」と呼び声が掛かった。

 彼が振り向くと、そこでは神仙が顔だけ覗かせて手招きしていた。


 ヴィスは三人に視線を送り、頷き返されてから面倒そうに歩いていった。


「…やっぱり、あたしにはまだ難しいか。…ルナは、凄いなぁ」


 ディアナは悲しそうに笑って告げた。

 クレドは何も言わず優しく微笑みかけ、ルナは慌てたように笑って首を振った。


「ぐ、偶然オレっちと相性が良かったんだよ、この術!」


「この術だけじゃないよ。あたしは波長変化を習得するのに四ヶ月掛かった。…我霊閃や読霊もそう。ルナはあたしなんかよりずっと速く強くなっていく。…本当に凄い」


 ルナは困った顔でキョロキョロして、クレドにも助けを求める。

 彼は苦笑いを浮かべてそれに首を振り「僕は一年かなー…」と当たり障りの無い言葉だけを返した。


 そしてディアナは、遠巻きにヴィスを見つめてまた悲しく笑った。


「…彼の強さが羨ましい。…あたしは、ルナが自分より強くなっちゃったら……どうしたらいいか分かんないよ…」




「で、何故俺様を呼び出した」


 神仙と共に廊下に出たヴィスはすぐにそれを確かめた。

 神仙も悪ふざけは無しで本題に入る。


「…ルナさん、様子はどうじゃ? 何か分かったか?」


 予想通りの質問に、ヴィスは用意済みの答えを返す。

 そして神仙も知っていたように話を繋げる。


「…どうやら兄が敵対する事実そのものを頭から追い出そうとしているようだ。…『兄は生きている』…その喜びだけを必死に見ようとしている。しかしディアナの存在が視界に入るだけでその自己暗示も否定されるから、極力会話を避けているようだな」


「なるほどのぉ。…『にぃちゃんが博士達を殺したなんてきっと間違いだ。ディアナ達の勘違いか、オレっちの空耳だ。とにかくにぃちゃん生きてて良かった』と、こんなところかの」


「気持ち悪い声と口調をするな…。…それで俺はどうしたらいい? これではやはり下手なことはできんか?」


「まぁ難しいじゃろな~。…それこそ、成り行きに任せるしかないな」


 二人は結論を出すと直ぐ様溜め息をついた。

 結局のところ何もできない。

 その無力感を痛感していた。


 …しかし、神仙には伝えなければならない話があった。

 ただ状況を悪化させるだけに違いないその話を、彼は躊躇わぬために溜めを作らず告げることにした。


「ディアナに伝えといてくれ。…ソウラモンブルへの調査が依頼された。すぐに向かってくれ、とな」


「ソウラモンブルだと? 何故そんなこと…。奴の使命は怪霊衆の殲滅ではないのか? 何でもかんでもディアナに押しつけるなど…」


 呆れたようにそう告げて、背を向け始めていたヴィスだったが、


「しゃぁないのう。並の兵隊に務まる任務ではないもんでな。何せ相手はペール・ルナールじゃ」


 ――神仙のその言葉に足を止め振り返った。

 …もっと猶予があるものだと、理由も無く彼はそんなことを思っていたのだ。

 しかし過酷な現実は、当事者達の心など無下にして訪れる。


「もう二十日以上も前、…おそらくお前さん達がソウラモンブルを離れた直後、一二五番体が村を襲撃し住民を皆殺しにしていたらしい」

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