二九ノ業 愛し合う人達と、離れゆく恋と…
「――…そっか、それは大変だったね」
「うん、大変だった…。そんで、ディアナもそのノサティスってのに一撃でやられちまって、オレっちにゃぁ何にも見えない内にボロボロにされちまったんでぇ。けどさ、ヴィスは後からちゃんと助けに来てくれたんだ! そっからはヴィスがノサティスのヤローを…ズゴーンッ、ドッカーンッ! ってさ! ブッ飛ばしてくれたんだ! ……まぁそれなら初めっから嘘なんかつかなきゃいい話だけどな」
「…へぇ、あの怪霊王がね…。不気味なこともあるものだね」
休憩室の長椅子に隣り合って腰掛けたルナとクレドは、そうして怪霊衆討伐の旅の模様を話した。
ルナはどのようにディアナやヴィスと打ち解けたか、どんな苦労をしたか、その結果はどうかということを明るい所だけ抜き取って彼に打ち明けていた。
それは彼女にとって、『三之明』と名付けた自分達の絆を再確認する前向きな儀式となった。
しかし、クレドがそれを素直に受け取るには大きな危惧が二つある。
一つにはディアナが自分の能力を省みず無理な生き方をしていないかということ。
そしてもう一つには、…怪霊王ヴィスドミナトルが一体何の気紛れで彼女達と友好的に接しているかという疑問だった。
じっと睨むような視線を向けるクレドに、ルナを挟んだ先に座るヴィスは試すようなギラギラした眼を差し向ける。
それに気付いたルナがそっと背凭れに身体を押しつけ、両者の視界を阻むものが無くなると、すぐにクレドが口を切った。
「…怪霊王、僕は……き、君を信用する気は無い。…君があのディエシレの丘で何百という数の人間を殺した事実を、僕はつい昨日のように思い出せる。…あの戦いで僕は友人を何人か失った。そして何より、…アモルさんを死に追いやったことは君が死んだって許すものか…」
「………ハッ、腰が引けた物言いだな。それに言い分も筋違いだ。貴様らはこの俺様を殺すために、自らも命を懸けてあの丘に臨んだはずだ。互いに命を差し出した正当な勝負だ…それを、返り討ちに遭ったからと俺様を逆恨みし口だけで批難するとは、…戦士として情けないとは思わんのか? 何もしないまま被害者ぶるな。そういう感情は黙って拳に乗せて来るがいい。そうすれば俺様も最大限の敬意を払って拳を振るってやる」
「…今、ディアナの旅には、ルナちゃんと君が必要だというのは分かった。だからこの場では揉め事を起こすつもりはない。…だけどもしディアナの身に何かあれば、その要因が君であろうと無かろうと君を殺す。それがアモルさんの最期に立ち会った僕の使命だ…」
「ほう…口先は一丁前だが、封印直後の俺様にすら袋叩きにされていた貴様ではとても為し得るとは思えんな。度胸だけは褒めてやる」
不敵に笑うヴィスに、怯みながらも敵意を向け続けるクレド。
ルナは二人を交互に見て仲立ちをすべきか悩みそわそわしていたが、それを行動に移す前にガチャリと戸が開き神仙が戻ってきた。
彼の軽薄な声が「よっ」と降り掛かると、クレドは直ぐ様立ち上がって外向きの穏やかな笑みを浮かべてみせる。
ルナは秘かに胸を撫で下ろし、今更咎めるような膨れっ面をヴィスへと向けた。
ヴィスはフン…と鼻で笑って受け流す。
「すいません、レイさん! わざわざ僕なんかの休暇願いのために行ってきてもらって…」
「いやぁ、なになに…。ちょっとお前さんに頼みたいことがあっての。ワシらの都合に付き合わせる以上このくらいのことはしてやらんとな。因みにワシの指示ってことでしばらく休暇は自由に使えるようにしといたぞ。権力万歳」
「恐縮です。…しかし、頼みたいこと…ですか。僕で務まることなら良いのですが…」
「ハッハッハッ…! そう謙遜しなさるな、寧ろお前さんにしかできんことじゃぞ」
神仙は閉めたドアの前に立ったままクレドとの会話に応じた。
首を傾げているクレドに注釈を入れるのは、話したがりのルナの役だった。
そうして彼女が話し始め、クレドの顔が彼女の方を向き続けている中、神仙はそっとヴィスに目配せしてその場をルナ達に任せた。
「さっき、ディアナがノサティスに敗けたって言ってたろ? ディアナ、怪霊衆でもない相手にこてんぱんにされたのが堪えたみてぇでさ、元気がねぇんでぇ。それでなくても元から色々気にしすぎて参っちまってたみてぇだし、このまま放置して旅を続けても旅が終わる前にディアナがぶっ倒れちまうかもなんでい!」
「…確かに、何だか沈んでたような気がするね」
「うん。んで、ディアナが強くなるためには自分を知ることと、クレドに会うことが必要だって、神仙様が言ったんでい! …んまぁ、オレっちも意味はよく分かってねぇんだけど、要するにクレドの力が必要だ! しばらくパロにいる予定だから、たくさんディアナと話してやってくれ! それがオレっち達からのお願いだ!」
彼女の説明はあまりにも漠然としていたが、それでもクレドには理解ができた。
それは、彼自身もディアナの内に秘められた問題を知っていたがため、この状況を想定できたがためだった。
しかし問題は、それを知っていてクレドにも説得しきれなかったという過去があることだった。
彼女の意地とプライドを守りながら諭すような器用なことは、以前の彼にはできなかった。
「…うん、僕ができることは惜しまずやるよ。…ただ、多分その課題っていうのは、レイさんに言われるまでもなく僕自身が前に挑もうとして失敗したことなんだ。『無理ばかりし過ぎだ』『一人で背負いきれるもんか』ってさ、何度も伝えようとはしてたんだよ。…その結果ディアナは僕を避けるようになった。それで僕も彼女が自分と向き合えるのを待つことにしてた。…だから聞く耳を持ってもらえるまで時間が掛かるかもしれない。彼女、結構頑固で意地っ張りだからさ…」
「…そっか、ディアナの……だもんな。…言われなくてもディアナのことは分かってんだな」
感心したような、けれど寂しそうに笑うルナの一言に、クレドは自嘲して首を振る。
…けれど、無力感を再熱していた彼の胸に、…一筋の期待が宿った。
それは目の前の彼女と、彼女が語ってくれた旅の模様…。
彼女は彼の視線の意味を理解していた訳ではなかったが、丁度同じ期待を抱いていた所だった。
「……ディアナだって成長してるはずだろ? 前はダメでも、今は違うんじゃねぇかな…」
「…うん。それを確かめるためにも、僕がディアナと向き合わなくちゃね」
クレドはゆっくりと噛み締めるようにそう告げた。
覚悟を決めた様子だとルナにも分かった。
そこまで見届け、満足そうに口端を弛めたヴィスは、二人をその場に置いてドアの方へと歩き出す。
不思議そうに見つめたルナと、訝しげに睨んだクレドとに、ノブに触れた彼が真剣な面持ちで振り返る。
「老い耄れからの伝言だ。ルナ、貴様は明日からその男に波長変化のやり方を教われ。そしてディアナには師匠として監督のため修業に同伴するように伝えろ」
「…ん? 何でそんなややこしいことすんでぇ? 普通に神仙様かディアナが修業つけてくれりゃいいじゃねぇか」
「他人の思惑についてはやけに察しが悪いな、貴様は。ディアナとその男が積極的に空間を共にするための方便に決まってるだろうが。あの老い耄れは仙活湯の量産、ディアナは自分の修業があり、そして貴様も誰かに修業を付けてもらう必要がある…と条件が揃っていれば、この構図が方便として説得力を持つ」
「なるほどな。……おめえがオレっちに修業つけてくれればいい話だとかディアナは言ってきそうだけどな」
「喧しいぞ貴様…。どうせ方便を用意してもディアナは勘づく。しかし、そこまでされて我が儘など言わんだろう。だから方便さえ用意すればそれでいい、そこに穴があろうが関係無い」
最後には面倒そうに言ってドアを開いた彼に、一応は納得した彼女だったが、また別の疑問が生じて続けて問い掛ける。
クレドは端から聞いていてヴィスの印象の柔らかさに戸惑い、その会話には交ざらない。
「ってぇかおめえ、一人でどこ行く気だよ。おめえだけだと城の奴らがビビってまた何か騒動に――」
彼女は『一人』と口にしてから違和感に気付き、サッと部屋の中を見渡した。
彼は構わずドアを閉めて去る。
思えば『神仙の伝言』と彼が口にした時に気が付いてもいいことだった。
…既にその部屋には神仙の姿など何処にも無かったのだ。
※※※※※※※※※※※
逃げ出した言い訳のように皇帝への謁見を済ませてきたディアナは、滞在用の客室には戻らず裏手の寂れたバルコニーに出て手摺に凭れ掛かっていた。
背の高い木々に覆われ、一階から二階への階段の途中に設けられたその低いバルコニーは、腐った落ち葉が入り込んで寒々しく感じられる。
彼女は何となしに、そのバルコニーに自己投影していた。
そこに来ると、もう一人の自分が寄り添ってくれるような気がしていたのだ。
「…何なの、皆して…。クレド、クレドって…」
一人言ちて溜め息をつく。
――地下フロアが進入禁止…ですか? 一体、何故?――
――ふむ、私から話しても良いのだが…少し込み入った話になろうな。…貴公、クレドとは恋仲であったな? あの男には特別に極秘の事情も明かしてある、話はあやつから聞け――
――はぁ…、そう、ですか…。…では、インフェリオ博士はどちらに?――
――もう此処にはおらぬ。…それもクレドから聞くが良い。その方が貴公も感情の整理を付け易かろう――
皇帝の謎めいた発言が、嫌な予感を伴って彼女の脳裡に居座り続けていた。
ルナールプロジェクトに関することであれば尚更に気掛かりだった。
しかしそんな事よりも、彼女にはクレドとの間のことを何度も言及されるのが我慢ならなかった。
それは気恥ずかしさもあるが、何より、彼女が剣聖ディアナとして立ち振舞うために為してきた気遣いや自戒などが全て無下にされている感覚が強いためだった。
誰も茶化しているのではないとは分かっていても、『此方の気も知らずに』と愚痴の一つもつきたくなる。
そうしてまた大きな溜め息をついて手摺を握り締めていると、彼女の肩に人の影が被さった。
「…うん、やっぱりここにいた」
その優しい声にドキリとしたディアナだったが、見つけられたことに驚きは無かった。
…誰にも教えていない秘密の場所のつもりではあったが、きっと何処にいても彼なら自分を見つけるだろうと確信めいた予感があったのだ。
クレドは、決して振り向こうとはしない彼女に微笑みかけ、一人分の間を空けて隣の手摺に凭れ掛かる。
相手の緊張を解きほぐそうとするように手摺に体重をかけてだらけた姿勢を取り、それで以て彼女より目線を低くした彼は、覗き込むように上目で彼女を見る。
まるで子供の話を聞いてあげるために大人がしゃがみ込んでいるような、果てしない包容力を彼女は覚える。
…却って自分がクレドを見上げている気分になって、彼女は安堵に頬を弛めた。
「ルナちゃんが色々話してくれたんだ。やっぱり大変そうだね、旅は。あの怪霊王もいるし、ディアナも中々気が抜けないよね」
「…そう、…ね。……不安はたくさんあったけど、とりあえず今回は無事に帰ってくることができた。…メデューサは倒せなかったから、ただの徒労だったかもしれないけど…」
「徒労なんてことはこの世には無いさ。何かを努力したという事実は消えない、いつか実る日が必ず訪れる。…少なくとも、こうして僕と口を利いてくれるのは一つの実りだと思うな。…僕は嬉しいよ」
「…そうだといいけれど…」
ディアナの声には頼り無さの他に温もりも混ざり始めた。
活気と呼ぶには些か弱々しいが、それに通ずるものであるのは確かなことだ。
クレドは彼女の反応を見て、深呼吸を一つ挟んだ。
「…まだ、人前での一人称は『僕』?」
彼女は言葉を詰まらせる。
彼は数秒だけ返事を待ってから続けた。
「…口調も男の人っぽくするようにしてるらしいね。僕の前でだけそうしてないのは、やっぱり、その振る舞いのモデルが僕だからってことなのかな?」
「…いつか、話すから…」
「『いつか』じゃダメだよ、今聞きたいんだ。…待つだけなのは止めた」
彼は強い語気で訴えた。
それは本当に珍しい出来事で、だからこそディアナも答えなければいけないと思ったのだが、その踏ん切りがつくにはやはり数秒掛かった。
何度か諦めてくれるように視線を送ってみても、クレドは真っ直ぐ見つめ返し続ける。
逃げられないと分かった彼女は意を決して打ち明けるが、その頬には若干の羞恥で赤みが差した。
「……あなたが今言った通りよ。あなたの真似をしてたの。…あたしは、記憶の中のあなたから『強さ』を借りていた。……そうしないと自分を律せない…強い自分でいられないと思ったから…。……お師匠様が仰られたように、それが、『自分の弱さから眼を背ける』ということなんでしょうね。…でもあたしにはじっくり強くなる時間なんて残されていないと思っていたから、仕方無いと思ってたの」
「そっか。…これからもそれを続けるの?」
「…いいえ、卒業しなくてはいけないわ…弱いままの自分から。…だから、…そうね、とりあえず日常生活では『あたし』に戻ることにする。…怖い時はまた『僕』に頼るかもしれないけど、少しずつ、そうやって前に進められたらいいと思う」
クレドはそんなディアナの覚悟に笑って頷いた。
それから、ディアナは手摺を離れて彼に身体を向けると、俯いたまま両手でスカートをぎゅっと握り締めた。
不思議がりながらもそれに応じて姿勢を正した彼に、彼女は深々と頭を下げる。
「…それと、ごめんなさい。現実のあなたに縋るのだけは、自分をもっともっと弱くしてしまいそうで怖くて、…それでずっとあなたのことを避けてしまってたの。…傷付いた…でしょ? …ごめんなさい」
痛ましい程に悲しい声での謝罪だったが、最後の一言には『傷付いていて欲しい』という複雑な想いが混ざっているのに気が付いて、クレドは片手で口元を覆いながらクスリと笑っていた。
彼が彼女の頭を遠慮がちに一撫ですると、彼女はボッと火が出るように顔を赤らめていた。
「…ちょっとは、そうだね。…でも『別れよう』とは言われなかった。……だから大丈夫かなって思うようにしてたよ」
「そ、そう…。…ごめんなさい。……それでね、…あたし、今もあなたに縋るのが怖いままなのよ。お師匠様には自分の弱さを見つめろって言われたけど、…あなたに抱かれていると泣き言しか言えなくなりそうで……それは避けたい。…だから、もう少しだけ強くなって、段階を踏んでから、あなたの傍で自分を見つめたい。…付き合ってくれる?」
「…うん、勿論! さっき休憩室の前でも同じように話したけど、もう少し、待ってるよ」
彼女は「ありがと」と微笑んだ。
それはいつも浮かべているような悲しみや寂しさを内包したものではないように思え、彼も素直に笑い返していた。
…今日はここまで話せればいい。
焦ることはないだろう、とそう考えたクレドはゆっくり後退って手を振る準備をしていた。
…しかし思い出す。
本当は今すぐ彼女に伝えなければいけない、重大な事件が起きたことを…。
やっと前を向き始めた彼女に水を差すことになるので先延ばしにしたくもあったが、そうも言ってはいられない。
これを黙っていてはディアナの命が脅かされてしまう。
「…言っておくことがあるんだ。…本当は暗い気持ちになんてさせたくないんだけどさ」
重々しい彼の言葉に、ディアナは目を丸くして首を傾げた。
※※※※※※※※※※※
「――…何じゃ、お前さんも来たのか」
パロから僅かに離れた草原の只中に立つ神仙は、辺りを見回しながら歩いてきたヴィスに振り向きもせず声を掛けた。
ヴィスは神仙が見ているものに気が付くと隣に立って同じ方を見ながら口を開いた。
彼らの視線の先には、つい先程まで何か大きな物に押し潰されていたようにべったりと地面に倒れた群草があった。
「あの狐どもの言動がどうしても不可解でな。…力量を測るとしながら『報告の必要は無い』と言っていたこと……そして『スティリウス』とは誰なのか…。個で名前を持つ怪霊獣ならば俺様が把握していないはずがないのだが…」
「ふむ、聞き覚えがない、か…。ワシはあの戦いの間、ずっと読霊を使用しておった。その限りではあの狐三匹以外に霊力を感知しなかったのじゃ。…しかしこれを見てみろ。あの戦いの間此処には確かに大岩があったのじゃ。…あれ程の岩を人間が運ぶ場合、その重量で周りに足跡がつかない訳にはいかないはずじゃし、まず街の外に人が出て岩なんぞ運ぶ理由が無い。……つまり…分かるか?」
「…岩は独りでにこの場を去ったということ。あの戦いを観察するために、何者かが岩に変化していたということだ。…貴様もそう考えたのだな」
神仙は深く頷き、再度読霊を試みながら眉間に皺を寄せた。
「…うむ。そして更に不可解なのは、…具象変化を扱える以上怪霊獣の可能性が高いはずじゃというのに、怪霊領域を閉じることができていることじゃ。…お前さん、領域を閉じられる怪霊獣に心当たりは…?」
「いや、無い。…そもそもあれは領域を閉じた状態の感覚を知らなければ閉じられん。俺は貴様からイメージを受け取ることで成功させたが、他の怪霊獣間でそのようなやりとりはできまい。領域を閉じられる怪霊獣など絶対に存在するはずがないのだ」
ヴィスから回答を得られると、神仙は額を押さえて大きな溜め息をついた。
…全てが繋がった…そう告げているようにも聞こえた。
「…ヴィスよ、ワシはおそらくスティリウスという人物が何者か知っておる。軍総司令官のフリヴォラから聞かされておるんじゃ」
「何…? 人間が具象変化を習得しただと…そんなはずは…」
「いや、人間ではない。怪霊獣でもない。…お前さんにはワシから話そう。ディアナ達にはクレドが伝える。お前さんがあの子らと一緒にこの話を聞くと話が拗れそうじゃしな」
その発言にただならぬ空気を感じたヴィスは、今一度群草の窪みを見て身構えた。
神仙は、今から口にしようとしているその事実に思いを馳せ、瞳を悲しげに伏せる。
「…ルナさんが心配じゃな…」
※※※※※※※※※※※
妙に静かな客室の前で、ディアナとクレドは神妙な顔のまま立ち尽くしていた。
そこは彼女達が城に滞在するための専用の部屋で、今はルナが一人で待っている場所だった。
…言わなければいけない。
そう心に決めてノブに触れたはずが、ディアナは一向にその先へ進めずにいた。
「…やっぱり僕から伝えるよ。ディアナだって、今は心の整理をつけるので一杯一杯だろうし…」
クレドは心配そうに彼女の肩に手を置いて申し出ていた。
その声で部屋の外の人物達を察知したルナが『――っ!?』と声にもならない驚きと戸惑いの叫びを上げてドタバタと騒がしく足音を響かせていた。
ディアナはその声を聞くと再び我に言い聞かせ、クレドに首を振り、その扉を開け放った。
「――にゃっ、にゃぬっ…!」
慌てて縺れた口から猫のような声を上げながら、ディアナの持ち物であるドレスの一着を脱ぎかけた姿のルナが自分の服を両手に持ってベッドの後ろに隠れていった。
そうして汗顔してシーツから頭を覗かせながらせかせかと着替えている彼女をポカンと見たディアナの後ろで、クレドは頭を掻きながらクルリと背を向けた。
「…あの、ルナ…何してたの?」
「な、な…んでも! そ、それより二人ともちゃんと話せたんだな! 良かったな!」
「…え、ええ…。…それで、ルナに話さないといけないことが出てきたから…」
「そっか! 何だっ!?」
「………待つから着替えに専念していいわよ。クレドも後ろ向いてくれてるし…」
そう言われると、恥を忍んで立ち上がったルナが手早くドレスを脱いでベッドの上に畳み、今日着ていた服を着直して赤い顔のままディアナ達の前に歩いてきた。
悪戯を見つかった子供よろしく眼を逸らしたまま、「…で、な、何でぇ?」と苦笑いで訊ねる。
それに合わせてクレドがルナを向くと、ディアナもそれを皮切りに話した。
「…インフェリオ博士を筆頭に、ルナールプロジェクトに関わった全ての人間が…先日全員殺されたそうよ」
ルナは眼を逸らした苦笑いのまま暫し固まっていた。
その眼がゆっくりとディアナの方へと移され、引き攣った口元も徐々に力を失って閉ざされていく。
そして、辛そうに歪んだディアナの表情を見たルナは、それでも聞き間違いではないかと思い「…えっと…?」と首を傾げた。
「…殺されたの、皆。ある一人の少年に…」
…聞き間違いではなかった。
ルナは目を大きく見張って口を開けた。
悲しみはあまり無かったが、それでも産まれてからずっと知っている者達の死には困惑を禁じ得なかった。
「…な、何で…? …誰が…?」
上手く言葉が纏まらない彼女にはその問いが限界だった。
ディアナも手に取るように彼女の心の乱れを感じ取れたが、落ち着くのを待っていても意味は無い。
ディアナは震えの止まらない自らの手を握り締めて告げた。
「全五五九体を対象としたペール・ルナールの一斉廃棄……あの日、執行人と研究員、城の兵士達の眼を全て掻い潜って脱出を果たした検体が一体だけいたの。その一体のペール・ルナールは、博士達だけでなくこの世の全ての人間へ憎しみを募らせ、復讐のために力をつけて舞い戻ってきた。…その復讐の第一歩として博士達は殺されたの。遺体は原型が分からないほどズタズタにされて捨てられていたそうよ」
「…ペ、ペール・ルナールが…? …う、嘘だろ…! ペール・ルナールは命を無駄にすることだけはしねぇ、優しいやつらだ…。いくら最低で恨みのある相手でも、わざわざ殺しに戻ってきて食いもしねぇなんてことは…」
「それほどの強い恨みよ。…仲間を皆殺されて一人だけ生き残れば、…そうなるのも当たり前だと思う…。……『ペール・ルナールを滅ぼそうとした人間を、今度は此方が滅ぼす』…と、そう言っていたらしいわ」
ルナはあまりのことに口を噤んだ。
…彼女はルナールとして一人だけ生き残ったつもりでいたし、仲間を殺されたことは絶対に許さないと心に決めていたが、それでも博士達を殺そうなどとは思わなかった。
それは、例え仇でも必要なく殺すことはあり得ないという彼女なりの正義感の下だった。
もし彼女がペール・ルナールの身で廃棄を逃れたとしても、復讐に立ち上がることはなかったであろう。
だからその気持ちは彼女には分からなかった。
「……彼は特にあたしを恨んでる。…他の全ての人間を殺した後、ラティナ皇帝とあたしを殺すと言っていた、って」
「…え…何で、ディアナ?」
一層辛そうな顔で告げていたディアナに、ルナは訝しげに眉を寄せて聞き返した。
…これは自分に与えられた罰だ、と諦め、受け入れていたディアナは静かに口を開いた。
「…ルナ、あたしはね…あなたの仲間達を――」
「ディアナ、今はダメだ!」
クレドが唐突に大声を上げて彼女の言葉を遮っていた。
彼女達は揃ってビクッと振り返り、二人して困惑の眼を向けた。
「…君の気はそれで済むかもしれない。人としてもそれが正しいのかもしれない。でも、今それを言ってしまったらこの先の旅はどうなる? …どうしても言うなら、全てが終わってからにしなくちゃ…」
ディアナは唇を噛んで俯き、涙を堪えた。
未だ困惑しているルナへの説明は、代わりにクレドが務め始める。
この話の本題とも言うべきそれは、とても今のディアナに務まる役目ではない。
彼はディアナを守るように、しっかりとルナと眼を合わせて告げた。
「…君が何を選ぶのも君の自由だ。だから無理にディアナに付き合う必要は無いし、…最悪、こればかりは敵対しても仕方がないと僕は思う。…でも、僕はディアナの味方でありたい。だから勝手だと分かっててこう言う。…どうかディアナを恨まないでやって欲しい。彼女は一度だって望んで誰かを殺したことはないんだ。…それを、理解だけはして欲しい」
ルナは首肯も拒絶もしなかった。
…ペール・ルナールのことともなれば、彼女は必ずしもディアナの味方とはいかなかった。
クレドは、絞り出すように告げる。
「ディアナには脱走ペール・ルナールの捜索と討伐が命じられた。…ペール・ルナールの型式番号は、一二五…」
その一瞬、ルナは瞳孔を縮ませ、呼吸も忘れていた。
「…にぃ…ちゃん…?」
彼女の虚ろな瞳に、クレドは狼狽えながらも頷いた。




