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改新奇譚カリバン~封じられし魔王~  作者: 北原偶司
遺恨之篇
31/67

二八ノ業 待ち構える三匹の狐!乗り越えた先には最愛の彼

 船旅から戻り、港からラティナの首都パロへの帰還は神仙の馬が無いため空を飛んでの移動となった。

 神仙を中心に発生した青いオーラに全員が包み込まれ、そのオーラに運ばれるような形となる。


 実際に馬で移動してみた際に掛かった時間や、今のように飛行移動の頻度が高いことを考えると、『今後も馬で移動する必要なんて本当にあるのかな…』とディアナも自分の判断に自信を失ってしまう。

 あらゆることに自信を失い、一晩中沈んだ面持ちでいたディアナを横目に見て、ヴィスはまたぶっきらぼうな顔と口調で慰めに掛かる。


「…老い耄れ、貴様は次の旅からはもうついて来んのだろう? いや、ついてくるな。馬がただの荷物になって敵わん」


「えぇ…辛辣…。まぁそうじゃな、今回が最初だからついてきただけじゃし、ワシがパロに残らんと仙活湯も量産できんからな。後のことはお前さんらに任せるぞい」


 神仙はそう返して移動速度を上げ、数秒後にはパロが前方に見えてきた。

 ディアナは決して声には出さず、ヴィスを見つめて『ありがと』と唇を動かす。


 神仙はパロから少し離れた場所にオーラを下降させた。

 住民に見られては騒ぎになりかねないため、それは初めから決まっていたことだった。


 しかし、その際に彼らは不可解なことに気が付く。

 …パロより手前の位置に、まるで外から街へとやって来る者を待つかのように此方を向いた三体の狐が待ち構えていたのだった。


 一体は朱色の毛並みを夕陽のように輝かせる狐――即ち野狐である。

 それはルナも知るところだったが、残りの二体は彼女には初めてだった。


 野狐より一回り大きく、鮮やかに赤く輝く狐――気狐。

 そして、それより更に少し巨体で、赤い毛並みに浮雲のような白い斑模様を数多に描いたような模様の狐――空狐。


 それら三体が肩を並べ、じっと此方を窺っていた。


「…野狐に気狐、空狐まで…。……どうしてあんなに街の近くまで来て何もしないでいるの…?」


 ディアナは遠目で見てそんな疑問を口にしたが、その面子の中でも怪霊獣の事情に詳しいはずのヴィスでさえ、訝しそうに首を傾げているだけだった。

 神仙は険しい顔付きで一人だけ、その三体から更に右方向にポツンとある大きな岩を一瞥して、しかし「気のせいか…」と息をつき顔を戻す。


 ルナはディアナの後ろに伸びかけた脚を戻し、生唾を呑んで首を振った。


「…フン、何にせよ実戦の機会が到来してくれたな。ルナに戦わせてみるか」


 ヴィスの一言にビクッと不安そうに顔を上げたルナ。

 ディアナはそんな彼女を一瞥して彼に大きく首を振った。


「駄目だよ、まだ早過ぎる。…今のルナじゃギリギリインプと戦えるかどうかってところじゃない。気狐や空狐までいるんだから、今回は僕が…」


「心配するな、少し実戦を経験させたいというだけだ。ルナが一人で倒す事など期待していない。危なくなれば俺様が守る。あんな雑魚どもならば出遅れはしない」


 そうして、ヴィスは頑として譲らなかった。

 それに言い分も尤もだと彼女も感じたため、少し渋りつつもルナへと振り向き『…行ける?』と視線を送った。


 ディアナ達がやり取りしている間、狐達はその場から動かずじっと此方を見つめているだけだった。

 それがどうにも不気味に感じられた神仙だったが、「…放っておく訳にもいかんか」と呟いて三人から手綱を奪い真っ直ぐ歩み寄っていく。


 その背中を見たルナは唇を結んでコクンと頷き、小股ながらしっかりと歩き始めた。

 ディアナとヴィスは例の三体を警戒しながら、小さなルナの背中を共に見守って歩く。



「…来たな」


 十メートルの距離まで近づいていくと、空狐がその四人を見渡して呟いた。

 それから一人一人の顔を確認し、最後に神仙の姿が眼に留まると不思議そうに声を張って訊ねた。


「剣聖ディアナ、封印されし前怪霊王ヴィスドミナトル、そして『ルナール』。…そして、老人か。……そこの老人、お前は何者だ? その者達の関係者でなければ用は無い。そのまま街へ進むが良い」


「…ありゃ、随分紳士的な奴なんじゃな…。空狐とやらよ、ワシのことはお気になさるな。ここから成り行きを眺めさせてもらうからの」


「そうか。…我々も用事があるのはディアナとルナールだけだ。此方としては戦うのも正々堂々一対一の形式を取りたい。前怪霊王と共に観ているがいい」


 神仙はフッ…と柔らかく笑って三歩下がってみせた。

 一方ディアナは空狐の申し出に看過し難い違和感を覚え、「どうしてルナを…!?」と訝しげな視線を送る。


 しかしヴィスはそうはいかなかった。


 彼は額に血管を浮き出させ、微かに牙を剥き、バキバキと指の関節を折り鳴らして叫ぶ。

 傍の三人は彼の怒声に目を丸くした。


「…何だぁ…その『()怪霊王』ってのは…? それに加えて、『黙って見ていろ』だと…? …舐めるのも大概にしろよクソ狐どもがぁッ!!」


 彼は怒りのまま右手を僅かに赤く光らせた。

 ディアナとルナはそんな彼を久しぶりに見て、驚いたり呆れたりした。

 …しかし、やはり何処かホッとしたような気もしていた。


「…ヴィス、ストップ。ルナにやらせるんでしょ、忘れたの?」


 ディアナはわざとらしく目を細めて窘め、少し頬が弛んだ。

 そう言われたヴィスも舌を打って、右手の光を鎮めて渋々ルナへと振り返る。


「…野狐は任せるが、無理そうならすぐに俺様が残り二体含めて直々にぶっ殺してやる。やれるだけやって来やがれ」


「お、おう。とりあえ頑張ってくらぁ…」


 呆れ笑いで緊張が少し解れたルナはその場から二メートル進み、ディアナやヴィスは彼女に場を任せるべく神仙と一緒に下がっていった。


 そして怪霊獣側からは野狐が前に出て後の二体は後ろに下がっていく。

 そうして戦いの準備が整ってきた所でディアナが声を上げた。


「戦う前に答えなさい! あなた達は何故こんな場所で、僕やルナと決闘紛いなことを始めようと申し出たの!?」


 それには野狐が答えた。


「お前達二人の力量を計るためだ。故に此方は一番手を私、その後を気狐、空狐の順で務める」


「そんなこと誰の指示で…? …まさかノサティスが…?」


「ノサティス様ではない。…ここで我々が答えずともいずれ自然に知ることになろう。今はただ命を奪い合うのみだ」


 ディアナはその返答に益々首を傾げた。

 その『いずれ知ることになる』という発言は、『殺す気は無い』と言っているに等しい言葉であったためだ。


「…ならもう一つ、あなた達は、何故『ルナール』という名前を――」


「問答は飽きた。行くぞ、ルナール」


 野狐はディアナの言葉を断ち切り、軽く脚を曲げて姿勢を低く作ると透かさず走り出した。

 ルナは怯えてビクッと肩を揺らしたが、「…やるんだ…やるんだ…!」と自分に言い聞かせて真っ向から走り出した。


「…野狐との戦い方……確か、こう…?」


 ルナは記憶の底から知識を手繰り寄せ、全身から紫の閃光を連続で放ち続けた。

 ――連鎖我霊閃――かつてのヴィスが野狐と戦った際にも用いた、対幻覚用の防衛策である。


「…ふむ、我霊閃を習得済み。また使用方法を見るに、洗脳変化や幻弄の仕組みと効果も理解しているようだな」


 ルナの行動を眺めた空狐は冷静に分析を始める。

 ディアナはピクリと眉を震わせて注意深く空狐を見た。


 …ルナの初手は悪くないが、身体的なスペックが彼女の二倍にも達している野狐はそもそも小手先の技で翻弄する理由自体が無い。

 幻弄が使えずともただ接近して首を噛み千切ればそれで野狐が勝ててしまうのだった。


 故に野狐は真っ直ぐルナを目指して突き進む。

 ルナは瞬時に状況判断を下して我霊閃を打ち止め、片目を瞑って狙いを定めながら突き出した右手で我霊射を放った。


 残り一メートルと迫ってから我霊射のようなノーモーションの攻撃を使われては野狐も回避はできない。

 …否、彼は回避するつもりもなかった。

 この決闘は力量を計るためのもの…受けて立たねば意味がないのだ。


 ルナは素早く腕に怪霊力を集中させていく。


「これでもくら――()ッ…!」


 しかし、戦闘経験の浅い彼女は腕に痛みが走り始めた段階で早々に射出してしまった。

 その腕には満遍なく殴られたような赤みが差しただけで、撃ち出された我霊射の威力も大したことはない。


 失敗した――ルナもそう考えて焦ったが、我霊射は運良く野狐の右目に命中した。

 野狐はそれまでの勢いを殺され、短く悲鳴を上げてよろよろと後退った。


 ルナはホッと胸を撫で下ろす。


「や、やった…! 当たったぞ…!」


「…当たったから何だ?」


 野狐の右目は瞼にも痣すら出来ずに易々と見開かれた。

 …ルナの背筋が凍りついた。




「――…よし、ここまでだね。あとは僕が戦おう」


「駄目だ、もう少し待て」


 戦いが始まってまだ数秒だったがディアナはもう居ても立ってもいられず駆けつけようとしていた。

 ヴィスはそれを手で制し、ルナがどう行動するかを見守ろうとしている。


「もう無理だよ、ヴィス! 今のを見れば明らかでしょ? ルナの攻撃用の技は我霊射だけで、それが通じなかった! だったらこれ以上戦いようがない!」


「馬鹿か、弟子を信じるのも師の務めだ! …それにまだ勝負は決まっていない。俺様の見立てが正しければ、ルナのフルパワーの我霊射で野狐の胸を狙えば心臓を破裂させることくらいはできるはずだ。…その代わりに腕を骨折する羽目になるだろうから、絶対に外さない状況を作る必要はあろうがな…」


「今のルナにはそんな真似できないよ…初めての実戦で、自分から腕を折るほどの覚悟を持ち合わせてる訳が無いでしょう!」


 そう言って邪魔する腕を潜り抜けようとしたディアナだったが、ヴィスは彼女の襟首を掴んで引き止める。


「…いいから見ていろ、ルナはまだやれる…!」




「興醒めだな…。本当にこれがスティリウス様を超えた逸材だと言うのか…? 見たところまるで話にならなそうだが…」


 野狐は品定めするようにジロジロとルナを見つめ、我に返ったルナが再び我霊射を放っても軽く身体を傾けるだけで避けてしまう。


「…剣聖ディアナは何故助けに出てこない…? このままでは私がルナールを殺してしまうのだぞ…。…致し方ない…スティリウス様の縁者を殺すのは気が進まないが、許可は下りているからな…」


 野狐は在らぬ方向に密かに視線を送り、今一度ルナへと飛び掛かった。

 前脚を伸ばし、鋭い牙を露にして大きく口を開く。

 我霊射のために足を止めていたルナには、走り出す準備など全く出来ていなかった。


 ディアナは声にも出来ずルナへと目を見張った。

 万事休すと思ったのだ。

 …しかしディアナは見た、…ルナは冷や汗を流しながらも確かに笑っていた。


「――あんましオレっちを甘く見んなよっ…!」


 今まさに野狐が牙を立てようとしていたその喉から、勇ましくそんな声が上がった。

 『気でも狂ったか…』と笑った野狐はそのまま勢い良く噛みつく。


 …しかしその牙は虚空を噛みきっただけだ。

 既にそこにはルナの姿は無かった。

 そして困惑する野狐の視界は突如として巻き上がった土埃に塞がれ、


「――我霊射――」


 立て続けに背後から風と声が近づく。


「――ブースト――」


 急いで振り向いた野狐の前には、両手から放った紫の光線を推進力にして高速で迫る裸足のルナがいた。

 そして飛び蹴りの姿勢を取った彼女の右足は、(くるぶし)から先が鋭く尖った槍へと変化していた。


「――…スピアーズキーーック!!」


 その速度は野狐に到達する寸前で更に跳ね上がり、その勢いに乗せて重い蹴り――否、抉るような槍の突きが野狐の首へと放たれる。

 その先端は確実に野狐の首に深々と食い込み、血を滴らせ、――



「――…少し、危なかったか」


 ――しかし、貫くまでには至らなかった。


 彼女の力ではそれが限界だった。

 野狐はその場で踏み止まりルナの攻撃を受け止めてしまったのだ。

 そして野狐自身も具象変化でルナの姿を借りて、人の手へと形を変えた前足でルナの脚を掴みながら憎たらしく笑う。


「我霊閃、我霊射、具象変化……これだけか? …今のが限界なんだろう? 飛行速度から逆算して怪霊領域は一二八…か。……本当に、スティリウス様の足下にも及ばないな」


「…そ、そんなっ…!」


 ルナの表情が再び絶望に歪む。

 ここまで実力の差があるとは彼女も想定外だったのだ。


 言い捨てた野狐は容赦無くルナを地面へと投げつけた。

 地面を僅かに窪ませ、轟音を響かせたルナの身体は数回地に弾んでから力無く転がっていく。


「ル、ルナッ…!」


 見ていられず、ディアナは泣き出しそうな悲痛な顔で叫び声を上げた。

 それでもヴィスは彼女を放さず、ルナを信じていた。


 そしてルナは…また立ち上がった。


「……まだ来るか、往生際の悪さは見事だな」


「…う…る、せぇ……。…オ、オレっち、は……もう、助けられたくなんか…ねぇんだよ…!」


 野狐はルナの真剣な目を暫し見つめると、フッと笑って元の姿に戻った。

 そしてその頭上に炎の玉を作り出し、それは徐々に大きさを増していく。


 …ルナには算段など何も無かった。

 しかし、『勝ちたい』…その想いに偽りはない。


 そしてその想いに答えたのはディアナでも神仙でもなかった。


「――ルナ、これを見ろ!」


 叫んだのヴィスだった。

 その声はルナを、そしてその他全ての者の視線を一手に引き受けた。

 そしてその視線達は、彼が高く突き上げた右手へと集まる。


「この技の名は霊玉操(れいごくそう)! 発動と扱いにはかなりの技量と感覚が必要だが貴様ならできる! やり方は教えてやる、今すぐこいつを覚えて野狐を倒せッ!!」


「手を出すなと言われたはずだ、怪霊王ッ!」


 怒声を上げた野狐は炎の玉を更に巨大化させる。

 それに対しヴィスは、右手の先に赤い光の渦を作り、その光を玉の形へと凝縮した。

 その光玉と手の平とは、操霊特有の放電で繋がっている。


「読霊と同じ要領で怪霊力を大気中に広げろ! そして領域との繋がりを維持したまま新たに領域に怪霊力を込め、大気中の怪霊力を操霊のように操れ! 自分の怪霊力を物体として扱うのだ! そうして全ての怪霊力を玉へと凝縮させ、このように放てッ!!」


 野狐が炎の玉を高速で撃ち出すと同時に、ヴィスは赤い光の玉を放電で操り飛ばした。

 二つの玉の衝突――…そして、


「――衝突と同時に爆破の指示を送れッ!!」


 ヴィスの手から放たれる放電がその一瞬、一際強まり、そして赤い光は炎の接する方向へと瞬間的に爆発する。

 炎は掻き消されて狐達は目を見張り、神仙は楽しそうに「ほほー…」とほくそ笑み、ディアナは驚きの剰り呆然としていた。


 ルナは真剣な面持ちでそれを見届け、すぐに限界まで読霊を放って領域との繋がりに意識を集中する。

 呆気に取られていた野狐もハッと息を呑んで振り向き、即座にまた炎の玉を作り出す。


「ルナ、貴様ならやれる! 貴様の強みは霊力量ではなく、機転の良さ、技の発動速度、そして習得速度だ! この土壇場でも必ず俺以上に霊玉操を使いこなせるはずだ!! 自分を信じ、決して諦めるなッ!!」


「…おう…!」


 ルナの顔からは恐怖が消えていた。

 右手を野狐へと向け、改めて領域内に怪霊力を込める。

 それを以て大気中に広げた怪霊力を操作する。


 彼女の手の平に、紫の光が渦を巻く。


「――な、何ッ!? この短時間で…そんな馬鹿なッ…!」


 野狐の顔がついに引き攣った。

 その焦りに急かされて、炎はとてつもない速度でルナへと迫り来る。


 ――…炎の玉が迫る光景…かつてのルナはそれを前にして恐怖で動けなかった。

 …今なら動き出せる。


 作り出された光の玉は真っ直ぐその手から飛ばされた。

 それは炎を突き破って霧散させ、そのまま野狐の下へと突き進む。


「…こ、こんなものッ…!」


 野狐は光の玉を飛び越えてルナへと向かってくる。

 その速度は明らかに光の玉を超え、そのままでは当てられないことをルナは理解する。

 しかし諦めない。


「…手数で勝負だ…!」


 ルナはその玉の操霊を解いて新たに玉を作り、それを操霊で放って避けられては新たに作り直す。

 無数に飛び交う紫の光は、徐々に野狐の余裕を剥ぎ取っていく。


 そして遂に、玉が野狐の肩に触れた。


「――今だ、ルナ!」


「おうッ!」


 ヴィスの声に答え、ルナは光の玉への放電を強める。

 玉は眩く輝いて爆発し、野狐の皮膚をズタズタに抉り骨を軋ませた。


「畳み掛けろッ!」


「おうッ!!」


 もはやルナは霊玉操を使いこなしていた。

 右、左と、腕を振るう度に玉を飛ばし、その玉は続けて爆発を起こして野狐の肉と骨を何度も何度も破壊する。


 回数にして十以上…ルナの攻撃が止んだ頃、野狐は手足や胴をバラバラにされて息絶えていた。

 ルナは息を切らしてそれを眺めると、腰が抜けてその場に崩れ落ちた。


「……う、嘘……本当に、倒しちゃった…」


 ディアナはやり遂げたルナの横顔を眺めながらそう呟いた。

 …その心にあるのは、弟子の成長への喜びではない。

 師としてはあるまじき、ルナという一人の天才への嫉妬心だった。


「…ふむ、まさかディアナが出る前に野狐を倒されるとはな。次は気狐、お前が行け」


 空狐は冷静に指示を下し、気狐は返事すらせずに駆け出した。


 ――その素早さは、野狐の五十倍以上。


「ディアナ、貴様の出番…――」


 ヴィスはそう呼び掛けた。

 …しかし、ディアナは茫然としていてルナの危機に気付かなかった。


「――…チッ!」


 ヴィスは彼女に見切りをつけて走り出した。


 気狐は通る道に溝を生み出す程の速度でルナへと迫る。

 彼女もその姿が見えていなかった。

 …しかしそれもノサティスに比べれば全く速くない。


 気が付くとルナの目の前ではヴィスが横蹴りの姿勢を取り、そしてその脚の向く先には胴から激しく血を撒いて気狐が宙を舞っていた。

 …その光景は、ルナの中でいつかの記憶と重なる…。


「…手を出さないでもらいたいと言ったはずだ、前怪霊王…」


「何故貴様らの言う事を聞いてむざむざルナを殺されねばならん。…俺のものに手を出した奴は全員地獄行きだ」


 彼は空狐に答えながら、血反吐に口を濡らしてよろよろと立ち上がろうとしていた気狐の傷へと駄目押しの我霊射を放った。

 赤い光線に打ち飛ばされた気狐はそのままバタリと倒れて絶命し、それをゴミのように一瞥した彼は手が無傷なのを確認して満足げに笑った。


「……剣聖ディアナ、前へ出ろ。私はお前と戦いたい。お前の力量を確認したいのだ」


 空狐はやはりそこに拘った。

 そうして呼び掛けられて漸く我に返ったディアナは、不甲斐なさを痛感しながら早足にルナ達の前へと突き進んでいった。

 しかしヴィスは空狐の言動の違和感を無視できず、向かい合う両者の間に口を挟んだ。


「…おい貴様、ルナとディアナの実力を確認したいと言っていたが、ここで貴様が死ねばその報告をする者は誰もいなくなるぞ。…一体どういうつもりだ?」


「報告など要らない。ここでただディアナと戦い、そして死ぬこと。それが私に課せられた使命の全てだ」


「…何? …なるほど、何処かからここでの戦いを見ている者がいるのか…」


「自由に受け取ればいい。どうせお前達にはどうすることもできない」


 ヴィスはじっと空狐の目を睨み付けた。

 しかしその視線は容易く躱され、答えを掴むことはできない。


「…勝負、するんでしょう。…もう待たないよ」


 何かを押し潰すような低い声で告げ、ディアナは二五〇〇の怪霊力で仙攻丹を発動し、初めから二腰とも剣を抜いた状態で迫っていった。

 空狐もそれと同じ程の素早さで走り出し迎え討とうとする。


 両者の速さは実に気狐の二倍にもなる。

 …身体能力は互角…そう睨んだ空狐は走りながら長い尾を頭上にくるんと持ち上げて、その先から赤い我霊射を放った。


 ディアナは攻撃が発生する一瞬前に既に避ける態勢を作り、どれだけ近くで何度撃たれても軽々と避けてしまう。

 そうして懐まで入り込み、自身の霊力を半分も削ってフルパワーの仙攻丹を発動することで、空狐が我霊閃で抵抗を仕掛けるより早くに胴を斬り裂いた。


 多少の無理はしたものの、彼女の戦闘はそのほんの一瞬で決着がついてしまう。

 ディアナは空狐の遺体を蹴り飛ばし、もう死んでいることを確認すると得意げな笑みを噛み殺した。


 これで彼女のちっぽけな自尊心は何とか守られた。


 ルナはヴィスとディアナの戦いを見届けると、「…はぁ…」と随分と気落ちした声を出した。

 その声が、ディアナを薄暗く醜い感情から引き上げる。


「…オレっち、結局二人に助けられちまった…。…これじゃあ全然、まだまだだな…。前とちっとも変わらねぇ…」


「…ルナはまだ修業を始めて一月も経ってないもの、仕方ないよ」


 ディアナは微笑んでそう慰めた。

 しかし、ヴィスはそんな彼女をジトリと見てルナの前に膝をついた。

 ディアナは、言葉よりも雄弁に自分の愚かさを指摘されたような気がした。


「『助けられた』、か? …いつ俺達が貴様を助けた? 野狐を倒して気が抜けて夢でも見たのではないか?」


 ヴィスは視線の高さを合わせてルナに諭してやった。

 ルナはちんぷんかんぷんという風に目を点にして聞き返す。


「な、何言ってんでぇ…? 実際ヴィスが気狐っての倒して、空狐ってのも…ディアナが…」


「貴様の相手は野狐だけだ。他は初めから俺様とディアナの相手だった。まさかもう全員倒せるなどと思っていたのか? 自惚れるな、貴様はまだ階段を登っている途中に過ぎんのだ。これから貴様は更に更に強くなる。気狐にも空狐にも勝てる程にな。今回の貴様のやるべきことは野狐を自分の手で倒すことだ。貴様は見事目標に達した。誰の助けも必要とせず、自分で野狐を倒したではないか」


「……いやっ、でも、それはヴィスが――」


「『霊玉操』か? だが俺様は野狐に攻撃をした訳ではない。貴様の武器に気付かせてやっただけだ。数秒で習得して圧倒したのは貴様の力ではないか。だから貴様が一人で倒したのだよ」


 ルナはそれに首を捻り、「…でも」とまた反論しようとした。

 ヴィスは彼女の唇を摘まんで閉ざさせ、「でも、ではない」と頭を撫でた。


「貴様は最後まで自分の力でやりきろうとした。だからあの技を教えたのだ。貴様が早々に諦めて俺達に頼ろうとしていたならば霊玉操など授けはしなかった。今はただ誇れ。そして次に邁進しろ。余計な謙遜など邪魔なだけだ」


「…お、おう。…分かった…」


 ルナは頬を染めて俯き、渋々彼の称賛を受け入れた。

 そうして密かに、次こそは、と意気込むのだった。


「ほれ、ルナさん。顔上げい」


 その声にヴィスが手を退け、ルナが振り向くと、勢い良く小さな光の玉がスポンと彼女の口の中に放り込まれていった。

 彼女は噎せながら辺りを見回して狐達の遺体が無くなっているのを確認すると、カラカラと笑って近寄った神仙を恨めしそうに見て立ち上がった。


「さぁてやっと一悶着済んだな。これでパロの中に入れるぞ~。さっさと城に行って休みたいぞワシゃぁ」


 神仙はそのように独り言ちながらディアナを見向きもせずに通り過ぎていく。

 ディアナは平静を装って剣の血を白布で拭って鞘に収める。


 ルナは喉を擦りながら目を瞑って「ふんっ」と気合いを入れ、具象変化で狐耳と尻尾を無くし、瞳孔も縦長から丸に変えて人間の姿に近付けた。

 そうしてパタパタとディアナの傍まで行くと、「早くクレドに会いに行こうぜ!」と晴れ晴れと笑って先に進んでいった。


 作り笑いでその場を凌ぐしかなかったディアナは、ルナの後に続いてトボトボと歩き出し、しかし落ち込んで前を向けなかった。

 自分は師匠失格だ…、そんな事を思って溜め息をついていると、ポフッとその頭に手が乗せられた。


「人間などそんなものだろう。高々十八の小娘の癖して何でも完璧にやれると思い上がるな。貴様だってルナと同じく、未だ階段を登っている途中なのだ」


 ヴィスはそれだけ言うと手を降ろし、変わらずディアナの隣を歩いた。

 彼女はそんな彼の横顔を見ると少し気持ちが軽くなって、「…そう、思えたらいいよね」と力無く笑った。


 そうして前を向き、尻尾を失ったルナのズボンが眼に留まる。

 尻尾を通すために開けられた太めの穴から白い尻が丸見えになってしまっているのを見たディアナは不意打ちに吹き出しながら急いでルナを引き留めに走った。



 彼女達の騒ぎが遠退いた後、野原にポツンと残された大きな岩の真ん中に、…ギョロリと血の色の瞳が浮き出していた。



※※※※※※※※※※※



「ほら、この部屋で待っとるはずじゃぞ。…行ってやれ、クレドも寂しがっとる。…ディアナ嬢、お前さんのためにもな」


 訓練場の休憩室、その扉の前で神仙が優しく背中を押す。

 ディアナは顔を赤くして両手で取っ手をぎゅっと握り締めたまま、一向に動かなくなっていた。


 扉の向こうは静かなもので、クレド以外には誰もいないか、居ても寝ているかという様子だった。

 …ひょっとするとクレドはいないのではないか。

 いないならこの部屋に入る必要は無いな、帰ろう、という言葉が喉まで出掛かっているディアナだがそんな事を言っても逃げられないのは分かっている。


 少し汗まで掻き始めていた。


「頑張れディアナ! ちゃんと話すんだぞ! 喧嘩は駄目だぞ!」


「ルナが野狐に挑んだのだ。貴様も挑まなければ師として顔が立たんぞ、ディアナ」


 ルナとヴィスもそう言って背中を押すが、それが余計にディアナを赤面させ、耳元まで熱くさせた。


「…ね、ねぇ、みんな先に部屋に行っててもらえる? …僕一人で会ってくる、から…」


「駄目だ、逃げるだろ貴様」


「に、逃げ…ない…」


 ヴィスの言葉に歯切れ悪く言い返すディアナ。

 …丁度その時だった、『…ディアナ?』と涼しい音色の声が扉の向こうから響いたのは…。


「…あっ…! …あ、ぁ……ぅ…」


 その声を聞いた途端ディアナは取っ手から手を放してキョロキョロし始め、足音が近付くと急いで走り出した。

 しかしその襟首をヴィスに引っ掴まれ改めて扉を向かされる。


 そしてとうとう、扉はギィ…と音を立てて開け放たれた。

 現れたのは小柄な優男――クレドその人だった。


「…あ…れ、…ディアナ…?」


「……………久しぶり…」


 彼女はクレドの問い掛けに随分と間を開けて答えた。

 その表情は、顔に差した赤みを誤魔化すように強張っている。


 しかしその表情は、クレドに両手を握られ迫られるとすぐに崩れてしまう。


「――大丈夫だった!? カリバンの作戦で重傷を負ったって聞いた時からずっと会いに行こうとしてたんだけど、集中治療室では追い返されるし、その後は旅に出てしまって全然会えないし…!」


「…あ、大丈夫、…大丈夫。…ちょっ、と、離れて…」


「…あ、あぁ、ごめん…! ……よかった、元気そうで…」


 他所々々しく顔を背けて突っぱねた彼女の態度に、クレドは気分を害した様子も無く手を放して後退る。

 そうして穏やかに微笑んでいる彼に、ディアナは怒ったみたいに眉を寄せたまま黙り込む。


「…僕なんかじゃ全然君の助けにならなくて、ここでこうして、少しでも鍛練を積むようにしてるんだけど、なかなかね…。……あれから、そっちはどうしてる? 大変な旅だってのは分かってるんだけど、実際どうなのかなってさ…いつも気に掛けてる。…あぁ、そうだ、色々話したいことがあってさ! それに、話さなくちゃいけないこともあるんだ。だから、できたら今晩、時間くれると――」


「…クレド、ごめんなさい。ずっと避けていて」


 ディアナはクレドの言葉を遮って用意していた一言を押し付けた。

 彼は少しキョトンとしたが、「…うん」と包み込むような笑顔を返した。


 ディアナは彼の反応を少し見て、また顔を見れなくなっていた。

 それは恥ずかしさからではなく、彼に甘えることに拒絶を抱いたからだった。


「それと、…ごめんなさい。…もう少し、時間が掛かると思う」


「……それも、うん。分かったよ。…『もう少し』なんだろ? ちゃんと待ってるさ」


「うん。…じゃあ――」


 彼女はそう言うと何処へとも告げずにその場を走り去っていった。

 クレドはそれを追わない。

 ただ寂しそうに微笑んで、その背中が曲がり角に消える最後まで眼を離さずにいた。


 一部始終を見届けた傍観者達は、皆半ば呆れた顔でディアナを見送る。

 神仙は溜め息混じりにクレドに歩み寄り、「大変じゃなぁ、お前」と肩をポンポン叩いた。


 今更取り巻きがいた事に気が付いたクレドは「あっ、レイさん! …と、…君達は?」と驚いた顔で彼らを見た。


 不思議そうにクレドを見上げるルナの横で、ヴィスはワナワナと口を開けて彼に指を差す。

 それを受けてクレドも、顔を青くして息を呑み即座に臨戦態勢を取った。


「…き、貴様ッ…! あの時ディエシレの丘で俺を気絶させおった一般兵か…!?」


「…怪霊王ッ…! どうやってこの城に――」


 …そう、アモルの封印を受けたあの日…それでもなお暴れ続けていたヴィスを拳一つで気絶させた兵士――それこそがクレドだったのだ。


 ヴィスは感心の視線を、クレドは恐怖心と敵意を、お互い一心に向け続ける。

 しかしその間にルナが両腕を広げて割り込み、「待った待った!」と慌てた声を上げた。


「ヴィスはもうオレっち達の味方だ! ディアナとも仲良くやれてんだ! 喧嘩はダメだ、な!?」


「…み、味方…? …怪霊王が…」


 クレドは拍子抜けした顔でルナとヴィスとを交互に見て、ヴィスは腕を組みながら「なるほど、そうだったか…」と妙に嬉しそうに頷いていた。


「……それで、君は…?」


 一頻り疑問を抱いたクレドは、続けてルナに問い掛ける。

 その問いにビクッと身体を跳ねさせた拍子にルナの変化が解けて、耳と、ズボンに急遽付けられた布の蓋を押し上げて尻尾も飛び出したが、クレドはポカンと口を開けただけだった。


「オ、オ、オレっちは、ディアナの仲間のルナだ! …クレドは、ディアナの…何なんだ?」


「え、僕? …うーん、何かな。はははっ。それはディアナに聞いてくれると助かるかな」


 クレドはいとも簡単にルナを受け入れた。

 彼の困ったような顔を見て、ルナは少し平静を取り戻す。

 そして去っていく直前のディアナの真っ赤な顔を思い出し、首を傾げて訊ね直した。


「…もしかして、ディアナの兄ちゃん…か?」


「お兄さんかぁ…。…あんなによくできたのが僕の妹だと、ちょっとプレッシャーかな。……ルナさんはどうしてそう思ったの?」


「……んー、…何となく。ディアナがあんなに我が儘になるの初めて見たし、オレっちも…にぃちゃんに散々我が儘言ってたから…」


 クレドはそれに「そっか」と温かく微笑む。

 それを見たルナは、クレドとディアナの関係に漸く察しがついた。

 そして、少し照れて頬を染めたのだった。

・ルナ

握力2.7t

パンチ力5.75t

キック力17.2t

耐久度3798

走力162m/s

霊力2,541,308

怪霊領域128

回復力9

術: 我霊閃、我霊射、読霊、具象変化、霊玉操



・野弧

押力8.5t

キック力25.5t

咬合力12.7t

耐久度5610

走力238m/s

霊力5100

怪霊領域5100

回復力17

術:読霊、幻弄、洗脳変化、具象変化、吸霊、我霊閃、操霊、発霊


・気弧

押力484.5t

キック力1453.5t

咬合力723.9t

耐久度319,770

走力13,566m/s

霊力290,700

怪霊領域290,700

回復力969

術:読霊、幻弄、洗脳変化、具象変化、吸霊、我霊閃、我霊射、操霊、発霊


・空弧

押力727t

キック力2,181t

咬合力1,086t

耐久度479,655

走力20,349m/s

霊力436,050

怪霊領域436,050

回復力1,454

術:読霊、幻弄、洗脳変化、具象変化、吸霊、我霊閃、我霊射、操霊、発霊

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