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改新奇譚カリバン~封じられし魔王~  作者: 北原偶司
三之明之篇
3/67

一ノ業 冷酷無慈悲の大悪漢!怪霊王ヴィスドミナトル

 天高く燃え盛るディエシレの丘に血の雨が燦々と降り注ぐ。

 黒々と立ち込めた暗雲は軍勢の視界を覆う猛火に相対してまるで夜のようであり、戦士達の悲鳴は殷雷の如く凄惨に轟く。


 その苛烈な歌にうっとりとせせらぎに臨むような穏やかな心で聴き惚れている悪魔が一人、その惨状を全身で味わうように火の海の中心で両腕を大きく広げて佇む。


 その者の名は、ヴィスドミナトル。


 背丈は一丈と高く、全身朱殷の肌で、明王のそれに類似した緑青の条帛と裳を身に付けている。

 放射状の金の胸飾りに、手首と上腕、足首、腰にも金の帯金具が飾られ、それらは炎に照らされて神々しく輝く。


 またその巨体に豪傑の感じを匂わせるのは今にも肌を突き破らんとするかの如き隆々の筋肉である。

 膨れ上がった胸や腕、脚に、地を踏み締める裸足にすら岩のような硬質感を伴っている。


「どうした、もう戦意喪失か? 貴様らの望んだ勝負なんだぜ。少しはこの俺様を楽しませてくれよ」


 ヴィスの高笑いと共に猛火はその勢いを増し、宙高く打ち上げられていた数十人もの戦士がその中へと落下する。

 未だ生きてそれを取り囲み武器を取った人々は、却って恐怖に竦み上がり、絶対的な力量の差に慄いていた。


 ヴィスはその顔立ちも醜悪である。

 尖った鼻に鋭く伸びた牙、睨むような骨格の眉の下には楽しそうに開かれた両目が覗き、陰に同化した漆黒の強膜に浮かぶようにして光る金の瞳はヴィスにも留めきれない強大な生命力を感じさせる。


 美しい銀の長髪は後ろへ流れて宙に浮かび、波に曝されたように静かに揺れている。

 両のこめかみからは黒曜のように鈍く輝く角が稲妻の折線を描いて後方へ細く伸び、額からひし形に生えた同色の太い角は後ろに折れると頭の上を沿うようにして伸びる。


 その美しい髪と禍々しい三本の角にこそ悪の王たる荘厳を見て取れた。

 死の危険に晒されて依然、人々は彼の恐ろしい程の美しさに魅了された。


「退屈させるな。これが人間の全力か? おいおい勘弁してくれよ。この火の海は貴様らが少しでも俺様と戦えるようにわざわざ出してやったんだぜ? 人間って奴は操霊術しか取り柄が無いようだからな。それなのに火が怖くて近寄ることすら出来ないとは…フハッ…。情けないなんてどころじゃねぇな」


 人々に言葉は無い。

 元々分かりきった結果とはいえ、これ程まで差が開いているとは誰も予想し得なかった。


 もはや次元が違うのだ。


 太古より人智を超えた凄まじい身体能力、生命力、そして神通力を兼ね備えた超常的存在がいた。

 世に人はそれを妖怪と、精霊と、悪魔や天使と、神とすら呼んだ。


 しかし現世に至り、その怪しき力とそれを操る者達の実態が知られ、その矛先を人々に向け得る者達を区別して別称が生まれた。

 その者達の名こそ、怪霊獣(かいれいじゅう)

 その群を統制せし九名を指して、怪霊衆(かいれいしゅう)


 そして今、人々の前に自ら姿を現したこの悪魔こそ、それら多くの悪鬼を束ねる怪霊衆の頭領――怪霊王(かいれいおう)ヴィスドミナトル。

 何者も彼の前に立ちはだかることすら出来ない。


「どうした、本当に誰も来ない気か? だったら、あいつをとっとと差し出せよ。この俺様を呼び出した奴だ。気狐を数匹仕留めただけで図に乗って、生かした気狐に呼び出しの伝言を寄越してきたあの女だ。俺はそいつと遊んでやるために出てきてやったんだぜ。いつまで待たせる気だ」


 ヴィスは心底馬鹿にしたような嘲笑を浮かべて人々を見回した。

 しかし、やはり皆息を殺して対峙するだけで返答は無い。


 否、待っているのだ。

 この戦いを制する者の到来を。

 千年に一度の聖人――大聖御女(たいせいみめ)アモル・テネリタスを。


 彼女こそ、人類に残された唯一の希望。

 この絶望的局面を打破し得る、人類最高の神通力者であった。


 人々は彼女が無事辿り着くまでを、命懸けで繋いだ。

 今ここでヴィスを逃がしては後がない。


 炎に炙られようと、疾風に切り裂かれようと、濁流に呑まれようとも、戦士達は決して退くことはない。


 しかしヴィスにとって彼らの奮闘など蟻が足に登ろうとしているような些細なものでしかない。

 鬱陶しく、しかし張り合いもなく、障害にすらならない。


 苛立たしく腕を振った彼の手から小さな光球が放たれ、その指先からの放電に操られるようにして飛び回った光球が人々の心臓を突き破っていく。


 彼の全身が光を帯び、その光が一瞬にして周辺の炎と肉塊と大地を消し飛ばす。


 戦士達が炎を、大地を、水を操ろうとも、そうして自然の壁を築き守りに徹しようとも、彼の力を防ぐことは決して出来ない。


 もう何百と命が落とされた。

 戦いが始まって僅か数分で、これ程の死体が積もるなど誰にも想定できた状況ではない。


 しかし、その甲斐はあった。

 とうとうアモルはそこに現れた。


 亜麻色の髪を編み込み、真珠のティアラで飾った艶やかな美女が純白のドレスの裾を靡かせてヴィスへと向かう。

 勿忘草の色をした美しい瞳は青空を映したような清廉さを思わせ、禍々しいヴィスのそれとは相反していた。


 黄金の瞳がアモルと交わされて、争いの手が止まる。

 人々がヴィスから離れていくと、彼女はそれに代わるように彼の前へと歩み進む。

 彼は受けて立つとでも言うように火の海を裂いて道を作り、彼女にその道を歩かせた。


 彼は彼女の力を探り、少し驚いた顔で待ち受けた。

 しかしすぐ、その表情は嘲る様に戻る。


「なるほど、貴様が気狐を倒した女か。いやはや、まったく舐められたもんだぜ。確かにただの人間よりは霊力が高いようだがそれでも俺様の足下にも及ばない。気狐どころか野狐、…いやコカトリス以下だ。フン…まぁ、所詮は人間の小娘。それが限界だろうな」


 ヴィスに罵られたアモルは、そのことに怒りも悲しみも、恐怖も感じなかった。

 否、彼女は彼の言葉など聞いてすらいなかったのだ。


 彼女の目に映るのは、ミンチと化した焼死体の数々や、重傷を負って喘いでいる戦士達、またその手に握られる故郷からの手紙などである。


 彼女の心にあったのは自分の至らなさに対する後悔や懺悔、そして強い怒りであった。


 そして次の瞬間、その足下からゆらりと白気が立ち昇った。


「…皆さん、間に合わなくてごめんなさい。だけど、絶対に無駄にはしません」


 独白の後、勢いを上げて渦巻いた白気が彼女の身体を包み、その全身からチリチリと小さな雷を幾重にも放つ。

 放電に当てられた大地は地割れを起こし、空中に浮き上がった土はその端から塵と消える。


「今度は私が、命を懸けてみせます」


 アモルの眼が強い決意と共にヴィスを射抜く。

 その時、一瞬とはいえ、ヴィスの身体を小さな寒気が襲う。


 初め、彼はそれを理解できなかった。

 この世に生み落とされて以来、彼には恐れるものなど何も無かったのだ。


 しかしそれは疑いようの無い事実だった。

 彼は初めて目の前の相手に狼狽えたのだ。


 そしてそうと気付いた瞬間、彼の胸は激しい怒りで埋め尽くされた。


「…貴様、この俺様を倒せる気でいるのか? たかが人間の、未熟な小娘の分際で、この俺様に楯突こうってぇのか!? あぁ!? …おい、粋がるなよ……粋がるなよ下等生物がぁッ!!」


 ヴィスが声を荒げ、怒りのまま高めた力で、大地を、その銀髪を宙に浮かせた。

 浮いた岩石はパシッとひび割れ、即座に破裂して跡形もなくなる。


 その気迫と力の強大さに、見守る戦士達は恐れ慄いた。


 しかしアモルは平然とヴィスに相対する。


「なら、勝負しましょうよ」


 彼女はそう持ち掛けて微笑みながら、白気を身に纏って光り輝く。

 その光は彼女と一つに重なり、彼女は直視もままならない凄まじい輝きを放ったまま一歩彼に近づいた。


「勝負だと…? この俺様に条件を突き付けるのか! 身の程知らずの生意気なガキだ!」


「私には貴方を倒すために準備したとっておきの技があるのよ。私が全力でそれをぶつけて、それでも立っていられたら貴方の勝ち。その時は貴方の成すがままにされるわ。何があろうと貴方にはもう逆らわない」


「フンッ、バカが! 貴様のような雑魚に従う俺じゃない! 貴様など怪霊術を使うまでもなく、指先だけでも十分殺せるぞ俺様は! わざわざ敵の攻撃を食らってやる奴がどこにいるものか!」


「へぇ、怖いのね。最強と噂の怪霊王様には敵なんていないと思ってたけど、案外大したことないのかしら?」


 本来は取るに足らない安い挑発。

 しかしそれも頂点に君臨し続けたヴィスには初めてのことだった。

 未だかつて彼にここまで強気な態度を取った者はいない。


 ましてやたかが人間の、年端も行かない女に舐めた態度を取られるなど彼には以ての他だった。


 彼は舌を打ち、高めていた怪霊力を全て遠くに見えた小山に撃ち出した。


 その小山は直後、落雷など優に超えた強烈な爆発音と地響きを立て、とてつもない閃光と暴風を放った。

 戦士達は吹き荒れる風に煽られ、或る者は宙へ飛び、また或る者は身を引き裂かれた。


 辺りに燃え盛っていた炎もその風圧で消え、黒煙と静けさが蔓延し始める。


 そして光と風が止んだ時、そこにあったのは小山ではなく、半径数十メートルにも亘る真っ赤に燃えた巨大な窪地だった。


「いいだろう、貴様の下らん勝負に乗ってやる。だが貴様の渾身の力が通じなかったその時は、覚悟することだな。この世に生を受けたことを後悔する程の、凄惨で無慈悲な死をくれてやる。四肢をもいで磔にし、地上全ての人間を一人一人目の前でなぶり殺してから貴様を血の池に沈めて殺してやるよ」


「…交渉成立ね」


 アモルは冷や汗を笑みに隠して頷き、深く、深く息を吸う。


 一歩一歩、走馬灯のように自らの人生を振り返りながら進み、その足はヴィスの眼下へ近づくにつれて震え、重たくなっていく。


 …お父さん、お母さん、…どうかお守りください。

 彼女は眉を寄せて祈り、それからヴィスの顔を見上げた。


 激しい怒りに額を震わせ、勝負の後の算段を練って恐ろしい笑みを浮かべている魔王の姿がある。


 彼女は怖じ気付きそうだった。

 しかし、今一度戦意を奮い立たせた。


 先の戦いで傷付き、未だ生死を彷徨っている妹のディアナを想い、アモルは再び命を懸ける決意を固めたのだった。


 アモルはヴィスの胸へ向けて両手を突き出し、その手の先に意識を集める。

 それを見たヴィスはニヤリと嗤い、わざと広げた両腕を見せつけるようにヒラヒラと振って身体中の力を抜いた。


「避けちゃダメよ…」


「あぁ、避けない。撃てよ小娘」


 ヴィスは見下して言い返した。

 未だかつて彼を相手に傷を付けた者は誰一人として存在しない。


 そんな彼を、この目の前の女は倒すなどと言うのだ。

 何をどう見ても、自分の足下にも及ばない力しかないこの女が、だ。

 やれるものなら好きにしてみろ、とヴィスは馬鹿にして笑っていた。


 彼女は目を瞑り、全身を包むその光を両の手の平に集めた。

 そしてその引き換えに、彼女の身体は徐々に薄まって透明に変わっていく。

 一点集中したその力は凝縮率こそ大したものだが、ヴィスが持つ力に比べてみればやはりゴミのようなものだ。


「フッ……フフフッ…クハハハハッ! ハーッハッハッハ!!」


 その程度の力を発揮するために彼女が決死の覚悟を抱いているのだから、ヴィスからすればお笑いだった。

 腹を抱えているヴィスを相手に目を開いたアモルは、更に力を集中して限界まで凝縮していく。


「フハハッ…あーぁ、まったく、救いがたい馬鹿だぜ。相手の力量も分からず突っ込んできただけのようだな。親切なこの俺様が、霊力も読めない貴様に教えてやろうか。貴様の霊力は精々千くらいだ。普通の人間が三百だとすれば確かに異常だが、所詮はその程度。俺の霊力は貴様の約十万倍はある。これだけの差があれば、幾ら貴様が技の威力を限界まで引き上げても埋まりようがないんだよ。無駄だぁ、無駄」


「…それが、どうかした?」


 アモルはヴィスを睨み付け、告げられたことも構わず奥義発動の最終段階へ移る。

 手の平に集まった白光はその輝きを凄まじく高め、見る者の多くは目を開いていることすら難しいほどのものだった。


 更に彼女の身体は限界まで透けていき、白光も相俟って殆ど見えなくなっている。

 その姿は今にもその白光の凄まじさに消えてしまいそうな儚ささえ帯びていた。


 事実、それは間違いではない。

 彼女はその一撃を以て命を捨てるつもりなのだ。

 彼女はその全てをヴィスへとぶつけて散る…――それは始めから決められていたことだった。


 しかし、それが功を奏する予感がしない。

 それまで信じて見守っていた生き残りの戦士達も、ヴィスの言葉に惑わされて天に祈り始めていた。


 ヴィスは彼女の強気な態度にキョトンとしたが、直ぐ様それが強がりだと決めてかかり冷ややかに笑った。


「やれやれだ。もういいからさっさと来いよ。どうせ俺様には勝てないんだからなぁ…」


 余裕綽々に手招きするヴィス。

 しかしそれに向かい合うアモルには恐怖など微塵も無かった。


 彼女は最後の一瞬、優しい笑みを浮かべた。


「これが私のとっておき…! 食らいなさい、――『カリバン』!!」


 白光の球が高速で放たれる。

 彼女の身体が風となって消え、真珠のティアラが、純白のドレスがハラリと落ちる。


 彼女の魂を乗せた一筋の光が、ヴィスの予想を遥かに超えた瞬くような速さで、―――今、怪霊王の胸を射抜いた。


「――ぐっ…!!」


 ヴィスの胸へと到達した光は、その衝撃を周囲の空気に伝わせて地響きを起こした。

 彼は少しヒヤリとして自らの胸へと目を見張った。


 そうして歯を食い縛り、痛みも熱も無いはずのその攻撃に奇妙な胸騒ぎを覚えた。


「…な、…何だ…この技は…?」


 それは怪霊王たる彼も見たことの無い不思議な技だった。

 手応えどころか感触も無いのに、何か鬼気迫った衝動が伝わる。


 そしてその光が、スーッ…と身体の中へと溶け込むように消えていくと、それきり衝動も何もかも何処へやら無くなってしまった。


 ヴィスは胸を手で擦り、傷の一つも無いことを確認すると安堵して笑い出した。


「…フッ…フハハッ…! 何が勝負、何がとっておき、何がこの俺様を倒すだ! 身の程知らずの馬鹿者が! フハハハッ!」


 ヴィスは勝利を確信していた。

 アモルは渾身の技を放って消滅し、自分はこの通り何事も無く生きている。

 これで人類が縋る馬鹿げた希望は完全に潰えたのだ。


 アモルの呆気ない幕切れに、彼は高笑いしていたはずだった。


「フハハッ…ハ…――」


 しかしそれも束の間のことだった。

 胸の奥に込み上げた何かが心臓を握り締めたような、大きな鼓動の弾みを伴う激しい痛みが襲った。


 ヴィスは噎せ返り膝をつく。

 胸を始め、身体中の神経を熱が往き来する。

 経験の無い激しい鼓動と息切れを起こし、得も言われぬ激痛が全身を駆け回ったかと思った次の瞬間――


「ハァッ…ハッ……こ、これは…!」


 ヴィスは自らの両手を見下ろし、その目線と各々の部位との距離の近さに違和感を抱いた。

 腕や脚も筋肉が衰え、その身体はまるで人間の子供のように短くなった。

 ペタペタと顔や頭部に両手を触れると、…牙も、角も無い。


 そして、何者かの手に押さえ付けられているかのように、身体の内に漲っている筈の強大な霊力をほんの僅かにしか感じることが出来なくなっていることに気が付くと、彼は自らの人生でも類を見ない凄まじい憎悪に拳を握り締めた。


「……女ぁ…女ぁ…!! 貴様この俺に何をしたぁぁあああッ!!!」


 ヴィスはアモルへの恨みを叫びながら沸々と霊力を怪霊力へと変換し溜めていく。


 しかしそれも以前のようにはいかない。

 露程の怪霊力が溜まるとそれが限界というように胸の中がキリキリと痛み、折角溜めたそれはふわりと消えていく。


 アモルが仕掛けた技は、ヴィスをも凌ぐ強力な封印術だった。


「…せ、成功したぞ! 今だ! 全員で畳み掛けろ!」


 戦士達は歓喜に湧き一斉に武器を取り走り出した。

 その精鋭は瞬く間にヴィスを取り囲み、ヴィスは彼らの行動に対する自分の対応速度の大幅な低下に更なる怒りを覚えた。


 …こんなことがあっていいはずがない。


「ふざけるな…! この俺は全てを統べる王、ヴィスドミナトル様だ! たかがメス一匹が命を捨てたくらいで封印など出来るものか!」


 ヴィスは再び限界まで溜めた怪霊力を全身から解き放つ。

 普段なら軽く放っただけで窪地が生まれその場のもの全てを消し炭にするその技――我霊閃(がれいせん)も、今となっては精々弱々しい光と微風を立てるのが関の山だった。


「いける…! いけるぞ、あれなら!」


 その姿を見た戦士が一人呟いた。

 他の者も同じように希望を見出だしていた。


 怪霊王の名を欲しいままにしたヴィスの哀れな姿に、もはや脅威ではないと思われていたのだ。


 しかし、――


「…()()()だと…? …思い上がるのも大概にしろよクソ雑魚ども! 例え封印が解けずとも貴様ら下等生物に敗けるこの俺ではないッ!」


 迫り来る戦士の一人へと自らも駆け出していくヴィス。

 その素早さはかつての彼とは程遠いながらも常人を優に超えていることに変わりはない。


 二○メートルの距離を僅か○・五(れいてんご)秒で詰めた彼に戦士は再び戦慄した。

 彼の左手が武器を持つ戦士の右腕を掴み、その場で足を止めさせてしまう。


 しかも握られた腕は鬱血して赤紫に染まり、今にもミシミシと音を立てて折れるのではないかという程に強力な握力と一目で感じられた。

 その恐怖はよりリアルな形で戦士の身を凍らせ、剣を取り落とさせ、より間近に見たヴィスの悪鬼の如き形相は戦士を震え上がらされた。


「ぐぅっ、うぅ! う、うわぁぁああ!! い、嫌だ! 助けて、助けくれ! だ、誰かぁッ!!」


「フハハハッ! こいつはいいな、このまま一思いには殺さずじわじわとなぶってやる…。…思い知れぇぇえええッ!!!」


 ヴィスが右手を振り上げた時、戦士達は皆封印のことなど忘れていた。

 力を失ってなお彼の恐ろしさは人々の脳裏に焼き付いて離れず、今悲鳴を上げているその戦士が殺されてしまうと誰も疑わずそう思った。


 怪霊王ヴィスドミナトル――その恐怖の化身は高く振り上げた拳を容赦なく戦士の胸へ打ち、腹へ打ち、顔へ打つ。

 その一撃一撃は常人より遥かに重く、打たれた戦士はその一度毎に痣を作り、ミシリと骨を軋ませた。


 高笑いして殴り続ける彼を止めに入ろうとする勇敢な者はいない。

 力の有る無しは関係無く、そこにいるのは冷酷で無慈悲な悪の権化だった。

 その恐ろしさに人々はただ震えた。


 そして、痣だらけで叫ぶ気力も無くなっていた戦士は、遂にそのあばら骨を砕かれて絶叫を上げた。

 ヴィスは楽しげに笑ってそれに耳を傾けると、またゆっくりと腕を上げて胸へと狙いを済ませる。


「これで終わりだ。…くたば――」


 ヴィスの笑い声は唐突の違和感に遮られる。

 強烈な脱力感が襲い、振り上げた彼の右腕を、戦士を掴む左手を垂れ下がらせる。

 そして両膝が力無く崩れ、ヴィスは自由に身動きも取れないままふらりとその場に倒れようとしていた。


「う、うおおお…! …うぉぉおおおッ!!」


 それまで好きなだけ殴る蹴るとされてきた瀕死の戦士は、全身全霊を懸け、重さなどまるで宿らない弱々しい拳をがむしゃらに繰り出した。

 ヴィスに漸く現れた小さな隙を見過ごしてなるものかというように、咄嗟の判断で放ったのだ。


「うぐぉおッ!?」


 そしてその小さな勇気は勝利を導いた。

 ヴィスは拳を腹に受けるといとも簡単に黒い血反吐を吐き、その小さな衝撃に煽られて仰向けに倒れた。


 続けてその戦士も倒れて逸早く気を失い、ヴィスは思い通りにならない身体を必死に起こそうとして戦士を睨み付けた。


「な、何故、俺が……! …し、死に損ないの……足掻き…など……に……」


 ヴィスは最後まで恨み言を呟き、その内ぱったりと意識を失った。


 この人類による怪霊王への勝利は人々に一縷の希望を抱かせ、また一方で新たなる波乱を地上に呼び込む。

 世界の命運を大きく変えたその戦いは後に、『弱き拳の天下』と呼ばれ語り継がれることとなる。


 伝説は今、ここに始まったのだ。

怪霊王・ヴィスドミナトル

握力50000t

パンチ力140000t

キック力340000t

耐久度84000000

走力3400km/s

霊力99,999,999

怪霊領域99,999,999

回復力10,000,000

術: 我霊閃、霊玉操、読霊、操霊、発霊

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