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改新奇譚カリバン~封じられし魔王~  作者: 北原偶司
三之明之篇
26/67

二四ノ業 弱き者、強き心

 すれ違いから八日が経過したが、ヴィスはなおも悩み続けていた。

 既に出した結論をあれこれと振り返るのは彼の理念にそぐわないが、どうしてもあの答えを撤回したくて堪らなかったのだ。


 港へと引き返す中で徐々に辺りの景色が変わっていくと、ディアナ達と離れた事実が鮮明に思い起こされ、これが永遠の別れになるかもしれない事実をも突きつけられる。

 遠目からは芝生が繁ったように窺える大きな山林群が長く続き、彼はその谷を縫うように進みながらも山に翻弄される自分に苛立った。


「…クソッ…。…さっさと着きやがれ」


 独り言ちて山を睨み、そしてイプセの足取りに注意が向く。

 若干速度が落ちてきてフラフラと揺れるようになってきたのを察し、ヴィスは舌打ちながらに減却させてその場に停めた。


 そして以前ディアナが行っていたのに倣って地面から石の留め具を発生させて手綱を繋ぎ、荷鞍に乗せていた袋から餌を出して撒く。

 続けて石の箱を作り、手の平に出現させた飲み水を箱に収め、イプセの前に差し出した。


 耳をふにゃりと倒し、ゆらゆらと尻尾を振ってそれらにがっつくイプセの姿に、ヴィスは「…呑気な野郎だ」と鼻で笑って袋の中を覗いた。


 …もう餌が残り少ない。

 単独行動を始めてからは彼が目分量で食事を摂らせていたため減りが早くなってしまった可能性は否めないが、それでも往復分の量を確保できていないことは間違いなかった。


 これでは奴らも無事辿り着けるか怪しいものだ、とディアナ達の様子を思い描くと、彼はまた妙に気が沈んで頭を振るのだった。


「…この分ではいつまでも走っておれんな。逸そ、モンヴァーティから移動した時のように地面を浮かせて馬ごと運ぶか……、…いや、あの女は馬が怯えるから控えろと言っていたか…? …怯えさせればまた乗り辛くなる…厄介なものだ」


 そう独り言が衝いて出る。

 そしてすぐ、彼の脳裡には自分本意な案が過った。


「…乗れなくなれば殺せばいい」



 …試しに港まで操霊で運んでみて、怯えて使えないようであれば殺せばいい。

 俺様の思惑通りにならない者など生かして傍に置いていても仕方が無い。

 だから消してしまえばいいのだ。



 …しかし、その思考に彼はハッとした。

 彼が何故、ディアナ達に本当のことを告げず、死を免れないと分かっていながらリーラ基地へと送り出したのか…。

 殆ど無意識で下したその判断の理由を理解したのだった。


「…そうか、あの女に抱いたのもこの思いだったのだ…。真実を告げて奴らの死を回避しても、どうせ俺への信用など無くなり望まぬ関係だけが残る。そんな関係など要らない。…だから逸そ、ここで終わりにしてしまうことにしたのだ。…俺の目の届かぬ場所で終わってくれるように、逃げ出してきたのだ…」


 言葉にしてみて、漸く整理ができた。

 一気に目の前が拓けてきたような爽快さを感じた。


 しかし、すぐにまた目の前を霧が覆う。


「…ならば何故、今の俺は納得しておらんのだ…? 今更奴らを助けて俺のプラスになることなどもう何も期待できんというのに、何故それでも助けたいのだ…?」


 言葉にするも、答えてくれる者など誰もいない。

 答えは自分で見つけるしかない。


 腕を組み、眉を寄せ、唸り声を上げながら何とか絞り出したのは、実にシンプルな感情だった。


「…夢を見ているのか…? …こうして裏切ってもなお、奴らが俺を受け入れてくれるなどと…」


 彼は嘲笑を以て自らを責め立てた。

 仮に自分が裏切られた立場であれば何があろうと許すはずが無い。

 だからやはり、このまま決別するしかないのだと、彼は初めて心の底から物事を諦めようとしていたのだった。



 …気付けばイプセの食事が終わっていた。

 これ以上は考えても仕方が無い、全てを受け入れるだけだと彼は小さく頷いた。


 そうして綴じた袋を荷鞍に載せて、少し休んだらまた進もうと予定を立てていると、自分が剰りに可笑しなことをしていると気が付いた。


「……もう奴らは死ぬというのに、港へ帰ってどうする…? …この期に及んでまだ夢を見ているようだ。あの女がリーラを倒して戻るなんて奇跡、有り得るはずが無かろうに…。…この俺が、まさかこうも愚かになるとは、思いもよらなかった」


 彼の口元には引き攣ったような歪な笑みが浮かんだ。

 ここに来て自分の行き場すらも見失ったのだ。

 そして悩んだ挙げ句、またしても彼は逃げの選択を取った。


「…どちらにしても馬が動かねばな。近場の集落にでも行って人間どもから食料を奪うか…。そのついでに港の方角も再確認して、それから決めるか…」


 …そう、この選択も破綻している。

 本気で諦めたのならば彼は馬を此処に乗り捨てていけば良かったのだから。

 結局、彼は怖じ気付いて現状維持に走っただけだった。


「駄馬、ここで待て」


 片手を翳してそう命じると、彼は直上高くへと浮上していく。

 ある程度の高度に至ると空中から周囲を一望し、町があるか否かと、港の方向を確認した。


 見れば、丁度進んでいた方角の遥か先に例の港を見つける。

 更にその進路の途中、少し西へ逸れていった場所に荒れ果てた廃村も一つ存在していた。


 そうなれば、一先ずの目的地はその廃村ということになる。


「…行くか…」


 彼の声は少し重たげに響いた。

 そうしてイプセの傍に降下しようとしていたその時、自分が進もうとしている道を辿っていった僅か先に一人の人間を見つけた。


 それはボロボロの服を着て大量の荷物を背負い、一歩一歩杖を突きながら頼りなく進む青年の姿だった。


「…何だ、あの薄汚い野郎は…」


 たった一人で、馬にも股がらずにいるその様子に、彼はほんの少しだけ興味が湧いた。

 その興味はただの気紛れだったのかもしれないし、もしくはディアナ達との別れに悩み続けた彼の逃避行動の一つだったのかもしれない。


 ともかく彼は、そんな何でもないものに珍しく興味を引かれて深く考えず馬を飛ばした。

 相手は人間で、此方は馬…それにも関わらず、彼は見失わない内にと急いで追い付いたのだった。


 彼は青年の背中に迫ると、柄にも無く意気揚々と声を掛けた。


「おい貴様! 何処へ向かう気だ!」


 トボトボと遅い足で歩いていた青年は、少し遅れてヴィスの方を振り向いた。

 しかしその目は固く閉ざされ、ヴィスの存在を認知してもなお決して開かれない。


 青年は大人しげで無邪気な微笑を湛えて、穏やかに聞き返した。


「故郷のグルディアという村に帰るところです。あなたは?」


 その声もまた、如何にも優男という印象を醸していた。

 ヴィスは青年の対応を無礼と感じて静かに憤り、イプセから降りて手綱を引きながら青年の前に立った。


「…貴様、俺様をおちょくっているのか? 顔を見て話せ」


「すみません、目が見えないんです。一応瞼を開けることはできますが、多分、お見苦しい物を見せてしまうことになると思います」


 ヴィスはその返答に少し驚き、彼の周囲を今一度見回した。

 全盲の青年が一人だけでこの広大な大地にぽつりといることに、何か得体の知れない力のようなものを感じ取ったのだ。

 それはヴィスの中で好感へと変わった。


「…その目は誰に奪われたのだ? 人か? 畜生か? それとも怪霊獣か?」


「いえ、生まれつきです」


「生まれつき…? 生まれながらに目が見えんのか」


「ええ」


 ヴィスにはそれも驚愕だった。


 弱肉強食の世界において五感の欠損は命取りである。

 そのため動物も、怪霊獣も、何かを損ねて生まれた者は間も無く殺されるものだった。

 故に彼は、こんなにも弱々しい命に触れたことは過去に一度も無かったのだ。


 …これは人間の世界ならではの事象だと、ヴィスは考えた。

 近隣に住む者達で支え合う人間社会の特性が、庇護されなければ生きられない彼の存在を十数年も許したのだと納得した。


 そこまで考えたヴィスは、この青年を蔑むべきか否かを少し悩み、とりあえずその心持ちを確認してみたく思った。

 他者と関わる技術の無い彼は、その手段に罵倒を選んだ。


「…よくそれで生きようと思うものだ。そのような惨めな生き様、俺ならば我慢ならん」


「惨めですか? …けど、あははっ。僕にはこれが普通なんですよ」


 青年の笑顔には僻みや苦痛などまるで無かった。

 本当に何でも無いことのようにヴィスの言葉を受け入れるのだった。

 その訳を理解できないヴィスは、言い分が伝わらなかったと見て改めて問い掛けた。


「目が見えんのだぞ…。物を見れず、探せず、行き着く先も分からず、日頃のあらゆる営みを全て他人に掌握させねばならん。自由に生きることすら難しく、爪弾きにされ、それでも媚びねば生きられぬ。…そんな生き様に意味があるか? 如何に気に入らん事があろうと、それを自分ではどうにもできぬのだぞ。情けなくは、苦しくはないのか? それでも生に執着するのは何のためだ? 何を期待しているのだ?」


 青年は呆けたように口を開けたままそれを聞くと、ヴィスが言い終わってから嬉しそうに笑った。

 そして再び進路に向き直り、「どちらに行かれるんですか?」と訊ねた。


 ヴィスは少し狼狽えて答えた。


「……別に…行かねばならん所は無い…」


「なら、行きたい所ができるまで、一緒に歩きませんか」


 青年は言いながら歩き出していた。

 ヴィスも躊躇いつつそれに続いた。


 全盲と明かされてから改めてその足取りを見直すと、確かに頼りなく、覚束無く窺える。

 しかも脚まで悪くしているのか、右足は微かに引き摺るように運ばれていた。


 その足でここまで()()で歩いてきたのだと知ると、ヴィスは今しがたの愚問を取り下げたく思った。

 しかし青年は、世間話でもするような格好で先程の質問に答え始めていた。


「生きるのは当たり前です。未来は期待するものです。それは、(めくら)だって片輪だって、五体満足な人だって、同じことですよ。きっと」


 その声はとても穏やかで、ヴィスはそれだけでも彼が悲観せず生きていることを理解できた。

 ならば目が見えずとも青年は一人で生きてきたのだろうと、彼は思ったのだ。


 しかしすぐ、そういう訳でも無いらしいと、青年が話しながら大切そうに左手で撫でている貝殻のネックレスを見て思い直した。


「確かにたくさんの人にご迷惑をお掛けしました。私は目も見えませんが、事故で脚も悪くしました。ですから余計に、ご迷惑だったと思います。…でも、それが悪かったとは思いません。お蔭でたくさんの良い人と出会って、いろんな事を教えてもらいましたから。…そして、私は私を助けてくれたたくさんの人達に、恩返しをするために暮らしていくと決めています。いろいろ冴えない私でも、機織りなどは得意ですし、他にも色々したいと思っている事があります。なので、惨めなことなんて実は何にも無いんですよ」


 青年は楽しそうに告げた。

 それは、ヴィスにはとても理解できない生き方と考え方だった。


「…貴様は目が見える者達が妬ましくはないのか? 脚の不便を呪ったことは無いのか? 弱く産まれたその身体に、絶望したことは無いのか?」


 今度の問いには青年の口も一度閉ざされた。

 しかしすぐ、困ったように彼は笑うのだった。


「身体についてでしたら、絶望したことはありません。…私は与えられた物だけで満足していたので、それ以上を望んだことが無く、そのせいで望みを絶たれたことが無いのです。或いはそれが、私の欠点だったんでしょうね。…でも、今は『恩返しをする』という望みができました。だから、それが絶たれないように頑張っていきたいと思っていますよ」


 彼の言葉は底抜けに明るかった。

 それが作り物だという感じも無く、仮に作り物だとしても、そこには真摯さが込められているというのは疑う余地も無かった。


 ヴィスがそうして言葉を失っていると、不意に振り返った青年が「あなたは凄いですね」と笑い掛けてきた。


「…何がだ」


「さっきからいろんな事を訊いてくれます。分かろうとしてくれます。目と耳で分かること以上のものを真剣に探そうとしています。…それって誰でも出来ることではないと思いますから」


「……貴様の存在が不思議なだけだ。俺自身がどうという事ではない」


「そうでしょうか? …私もですが、人は往々にして自分で分かる括りの中に疑問を綴じ込めてしまうものですよ。だからあなたは凄いと思います」


 ヴィスはしかめた顔を青年から背けて舌を打ち、「もっと速く歩け」と言いつけた。

 傍若無人な一言に青年は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしたが、その内パァッと笑顔を輝かせて「はいっ」と頷いた。



※※※※※※※※※※※



 もうじき夜も更けてくる頃合いに、「お腹空きませんか?」と青年が口を切った。

 ヴィスはとりとめの無い雑談を繰り返す内に時間の事が頭から抜けていて、言われて始めて夜を迎えていることに気が付いた。


「腹が空いたのは貴様だろう? 俺様は飯など食わずとも生きられる」


「あははっ。それは凄い。我慢強いんですね」


 ただの痩せ我慢と思われたことに、案外ヴィスは怒りを感じなかった。

 彼自身も意外に思いながら、おくびにも出さず「さっさと食ってこい」と不機嫌ぶった声で突き放す。


 青年は大きく頷いて精一杯足を速めた。


「少し進んだ先に、…まぁ少し時期が危ないですが、果実が生っている木があります。そこまでの辛抱ですね」


「…そう言えば貴様、目が見えん癖に何故道が分かり木の場所まで把握できるのだ。デタラメを言っているのではなかろうな?」


「あははっ。覚えてるんですよ。例の恩返しをするために何度も行き交った道ですから。…ほら、そろそろ木が見えてくる頃じゃないですか?」


 青年がそう告げて指を差すのでヴィスも目を凝らした。

 夜闇の中では分かり辛いが、彼の発達した視力のお蔭で確かに幾つか木苺の在処を確認できた。


 彼は感心して木を凝視しながら進み、青年が実の匂いを嗅いで熟度を確かめるのを後ろから眺めた。

 …目が見えずとも、人に頼れずとも、自分に与えられた全てを使って青年は生きている。

 ヴィスはそれを理解すると、知らず知らず笑みを溢していた。



 ――その時、ガサガサと林から草木を掻き分ける音が聞こえた。

 それは青年の耳にも届き、彼は木苺を幾つか摘むとその場に硬直した。

 イプセも身の危険を感じ取りヴィスに握られた手綱を懸命に引っ張っていた。


 一方ヴィスは音の発生源を探り、暗闇の中にぼぉっと光る鋭い獣の目を見つけた。


「…豹か。つまらん。どうせなら怪霊獣が出た方が楽しめたのだがな…」


 ヴィスは拍子抜けだと言うように溜め息をついて右腕を突き出した。

 しかし青年はヴィスの動きを気配で察し、「待ってください!」と小声で窘めた。


「下手に刺激しないでください。怒らせなければそのまま何処かに行ってくれますから…」


「フン…。待たずともさっさと殺してしまえばいいだろう」


「それはもっとダメです! 身を守るための多少の暴力ならやむを得ない時もあるかもしれませんが、何も殺すことなど…!」


 ヴィスは青年が声を荒げたのでピクリと手を震わせ、小さく舌打ちして腕を降ろした。

 …これもそう、青年の反感を買ってまで助けるくらいなら、言いつけを守って青年が殺される方がマシだと考えたのだ。

 しかし、やはり万が一があれば豹を殺そうという意思は残り続けていた。


 そして当然、イプセは大慌てで逃げ出そうとした。

 荒々しく蹄を鳴らし、首を大きく振るその姿が、豹の獰猛な本能を激しく駆り立てる。


 豹は勢いよく飛び出して一直線にイプセへと向かおうとしていた。

 青年もイプセも、その足音にビクリと震え上がる。


 それを見たヴィスは、深く考えることも忘れて十の怪霊力を込めた我霊射を反射的に撃ち込んだ。

 彼の右腕は一切傷を負わず、しかし食らった豹の方は顔面を砕かれて地面を滑ってくる。


 結局言いつけを守れなかったヴィスは、眉間に皺を寄せたままグッと瞼を閉じて深く深く息をついた。


「…守ってくれて、ありがとう」


 ヴィスは耳を疑い、目を見開いた。

 そして恐る恐る顔を上げ、横を見ると、青年が悲しそうな顔で笑っていた。


 ヴィスが物言わず呆気に取られている中、青年は木苺を横に置いていそいそと足下を掘り返して浅い穴を作り、その中に豹を移動させた。

 埋葬しようと云うのだろうが、目の見えない彼にはどれ程掘るべきか測れなかったのだ。

 退かした土を豹に被せていっても、土が少な過ぎてまるで遺体が隠れない。


 ヴィスは密かに操霊で豹の周りの土を動かし、豹の遺体を地中に沈み込ませた。

 青年はいつの間にか埋め終わっていることに気がつくと首を傾げながら木苺を手に立ち上がる。


 そして今一度、「…ありがとう。行きましょう」と言って木苺の半分を差し出し、ヴィスが「…ああ」と眼を逸らして受け取ると一人先へと進んでいった。


 青年はすぐに木苺を全て口に含み、ヴィスは渡された物を全てイプセの口に押しやった。

 その後暫くは両者無言が続き、ヴィスは、後悔とも少し異なるやりきれなさを胸に歩き続けた。



※※※※※※※※※※※



「…着きました。ここが私の故郷です」


 青年は達成感を孕んだ静かな声音で呟きヴィスに笑い掛けた。

 ヴィスはそれに一言、「ああ…」とだけ答えた。

 …他に答え方が思い付かなかったのだ。


 豹を殺してからの一晩、会話が無かった訳ではない。

 寧ろ青年が率先してありふれたような世間話を振ってくれていた。

 けれどヴィスは、それをどうしても居心地の良いものとは思えず、結果一言二言の返事で断ち切ってしまうのだった。


「…おかしいですね。いつもはここまで来れば門番さんが声を掛けてくれるんですが…。……それに、何だか…」


 ヴィスは無感情に俯いていた。

 また作業のように『ああ』と呟くのだと決めていた。


「……何だか、焦げ臭い…」


 その青年の一言が、ヴィスの脳裡に殴り付けたような衝撃を送り込み勢いよく顔を上げさせた。

 そして青年に代わり彼がその村の有り様を見渡して、その情報を整理する。


 …辿り着いたその場所は、彼が高空から見つけた例の廃村だった。


「…(めくら)、…もう此処には誰もおらん」


「………」


「…一面、焼け残った木材だらけだ。…それに紛れて髑髏が転がっている」


「………」


「……分かるだろう。…人間か怪霊獣かは知らぬが、この村はとうの昔に攻め込まれ、そして滅びたのだ…」


 何も言わない青年に、ヴィスは漠然と怯えて振り返った。


 青年は両手を血が出る程強く握り締め、唇を噛んで震わし、大粒の涙を流していた。

 そして力が抜けたようにガクンと両膝をつき、踞ってさめざめと泣くのだった。


「…い、いい人達…だったのに…! …オリブさん…バーティさん……ネメラスさんも……みんな…! …どうして、みんなが…こんな目に…!」


 ヴィスは喉も胸も苦しくなり、そしてこの村を滅ぼした誰かへの強い怒りを抱いた。

 奥歯を強く噛み締めながら、辛うじて生き残っていた傍の木柵へとイプセの手綱を縛り付け、青年の肩へと手を伸ばす。


 しかし震える彼の肩に触れることはないまま、「…馬の餌を探してくる」と咄嗟の用事を作ってその場を離れていった。



「…この胸の痛みは、この怒りは何だ…? …このじわじわと苦しむ感覚…以前にも、何処かで似たものを感じたような…」


 ヴィスは一人で呟きながら馬小屋を探した。

 否、馬小屋などもうどうでも良かったのだ。

 彼は今、受け止めがたい強烈な苦痛の下気を紛らわす何かを探していた。


 しかし、そんな時ほど彼の頭は冴えてしまう。

 記憶を辿って、その感情の心当たりを見つけると、彼は苛立たしく笑って足下にあった木片を踏み潰した。


「…ソウラモンブルで、ルナが泣かされた時か…。…そうだ、あの時もこんな想いだった。ルナの涙に胸が痛み、あのオネットとかいう意固地な餓鬼に腹を立てたのだ…。…今更だ。本当に今更だが、…やっと分かった。俺はルナの涙が悲しかったのだ。…そして今は、あの盲の男を……」


 それは恐らく、ヴィスがこれまで理解を示そうとしてこなかった『情』そのものだった。

 彼はとうとうそれを認めることができたのだった。


 しかし気分が晴れたりはしない。

 まだ青年は泣いているし、ルナに至っては涙では済まない危機へと赴こうとしている。

 …そしてディアナも…。


 全てをどうにかしたい彼は、直近の事象から眼を向けた。


「……まずは…? …まずは何をすれば良い…? あの女はルナを慰めるために何をしていた…? …遊ぶ事、豪華な食事、上等な寝具……どれだ…? 今、あの男を立ち上がらせるために必要なのは一体何なのだ…?」


 意気込みは十分でも、やはりそれはヴィスには経験の無いことだった。

 判断材料など彼には殆ど無いに等しい。


 トボトボと歩きながら考えていると、ふと干し草が道に散乱しているのに気がつき、その出所を探して馬小屋の跡を見つけた。

 何が餌に良いのか、雑談混じりにディアナが教えてくれていたことを思い出し、一つ一つ脇に抱いて掻き集めていく。


「……そうか…。…あの男に何をして欲しいか直接訊いてしまえばいいのか…! …あぁ、それでいい! 自分で考えても分からんのだから、話し合えば良い!」


 ヴィスは餌を広い集め終わると、青年の下へと急いだ。

 やっと自らの心が切り開かれ、それを受け入れる準備ができた喜びに彼の足は羽根のように軽くなった。


 そうして廃屋の裏手を回り、青年が待つ門跡へと駆けつける。



 しかし、そこでは五人ほどの薄汚れたゴロツキが盲の青年の荷物や衣服を剥ぎ取り大笑いしていた。

 半裸の姿にされて煤けた木片の山に突き飛ばされた青年は、胸に深々と包丁を突き刺され、芯の抜けたボロ人形のように不恰好に倒れていた。



 ヴィスの胸に、一際大きく鼓動が響いた。


「……何をしている、貴様ら…」


 低い唸るような声を、戦利品を高々と掲げていた五人へと浴びせる。

 その五人の内、最初にヴィスに気付いた一人は、真っ赤な顔をして左手で酒瓶を振り回しながら彼を指差して陽気な声を上げた。

 右手には青年が大切にしていた貝殻のネックレスが握られていた。


「おおーい、見ろよ! 今日は二人もカモが来たぜぇ! やっぱりここを根城にして正解だったろー? 金目のもんは無さそうだが服でも売りゃあ小銭になるぜ!」


 しかし浮かれているのはその酔いどれだけだった。

 他の四人は即座に怯えて青冷め、声にもできず視線を交わして逃げる算段を立て始めている。


 額に脈を浮き上がらせる程に激しく怒り、青年から引き抜いた包丁を手にズカズカと歩み寄ってきている鬼のような姿の彼に、避けようの無い死を思い描いたのだった。


「……この恥知らずのゴミどもがッ…!! 貴様ら全員消し炭にしてやるぞッ!! 覚悟しやがれぇぇええええッ!!」


「へっ! 何だぁアイツ! 許さねぇってよ! あっはっは―――」


 酔いどれの高笑いはピタリと止まった。

 ヴィスが咆哮の直後に撃ち出した赤い閃光は酔いどれの右腕をバツンッと引き千切って通り抜けていく。


「…はっ…?」


 彼らはボタボタと血を滴らせた酔いどれと、地面に転がった右腕とを見比べて少しずつ目を見開いていった。

 ヴィスの腕には傷一つ無い。


「…全員殺す…!」


「――ヒッ…ハァッ…アッ……ヒッ、ヒィィィ――ッ!」


 五人とも形振り構わず甲高い悲鳴を上げ、我先にと押し退け合って逃げ出した。

 他人から奪ったもので生き繋ぐ利己的な俗達――そこには勿論友情や仲間意識は微塵も無く、自分さえ助かればいいという浅はかな者しかいない。


 内一人が脚を縺れさせて瓦礫に倒れ込む。

 速足で傍まで迫ったヴィスはその男を見下して大きく包丁を振り上げた。


「ま、待って! たす、助け、て! ヒィッ!」


「惨めで醜い豚どもめ、死に晒せぇぇえッ!!」


 恐怖に引き攣った男の顔を見ても、ヴィスの怒りは収まらない。

 全員の息の根を確実に止めなければ決して終われない、そのはずだった。


 …しかしその時、ヴィスの身体は全ての力を封じられ、身動きが取れないまま包丁を取り落とし、木片の山に膝を突かされた。

 辛うじて倒れずに済むが、それ以上動くことはできない。

 彼は心の底から恨みを込めて「殺す…! 殺すッ…!!」と叫び続けた。



 そしてとうとう、俗達が全員遠退いてしまってから彼の身体に力が戻る。


 彼は虚空を睨み据えたまま立ち上がると、全力の拳を自らの胸に打ち込んだ。

 息が詰まっても構わず、続けて何度も、何度も、何度も殴り付ける。


「…クソッ…! …ク…ソッ! …クソッ!! クソがッ、クソがッ、クソがぁッ!! アモルの糞野郎がッ!! 怪霊獣も畜生も殺せて、あんなクズどもは何故殺せねぇッ…!? 人間贔屓のクソアマめッ!! 今に見ていろ、こんな封印ぶち破って地上のクズを一掃してやるッ!! 首洗って待ってろクソがぁぁあああッ!!!」


 拳を振るうのを止め、心の限り吐き出した。

 そして息を切らしながら踵を返すと、男達が放り投げていった衣服や荷物を拾い集め、最後にネックレスを手にして青年の下へと戻る。


 ヴィスは青年の頭を右腕に凭れさせ、まるで眠るように死んでいる彼の顔を見つめた。


「……貴様を殺したのは俺だ。すまなかったな。…人の死を、惜しいと感じたのは産まれて初めてだった。貴様のように強い者に会ったのも初めてだ。名前くらいは聞いておくべきだったな。…忘れないからな、貴様のことは。ゆっくり眠れよ…」


 彼には作り笑顔などできない。

 どうにか青年を安らかに送ってやりたい気持ちがありながら、普段と変わらないしかめ面でいるのが精一杯だった。


「…人間は、裸を恥じるのだろう…? …待っていろ、今着せる」


 そう告げて一度彼を地面に降ろし、ヴィスは拾ってきた衣服を慣れない手付きで彼に着せていった。

 こんなことならば温泉の時、ディアナに任せきりにならず服の扱いを教わっていれば良かった、と悔いて彼は僅かに口角を上げた。


 一部破けたり、ボタンが外れていたり、紐が解けたままであったりするが、一応の身なりは整った。

 最後にネックレスを着けてやってから離れて遠目で確認し、出来映えの汚ならしさに「下手だな、すまん…」と苦笑した。


 そして今度は木片を掻き分け、その下の地面を両手で掘り返していった。

 そうして出来た深い穴にそっと青年を横たえて、「さらばだ」と悲しく告げて土を被せていった。



 …彼にもまた一つ、やっと分かったことがある。


 彼は青年を殺され、その怒りで俗を殺そうとしたが、青年がそんなことを望まないのはよく分かっていた。

 そして俗を殺したことで利益なども無い。

 青年に背を向けられると知っていながらも、彼は何故だか得の無い殺しに走ろうとしたのだ。


 …理由は簡単だった。

 ――『青年のために仇を討ちたい』――ただ、それだけだった。


 ディアナとルナを助けたい理由も簡単だ。

 ――ただ生きていて欲しいだけだったのだ。


 今まで自分のためだけに生きてきて、損得勘定でしか判断が出来なかった。

 しかし、もう自分以外にも大切な者が出来た。

 自分の損得以上に、大切にしたいものが出来た。


「…貴様のお蔭で、行かねばならぬ場所ができた。…ありがとう」


 ヴィスは埋め立てて出来た軽い小山に目掛けて礼を言い、集めてきた餌を拾い直して真っ直ぐイプセの下へと歩いていった。

 そしてイプセの目の前に餌の半分を置き、適当な桶に水を注ぎ、残りの餌を餌袋に詰めてから木柵に繋いだ手綱に手を掛けた。


「これから少し急ぐぞ。夜も眠れんと思え。餌だけは補充したからそれを食い力をつけるのだ。それと―――」


 手綱を解きながら声を掛けていた彼の肩に、ピトッ…とイプセが首を擦り付けた。

 ヴィスはフッ…と笑い、片腕でその首を抱いてやりながら告げた。


「それと無理はするな。頼んだぞ、イプセ」


 彼はイプセを駆り颯爽とグルディアを去っていった。

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