二二ノ業 ディアナの本音、心に怒る怪霊王
この作品での世界の成り立ちは必ずしも現実の歴史と同様ではありません。今回に出てくる『レストラン』のように現実と違った歴史を持って生み出されている文化物は多数登場しますので、フィクション・ノンフィクションの区別をつけた上でご拝読下さい。
本当はレストランではなくレストラトゥールと呼べば時代観的にも語弊は無いと思いますが、却って混乱を招きそうなので『レストラン』表記で進行します。
お含みおきください。
白いテーブルクロス、無数の蝋燭が暖かく光るシャンデリア、温厚な上品さを備えた木の床と白塗られたセメント壁。
その空間に間を開けて配置した十数ものテーブルは全て、豪勢に食材に彩られたガラス皿と多彩なカトラリーに埋め尽くされていた。
それに伴いどのテーブルも高貴な紳士淑女に取り囲まれ、音は彼らの談笑と、ウェイターのバッシングだけで構成された。
そのテーブルの一角に混ざるルナは、初めて眼にするあらゆる光景に緊張して黙々とプロシュット・ミストを切り分けていた。
「あ、ルナ、これとか美味しいよ。このスープ。リボリータって言うんだけど、横の小皿に添えてあるガーリックトーストを浸して食べるの」
対面席から自然体に話し掛けているディアナに頼もしさを覚えたルナは、少しだけ安心して「ん、食べる」と微笑み返して手をつけた。
しかし、いつもと違ってロココ調の青いドレスという装いでいるディアナの堂々とした姿に、やはり気後れして無口になってしまうのであった。
そんなルナもこの場に相応しい衣装を用意されていた。
ボリュームのある髪をシニヨンに纏め、頭をフレンチフードで隠し、子供用ながらレースの装飾を上品にあしらった赤いドレスを着た彼女の少し頬を染めた様子は、まるで箱入りのお姫様という雰囲気だった。
開設されてから未だ半世紀と経たないこのレストランという施設文化も元を辿れば、とある大料理家が庶民の休養を目的に立ち上げた料理店を、ラティナ帝国に取り込まれた国々の宮廷から失職した料理人達が模倣して流行した代物である。
本流に則れば庶民のためにあるべき施設だが多くの料理人は宮仕えの誇りを捨てられず、そのためターブル・ドートが主流となり富裕層の社交場としての側面は拭えないでいる。
故に装いも高貴に倣わねばならなかったのだ。
「…ヴィスにもレストラン側にも、悪いことしたな…。勢いで三人分予約したけど、彼は元々食事が要らない存在なのを忘れてた。レストランも当日に予約を変更されたら堪らないものね」
ディアナは冗談めかした調子で呟いたが、その語気はしっとりとしていた。
ルナは口一杯に詰めた料理をジュースで流し込むと、明るく笑って首を振る。
「しょうがねぇって。ヴィスも別に怒ってなかったろ? …てぇか、興味無いっぽかったし、気にしなくていいよ。んで、神仙様もヴィスを見張らねぇとだから三人目の穴を埋めらんなかったんだし。……その代わりで神仙様が『誘えば?』って言ってた奴って、結局誰なんだ? 確か、え~っと…『クレド・フォルティス』…とかいう奴」
「…その人のこと、訊かれたくないの。申し訳ないけど」
「あ、ん…、分かった。もう訊かねぇ。……まぁ、とにかく、気にしなくていいんでい。食べることのありがたみも分かんねぇのにヴィスに食べさせても意味ねぇかんな」
ルナはそう結論付けると、態度を以て賑やかすかのように料理をバクバク食べ進めた。
ディアナは彼女を見つめて静かに微笑む。
「…初めてのご馳走はどう?」
「うん! うめぇぞ!」
「そう、良かった…」
本当に良かった、とディアナは思った。
…これが最期の思い出となるかもしれないのだから。
※※※※※※※※※※※
「…チッ、あの女…。結局煙に巻きやがった…」
昨夜と同じく牢獄の冷たい床に座り込んだヴィスは、腕を組んで眉を寄せると忌々しそうに呟いた。
向かいで壁に背凭れて座っている神仙は「何の話じゃ?」と問い掛けたが、精々退屈しのぎ程度に思っていて随分と気の無い声になる。
「奴め、今日一日付き合えば仙攻丹のことを教えると言っておきながら何事も無かったように過ごしてやがる。もう付き合うことは付き合い終えたのだぞ…」
「ふむ、やれやれじゃな…。まだ一日経っとらんじゃろうが。短気は損気じゃぞ。そうでなくとも今日一日くらい待ってやれ。ルナさんのためもあるが、何よりディアナのためにな」
神仙の言葉は、ヴィスの脳裡にディアナのシルエットを蘇らせた。
彼は暫し目を細めて物思うと、目の前の視線に意識を戻して吐き捨てるように告げる。
「…馬鹿を言え、俺様があの女のためを想う義理など無い。ルナを励ますという目的は昼間とうに達成した。これ以上今日を浪費する意味など無いはずだ。ならば俺様に時間を使う方が有意義というものだ」
「いやそりゃお前にとっちゃ有意義じゃがな…。…はぁ~、ホント、お前身勝手な奴じゃな~。こんなのとずっとおったんじゃ、ディアナの奴その内ストレスで倒れるぞ、絶対」
ヴィスはフンと鼻を鳴らして顔を逸らし、神仙はまた深い溜め息を一つ溢した。
それからじっとヴィスの目を見ると、「お前…」と仄暗い声を上げる。
「旅を終えて封印を解いたら、ディアナと決着をつけると言っておったらしいな。…何のためじゃ。ディアナを殺すのか」
殺意すら滲んだ威圧的な声だった。
ヴィスは気を引かれて顔を向ける。
そしてそのただならぬ気迫を正面から受けると、ニィ…っと片側の口角を上げて言い返した。
「愚かにも俺様を封印しようなどと企んだあの姉妹に己の敗北を知らしめるためだ。あの女が敗けを認めればそれで決着、そうでなければ奴の死を以て決着とする」
神仙はそれを聞くと更に鋭く彼を睨み、そして、右腕で腹を抱えて笑った。
「な、何だッ!? 貴様、何がおかしい!?」
「――クックックッ…いやいやいや…。おかしいんじゃない。感心しておるのじゃよ。数多の者を問答無用で殺してきたお前さんが、『敗けを認めれば生かしてやる』と来るとはな!」
これは天晴れ、はたまた滑稽、と神仙は老獪さを思わせる皺の寄った顔で笑い続ける。
ヴィスは舌を打つとその場に立ち上がり、神仙を見下すようにして睨みながら両拳を固く握った。
「勘違いするな…! 貴様ら人間のような下らん情に流されたのではない! …第一、奴らは殺されたくらいで敗けを認めるタマではない。少なくともアモルの野郎はそうだった…。奴は自らの死を以て俺様を負かしたのだ。ただ女を殺しただけでは勝敗など曖昧なままに終わるだけだ。…ならばこそ、奴の口からその言葉を聞き出すまで俺様の勝利は永遠に訪れん! 奴を生かしたまま屈服させ、奴が必死に守り続けた人間どもを目の前で…滅ぼし、…奴の無力さを思い知らせるッ! これこそが理想の勝利の形だ!! これこそがあの女と出会ってから一貫して思い描いた俺様の…望みだッ!!」
彼は本心を告げたつもりだったが、奇妙な心地悪さを抱いて仕方が無かった。
何かに追い立てられるように口をついて出た言葉が、ディアナのシルエットとなって彼の心に突き刺さってくる。
…そして気が付くと、彼は胸の痛みを覚えて息を切らしていた。
「…」
神仙はまた目を細くしてヴィスの顔つきを眺めた。
そしてフッと笑うと、彼に応えるように立ち上がっていた。
「…いや、やはり感心じゃよ。お前さんが自覚するのはまだまだ先になりそうじゃがな」
「…な、何を…言ってやがるッ…。見透かしたような眼で俺様を見るなッ!」
「そうがなるなよ、別に馬鹿にしとるわけじゃない。他者を認めることは前進の契機じゃ。特に自分と相反する者を認めようというのはとても勇気の要ることじゃからな」
何を言っても裏を読まれると、ヴィスは口を閉ざして睨み付ける。
神仙はそれに笑みを浮かべた。
彼がヴィスに向けるのは初めての、孫を見るような優しい笑みだった。
そして直後、その笑みは何処か遠くを向くように寂しく変わる。
「…じゃが、他者を認めることは同時に決めつけることにもなり得る。人はそれを憧れと呼ぶのじゃ。…こう言われたらきっと怒るじゃろうが、それでも敢えて言おう。お前はディアナに憧れを抱いている。そして、理解はしていない」
ヴィスに与えられた選択は二つのように思われた。
一つには、人間風情に憧れるものかと反発すること。
二つには、理解者であると叫ぶこと。
いずれにしても彼が神仙の言葉に素直に頷くとは考えられなかった。
しかし彼が辿り着いたのはそのどちらでも無い。
…否、辿り着いた答えなど在りはしなかったのだ。
「…腑に、落ちぬ…」
ヴィスは一言そう呟いた。
今の彼が行き着けたのは未知への困惑だった。
「…俺様は、旅の果てに強くなったあの女と戦いたいと思った。『今の奴を』ではなく、『更に強くなった奴を』と。奴が怪霊衆を殲滅し遂げ、俺様の好敵手となると疑っていなかった。…この確信が、闘志が、敵意が、…あの女への憧れだと云うならば、俺はそれを納得してもいいと思った。…憧れが壁となり、俺様がその壁を超えんとするために、俺様は奴といつまでも敵対していたいと感じたのだ。…あぁ、確かに、俺様は奴に憧れているのかもしれん」
神仙はただ黙って耳を傾けた。
これから目の前で起こる出来事を見届けようと、微動だにもせずにいた。
ヴィスは眉間に皺を寄せ、俯き加減に熟考していた。
漏れ出す言葉は彼の意識から既に外れていて、彼の心が無防備に曝け出されていた。
「…だが、そうと知ると共に俺の中に矛盾を見出だした。奴に勝ち、憧れを超え、…その先を真剣に考えた時に…胸踊らなかったのだ。俺様は今まで目の前に立ち塞がった壁には必ず勝利してきた。力をして、技をして、決して諦めずに打倒してきたのだ。…あの女も壁だ、必ず超えてみせる、…その想いに偽りは無い。…だが、その想いに隣り合わせ、…あの女を敗けさせたくない俺がいる。あの女が俺に敗ける姿など、見たくない俺がいる。…その訳が、どうしても分からない」
「…その感情に名前をつけるかどうかはお前さんの自由じゃ。大抵の者は単純明快に『情』と呼び名をつける。『尊敬』と呼ぶ者も、『信頼』と呼ぶ者も居よう。…じゃが、一つの枠に落とし込んでしまえばそれ以上の解を見つけることはできない。思う存分その疑問と向き合うが良い。お前は人間のように明日の心配などせんでいいのだから、向き合う時間は山のようにある」
神仙は言葉尻に柔らかな余韻を残して鉄格子に向かって歩く。
そして自らを黒い霧へと変えて格子の隙間を通り抜けていった。
牢の外から振り返ると、自らの指を鍵へと変化させて格子戸を開け放つ。
「…何の真似だ」
ヴィスは訝しく思いそう訊ねたが、神仙の表情にはもはや敵意など殆ど感じられなかった。
「今ディアナに危害を加えることはお前さんにとってもプラスにならんようじゃしな。これならディアナやルナさんと同じ部屋に泊めさせても問題は起きんと確信したんじゃ」
「…フン。分かったようなことを…」
「分かったんじゃよ。…やっとお前さんのことが少しだが見えてきたんじゃ」
神仙がそう告げて手招きすると、ヴィスは舌打ち混じりながら素直に応じた。
そして牢を締めると二人揃ってディアナ達の滞在部屋を目指す。
神仙は、また遠い眼をして笑う。
「一つだけ、さっきの話でお前さんに伝わらなかったことを言い直させてくれ」
「…伝わらなかったこと、だと?」
「うむ。…わしはこう言った。『お前はディアナに憧れを抱いている。そして、理解はしていない』。それに対してお前さんはディアナへの憧れを認めてくれたが、わしが真に言いたかったのはそんなことではない。…お前さんがディアナに抱いている憧れは、はっきり言って過大評価なのじゃ。わしの弟子だからと厳しく言うのではないぞ。客観的な見方で言っておるのじゃ。あの子はそんなに立派な人間などではない。…何処にでもいる、普通の、年相応の女の子なのじゃ」
ヴィスは激しい衝動を胸に彼を怒鳴り付けた。
彼女のためではなく、飽くまでも自分のために。
自分が認めた者を罵られることは、自分を罵られることと同義だと、彼はそのつもりで叫んでいた。
その胸の内に、僅かな温もりを潜ませて…。
「奴が凡人だとでも言うのか! 確かに貴様より見劣りはするが、奴は紛れもなく人間を超えた力の持ち主だ! 貴様はオーガを瞬殺する人間など他に知っているのか!? あれほどの霊力を持つ人間を他に知っているか!? 奴はいずれ貴様すらも超えた強者になる!! この俺様の見立てが、間違いに終わるはずが無いだろうがッ!!」
「…確かに力量はある。それに、わしのような計算尽くの老い耄れでは到底手にできない可能性を…『青さ』を持っておる。じゃから、何事もなければきっとわしを超える逸材となろう。それは同意じゃ」
「ならば何だと言うのだ…!」
「あの子は心が弱い」
神仙は立ち止まって澄んだ声音で告げた。
――心の弱さ――。
ヴィスは言葉に詰まり、怒りを忘れた。
どうにか神仙の発言を撤回させたく思い、しかしその術を見つけられず立ち止まるしかなかったのだ。
「凛々しく、毅然とし、如何なる逆風の中でもものともせず突き進む。あの子は今それを強さだと信じ、そうあらねばならないと歯を食い縛り続けている。…じゃが、真に強い者はそんなことに身体を張ったりはせん。もっと自然に強く在れるものじゃ。それも分からず命を懸けているようではいつか必ず破滅を迎える。わしにはあの子が、強さに囚われ破滅に突き進んでいるようにしか見えんのじゃ」
「…奴が、そんな小さなことで潰れるというのか…? あれほどの力と技巧を持ち、人間の中では上位種たる皇帝を相手にしても強気でいられるほどの地位を手にしたあの女が、そんな些細なことで…」
「人間とはそういうものじゃ。どんなに屈強で聡明であろうと、必ず己の中に強大な敵を持つ。誰しもが生涯を懸けて己の敵と戦い続けておる。時には敗けることもある。…そして、敗け続け心が折れた人間は忽ち死に至る。……お前さんにも言えることじゃよ。尤もお前さんは敵を恐れんから、その苦悩も分からないのかもしれんがな」
彼はまた、ディアナのシルエットを思い浮かべていた。
…あの情けなさ、幼さ、弱々しさが彼女の本性だと言われれば、それは首肯すべき話である。
時折彼女の言動から顔を覗かせる普遍的な人間の愚かしさも、恐らく先の話に通ずるものであろう。
しかし、彼はそれだけで終わりにしたくはなかった。
彼女が弱いからだと、そんな呆気ない言葉で全てを語られたくはなかったのだ。
「…貴様は、奴の師だと言ったな。…ならば何故、貴様はそれを知っていて正そうとせん。…あの女であれば、ルナが誤った道を進みそうであれば即座に引き戻すはずだ! その先が底無し沼と知っていれば尚更な…!」
「正そうとはしたんじゃよ、一時は」
「何故諦めた!? 殴ってでも蹴ってでも、正せるまで諭すのが師の役目ではないのか!? 奴が破滅に向かうのだとすれば、貴様はそれを許したも同然なのだぞ!!」
彼の叫びは真剣そのものだった。
しかし神仙は、全てを知り尽くしたようなつまらなそうな微笑を浮かべてただ首を振るだけだ。
「人間の本質は死ぬまで変わらない。実に愚かなものじゃ。あの子の敵は剰りにも根深く、数年語りかけたくらいで治るものではない。そしてわしは、あの子を真に理解していない。あの子を理解してやれた者はいない。じゃからあの子が自分自身で気付けるのを待っておるのじゃよ…」
…ヴィスは言葉を探し、何度も口を開きかけては閉じていた。
神仙がまた歩き始めると、彼も苛立ちを吐くように舌を打ちそれに続く。
冷たい足音が廊下に響く中、二人の口が同時に開かれた。
「俺様との勝負を果たすまで、奴に破滅は許さん」
神仙はヴィスの宣言と力強い顔つきに言葉を呑み込み、その足を速めた。
※※※※※※※※※※※
翌朝、ディアナ達一行はパロの街をまるごと囲う城郭の門を出たすぐ外で、各々に馬を受け取って跨がり始めていた。
手本通りに乗りこなすディアナ、辿々しくもそれに続くルナ。
そしてヴィスはと言えば、完全に嫌がっているイプセに手を置く度に避けられてしまい手間取っていた。
「…チッ…この駄馬めが…!」
「乱暴はやめなさいね。飛び乗るのも暫く禁止。…まずは安心させてあげないと。ほら、手伝うから」
ディアナはセクレトをイプセの前に歩かせると、「どうどう」と声を掛けてイプセの首を撫でた。
そうしている間落ち着いてくれたため、ヴィスは素早く、丁寧に鞍へと登った。
「あなた、ルナにはちゃんと優しくできるんだから、イプセにもそれと同じ気持ちで接すればいいよ。大切な下僕、でしょ?」
「大切だと…? …フン、ルナはまだ才能を開花させておらんから今潰れてしまわぬようにしているだけだ。この馬にはそんな期待はしていない。故に大切に扱う義理など無い」
「…もう、たまには損得勘定抜きでも友好的になればいいのに。まぁしょうがない。とりあえず、強く触れ過ぎないように気を付けて。それだけしっかりしてれば特に問題は無いはずだから」
ディアナはふわりと笑って彼の傍を離れ、遅れて門から出てきた神仙へと近付いていった。
ヴィスはその背中を見送りながら、ふと心に引っ掛かった単語を口ずさむ。
「…損得勘定…か…」
ルナは彼の一言にピコンと耳を立て、メモリアをゆっくり歩かせて彼の傍に寄った。
言葉の意味に反応したのではない。
彼の声が、剰りにもいつもとかけ離れて聞こえたからだった。
「どうしたんでぇ。元気ねぇのか?」
「考え事だ。気にするな」
「そうか…? うんにゃ、何か物憂げな顔してっからさ…」
何でもないなら良い、と戻ろうとしていたルナだったが、ヴィスがバッと顔を上げて目を見開くので「な、何でぇ」と困惑して身を引いた。
「…貴様、もう馬鹿を卒業したのか」
「な、何だとぉっ!?」
顔を真っ赤にしてギャーギャーと騒ぎ出すルナだが、ヴィスは鬱陶しそうに睨むだけで怒鳴るようなことはしない。
今はルナより、ディアナのことで頭が一杯だったのだ。
彼は昨夜から今まで、本音を探ろうとディアナを見つめ続けていた。
「えっ!? お、お師匠様も…ですか?」
素っ頓狂なディアナの声にヴィスとルナも振り返る。
そこでは満足そうに頷いた神仙がディアナの横を通過してきていた。
そうしてディアナ、ヴィス、ルナの中央に立ち、カッカッカッと笑い声を上げる。
「おうとも。向こう岸の港町まで一緒に行くぞい。これ以上パロなんかにおっては仙活湯の作り過ぎで干からびてしまうからのう」
「し、しかし、お師匠様の馬が無いではありませんか…。あ、僕の後ろに乗りますか? それともお一人だけ空を飛んで行かれるおつもりでしょうか?」
思わぬ事態に慌てているディアナの質問に「チッチッチ…」と神仙は指を振る。
そして両腕を大きく広げると彼の身体からは青い光が広がり、その光は球状の実体となって他三人と馬達を一遍に包み込む。
直後、三人は首周り以外で身動きを取れなくなったことに気付いて息を呑んだ。
「どうせヴィスもルナさんも馬には不慣れじゃろ。全員まとめて飛んできゃいいんじゃ」
彼がそう告げた次の瞬間、全員を包んだ青い球の外の光景が砂嵐のように荒れ、それが止むと共に場所が変わっていた。
眼下には少し黄色味を帯びた大地と林、湖が広がり、そしてその更に先には、幾つかの貨物船が停船して小屋があるだけの小さな港が見えていた。
「ほれ、あそこじゃな」
神仙はそう訊ねると返事も待たず港へと球を移動させた。
「…す、凄い…。…これは、もしかして瞬間移動ですか…!?」
「しゅ、瞬間移動…?」
辺りを見回して興奮気味に訊ねたディアナに、何のことかとルナも視線で説明を要求した。
神仙はまた楽しそうにカッカッカッと笑って首を振る。
「いやぁ、瞬間移動ではないぞ。超スピードで空を飛んだに過ぎん。瞬間移動なんて芸当を本気でやるとしたら、凄霊長にでもならんとな」
「…せ、せいれいちょう…ですか。……あの、すいません、それは一体…?」
「なー、瞬間移動って何でぇ? せいれいちょうって何でぇ?」
ディアナ、ルナと首を傾げて追及するも、丁度そこで到着したため神仙は彼女らを手で制しながら青球を地に降ろす。
そして泡のようにふわりと球は崩れて霧散していき、それが消えると皆の肌を風が撫でていった。
「ルナさんや、瞬間移動っちゅうのはその名の通り一瞬でどんな距離でも移動してしまう技のことじゃよ。古くから神通力として知られておるもんじゃが、実際は人間の目に見えない速度で物の怪が動いておるだけというのが真相じゃ。本当に一瞬で遥か遠くに移動できる技なぞ、ただの夢物語じゃよ」
神仙はスタスタと歩き出しながらそう答える。
ルナは「へぇ~」と感心した面持ちでメモリアを彼の横に並ばせた。
ディアナも彼女と同じ気持ちでいたが、歩行者と馬が並ぶのは良くないと思い出し、少し距離を取って後方を歩かせた。
ヴィスは神仙の先の発言に衝撃を受け、険しい顔で会話に耳を済ませていた。
「凄霊長っちゅうのは…。…まぁまた後で落ち着いてから話した方が良かろう。これから船に乗るんじゃからな」
神仙の勿体付けた発言にヴィスは少し怒りが湧いたが、ここで無理に聞き出しても効率が良くないことは分かった。
そのためこの場ではグッと堪え、「なら一ついいか」と最小限度で問い掛ける。
「貴様は凄霊長に会ったことがあるのか?」
神仙は僅かに振り向いて鋭い目を向け、すぐに顔を戻し元の調子で告げた。
「伝説じゃろ? 見る訳無かろうて」
「…そうか」
ヴィスは神仙の反応が気に掛かったもののその場ではこれで済ますことにした。
ディアナとルナは彼らを不思議そうに見比べて、互いに首を傾げ合う。
港には既に話が通っていた。
急を要する場合にも対応可能なようにメンテナンス済みの船が三隻用意されており、その内の一隻へと馬を引いて乗り込んだ。
馬は三頭とも藁を敷いた収容スペースに入れ、馬立てに繋ぎ、ディアナが港で買った干し草の束に豆を混ぜて馬達の前に山積みにする。
神仙だけは出入り口の縁に背凭れ、離れ行く岸を眺めていた。
「メモリア、うめぇか~? 昨日もいっぱい乗せてくれたし、向こうに着いたらまた乗せてもらうしよ。船の上でたらふく食って元気つけてくれよ~」
ルナは嬉しそうに両手で豆をメモリアの口元に運んでやって、手の平を舌が這うと擽ったくてケラケラ笑った。
ディアナはそれをニコニコして眺めると、白けた顔でルナを見下ろしていたヴィスに気が付いた。
少し悩んでから彼の右手を取り、「はい」と何粒か豆を握らせた。
「…何の真似だ」
「折角だからあなたもイプセに食べさせてあげたらいいんじゃない? 餌付けしている内に仲良くなると思うし、そうしたら一人でも馬に乗れるようになるはずだよ」
「俺様が馬ごときに世話を焼くかよ。そんなことせずとも自分で食える――」
「いいから。スキンシップも馬術の極意だよ」
ヴィスは舌打ちをかまして渋々藁に膝をつき、イプセの目の前に右手を差し出した。
「この俺様が餌を与えようというのだ。…ありがたく食え」
干し草を食べ進めていたイプセは顔を上げると、手の上の豆に鼻を近付けて左右へ往き来する。
顔を離し、また豆に近付き、警戒しているのかずっとその調子でいた。
ディアナもルナもまじまじとその様子を見守るが、それが却ってヴィスの機嫌を損ね、痺れを切らした彼は「いい加減に――」と怒鳴りかけてしまう。
そして丁度その時、ペロッとイプセの舌が彼の手に触れて豆を絡め取っていった。
「………」
ヴィスは開きかけていた口を閉じ、その食事が終わるのをじっと待った。
イプセは遂に警戒心を解いたのか、その後はバクバクと豆に食らい付く。
そして全て食べきると、最後にまた彼の手を一舐めして干し草に顔を戻した。
既に両手が空になっていたルナはそれを見届けて「お~」と拍手を送る。
ディアナも優しく、そして複雑そうな薄い笑みを浮かべた。
ヴィスは立ち上がって右手を眺めると、一際大きく舌打ちを放つ。
「やはり駄馬だ。…俺様の手を唾で濡らしやがって。本当に良い度胸してるぜ…」
忌々しそうに呟くが、たったそれだけで暴力には至らない。
明らかな前進であると感じたディアナは、やはり悲しげに笑って彼を見た。
「…ほら、そこで手を洗えるよ」
そうして壁に取り付けられた洗面器を顎で指す。
ヴィスはすぐにそちらへ歩くも、洗面器の前で立ち止まって動かない。
オレっちも~、とトテトテ駆けてきたルナが蛇口を捻って手を洗い始めると、漸くその水で右手を濯ぎ始めた。
そうして隣り合っている背中をぼんやりと眺めるディアナの様子を、更に後ろで神仙が憂いを帯びた眼で眺めた。
彼は「よし」と小さく呟くと、手招きして声を張った。
「なぁ、ルナさんや! 外は海じゃぞ、お前さんは初めてじゃろ!? 広くて綺麗で凄いぞ~!」
「おお! 見る!」
ルナはパァッと目を輝かせて走っていき、「船尾から見ようぞ!」とはしゃいだような声で勧めた神仙の後をついて歩き始めた。
ディアナとヴィスがその勢いの良さにぽーっと見ていると、彼は去り際にパチッと目配せを残していった。
そうして壁の向こうで、ルナの喜ぶ声が徐々に遠ざかっていった。
「…えっと、僕達も行こうか」
ディアナがそうしてヴィスに苦笑いを送ると、「いや」と彼は答えた。
彼女の驚く顔と正面切って、彼は真っ直ぐに告げた。
「約束を果たせ。仙攻丹とはどんな技か、何故貴様は命を失うリスクを承知で愛用しているのか…全て答えろ」
「………。…甲板に上がろう」
二人は船首甲板へと連れ立った。
螺旋の階段を上がり、白い手摺に覆われた広い木板に出る。
ディアナは腕を上げて潮風を大きく吸い込み、吐く息と一緒に肩の力を抜いて進む。
そうして手摺に凭れ掛かるとカモメの鳴き声と波の音に暫し聞き惚れ、船尾の方から「すっげぇ広ぇー!」と感激の声が聞こえるとクスリと微笑んだ。
そしてヴィスへと振り返って手摺に背を凭れた。
「…どんな技か、ね。怪霊力をエネルギーとして全身に供給して、筋力増強から肉体構造の強靭化、感覚機能と思考力、細胞の回復力まで強化する優れものの技だよ。…二番目の師匠――剣帝ルキウス・タビラスから戦いの技術を学んだ僕にはこれ以上無い最高の技。これで一応、質問は二つとも答えたと思うけど、どう?」
「駄目だ、それだけではない。それには大きなリスクがあるはずだ。それでも技を使う理由を教えろ」
愛想笑いのような偽りの顔を見せていた彼女は、今一度大きな溜め息をついた。
そして目を瞑ると、フフッ…と不気味に笑って恨むような眼を向けた。
「そうだね、この技は相当に負担が掛かる。身体をエネルギーで無理に動かしてるだけだから。そして凶悪なことに、回復力の充実のせいで仙攻丹による肉体負荷は本人には自覚できない。文字通り命を蝕む技だよ」
「ならば何故使う?」
「死にたいからだよ」
言ってやった、というように彼女は笑った。
ヴィスはその魂胆が見えず、「…何故死にたい?」と続けた。
彼女は目を丸くすると、また寂しそうに微笑んだ。
「理由は色々。姉さんのこともあるし、ルナのこともあるし、…それに、ずっと前からあたしはそう望んできた気がするの。…『剣聖ディアナ』になるよりも、『大聖御女アモルの妹』になるよりも、…物心がつくよりも前から、あたしは死を待っていた」
「…死を、待っていた…だと…? …貴様の姉がどうした、ルナが何だ? 貴様自身の理由はどこにあるのだ? 死を以て何を成し遂げたいのだ、貴様は…」
「…本当は、『地球の平和のため』とか、『人類の自由を勝ち取るため』とか、そんなこと言えたらかっこいいわよね。姉さんなら言うかも。…けどね、そんな使命感、無いのよ。成し遂げたいことなんて無い。そりゃ怪霊衆を滅ぼせたら万々歳だけど、それで喜ぶのは皆であって、あたしじゃない。…でも姉さんはそれに命を懸けた。なら妹のあたしも、姉さんの命を無駄にしないために命を懸ける。…それが真っ当な筋書きでしょう? …あたしは望まれた筋書きをなぞってるだけ。やるだけやる。死ぬ時は死ねばいい。ただ、それだけ」
ディアナは溜め込み続けた本音を彼の前でぶちまけた。
そうしてその一つ一つをヴィスに拾い上げてもらって、詰られ、罵られれば彼女の気も休まるのだった。
勿論彼はそんな感情を理解できるはずもなく、いつものように真理を突きつける。
――…そう思われたが、
「…ふざけるな…!」
彼の怒りは彼女の思い描いたそれとは、少しだけ違っていた。
「ふざけるな…!! 俺様は怪霊衆の頂点に君臨しやがてこの世を統べる者…怪霊王ヴィスドミナトル様だぞッ! その俺様が初めて憧れたのが、これ程どうしようもない屑だというのか…!! 死にたいだと!? 筋書きをなぞるだと…!? 貴様はそんな馬鹿馬鹿しい糞のような理由で戦いに身を投じてきたのか!?」
彼は険しく睨み据え、怒涛の勢いで怒鳴り付けた。
対するディアナは彼の口から発せられた予想外の『本音』に目を見張った。
「…あこ…がれ……って、…どうして……」
強い困惑。
彼女の胸はそれで一杯だった。
彼は彼女の呟きも全く気にならない様子で、ひたすらに怒りをぶつけた。
「…姉の命を無駄にせんためだというならまだ納得してやった…。人の情など知りたくもないが、だがそれは紛れもなく誇りだ! 誇りのために戦う者ならば俺様は敵であれ称賛を送る! しかし貴様はその想いすらも弱い…! 全く以て薄っぺらいッ!! 貴様がそれほどの強さを得た経緯すらも全てそんな下らない感情で築き上げられたのだと思うと吐き気がするッ! この先もずっとそうなのか貴様は…!?」
ヴィスの声は船中に響き渡った。
ディアナはただ呆然として、何も言えずに立ち尽くしている。
息を荒くした彼は、やりきれない想いを胸に背を向けて「好きに死んでろッ!!」と言い捨て、一人客室へ歩いた。
「…クソッ、何だこの苛立ちは…!? 奴はつまらん女だった、それで終わりだろうが…! ……それが何故こうも腹立たしい…!? 大体何故奴は何も言い返さんのだ…! 全く気に入らねぇクソアマだッ!!」
扉を閉めて客室に籠った彼は、怒りを独白に乗せて喚き散らしていた。




