一六ノ業 異なる種と思想、善意が生んだ悪夢
今回だけは一話に収めたいと思って書き、何度も文字数を削減しようとしましたが、やはり二話分の長さになってしまいました。
無理をなさらないよう休憩してお読みください。
第二修業、二日目。
ルナは地面に座禅を組んで目を瞑り、怪霊力の散布に集中していた。
しかし、その力は彼女の身体を離れるとそのまま途切れて消えていき、読霊発動まで持続してくれない。
身体の内外で怪霊力の繋がりを維持する――その意味を言葉として理解はできていても、そこに感覚が伴わない以上実現には時間が掛かる。
ルナは今漸く、その繋がりが切れる瞬間というものを肌で感じる段階に到達したところであった。
「…さて、今日はおしまい。ルナ、お疲れ様」
「え?」
唐突にパンッと手を叩き、傍の木に凭れていたディアナが背を離して歩み寄る。
彼女の行動を甘さだと断じたヴィスは、フンと例の如く鼻で笑って腕を組んだまま木に凭れていたが、その両者に眼を向けたルナの胸中は不安で一杯だった。
もはや見放されたのではないかと心配で堪らない彼女は、立つと飛び掛かるようにしてディアナの腕を抱く。
その足はよろよろと覚束ず、ディアナに凭れ掛からなければ姿勢も保てなかった。
「オ、オレっちまだやれるぞ…! オネット達と遊ぶのだってまだ後三十分先だ!」
そんなルナの必死さにディアナは少し困り笑顔を浮かべ、頭を撫でてやりながら首を振った。
「いいの、今日はもう終わりで。だってもう霊力が無くなりそうでしょ? それ以上無理をしたら死んじゃうよ。だから、次は明日」
「で、でもオレっち、まだ…」
「ルナの成長速度は充分すごいよ。もう連鎖技法のコツを掴み始めてる。それだけにもう少し続けさせたいとは僕も思ってるけど、もう残りの霊力量が二百と少ししかないでしょ。残りの霊力量が百以下になると普通は死んでしまうの。だから、終わり」
彼女は微笑んでそう告げた。
ルナは少し迷ったが、彼女の笑顔を信じて笑い返し、
「じゃあ、飯取ってくる! おっしょーさまの分もな! ここで待っててくれ!」
そう言い残して駆け出して行ったかと思うと、ディアナの視界の遠くで彼女は宙へと浮かび始めた。
目を大きく見開いたディアナの隣にヴィスが歩み寄って、空を飛ぶルナに「ほお…」と嬉しそうに笑みを浮かべる。
教わってもいない技を自力で修得したルナの器用さに素直に感心していたのだ。
驚いて固まっていたディアナだったが、気を取り直すと先の自分の言葉を思い出して大声で呼び掛ける。
「ルナー! 霊力が残り少ないんだからー! 飛ぶの禁止ー!」
彼女の命令が届いた彼女は、遠くからでも動揺が伝わってくるような大きな揺れを起こしながらヒューッと降下していき、砂塵を巻き上げながらドシンと地に落ちた。
そして砂塵が薄れるとよろよろと身体を起こして、今の失態を隠すように何気なく走り出していく。
ディアナはその様子に少し苦笑した。
「…まさか心依作用を自分で修得するとはね。あれなら変霊術を教えたらそのまま操霊術も使えるようになるかも」
「奴の頭脳は飛び抜けて秀でている。俺と貴様が空を飛んでいるのを何度も見たことで勝手に学習したのだろう。…尤も、その頭も言葉と術の修得にしか使わんのが玉に瑕だがな」
「うん、頭良いよね…ルナは…」
穏やかに、しかし、少し寂しそうに彼女は頷いた。
ヴィスはその意図を探ろうとしたが、彼女が続けて口にしたのは先の会話と全く繋がりを見出だせない話題であった。
彼はそれを聞くと、彼女の感情を知ろうとした自分に密かに腹を立てた。
「…ルナ、子供達に姿を明かしたんだって。…このまま、何もなければいいけど…」
「明かしたからどうだと言うのだ。所詮相手は人間、害意を向けられようと奴の力なら殺せるだろう」
「そんなことは心配してないよ。…ルナがきちんと友達を作って、人間関係を学ぶことができたとして、数日で別れさせていいのか…。逆に人間を憎むようになってもいけないし…」
彼女は両手を胸の前に組み眼を伏せて思い悩んだ。
その祈るような姿勢には心細さこそ窺えど、彼女が普段ルナに対して見せ掛けている大人の分別味は微塵も無かった。
そしてまた急にその姿勢が解かれ、彼女はヴィスへと顔を寄せる。
「僕も今朝聞いたんだけど、商人が来訪する関係でもう馬が手に入っちゃうらしくて…。本当はすぐにでもこの村から出発したいんだけど…やっぱり、あの子のためにしばらく此処に残った方がいいのかな? 怪霊力を拡散させる修業だから仮に読霊を受けていてもある程度阻害できているとは思うけど、それでもずっと此処には居られないから…」
「知るか。友など要らん」
「そりゃ、あなたはね。ルナは友達ができて喜んでるでしょ。できればそれを大切にしてもらいたいの」
ヴィスはほとほと理解し難いと顔をしかめ、舌打ちをかます。
ディアナはそんな彼の反応に意地の悪い笑みを浮かべた。
「あなた、友達はいた?」
「何故俺がそんなくだらん関係を築かねばならん」
「そうでしょうね、その性格なら。…いや、友達ができなかったからそんな性格になったのかもね。あなたと対等になれる者なんて一人もいなかったから」
言ってから、彼女は少し反省した。
幾ら恨みの多い彼が相手でも、こんなことを言うのはとても酷いことだと。
しかし、彼女の後悔など大したことでもないと言うように、彼は呆れ顔をして鼻で笑っていた。
「真に対等な者などこの世のどこにも在らん」
※※※※※※※※※※※
ディアナ達と離れてから空き地への道中、ルナはいつもの経路を少し迂回しなければならなかった。
普段は物悲しく村の中央に空いた広間が、見上げるように高い布の仕切りに覆われていたのだ。
その奥からは貴族の一家らしい、格式張っているだけの下劣な笑い声や、それに胡麻を摺る村人の声、…それと、何故か狐や鼬の鳴き声がしていた。
ルナは不思議に思いつつも空き地に向かい、どうにか一三時を回る直前に辿り着く。
そこではオネット、リナリア、スールの三人が、目的も無く虚ろに積み上げた石の山に投げ石をぶつけて崩していた。
彼らが考え込んでいたためか、ルナの足音が異様に小さいためか、彼女がすぐ背後に来るまで誰もその接近に気が付かなかった。
彼女が声を掛けると、皆幽霊を見つけたような驚きぶりで振り返っていた。
「あれ、ペトゥとクッタは? 来てねぇのか?」
オネットはすぐ笑顔を作って歩み寄り、やけに肩に力を入れたままルナの肩を叩いた。
「来てたけど、ちょっと前に帰ったんだ。二人とも腹こわしたってさ」
「え、そりゃあたいへんだ! だ、大丈夫なのか? 腹さすってやらなきゃじゃねぇかっ?」
「…。ま、大丈夫だろ。あいつらバカだしさ、その辺に落ちてたもんでも食ったんだよ。明日になれば来てくれるさ」
彼は素直に二人を心配してくれる彼女を見て少し安心していた。
昨夜中、脳裡を過っていた悪い予感は全て先入観のまやかしだったのだと、彼は笑いながら肩を落としていた。
「…なかまっつったのに、信じてやれねぇでどうするよ…。なぁオレ…」
彼には独り言だったが、ルナにははっきりと聞こえていた。
しかしその意味までは分からず首を捻って見つめていただけで、彼女が問い掛けるより早くリナリアが恐る恐る傍に近づいてきていた。
リナリアは、申し訳なさ半分、好奇心半分に目当ての場所を凝視する。
「…ねぇ、もう一回見せてもらえる? 耳」
「ん? いいぞ。やっぱそんなに珍しいか?」
ルナは快く頭を差し出し、大きな耳をピコピコと震わせた。
リナリアは言い辛そうにしてその頭と、本来人間の耳があるはずの顔の横を見つめていたが、しかし段々と魅入られるようにその手がルナの頭に伸びる。
そしてルナの耳はその手が根元に触れると、ピクッとまた大きく震えた。
「…温かいし…脈も……やっぱり、ちゃんと体の一部、なんだね…。…ネコ…いや、キツネの耳…? …ふつう耳があるところは…――」
そうして毛並みの綺麗な耳を撫でながら、リナリアはもう一方の手でルナの顔の横を撫で上げる。
揉み上げと呼ぶべき位置から、本来人の耳があるべき位置を通って生え際の低い襟足に掛けて、全て柔らかい毛に覆われている。
そこに入念に触れてみても、人の耳など隠されてはいない。
「…やっぱり、耳はこの頭にあるのだけだよね。…き、聞こえてるんだよね?」
「何でぇ、変なこと訊くなぁ。話ができるんだから聞こえるに決まってんだろ?」
リナリアはルナを傷付けない言葉選びが分からず、ただ黙って彼女の耳と、続けて尻尾にも触れてみていた。
しかしその不安も、彼女の尻尾の愛らしい手触りに酔いしれて殆ど感じなくなっていった。
気付けは彼女は頬を染めて夢中で触っている。
「けど、どうすんだよリーダー。崩し石、四人だけでやるか?」
「あ? …あ、あぁ、…どうしようか…」
女子のじゃれ合いを眺めていたオネットに痺れを切らしたスールが呼び掛ける。
しかしオネットも、ペトゥとクッタが帰ったのがつい先程だったもので何も考えてはいなかったのだ。
彼は少し腕を組んで考えてから、互いの耳朶を触り合っている少女二人を「なぁ」と声を張って振り返らせた。
その拍子に楽しそうにしていた彼女達も互いから手を離す。
「ルナは崩し石やりたがってたよな? どうする? やる?」
「でも、ペトゥもクッタもいねぇんだろ? じゃあ明日でいいよ」
「そっか、サンキュー。……まぁ、と言ってもなぁ…」
その返事に彼も気を良くはしたが、それはそれで困ったことになる。
ルナを含めての六人が揃わなければ、彼は気分良く遊ぶことなどできないのだ。
かと言ってここでただじゃれ合っていても始まらない。
そこで彼が思い出したのは、もう一匹の仲間だった。
「じゃあ、俺ん家行こうぜ。ルナに会わせたいやつがいるんだ。あいつもリナリアに会いたがってるだろうしさ」
オネットの提案にリナリアとスールは心を踊らせ明るい面持ちとなったが、当然ルナは検討が付かない。
「会わせたいやつ? 人間か?」
オネットはその質問に、待ってましたと言わんばかりの笑みを湛えて首を振った。
「犬だ」
「いぬ? けものか?」
「何だ、お前犬見たことねぇのか? 前にオレらで拾ってさ、今はオレん家でかってるんだよ。名前はルフトゥ」
ルナは首を傾げて難しそうに唸る。
「人間ってけものにも名前付けるんだな。…う~ん、いぬかぁ…。オレっち食ったことあるかなぁ…」
「いや、犬は食べねぇよ。ペットだろ。とにかく行こうぜ、見なきゃ分かんねぇだろ」
オネットが苦笑いを浮かべてルナの手を引きかけたとき、「あっ、待ったリーダー」とスールが手を挙げた。
「ルナをおばさんに会わせて大丈夫か? クッタん家につれていった時のニノマイになるぜ」
「いや、うちは…。…大丈夫、だと、思う…けど…」
オネットは尻窄みに言いながら、ルナの耳を、尻尾を、骨董のように白い肌を見た。
そして、普通の人よりも僅かに大きく感じる黄色の瞳が眼に留まると、彼は説明しがたい寒気を感じてルナから手を放した。
「…オレ、やっぱここに連れてくるよ! お前ら、ここで待ってろよ!」
そう告げて走っていった彼は何処か落ち着かない表情だった。
彼が去ってすぐのことだった。
遠くの方から歓声が沸き、空砲の音が響いたのだ。
その方角はどうやら、仕切られた広場からのようだった。
「あれ、何のさわぎでぇ?」
「え? 何が?」
「広場の方で何かやってんだろ?」
「あぁ~…」
ルナの疑問が腹に落ちたリナリアは、少し説明の仕方に困って辿々しく言葉を紡ぐ。
「何か、ブルセアから公しゃく様ご一家が遊びに来てるらしいよ。モンヴァーティがもっと安全で旅行客が多かったころにこの土地を買ったえらい人なんだって。だから村長さんとか大人達がみんな、この日のもよおしのために動物をたくさん仕入れてきたのよ」
「へぇ、偉いんだったら挨拶しなくちゃいけねぇな。それで、もよおしってなぁ何すんでぇ? そのしいれた動物ってのを腹一杯食うのか?」
「いや、多分食べないんじゃないかな? だってこの村ではお肉なんてめったに食べないから、ろくに調理器具も無いし。ご一家もたしか兵士さんとドレイだけ連れてきてたはず。調理師さんがいない」
リナリアは明らかに言明を避けていた。
ルナにもそれが分かり、「そんで、何すんでい」と改めて訊ねる。
彼女の大きな耳を一瞥してリナリアは顔を伏せ、代わりにスールが興味無さそうに答えてやった。
「キツネつぶしだ」
「狐つぶし…? …狐をつぶして……でも、食べないんだろ? …どうすんでぇ…」
「それだけ」
スールは答えてからルナを見て『しまった』と顔を歪め、リナリアは額に手を突いて溜め息を溢す。
ルナは絶句していた。
「…ただの遊びなんだよ。オレ達がやる崩し石と同じ事さ。二人一組であみを持って、そのあみで生きた動物を空に投げ上げてその高さをきそう遊び。投げ上げられた動物はたいていぺしゃんこになって、…それでおわり」
「…死んだ狐は…どうなる?」
「一度土まみれになった動物を見てきぞくが食べたがるか? 大人達もきぞくにえんりょして手をつけないだろ。…そうなると、まぁ…」
スールもその先は控えた。
しかし今更だった。
激しい怒りの火がついたルナは、そこで立ち止まったりはしない。
「…捨てるのか?」
彼女の拳が震え、自らの爪で傷付いた手の平から血が滴るのをリナリアは見逃さなかった。
スールも、顔を真っ赤にして真っ直ぐな殺意を抱いたルナの形相に、言葉を詰まらせる。
そして遂に彼が首を縦に振ると、ルナはその場を走り出した。
静止を促す二人の声を振り切り、彼女は全速力で広場へと駆けつけた。
視界の横を流れ行く風景に彼女は何の気も払わない。
そしてその勢いのままに仕切りを飛び越え、隠された広場の中に立ち入ると、彼女の視界には許しがたい世界が広がっていた。
彼方此方に横たわって血を流す、鼬、野兎、狐の群れ。
褪せた服の奴隷達が黙々とその死体をゴミのように仕切りの端に押しやっている中、貴族達は華やかに着飾って談笑し、村の大人がそれに媚びを売る。
そしてその手前で、貴族の姉妹――オネット達と変わらない歳の子供――が、それはそれは楽しそうに一匹の狐を何度も何度もストリングではね上げていた。
その姉妹が真剣な面持ちでアイコンタクトを取り、ストリングを横にずらす。
落ちた狐は地面に頭から叩きつけられて、曲がった首から血が溢れ出た。
「い、命を大切にしやがれバカ野郎ーッ!」
ルナの叫び声に振り向いた皆は、感銘を受けた様子など微塵もなく、ぽかんとしていた。
ルナも馬鹿ではない。
彼らの表情を見た瞬間、何を言っても伝わらないことがはっきりと理解できた。
しかし、それでも言い切らなければ何も終われないのだ。
「命は物じゃねぇんでい! 壊れたって直せねぇ! 一つの命に代わりなんてねぇ! それでも食べていかなきゃいけねぇから、だからこそ生きてる間はそいつの命を大事にしなきゃなんねぇんだ! こんな風に生き物を遊び道具にして殺しておいて、その命に責任も持たねぇ、そんな奴らが偉い訳あるけぇ!! てめえらオレより頭良いくせに何でそんなことも分かんねぇんでい! てめえらみんなべらぼうでい!」
髭の逞しい公爵が、彼女の言葉尻を取って怒り出し、「村長、何だあいつは!」と怒鳴り付ける。
ルナはまだ生きて一ヶ所に逃げ込み固まっている動物達を見つけ、何とかそれだけでも救おうと走り出した。
直後、兵士達が揃って猟銃を向けた。
「撃てぇ!」
公爵が命じるが早いか否か、兵士達は一斉掃射に出た。
その弾幕はルナと動物達を纏めて撃ち抜きに掛かる。
ルナは考えるより先に跳び退いていた。
そのお蔭で手傷は受けなかった。
しかし動物達は、その攻撃で殆どを撃ち殺されてしまう。
脚や胴、顔にも風穴を開けて無惨に倒れた目の前の狐に、ルナは両目を見開き涙を溢した。
…この場に自分が居ればそれだけで死体が増える。
助けもせず放置しても結果は変わらないかもしれないとは思ったが、もはや彼女に選択肢は無い。
「すまねぇ…。助けらんなくて、すまねぇ…!」
ルナは仕切りを突き破って広場を出た。
すぐ外にリナリアとスールが待っていて、二人は合流するとすぐ手招きして共に空き地へと駆け出した。
仕切りの先からはまだ、公爵の怒りの声が響く。
「あの薄汚い奇形をここに連れてこい! ここは私の土地だ! この地で私を愚弄した愚か者は、全員、全員! 全員だ!! 全員この手で撃ち殺してやる! 見つけられなければお前らを殺すぞ!! さっさと連れてこい!!」
村人も兵士も、大急ぎで広場を飛び出す。
これでは空き地に行くのも危ないだろう、そう考えたスールはその場で足を止めた。
リナリアは驚いて振り返り、「何!? 早く行くよ!?」と小声で促す。
しかしもう、彼は逃げる気など無かった。
「…ルナ、お前だけ逃げろよ。ねらわれてんのお前だけだろ。行けよ。オレらはお前と何の関係もない」
「何言ってんのよ! すねてる場合!?」
「すねてねぇよ大真面目だ! 何でオレらまでまきぞえ食らって死に目見なきゃなんねぇんだよ!」
スールは危うく大声になりかける程に強く、激しく訴えた。
「…ルナ、お前何考えてんだよ…バカじゃねぇの…。動物だろ!? 人じゃねぇ、動物だ! ただ動物がゴラクで死なされてただけだ! それなのにあんな風にタンカ切りやがって、このさわぎで人死にが出たら全部お前のせいだぞ!! 人間と動物どっちが大事なんだよお前は!?」
「…オネットが言ってたいぬ、みんなで世話してたんだろ? あれも動物だろ?」
「だから何だよっ! 人の命がかかってりゃだれだって犬くらい殺すだろ! 何が言いてぇんだ!」
「…人間の命ってよぉ…、動物より重いか?」
「重いに決まってんだろ! ふざけんな!」
ルナに負けず劣らず、スールは真正面から怒鳴り返す。
しかし彼女はもう怒らなかった。
スールが背を向けて歩いていくと同時に、見切りをつけたルナはその場から走り出していく。
リナリアだけが、そのどちらへ行くかを決められずあたふたとしていた。
「待って、待ってよ! スール、本当に行っちゃうの!? なかまなんでしょ!? ルナ、もどってきて! あたしは味方だから! 何があっても味方だって、約束したから! お願い、待ってっ――」
※※※※※※※※※※※
「と、止まれ! そこの女と妙な男!」
腰の引けた兵士が猟銃を構えた。
三頭の馬を引いて宿へと向かおうとしていたディアナは、不意にその声が背後から掛かると不思議そうに振り返る。
こう言った場合に真っ先に噛みつくであろうはずのヴィスは、寧ろ久しぶりの荒事を予期して怒りと楽しさの両感情を抱き、「あぁ?」とニタついて振り返った。
その二人に緊張感が無いのを見て、兵士は舐められてはならない一心で声を張る。
「き、貴様ら! ここの住民か!? それとも旅の者か!?」
「旅の者ですが」
「ならば、耳に奇形を患った女児を見たか!? 毛にまみれて肥大した耳を持つ、朱色髪の女児だ!」
ディアナは強張る肩と拳の力、鋭くなりそうな目元を何とか制御して、「…何故、その子を?」と訊ねる。
「アーベルック公爵家への中傷、恫喝行為を働いたのだ! 見つけ次第動きを止めて旦那様の下へ同行させる!」
「アーベルック公……あぁ、巷で趣味の悪いスポーツに興じてると噂の…」
「な、きっ…! 貴様! あの奇形と同じようなことを!」
「…なるほどね、そういう事情。…ルナを一人にさせるべきじゃなかったかな…」
兵士が猟銃を構え直すのも無視して、ディアナはルナの心情を推し測り眼を伏せる。
一方ヴィスは両手の関節をパキパキと鳴らして笑っている。
「ほお…なるほど。こいつは面白そうだ。目立てば目立つだけビビった兵士が闇雲に発砲してくるのだろう? その中でルナを探してくる。…今の俺様なら猟銃でも怪我を負うかもしれんなあ…フッ、フフハハハッ…」
「ちょっと、ヴィスあなた何を…」
ディアナが言う間にもヴィスは走り出していく。
彼女は置いていく訳にもいかない馬を見て、歯痒そうに彼の背を見送る。
「探し出せば文句は無かろう! 貴様は馬を引いて麓にでも行って待て! フハハハハッ!」
「誰も殺さないでよ! 誰か死んだらまた緊箍蛇の刑だからね!」
彼女の呼び掛けに見向きもせずヴィスは去っていく。
その二人の間で急速に流れる事態に兵士は呆気に取られていて、ハッと気を取り直すと猟銃の引き金を―――
「離れてからマスケットは意味が無いよ」
淡白に言い放ったディアナは流れるように兵士の背に片手を添えてボディブローを打ち込んだ。
冷徹なほど静かに、何処にも逃げない衝撃に襲われた兵士はパタリと倒れた。
「…さて、宿にも行けないし……癪だけど、彼の言う通りにするしかないか…」
彼女は溜め息をつきつつ、ルナはこんな時どうするのかと少し考えた。
彼女にとっての理想を、ルナが正確に体現してくれているのなら文句は一つも無い。
物は試しにと読霊を放った彼女は、その結果を得て誇らしく笑った。
「…流石、僕の弟子だね」
ルナは怪霊領域を開いて風下の方角で動かず潜んでいた。
この非常時、標的であるルナが無闇に動き回ればこの村は混乱し最悪死者を出す羽目になる。
ならばルナはディアナが一度は読霊を試すことを見込んで待っているのが最善だった。
短時間であれば怪霊衆に眼を付けられる心配も無い。
「じゃあ急がないと…」
彼女は地面に手を指し、自分達の足場を宙に浮かせ、空を飛ぶ土に乗ってモンヴァーティの麓を目指した。
※※※※※※※※※※※
オネットはトボトボと頼りなく歩く。
彼は犬を連れてなどいなかった。
否、帰ってすらいなかった。
ペトゥの家に向かったのだ。
ルナとのことをきちんと話し合おうと思ってのことだった。
しかし、話し合いにすら応じてもらえず、その情けなさからかなりの遠回りをして空き地へと向かっていた。
――リーダーだって分かってんだろ? あいつ、人間じゃなかったんだぞ! 尻尾が生えてんだぞ!? 人の耳だって無かったろ!? …チェスが強かったのも、一日で大ケガが治ったのもそのせいだろ!? それを気持ち悪がって何が悪いんだよ!――
ペトゥの言葉が頭を巡る。
「ルナだって、そう望んで生まれたんじゃねぇだろ…」
独り言で振り払う…しかし、何が正しいのかやはり分からなかった。
「いたか!?」
「いや、いない! やべぇぞ、これじゃあ俺達が殺されちまう!」
「と、とにかく探すぞ! あの狐耳のガキめ、面倒起こしやがって…!」
オネットの後ろで話し合う声がした。
彼は一瞬振り返って、兵士達の猟銃を眼にする。
「…ルナ…」
呟き、そして漠然と、彼は走り出した。
「…ルナちゃーん…どこぉ~…? …お願い、出てきて…。こんなのでお別れは、いやよ…」
リナリアは頼りなく呼びながら空き地に辿り着いていた。
それだけしか彼女には思い当たる場所は無い。
すぐ後ろを数人の兵士が駆けていく。
その焦りようでまだルナが見つかっていないことは理解できたが、それでも不安が付き纏う。
「ルナちゃん、待ってるから…。あたし、ここで…」
胸の前に両手を重ね、祈る。
直後、彼女の前に人影が上空から降り立った。
期待を胸に顔を上げた彼女の前には、禍々しい気配を放つ赤黒い小人がいた。
「あ、あなたは…ヴィスさん…?」
「あぁ? 何だ貴様、軽々しく俺の名を口にするとは余程死にたいらしいな」
条件反射で威圧を掛けたヴィスだったが、後からリナリアの顔を思い出して、フムと楽しげに笑った。
「…貴様、ルナと一緒にいた餓鬼だな。丁度良い、奴を此処に連れてこい。死にたくなければな」
ヴィスは右腕を赤く光らせてリナリアの眼前に突き出した。
しかしその意味が分からない彼女は、ただルナへの想い一つで首を振る。
「分からないの…どこにいるのか。ここに来ると思ってたのに…。…ううん、そう期待してた…のに…」
「…チッ、ハズレか…。ならば用は無い。俺がここで待つ。貴様は失せろ」
彼の言葉は悪意に満ちているが、それで彼女が去ることは無かった。
鬱陶しそうに睨む彼に、彼女は仲良くしようとするかのように愛想笑いを返す。
それがまた、彼の心を苛つかせた。
「あたしもルナちゃんを待ってる」
「邪魔だと言うのが分からんのか愚物。いいから―――」
「な、何だこの化け物は!! う、撃て!」
突如大声がして二人は振り返る。
そこには新米の青臭さが残る二人の兵士がいた。
猟銃は有無を言わさず突き出され、二人揃ってその引き金に指を掛ける。
ヴィスは急いで両腕を上げ、彼らに向けたが、我霊射の準備ができていたのは右腕だけ。
更に手加減を加えるとなると、片方の兵士の利き肩を外すのが精一杯だった。
攻撃を免れた兵士は容赦なく散弾を放つ。
有効射程内――逃げられるはずもなかった。
しかし、引き金が引かれるより早くに駆け出した者がいた。
「ダメぇ!!」
甲高く裏返り、悲鳴染みた一言を発しながら、リナリアは散弾の進路に立ち塞がった。
直後、彼女の胸から上は血濡れた穴ボコと化し、顔の判別もできない有り様となって背中から倒れた。
幼い蛮勇が残したのはズタボロの死体だけで、遺言は何も無かった。
そして空白が流れる。
「……はッ…はッぁッ…ひ、ひいぃ! 悪くない! ぉぉおれは、わっ、悪くっ…! 悪くないぃぃ!」
子供を撃ち殺して混乱した新米兵は、出鱈目な弁明をしながら逃げていった。
利き腕が使えなくなり、猟銃を取り落としたもう一人もまた、恨みがましい視線を向けて去っていく。
…その入れ違いにルナが現れても、気が動転した彼らは気が付けなかった。
ルナは、空き地の入り口に仰向けになった死体の前にヨタヨタと駆け寄り、がっくりと膝をつく。
そして、鼓動の止まった胸に、表情の崩壊した顔に、さめざめと泣きながら触れていた。
「フン…。おいルナ、誰がやったか聞きたいか?」
彼は憎たらしく笑っていた。
彼女が死を以て為したことに感謝すら無く、ルナを怪霊獣に引き込む都合の良い状況としか捉えなかった。
しかし、彼に言われるまでもなくルナは知っている。
「人間、だろ…。…パンッ…て、音聞いて急いだんだ」
彼女の反応が面白くなかったため、彼は視線を外して舌を打った。
「…よく分からん餓鬼だったぜ。わざわざ俺様の盾になってくれやがった。頼んでおらんのにな」
「…リナリアは、優しいかんなぁ…」
ルナは染々と呟きリナリアの頭を胸に抱く。
丁度そこに、ディアナが空を飛んで現れた。
彼女はその光景を見て全てを悟ると、ルナの肩に手を伸ばしかけて言葉を失い、その手を静かに引っ込めた。
「オレっちのせい…だよな。…責任は、取るからな」
ルナはリナリアの顔から丁寧に肌を剥き、その頬に噛りついた。
リナリアの唇…目玉…耳…そして首から順に下へと、口付けをするように柔らかな仕草でリナリアを食べていった。
ディアナには迷いがあった。
ルナを止めるか否かという大きな葛藤だったが、彼女には答えが出せなかった。
大きな悲しみを背負った彼女の意思を、尊重してやりたい、それだけの願いだった。
「…な…に、してん…だよ…」
ディアナは身体を強張らせて振り返る。
そこには彼女が危惧した通り、少年オネットが茫然と立ち尽くしていた。
オネットは、ルナが背を向けたまま絶えず立てている咀嚼音が気になった。
…否、気になったのではない。
確信があったのだ。
その認めがたい確信を振り払うため、彼の視線は地面に転がった猟銃やディアナ、ヴィスへと移り続ける。
そして最後に、ルナの陰から覗いた少女の肘にほくろがあるのを見つけると、彼の息は止まった。
「……リナリアを放せ化け物めッ!!!」
喉が焼き付くような凄惨な叫び声を上げ、オネットは猟銃を手に取って真っ直ぐルナへと向けていた。
ルナは手を止めて、血塗れになった口を拭いもせず彼へと顔を向けた。
信じられないものを見て目を虚ろにした彼女は、怒り狂うオネットに弱々しい声を掛けた。
「…リナリアは…オレっちが、来たときには…もう……。…でも、リナリアが死んだのは、オレっちのせいだから…」
「しゃべるな化け物! リナリアから手を放せよ、うち殺すぞ!!」
「………だっ…から…、…オレっち…罪滅ぼしの…つもりで――」
「だまれっつってんのが分かんねぇのか人食い野郎ッ! 人を食うのが罪ほろぼし!? 頭わいてんのかこの悪魔め! 知ってんだよ本当はてめぇの腹がへったから食っただけなんだろ!! 言い訳なんか要らねぇからさっさとくたばれ! お前なんか始めっから気持ちわりぃと思ってたんだよ!! 腹ぶちまけて死んじまえ!!」
ルナは息を呑み、ガタガタと震え、涙を溢れさせた。
もう物も言えない彼女に代わり、「ま、待って!」とディアナが声を張る。
「ルナは、確かに人じゃないかもしれない! でもあなた達が大好きだったのは本当なの! この女の子はルナを追ってきた兵士の誤射で死んでしまった、それで責任を感じたルナは彼女の命を受け止めようとしたの! 悪意による死にも、糧とすることで意味を生み出せると、そう信じてっ…!」
「…出ていけ」
「聞いて、お願い!」
「出ていけ! どんな理由があっても関係ない! そいつはリナリアを食った悪魔だ! 食って命の責任を取るだぁ!? そんなバカげた宗教があってたまるか!! リナリアをただの食い物扱いしやがったお前なんか仲間なもんか! どこへでも行って野垂れ死ねばいいんだ!! 俺達はお前なんか大ッ嫌いだ!!」
ビクッ、と、ルナの身体が震えた。
表情は固まったまま、しとしとと涙の粒を落として…。
ディアナは痛ましく見つめてルナを抱き寄せた。
そしてもう一度、彼に誠心誠意の気を込めて一言手向ける。
「…信じて、お願い…」
オネットは両手を震わせて泣き、その怒りをぶつけるように猟銃を道端に投げ捨てた。
そして、これだけはという強い意思を持ってルナを睨みながら、呪いのように呟いた。
「人を食うような奴、友達になんかなれねぇ」
ルナはディアナにしがみつき、嗚咽を漏らし始めた。
ディアナはやりきれない思いを胸にルナを抱いたまま空を飛んで行く。
そしてその後を、自分でも分からない苛立ちを感じながら舌を打ったヴィスが飛び上がってついていく。
オネットは、服を脱がされて四肢以外を食い荒らされて残ったリナリアの遺体の傍に死んだように踞った。
「…ルナ、あなたは…間違ってない。…正しいことをしようとしただけ。…ペール・ルナールと人は、相容れぬ死生観を…違う価値観を持っていただけなのよ。…だから、あなたの正義が、あの子にとっての悪になってしまった。……それだけだったのよ…」
「…怪霊獣も怪霊獣としての生を全うしているだけだ。ルナにそれを言う貴様は、それでも俺達を悪だと討ち滅ぼすのか?」
モンヴァーティの麓へと向かう中、ディアナはその問いに答える術を持たなかった。




