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改新奇譚カリバン~封じられし魔王~  作者: 北原偶司
三之明之篇
17/67

一五ノ業 修業はさておき遊戯に臨む、普通を知らない獣の少女

 ソウラモンブルから少し遠く、ディアナとヴィスに見守られながらルナはドッシリと構えて佇んでいた。

 地面をしっかりと踏み両拳を握り締め、前方のディアナを見るとなしに見て、自身の中に漠然と感じる力の源泉――霊力へと怪霊領域を通して意識を集中する。


 その力の気配――例えるならば色のようなものが移り変わるのを感じると、ルナは一度大きく呼吸を置く。

 霊力の一部が怪霊力へと変換された証だ。


 そして怪霊力が領域を限界まで満たした瞬間、ルナは身体を強張らせて気合いを込める。


「――『()れい(せん)』!」


 彼女はその叫びと共に全身から色濃く紫の光を放った。

 光は軽い風を生み、ディアナの髪をそよがせてひっそりと消える。


 光が消え失せるとルナは両目を押さえて「ッ…くぅ~…」と小さく呻いていたが、それを見届けたディアナは満足げに笑って拍手を送った。


「上出来だよ、ルナ。ちゃんと技ができてるね。まだ技出しから発動までに五秒はラグがあるけど、これならタイミングを見極めて使えば雑魚への対抗くらいはできる。…でも、目、慣れるまでは頑張ってね」


「あー…ありがとうございます、おっしょーさま…」


 褒めてもらえた喜びよりも、今のルナは目の渇きに気を取られていた。

 それでも怪霊領域を閉じることだけは忘れていない所もまた、ルナの意外な聡明さを窺わせる。


 ディアナはクスリと笑って指先に雫を発生させ、「顔上げて」と彼女の顎を押し上げながら涙湖の窪みに水を差す。

 それを受けて暫くパチパチと瞬きを繰り返したルナは目に潤いを取り戻して、やっと落ち着いたという風に笑った。


「苦労したぜ…。でも、やっとカンカクが掴めてきました」


 確かめるように右手を握ったり広げたりしているルナに神妙に頷いたディアナは、「じゃあ、一先ずここまでのお復習(さらい)ね」と切り出す。

 ヴィスはその様子を別に面白くも何ともないような顔で眺めていた。


「怪霊領域には二つの門がある。一つは、自身の霊力を怪霊力に変換して引き出す内側の門――内経門(ないけいもん)。もう一つが、領域に込めた怪霊力を領域外へと放出する門――外経門(がいけいもん)。我霊術の基本は霊力を内経門から汲み出して怪霊力にし、それを外経門から取り出して利用する。ただし怪霊力は霊力で操るものだから、怪霊力の用途は外経門を出る前にインプットされる。…なかなか無いとは思うけど、術を発動してしまってから中断しなくてはならない場合、この外経門を閉ざさなければいけない」


「うーん、やっぱしむずっけぇなぁ…。でもおっしょーさま、それだったら外経門を閉じても内経門さえ閉じなかったら、けーぞくして(かい)れい(りょく)を込められるんじゃないですか? それに外経門がりょう(いき)とつながる門だってんなら、そこだけ閉じとけばドクレイで見つけられることもないですよね?」


「あっ、いい質問だね。確かに理論上はその通りだよ。でも、やってみて分かったと思うけど、内経門と外経門を体感で判別するのはとても難しいの。判別できてもそれを片方だけ閉じるとかの器用なことは出来ない。怪霊領域を閉じるというのはつまり両方の門を纏めて閉じることだから、それが限界だと納得してもらうしかないね。師匠はその段階まで後少しだと話していたけど…」


「えっ、あのじいちゃんが? …ひえー、やっぱしすげぇんだなぁ…。おっしょーさまのお師匠さまだもんなぁ…」


 二人は真剣だが、ヴィスにはその光景が和気藹々としたただの馴れ合いに感じられた。

 フン、と例の如く鼻で笑った彼に、二人とも一緒に振り返る。


「全く馬鹿馬鹿しいやり取りだな。そよ風が吹く程度の力で一体どう戦うというのだ。そうやって貴様が甘やかしているから先日までのすれ違いのようにつまらん問題が発生するし修業の進捗も芳しくないのだ。貴様も戦士の自負があるなら誰が相手であれ非情に徹しろ。鍛えねばならん相手ならなおのことだ」


「あら、戦うなんて言った? 『対抗くらいできる』と言ったはずだけど」


「えっ? オレっち、まだたたかえないのか?」


 ディアナが彼の文句にしれっと答えていると、ルナが自らの勘違いに驚いて声を上げていた。

 ヴィスはその返答を「対抗もできんだろ」とはね除けたが、ディアナは彼に身体を向けて真っ向から首を振る。


「我霊閃は本来攻撃手段ではないもの。封印前のあなたみたいに膨大な怪霊力とそれに見合う肉体を有していれば、死角無しの全方位攻撃になるかもしれないけどね。…我霊射なら照準が絞られていて発動に利用した怪霊力が十分攻撃力に転換されるかもしれないけど、我霊閃はエネルギーが拡散するからそうもいかない。だから、普通は相手からの攻撃を少しでも和らげたい場合や、相手に距離を取らせる場合、読霊などの比較的小さな力を防ぐ場合に用いるの。だから、我霊閃という技としては今ので正解ってこと」


「…チッ…。だったらさっさと攻撃技を身に付けさせろ。そうすれば俺様が幾らでもそいつの組み手に付き合ってやる」


「はいはい、言われなくとも。けど物事には順序ってものがあるでしょ。もう数日掛かるよ」


 両者ともそれぞれ『うんざりだ』と声音に示して言い合い、ディアナは早速ルナへと向かい合った。

 ルナはすぐに背筋を伸ばして修業の気構えを持ったが、ふと空を見上げると意識が逸れてディアナの懐に眼を付けた。


「じゃあルナ、次は読霊の修業に移るよ。今度は怪霊力を攻撃手段として使う訳じゃないから、瞬間的に放つんじゃなくて、ふわっと柔らかく垂れ流す感じに放出するの。それができるようになったら、次は怪霊力を一体化させたまま体外に出すようにして、術の終わりまでその繋がりを保つようにする。そして最後に、そうやって怪霊領域から体外へと繋がった怪霊力から感覚を得る。…これはなかなか難しくて引っ掛かることが多いと思うけど、リラックスして臨んでもらった方が効率が良い。今回は僕も普通に優しく対応するから、安心して、ゆっくりと挑戦してね。まずは、怪霊力を垂れ流すところから――」


「あの、すんませんおっしょーさま! 今、何時か教えてくれませんか?」


「え?」


 少し焦り気味に訊ねたルナの様子に、ハッと思い出した彼女も急いで懐中時計を取り出す。

 そして見ると安堵に息をつき、時計をルナに見せながら村の方へ歩き始めた。


「もうすぐ一三時だね。じゃあ今日はもう終わり。食事を取ったら村に入りましょう」


「ん、あんがとな!」


 ルナはそうと聞くと一目散に駆け出して、リスか何かがいないか探し始める。

 ディアナは何やら考え込んでいるヴィスへと振り返って「行こ?」と声を掛け、のんびり歩きながら動物を探した。


 そしてすぐ、ディアナは野鳥が飛ぶのを見つけて全身に放電を起こし、跳び上がって羽根を押さえ込み掴み取った。

 着地後は羽根を押さえている両手に炎を発生させ、その炎を操り頭から焼いて殺していく。


 野鳥の全身を隈無く焼き、漸くその肉に噛りつく。

 その姿を見たヴィスは「難儀だな」と溢した。


「人間だけだ。そこまで手を掛けなければ食事もできんのは」


「人にとっては当たり前だからね。特に鳥なら、衛生的にも焼いた方がいいでしょう」


 そんなものか、と面白くもないように受け入れた彼は、遠くに見えた野鳥へと手を伸ばした。

 …これ程距離があれば死ぬまい、と我霊射を放つが、彼の想像より威力が出てしまい大して減衰しないまま野鳥の下腹を撃ち抜いていた。


 鹿の子を咥えて戻りつつあったルナは赤い光に射抜かれて地に転げた野鳥に気づき、引き返して片手に拾い上げると二足歩行で戻る。


 子鹿は既に腹を食い千切られて絶命していたが、野鳥の方はまだ少し息があった。

 ルナは子鹿を地面に放して怒り顔でヴィスに詰め寄る。


「今の()れい(しゃ)赤かったけど、てめえがやったのか? やった以上はちゃんと食うんだよな!? なぁ!?」


「馬鹿か貴様。俺様は食事の必要など無いと言っただろう。腕が鈍っては敵わんから的にしただけだ」


「そんな事で命をムダにすんな! 命を取んのは食うときだけ、食うのはハラ減ってしょうがねぇときだけだ! てめえみてぇに勝手なことで命取んのは最低だ!」


 ルナは言うことが済むと急いでディアナの下に駆け寄る。

 ヴィスはくだらないと鼻で笑って一蹴したが、ルナも今は野鳥のために一々それに噛み付いたりはしない。


 ディアナは自分の食事を済ませた所で、食べ残しを地面に放っていた。


「ディアナ、こいつのこと治せねぇかなっ? 仙活湯を飲ませりゃあさ、怪我も治んだろっ?」


 ディアナは少し悩んだが、やはり心苦しそうに目を細めて首を振った。


「仙活湯は回復力を倍増させるだけ。治そうにも時間が掛かるから、今から使ってもその子は助からないよ。…それに、助かるんだとしても、仙活湯は僕らが怪霊獣に襲われることを考慮して持ってきたものだから…。…言い方は悪いけど、その辺の野鳥なんかに使っていい代物じゃない」


「…そ……か…」


 ルナはディアナが思うより簡単に引き下がった。

 彼女は賢い。

 ディアナがただ意地悪でそんな事を言っているのではないことも分かっているのだ。


 ディアナ、ルナ、そしてヴィス…この三人が無事に旅をするために仙活湯は可能な限り節約するべきなのだと、ルナにもよく分かっていた。


「…じゃあ、せめて、こいつが死ぬまでの間、ここで待たせてくれねぇか? それを見届けて、こいつが死体になったらその肉を食わせてくれ。…オレっちが思い付く責任の取り方は、それしかねぇんだ」


「…うん、いいよ」


 了承を得るとルナは血が付くのも構わずその野鳥を胸に抱き、その頭を撫で始める。

 ディアナは自戒と謝罪の念を込めて合掌し、堪えるように野鳥を見つめた。


 しみったれた静寂にただ一人、ヴィスだけが嘲りと苛立ちを胸に醜悪な笑みを浮かべて彼女達に背を向けていた。



※※※※※※※※※※※



 程無くルナは例の空き地に駆けつけた。

 服装は昨日同様にマントを羽織り、頭はタオルでなくせめてものオシャレとして赤いスカーフで隠している。


 崩し石の練習なのか、チームを分けず一列になって順番に石を投げていたオネット達は、退屈そうに振り向いたリナリアに釣られてルナの登場に気がついた。


 ルナがパタパタと走ってきてはにかむと、オネットが元気良く笑い掛けて歩み寄った。


「お、来たな。お前が来るのみんなで待ってたんだ」


「へへっ、すまねぇ。ちょっと遅れっちまったか?」


「例の、修業だろ? 大変そうだなぁ。何やってんのか知らねぇけど」


 そんな二人の間に頬を赤く膨らませたリナリアが然り気無く割って入り、余り者の三人組みは「にげろにげろ」と冗談半分に呟き合って石の片付けに走った。


「ルナちゃん、手、ケガしてるから、まだまだ崩し石できないでしょ? だから今日はクッタの家でランブルチェスやろうって話してたの。ルナちゃんは今日も私たちのチームね」


「ランブルチェス? …んー、それって何だか知らねぇんだけど、オレっち、もう腕は大丈夫だぞ。ほれ、どうでい」


 ルナは自慢気にマントから右手を出して見せた。

 昨日の包帯はすっかり取れて、雪のように色の白い肌を晒していた。


「…うそ。ほね、おれたんじゃなかった? それにカサブタだらけだって…。一日で治るものなの?」


「へっへっへー。一日で治せる秘密へいきってのがあるんだ。なっ、これでオレっちも崩し石やれるぞ!」


 拍子抜けしていたリナリアは、気を取り直すと「…じゃあ、どうしよう?」とオネットに判断を仰いだ。

 また、遊び用の石を全部空き地の縁に退かした三人は帰ってくると各々好きなように、


「なぁリーダー、これからどーすんの?」


「クッタん家行くんだろ? 早くしようぜ」


「うちのおっかあ、友だちつれてくって言ったら張り切って家のそうじしてたからさ、行かなかったら多分すねるぜ。行くなら早く行こう」


 オネットはそうして急かされても落ち着き払って頷き、先導するように空き地から歩き始めた。

 明確な指示が出ない内から彼の後に皆が続き始めたので、やはりリーダーとして慕われているのだと、ルナもそう感じ取った。


「治ったんなら一日休まねぇとな。だから崩し石はまた明日だ。今日は予定通りクッタん家行くぞ」


 一同は「はーい」と返事をして笑い合い、ルナも少し遅れて小さく「はーい…」と呟いてその行列に混ざる。

 オネットの両隣にリナリアとルナ、残った男がその後ろに横並びになった。


 リーダーエローいとクッタがぼやいたが、彼は敢えて無視してルナに話し掛けた。


「で、ルナは今日も空き地の方に姉ちゃんがむかえに来るのか? それならその時間に合わせて空き地にもどるけど」


「姉ちゃんじゃねぇぞ、ディアナだ。五時になったら迎えに来るってよ」


「ふーん。じゃあ、まあ、その時間に空き地にもどるか」


 ルナの返答に少し首を傾げたオネット。

 その疑問を言葉にして訊ねたのは、彼の陰から顔を覗かせたリナリアだった。


「ディアナさんとは、どういう関係なの? お母さんじゃないの?」


「どういうカンケイ…うーん、…旅の仲間? 友達? おっしょーさま? …うん、その全部だな」


「じゃあ、家族ってわけじゃないんだ。たしかに顔がにてないもんね。…それなら、昨日いっしょにいたあの怖い人は? 身体が真っ赤で目が黒い人…」


「ヴィスか? …あいつは…何だろ…。一緒に旅してるけど、仲間って思っちゃいねぇだろうし…友達でもねぇし…修業にもそんなにたくさん付き合ってくれるわけじゃねぇからなぁ…。……う~…ん、分かんねぇなあいつ…」


 リナリアはルナの回答に要領を得ず、おずおずと核心に迫っていった。


「ルナちゃん、お父さんとお母さんはどうしてるの? 旅行に来てるんだったら、ご両親も放っておけないでしょ?」


「オレっち、父ちゃんも母ちゃんもいねぇぞ」


 その返事があると空気が凍てつき、オネットは軽くリナリアの頭を叩いて「バカ…」と窘めた。

 彼女もすぐに「ご、ごめん!」と深々と頭を下げたが、ルナだけがその空気の意味を読めずにいた。


「な、何であやまるんでぇ? オレっち、別に何にも怒っちゃいねぇぞ?」


「え、あ、ご…めん…」


「だ、だから…何であやまるんでぇ…。…オ、オレっち、何かまちがえたか? ホントに、おやなんていねぇんだ。にぃちゃんはいたけど…」


 リナリアの反応にオロオロと慌てているルナに、オネットは少し笑って「大丈夫だ。リナリアも、もう気にすんな」と仲裁に入る。

 それで一旦場を仕切り直すと、彼はルナの目を覗き込んで探り探り訊いた。


「…本当に気にしないなら、オレも、その、聞いていいか?」


「お、お? おう、…な、何でぇ?」


「さっき…、親はいないけど、兄ちゃんならいたって…。……その、兄ちゃん…まだいるのか?」


「……あ、いや…にぃちゃん…は……」


 ルナは笑って答えようとした。

 しかし、思い出そうとすると、彼女の喉は堪らなく枯れて、目頭が熱くなってしまう。


「………にぃ…ちゃん…」


 彼女は掠れた声を漏らすと途端に視界がぼやけていった。


 ――…どうかしたか、キョロすけ…――


 自分より少し低くて、けれど陽溜まりのような優しさを帯びた声が、すぐ耳元に聞こえたような気がしてきて、彼女の頬を一筋の光が伝っていった。



「オネットのバカァ!」


 リナリアが怒鳴り付けて強く彼にビンタを食らわせ、透かさずルナを抱き締めに行った。

 オネットは体勢を崩して地面に尻餅をつき、後列の三人に若干同情の視線を向けられつつ「大丈夫かー?」と手を貸されていた。


 ルナは鼻をスンと啜りながら右腕で目元を拭った。


「ルナちゃん、大丈夫! 私は味方だからね! ね!」


 ギュッと腕の力を強めたリナリアにルナの方は窒息しかけ、暴れる猫のように慌ただしくその腕を抜け出し何とか息を整えた。

 そして立ち上がったオネットに先んじてルナの方が「…ごめん、泣いちまって…」と頭を下げていた。


「ル、ルナが謝んなくていいよ! 今のは、オレが…」


「…さっきの答えだけどよ、にぃちゃんはついこの前、博士達に殺されたんだ。母ちゃんや父ちゃんってのは、今日まで一度もあったことがねぇんだ。だから、いるのかいないのかも分かんねぇんだ」


「そ、そっか! わかった、もういいって! ありがと!」


 オネットが捲し立てるように告げてその口を閉じさせ、「もう、行こう!」と強引に移動を再開した。

 しかし、ルナの発言自体が彼らには不可解なものだったため、特に後ろの三人が、


「…なぁ、さっき、はかせにころされたって…」


「ハカセって、博士だろ? …ルナって、どーゆう…」


「っていうかきのうも思ったけど、『人間』って言い方がなんか…引っかかるくない?」


 リナリアはキッと三人を睨んで黙らせると、ルナの腕を取って集団から引き離し、強引に笑って話題を替えに掛かった。


「ル、ルナちゃんはさ! 好きな人とかいないの?」


「う? すきな人?」


「そう! …好きな人! いないっ?」


「…んー…」


 いきなりそう言われても、とルナは小首を傾げてリナリアを見つめる。

 一方リナリアはまた地雷を踏まないかと冷や冷やしていた。


 ルナは暫し考えた末、ピッとリナリアを指差した。


「好きだぞ?」


「…え? えっ!?」


「オネットも好きだぞ。スールも、ペトゥも、クッタも、みんな好きだ。ディアナも大好きだ」


「…あ、あぁ…うん。……あれ、ヴィスさん…」


 リナリアは鳴り止まない鼓動を手で押さえながら朧気に頷き、咳払いしてやり直す。

 オネット含め男子達は聞き耳を立てないように意図して他所を向いている。


「そうじゃなくて、…えっと、つまり、一番好きな男の人」


「一番?」


「うん。だれよりも好きで、ずっとそばにいたい人。それで、ほかのだれにも取られたくない人。ルナちゃんには、いないかな?」


 当然ルナはそんなことを考えたこともなかった。

 そもそも彼女の周囲に歳の近い男などほんの僅かしかいなかった上に、積極的に関わっていた相手ともなれば片手で数える程度にしかいない。


 記憶を辿ればいつも彼女は『にぃちゃん』の陰に隠れていた。

 狩りを教えてくれたのも、檻の中のヒエラルキーから守り通してくれたのも、眠れない夜に腕を貸して寝かしつけてくれたのも、全て彼だった。


 そして彼が傍に見当たらなくなると、決まって彼女は大声で泣き出した。

 ペール・ルナールの一斉廃棄――その日も彼女は、にぃちゃんがいないと言って泣いていたのだった。


「多分、にぃちゃん…かな」


「あっ、あっ、ごめん! ごめんね!」


 思わぬところで地雷を踏み抜いてしまったリナリアは懸命に謝罪したが、ルナは別に怒りなどしない。

 そしてリナリアは、ひどく申し訳なさそうに顔を上げて、遠慮がちにルナと眼を合わせた。


「…でも、でもねルナちゃん。…兄妹は、けっこんできないのよ。だから、好きな人は、家ぞくじゃない人から見つけないと…」


「え、誰を好きになるかにも決まりごとがあんのか…? …ってぇか、けっこんってまず何でぇ?」


「え? …えっと、けっこんってね、一番好きな人と家ぞくになっていっしょにくらすことよ。それでこどもを作って、お父さんお母さんになるの」


 ルナはそれを聞くと驚いて目を大きく見張り、「子供を作る…?」と問い返す。

 しかし、そこで丁度その足はクッタの家の前に着いた。

 クッタとオネットが先頭を代わって、家の中へと先陣を切る。


 クッタの母は待ち受けていたかのように素早く玄関に訪れ、「みんないらっしゃい」と温かく迎え入れてくれた。


 …ただし、その温かさはルナを見ると風のように消えた。


「あら、その子は? 新しいお友達?」


 母が訊ねるとクッタはせかせかと引き返して「あぁ、こいつは…」と答え始めようとしていたが、母親と向かい合っていたルナが自分からも答え始めたので彼はその場を譲った。


「オレっち、ルナだ。昨日空き地で知り合ったんだ」


「あら、そう。それで、こんなに暖かい日にどうしてそんなに暑そうに着込んでるの?」


「これは…、ディアナが着ろって言ったんだ。着てないと変な眼で見られるぞって。着てても変に見られるかもっても言ってたけど」


 母親は「ふーん…」とだけ答えると打って代わり素っ気なくキッチンへ帰っていく。

 クッタは不思議そうにそれを見送ると、訝しんだ様子を残しながら皆を居間に通した。



 ランブルチェスでは二チームのメンバーが一ターン毎に入れ替わって駒を動かす。

 常にプレイヤーが変わるため戦術などは練り辛く、しかもチーム内での相談も禁止のルールである。


 ソウラモンブル内では流行した遊びだったが、すぐに揉め事の原因となり大人達はやらなくなってしまい、今や気心の知れた穏やかな人々の間でしか成り立たなくなっていた。


 ルナはチェス自体が初めてだったので説明書を熱心に読まなければならず、多少のミスも致し方無しとされていた。

 オネット達も、この日はルナを楽しませてやることだけを目標とし、勝敗は関係ないつもりだった。


 しかし僅か一局半を試しに行っただけで、明らかにルナの棋力が上がり始めた。

 

 通常ルールでの指し手は勿論のこと、フォークやピンを狙った遅効性の置き駒を用い出し、敗けそうならばステイルメイトに誘導して勝敗をうやむやにしたり、果てにオネットとリナリアの二手を読んでのスウィンドルなど、とても初心者が行う訳がない手口が頻繁に見受けられた。


 その後、三局連続でルナのターンで勝負が決まると、流石にオネットが「マジで初心者か、お前…?」と苦笑いを浮かべた。


「おう! こんなおもしれぇ遊び初めてやったぞ! でも、まだよく分かんねぇところが多いな。もうちょっと詳しく書いててくれてたら良かったんだけどなぁ」


 ルナはまた説明書をヒラヒラと振って笑った。

 クッタがその隣に駆け寄って、


「そ、それちょっと読ませてくれ! しっかり読んだら強くなるかも…」


 と手を伸ばしたので彼女は「ん!」とにっこり笑って手渡した。

 しかしクッタはその説明書をじっくり読み進めて無言にはなったものの、特殊ルール以外の所からルナほどの成長を見込める記述を探し出せなかった。


「なぁルナ、お前、普段はどんな遊びしてるんだよ。こんなにチェス強いのって、きっとそっちに理由あるだろ」


 興味を持ったオネットが勇んで話し掛けると、ルナはスカーフやマントを隠れた部位でグイグイ押し返しながら考えた。


「普段? いつもは、毛玉を追っかけて叩いて飛ばしたり、砂をけっ飛ばして粒々が弾けるのを見たり、カゲときょう走してみたり、自分の尻尾を捕まえたりかなぁ…」


「…三才児みたいな遊びしてんな、お前。っていうか、しっぽって…?」


 オネットに並んでリナリアやスールもあれこれと強さの考察を始める。

 ペトゥはクッタと一緒になって説明書を読んでいたが、不意にクッタの母親が戸を開けて入り「クッタ、ちょっとこっち」と呼び寄せたので説明書を受け取ってクッタの代わりに読み進めた。


 手持ち無沙汰になったルナはクッタの消えていった戸を見つめながら盤外の駒を片手で捏ねて遊んでいた。


 それが数分続くと、足音すら無く静かに、顔を青くしたクッタが戸を開けて戻ってきた。

 オネットはすぐに異変に気付いて「どうした?」と訊ねたが、クッタは似合わない愛想笑いを浮かべてルナの前に進んだ。


「ルナ、お前こっちには旅で来たんだろ? だったらなかまの人達を心配させるわけにいかないしさ、今日はもうこの辺で帰っちまった方がいいぜ。な?」


「うんにゃ、ディアナには五時まで遊ぶって言ってあるし、大丈夫だと――」


「いや、わかんねぇぜ? ひょっとすると今も寂しくてそのディアナさんが泣いてるかも…」


「んん? ディアナ、たしかに泣き虫だけど、そんなことで泣いたりしねぇと思うぞ?」


「いいから、ほら、送るよ」


 クッタはそう言って無理やりルナの手を引いて「送ってくる!」と出ていってしまった。

 残されたオネット達はお互いに顔を見合わせて首を傾げる。




「なぁ~、クッタ~。何で帰んなきゃなんでぇ…? オレっちもうちょっとみんなと遊んでたいぞ~」


 怒った風も無くせがむルナに、良心が咎めたクッタは道の真ん中で立ち止まって振り返る。

 そして彼女の格好を見渡すと、溜め息と混ざったように力無く告げた。


「…ルナ、お前、そのかっこう、どうにかしろよ」


「え? かっこぉ…?」


 言われたルナは心外とばかりにマントやチュニック、スカーフに触れたが、クッタはそれを指差して大きく頷いていた。


「そう、そのマントとスカーフだよ。お前、今日晴れでちょっと暑いくらいなのに何でそんな暑そうなかっこうしてんだ。…おっかあがさ、肌が変に白いし、やけに着込んでるから病気とか持ってるんじゃないかってさ。菌移されたらいけないから、さっさと追い出して二度と関わるな、って言われたよ」



「…なるほど、そーゆーことかよ」



 クッタの言葉に答えた何者かに、ルナは驚いて大きく振り返る。

 そこには家で待っていると思われた全員が飛び出してきていて、神妙な面持ちで彼女を見つめていた。


 クッタもそれを知っていて話していたようで、オネットの返事にしっかりと頷く。

 そしてその後をオネットに任せた。


「ルナ、無理だって言うならそれでもいい。オレらは親がどう言ったってなかまを見捨てたりはしないんだ。…だから、…マントとスカーフ、脱いで見せてくれないか?」


「いいぞ」


「え、いいの?」


 真剣なムードはルナの明るい声で打ち破られた。

 それぞれの困惑など知りもせず、ルナはパパッとスカーフとマントを脱ぎ捨ててしまった。


 実はディアナから『追及されたら脱いでしまってもいい』と許可は得ていたのだ。

 ただそれは、本当に誤魔化しきれない場合を考えてのことで、子供達がそれを受け入れてくれるのかという不安も付いて回る判断だった。


 勿論ルナはそんなことは知らない。

 彼らが脱いでくれと言ったからその通りにしただけであった。


 そこに露になったルナのふわふわした長髪やズボンの尻から飛び出した尻尾、ピンと立てて前に向けた大きな耳、そしてチュニックの胸元にベッタリと付いたままの黒い血染みが、彼らの視線を全て拐っていく。


 彼らの面持ちから見受けられる感想は、美しさと異質感の両方のようであった。

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