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改新奇譚カリバン~封じられし魔王~  作者: 北原偶司
三之明之篇
14/67

一二ノ業 冷たいディアナ、超えられない第一課題

 二百メートルの崖を登った上には軽く走り回れる程度の広いスペースがあり、夜はディアナが即興で作り上げた粘土の小屋の中で過ごした。


 一夜明けて修業二日目も、初日の崖から更に上の六百メートル地点を目指してまた岩壁を登ることとなる。

 ただその前に朝食を用意すると言い、ディアナは一人地上まで降りていった。


 …ルナとヴィスとの間には沈黙が流れていた。


「…あー、…やー……」


 ポリポリと頭を掻いて適当な言葉を探したルナだが、ヴィスの方は寧ろ何も気にせず腕を組んだまま崖から見える景色を眺めて優雅に過ごしている。


 一先ずヴィスからルナに対する害意などは無いし、傷でも付けようものならディアナが殺しに掛かることは明白なのだから何をするはずもない。


 しかし、それは飽くまでヴィスの視点であり、当のルナにはディアナを介さずにヴィスと過ごすのにはあまり良い思い出が無いので緊張が解けずにいたのだった。


「……オレっち、ちょっくられんしゅうしとこっかな。クライミング」


 ヴィスから逃れるための方便をわざとらしく口にして、ルナは新たな岩壁を登り始めた。

 粘土の足枷が解かれて自由になっている脚を使わないようにしっかり閉じ、腕を振って勢いを付けようとしている彼女の騒々しい気配に、ヴィスは退屈そうに振り返った。


「あの女はまだ来ていないぞ。できるのか?」


「へっ…? で、できらぁ! きのうだって、のぼりきれはしなかったけどちゃんと一人でやってたんでい!」


「……フン」


 ヴィスは何も言わずルナに背を向け、再び周辺の景色を眺め始めた。

 ルナも彼の様子のおかしさには気が付いていたが、その理由までは分からない。

 じっと彼の背を見つめると、自分を調子づかせようと明るめに声を上げた。


「もし(しっ)ぱいしても、オレっちもそらがとべるんだ。オレっちにもどうやってんのか分かんねぇけど、本当にあぶなくなったらかっ()に助かってくれるはずでい」


「怪霊領域が開いていない今の貴様が空など飛べるはずなかろう。そんなものまやかしに過ぎん」


「あっ? …で、できるってんでぇ…。じっさいきのうは…」


 ヴィスにまでそれを否定されると彼女には心外だった。

 この事は昨夜ディアナにも話していたが、彼女も『気のせい』『思い込み』の一点張りでまともに相手などしてくれなかった。


 そう何度も否定され続けていると、あれは恐怖が作り出した幻影ではないかとルナ自身まで疑いたくなってしまう。

 彼女は練習に入るのも忘れ、閉口して立ち尽くしていた。


「だが、肝が据わってきたのは何よりだ。ビビりのままでは俺様の下僕は務まらん。今は精々仮初めの自信で行くところまで行け」


「…あいっかわらずオレっちのゴイ(りょく)ムシしてくんなぁ…。オレっちおめえの()ぼくになんざならねぇぞ」


 ルナの反論にもヴィスは聞く耳を持たない。

 ルナは結局練習に入るのを止めてヴィスの隣まで歩いてくると、そこからの景色を彼と共に見渡した。


 短く褪せた草が遠くまで生い茂り、ちらほらと林や小さな丘がある。

 その手前の方では丁度大きめのクズリを脇に抱いてディアナが戻ろうとしていた。


「…でさぁ、そういやぁカイレイりょういきってなぁ何でぇ? りょういきってしらべたけど、『自分のものにしている()いき』っていみなんだろ? カイレイ(りょく)を込めておいとくバショってことでいいのか?」


「…大体その通りだ。怪霊力は当人が保有する領域分の量までしか練ることができん。しかしこの領域は確かに体内にはあるが、その機能に該当する内臓が存在する訳ではなく、精神や魂のようにスピリチュアルに備わったものと言えよう。怪霊獣は生まれながらに霊力量と同等の怪霊領域を持つが、あの女が言うには人間と普通の動植物は怪霊領域が無いようだ。否、正確には怪霊領域が零だけ開いていると言うべきか」


「……きのう…が、がい………スピ…ル…? …ま、まぁとにかくカイレイ(りょく)を入れるはこってことだな。分かんねぇとこは(ひゃっ)(ぜん)しょでしらべらぁ。…ってか、それだったらオレっちって(にん)げんの(ぶん)るいなのか? カイレイりょういき、ひらいてねぇんだろ?」


「あぁ? そんなこと俺が知ったことか。自分が何者かなど自分で決めろ」


 一度目は珍しく親切に教えてくれたヴィスだったが、二度目は流石にしつこく思って突き放していた。


 ルナは諦めてまた遠くから近づいてくるディアナを見つめて腕をポリポリと掻く。

 すると今度は突然、ヴィスが組んでいた腕を解いてルナを正面に向いた。


「貴様、やけに勉強熱心だな」


「あ、あんだよ…。わりぃか」


「いや、悪くない。いずれ貴様は俺様の下僕となるのだ、必死にやらなければ俺が喝を入れていたところだ。しかし昨日までは怪霊術に関して受け身の姿勢を取り、半ば遊び半分で修業に当たっていた貴様が、一体どんな心境の変化かと思ったのだ」


「ならねぇってーのに…」


 呆れて溜め息を付くように装いつつも、ルナは内心動揺していた。

 心の内に留めている不安が表面化するのを恐れた彼女は、彼の興味を逸らすため、またわざとらしく軽薄に振る舞う。


「それ言ったらヴィスだってきのうはどうしたんでぇ。あばれもしねぇでマジメに山のぼってよぉ。おめぇだったらこう…『フン、ナゼおれさまがきさまらに合わせなければならん』とか言ってそらとんで先に行くだろ?」


「俺の真似をするな、殺すぞ。俺は何者にも負けない。山登りだろうが何だろうが、直面の機会があれば決して逃げんのだ。完全にものにするまで何度でも挑んでやる。…そもそも貴様に俺の何が分かるのだ」


「…ふーん…。ま、よく分かんねぇけど…」


 ルナはまた頭を掻いて首を傾げていた。


 ヴィスが彼女の掻きむしった跡をジロリと見ていると、やっと空を飛んで崖の上にディアナが現れる。

 ディアナは失神させて持ち帰ったクズリの首を目の前で引き千切り、その胴体を「さ、食べなさい」とルナに手渡す。


「あ、ありがとう…ございます…」


 と、戸惑い気味に受け取って皮を開いていくルナを見つめながら、ディアナはクズリの生首を崖の下へと放り投げた。

 ルナは彼女のその行為に妙な恐怖を抱いた。


「…何?」


 じっと見つめられたディアナは不思議そうに目を丸く開けてルナに顔を寄せた。


 ルナが知っているいつものディアナだ。

 彼女はそれを見て少し安堵し、「あ、や、何でも」と頭を振って食べ始めた。

 しかし、ディアナの目がスッと細まって冷たい印象を帯びたので、その安堵は束の間で終わった。


「なら早く食べて。修業の時間が減るから」


「は、はい」


 ルナはチラチラとディアナの顔色を窺って、幾らかだけ囓るとクズリをディアナに突き返した。

 その顔はディアナを刺激しないようにと薄ら微笑みを湛えた。


「お、おっしょーさまもくわなきゃでしょう? はい、どーぞ」


「僕はもう食べてきたから要らないよ。食べることも霊力を得るための修業だ。残さず全て食べなさい。好き嫌いも駄目だよ」


「あ、そっ、そーゆーつもりじゃなくって……はい、たべます」


 萎縮して身を縮込ませたルナはろくに食欲が湧かない腹に血肉を詰めていった。

 その横で様子を眺めていたヴィスはまた腕を組んでディアナを向く。


「人と畜生は怪霊領域を持たん代わりに霊力を得る術を持つのか? 怪霊獣の中にも他者を食らって生きる種族はいたが、霊力を得る術は持たなかったはずだ」


「あ、いえ、普通の人間や動物も霊力を得る能力は持たないよ。けど、怪霊獣と違って僕らの霊力は少し不安定で、だからこそ他種族の霊力を自分の物にする素養も備わってるんだ。…ただ、ちょっとしたコツが必要なんだ。食べた物が消化されて栄養が体内に取り込まれる時というのがあって、その時死体に残留していた霊力が行き場を失うからそこで自分の霊力として取り込まなくちゃいけない。それを感覚でやるのが難しいんだ」


「ほう…。逆にそのコツが掴めればどんなものからでも霊力を奪い、自らの力を増幅できるというのか。畜生や植物、怪霊獣からでも可能か?」


「可能と言えば可能だけど、そう上手くもいかない。殺したばかりで霊力が残留している死体を食べなくちゃならないし、死後に残留できるのは生前の六割程度の量。植物の場合は、樹が霊力を有しているから果実から得られる分は全体の一割にも満たない。それに食べる物が幾ら霊力を持っていても、人が一度の食事から得られる霊力は精々十かそこら。次に身体が霊力を得る準備ができるのは三時間後。一日を効率良く使っても八十までしか得られない」


 ルナはクズリ肉を頬張りながら二人の会話に耳を傾ける。

 ディアナはヴィスの方を向いて話していたが、ヴィスの視線はしばしばルナに向けられていた。


「なるほど。人間が霊力を大幅に増幅しようにも限界がある。そこでルナールプロジェクトという訳か」


「そう。変化(へんげ)の術を扱える怪霊獣は霊力系と肉体の結合が強いから、人間と交われば霊力増大の機能を上げられると考えられたの。それで人間と野狐のハーフを無理やり作った。結果は上々、ルナのような成功体は得られる霊力に制限が無く三時間待つ必要も無い。二一九万の霊力はその賜物だよ」


「雑種強制の効果は霊力増加量の強化だけか? 何か野狐の能力でも受け継いでいれば儲け物だ」


「それはまだ分からないね。怪霊領域さえ開けば試しようがあるんだけど…」


 肉を全て食べ尽くしたルナがポカンとしていると、ディアナが「終わった?」と振り向く。

 ルナはコクッと頷くと、


「…オレっち、もっとべんきょうしないとダメだな…。てんで何も分からねぇや」


「………そうだね、頑張って」


 ディアナは無感情を装ってそれだけ言い放つと岩壁へ歩き、「じゃあ始めよう」と顎で急かした。

 ヴィスは待ちくたびれた様子でせかせかと登りに出向き、ルナは岩の地面を叩いて穴を開けてクズリの残骸を埋めてから歩き出す。


「あっ。…おっしょーさま、オレっちの足しばらなくていいんですか?」


「それはもういい。今日は四百メートル登るからそんなのがあったら命が幾つあっても足りなくなるよ。早く登りなさい」


「は、はい…」


 強い口調で言い付けられ、ルナはまた少し萎縮して壁に手を掛けた。


 ディアナは昨夜からずっとこの調子だった。

 修業に入る前にはよく笑いかけて世話を焼いてくれていた彼女が、今は常に上から押さえつけるような物言いでルナを従わせている。


 修業の間は厳しくすると言われていたルナは修業時間外はいつものディアナに戻ると信じていたが、そんなことはなかったのだ。


 心を許した相手に冷たくされたような経験の無いルナにとってそれは、この数日で築いたディアナへの信頼に自信を失う出来事だった。



 ルナは例に漏れず足を閉じたまま岩壁を拳で貫きながら登っていった。

 先日の疲れが少し響いているのか節々が痛むが、体力が回復しているので特に支障は無く突き進む。


 すぐにヴィスを追い越していき、楽々と二百メートル登っていってしまった。

 この日は始めから下から見上げて過ごしていたディアナだったが、手応えも無く進んでいくルナの様子に小さな溜め息を溢していた。


「…駄目そうだね、このままじゃ」


 彼女がそうして呟いている中、ルナはうっかり岩壁を突き飛ばしてしまい真っ逆さまに落ちてきた。

 ディアナはそれを察知すると急いで粘土小屋の後ろに隠れる。



 ルナはまたあの謎の浮遊力で助かるものだと考えていたが、一日空いた上にディアナやヴィスにまで再三否定されていたので信じ倦ねていた。

 もしかすると今度こそ本当に死ぬのだろうか、と恐れながら地面へ迫っていった。


 そして衝突直前の、頼りないクッションにも似た風圧を背に感じ、ルナは改めて死の恐怖を感じ取る。


 そしてやはり、彼女の身体は間一髪で宙に留まり、ポトリと平和に着地するのだった。


「……やっぱり、ゆめじゃねぇんだよな。オレっち、そらがとべるんだ…」


「…そうだね、飛ぶかもしれないね」


 突如頭上から掛かったその声にルナが顔を上げると、入れ違うように空を飛んできたらしいディアナが荷物を担いで目の前に降り立っていた。

 ルナは急いで立ち上がり背中の土埃を払う。


「…オ、オレっちもカイレイりょういきがひらいたってこと、ですか?」


「ううん、違う。まぐれで使えただけだよ。実際、あなた自分で制御できないでしょ。運良く使えたから死ななかっただけ」


「…で、でも、…じゃあ、カイレイりょういきがひらいてなくても、カイレイじゅつはつかえるってことですか?」


「違う。…詳しい事は第一課題を突破してから教えるよ。あなたがその時生きていたらね」


 ルナは背筋が凍ると同時に疑問に駆られた。


 ディアナは『第一課題』と言った。

 しかし昨日『今日の課題』だと語っていたのは『二百メートルの崖を登りきること』だったはずだ。

 ならば二日目の今日、四百メートルの崖を登るのは第二課題と呼ぶべきことではないのかとルナは考えたのだ。


「…きのうのカダイを、もう一回やりなおしてきたらいいですか? 二百メートルのぼるのが、だい(いち)カダイですよね?」


 ディアナは小さく溜め息をついた。

 まるで『呆れた』『見損なった』とでも言うような仕草に、ルナは怯えてショックを受けた。


「いいえ、崖を登ることはあくまで行動としての課題。それは成し得ても成し得なくてもどうでもいい。本当の課題は別にあるの。あなたが真の課題を終えるまで第一の修業は終わらない。その間、僕はあの手この手であなたを殺しに掛かる」


「こ、ころ……」


 ルナは言葉を失った。

 ディアナは冗談でなど言っていないと、その目を見て理解した。

 怖がらせる、脅かすというような軽い眼ではなく、やり遂げようとする強い意思を感じたのだ。


「…お、おっしょーさま、それ、本気で…言ってんじゃ……ない、ですよね…? …そ、そーゆーつもりで、がんばれってこと……」


 それでもルナは認めきれず笑って聞き直した。

 それにまた大きな溜め息をついてルナに背を向けたディアナは、少しの間そのまま佇み、意を決したようにまた振り返ってルナの目の前まで進むと彼女の耳元に口を寄せる。



「甘えるなよ」



 低く澄んだ声で囁き、ルナの腹を拳で深く打ち抜く。

 ルナはディアナの思いもよらぬ行動に驚愕していたが、身体の方がそんな場合ではなくその場に踞ってしまう。


 そうしてその場に激しく嘔吐すると、目に涙を溜めて喘ぎながらディアナを見上げた。


「最初に言った。修業の間僕には甘えるな、とね。…でもこれじゃあ埒が明かない。あなた、死の危機に臨んでいる実感が無いみたいだから、一度実感できるのを待つことにしようかな」


 冷たく言い放ち、ディアナはルナの後ろ襟を掴んで宙に浮かび始めた。

 ルナは少し慌てたが、目的地へと運ばれようとしていると理解すると打って変わって困惑が濃くなった。


「…の、のぼらなくて…いいんですか?」


「うん、山登りはもう意味が無さそうだ。あなたは宙に浮いて助かるものだと安心してしまってる。そんな状態で第一課題は達成出来ない」


 ルナにはその課題が何か分からなかった。

 ただ、昨日今日と山登りを達成できず、その上に慢心していたという過失を責められているようだとは感じていた。


 見放されただろうな、と気落ちしていると、崖の上に降ろされて「あそこ」と声を掛けられる。

 ルナは顔を上げて束の間、初めての光景に憂鬱を忘れた。


 そこには二千平米にもなるスペースが広がり、その中央にはもくもくと湯気を立たせる天然の温泉が湧き出していた。


「…あら、あなた、あの短時間でもう到着していたの? 凄いね、昨日はあれだけ手こずっていたのに」


 ディアナの賛美につい反応してルナが振り返るが、すぐに自分に向けられたものでないと気付いて彼女が見つめる方に向く。

 そこでは一足先に着いていたヴィスが腕を組み胡座をかいて待っていた。


 彼が「フン…」と少し自慢気に鼻で笑ったのを眺めてから、ディアナはその場で荷物を下ろし、ルナを見つめて服を脱ぎ始めた。


「今日は修業は止める。最後の一日を満喫して、明日は真剣にやりなさい。思えば数日間水浴びもしていなかったし、この機会にリフレッシュも兼ねて温泉に浸かり、衣類も洗濯しましょう。…ほら、ルナ、脱いで」


「え? は、はい! …あ、お…おう、ディアナ」


 言われるまま急いで服を脱ぎ捨てていくルナ。

 ディアナは脱いだ物を脇に持ち、リュックからタオルを取り出すとヴィスを手招きして呼び寄せた。


「ヴィス、あなたも脱いで一緒に温泉に入りましょう。汗をかいていないにしても雨風の汚れは溜まる一方だから」


「あぁ? …貴様、俺に裸を見せたくないのではなかったか?」


「それはだって、あなた口調や声が男なんだもの。実際に性別が無くとも意識してしまうでしょ。…でも、別にあなたは僕達の肌に興味なんか無さそうだし、警戒する必要も無さそうだからね。あぁ、でも、丸腰なら倒せるとは思わないことだね。入浴中に襲い掛かろうものなら――」


「やれるものならとっくに最初の野宿で襲っていた。しかし貴様はどういう訳か寝ていても気の流れを感じて無闇に近寄れんからな。それに、策を弄することはあれど最終的には対等の条件で殺すのが俺様の流儀だ。ここで無防備のところを襲っても得は無い」


 ヴィスはあれこれと言い合いながらも自らの服を破き取ろうとしていた。

 寸でに気付いたディアナはタッと駆け寄り甲斐甲斐しくその服を脱がしてやる。


 ルナは脱いだ服を手に茫然と立ち尽くし、僅かに服を握る手の力を強めた。


「服は破かないの。あなた、もしかして封印前は服なんて着てなかった?」


「こんな窮屈な物は着ていなかっただけだ」


「あら、そう。…ルナ、服は僕が洗ってあげるから先に入ってなさい」


 片手間で指示されたルナは、未だヴィスと話をしながら世話を焼いているディアナを見つめ、目の奥に込み上げた熱を堪えるように唇を噛んで温泉へと駆けていった。


 しかし、それから間も無くしてヴィスとディアナが並んで歩いてきたが、ルナはまだ温泉の浅瀬に片足を浸けただけで入浴には至っていなかった。


 全員の服を拾い集めて抱いていたディアナはその山を温泉の縁に投げてルナの前に立ち止まる。

 ヴィスが自分本意に進んで一人でどっかりと肩まで浸かっている中、黙り込んでいるルナに痺れを切らしたディアナが「…どうかしたの?」と訊ねながらしゃがみ込んで服を洗い始めた。


「…体のあらい方、分かんねぇ」


「駄目だよ、僕に甘えるなと言ったでしょ。修業の時だけじゃなく、自分でやるべきことは自分でやりなさい」


「……オレっち、地下で水あびされたときは『うごくな』って言われてたんでぇ。だから、おしえてもらわなきゃ自分でできねぇ」


「だったら洗わず入ればいいから。ヴィスはそうしているでしょ。それにどうせそんな調子じゃ明日に死ぬことになる。それなら教える意味が無い」


 ディアナに冷たく言い返されると、ルナは暫し反抗的に睨み付けていたが、すぐしょんぼりと耳を倒してトボトボとヴィスの隣に浸かりに行った。


 初めての温泉、温水に、ルナは本来なら浮かれるはずであったが、彼女は元気無く湯気を眺めているだけだった。


 延々と洗濯の音だけが続いていたが、それが終わるとディアナは石製の物干し竿と立て掛けを作り、濡れた服を広げて掛けてはまたも石の輪を作り縁を留めていった。


 それが済むと、ディアナはルナ達から離れた対面に浸かって十秒過ごし、頭を洗うと烏の行水も甚だしく立ち上がって出ていった。

 そしてタオルで身体を拭きながらルナを見て、ヴィスと眼を合わせた。


「…僕がいたらルナは休めない。今日は僕はモンヴァーティを下りて一人で寝るから、ヴィスとルナの二人で過ごしなさい。あなた達が風邪を引くとは思わないけど、服が渇くまでは温泉に浸かっているのが賢明だね」


「フン、随分と余裕だな。俺様を自由の身にしておくとは…。言っておくが、俺は貴様の手を離れていながら怯えて逃げられんような臆病者ではない。高速の移動手段を手にした今、この餓鬼を脅して従え、怪霊衆の下へと連れ去るなど訳ないんだぜ。地下から逃げようとすらしなかったこの餓鬼と同じように御せるとは思うなよ」


「その心配は不要だね。あなたは、今このタイミングで逃げてもメリットがない。…そうでしょ?」


 ディアナはフッと柔らかく笑ってから、ルナの視線を感じて冷たい表情に戻り、スタスタとそのまま歩いていく。

 そしてシフトドレスから操霊で水気を抜き取り、生地の傷みも構わず纏うとすぐにそこから飛び去っていった。


 ヴィスはその背を見送るとチッと舌打ちし、「舐めやがるな、あの女…」と忌々しくも何処か楽しげに呟いていた。

 それからすぐ、諸々の不安に耐えかねたルナがつい気を緩めて愚痴を溢した。


「…ディアナ、オレっちのこときらいになったかな」


「…あ゛ぁ? 何だ貴様、俺様に馴れ馴れしく何を話すつもりだ」


 ヴィスは威圧的に言い返したが、彼にも拒絶されるならもう仕方がないと諦めた彼女は続けて口を開いた。


「シュギョウ中はきびしくするって言ってたけど、ディアナ、それ以外んときも冷たいんだ…。…だから何か、怖いんだ」


「…フンッ、馬鹿馬鹿しい! 何故そんなに仲間が欲しいのだ貴様は。強者は常に孤独なものだ、それに堪えられん貴様など強者には価せん。仲良しごっこがやりたければさっさと地下に帰ればいい」


「……ディアナ、初めてオレにやさしくしてくれた(にん)げんだったんだ。…あたまなでてくれんのも、ほめてくれんのも、…あったかくて、くすぐったくて、…すんげぇうれしかったのに…」


「…チッ、腹が立つ…。そんなものでやる気になる貴様の気が知れん。強者の器を持つはずの貴様は、常に自分だけ見ておればいいというのに…」


 二人の会話は平行線。

 交わること無く、触れることもなく、止めどなく続いていった。

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