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改新奇譚カリバン~封じられし魔王~  作者: 北原偶司
三之明之篇
12/67

十ノ業 初人里にルナはキョロキョロ、人と獣の境界線

 翌日正午過ぎ、ディアナは目前の景色にホッと安堵の息をついた。

 その声に呼ばれるように顔を上げて遠くを見つめたルナは、少し嬉しそうにディアナの手を叩いて前方を指差した。


 モタモタと緊箍蛇を睨んで後方を歩いていたヴィスは特に何の感動も無く二人の声に顔を上げ、間も無く不機嫌そうに緊箍蛇を睨みに戻った。


「…お? ディアナ、ディアナ、なんかみえてきたぜ? まちとかいったっけか、人がいっぱいすんでるところだろ?」


「ええ、あれがソウラモンブル・ビレッジ。それとその後ろにはとても高い岩山が見えるでしょ、あれがモンヴァーティ。今日はソウラモンブルで少し休んで夕方からあの山を登るよ」


「えっ、まだうごくのか? さすがにきちぃぞ…。山もなんかゴツゴツとがっててのぼりにくそうだしよぉ…」


 途端にげんなりしてやる気を損ねたルナにディアナはクスリと隠れて笑った。


 ルナは元々地下暮らしで継続的な疲労感に弱く、半獣半人ともあれば遺伝的に人より長距離には不向きである。

 それなのに二日半も歩き続ければこうなるのは致し方無い。


「高原まで登り着いたら今日はそれでおしまい。町に着いたら、この旅のご褒美にパロでは食べさせてあげられなかった甘い物を食べさせてあげるから」


「あまいもの…。あまいって、うまいのとちげぇのかな。ごほーびってなんだ?」


「いい子にしてたルナへのお礼ってことだよ。少なくとも、ルナが食べたことのない食べ物を買ってあげる。…そして、高原に着いたらもう一つのご褒美」


 ディアナは悪戯な笑みを浮かべて勿体つけると町へと足を急がせた。

 ルナはそれに足並みを揃えて「もう一つのごほーび…」と少し頬を弛ませる。


 しかし、相変わらずモタモタと歩いているヴィスは二人から少しずつ引き離されていき、それに気が付いたディアナが足を止めて振り返る。


「今日は随分と不機嫌だね。どうかしたの?」


「どうしたもこうしたもないだろう。この蛇がいい加減邪魔だ。次に外す時とは一体いつになるのだ」


「あぁ、うーん、そうだね…。ソウラモンブルでのあなたの振る舞いを見て決めようかな」


 ディアナはそうあっさり答えて再び歩き出した。


 彼女の態度を雑に感じて怒りを覚えたものの、殴り掛かろうと怒鳴り付けようとそれを満足に吐き出せないことをこの数日で理解していたヴィスは、舌打ちを一つかますだけで大人しく足を速めて追いついていく。


 ルナはそんなやりとりを見てから少し後ろに下がり、ディアナとヴィスの間を仲立ちするような立ち位置で振り返った。


「おめえシャワーシツのときみたいにあばれんなよ。あと、(ニン)ゲンもけものもころすなよ。いのちをとっておいてむだにするなんてオレっちぜってぇゆるさねぇかんな」


「フン、歯向かいもしない雑魚どもには興味など無い。だがこの俺を侮辱しようものなら手足の数本もぎ取ってやる。…フッ…まぁ、昨日の犬畜生のように勝手に死なれることはあろうがな」


「…くそっ、てめぇ…。てんではんせいしやがらねぇな…」


 キッと睨んで顔を背け、ドシッドシッと地面を踏み鳴らしながら隣へと戻ってきたルナに、ディアナは慰めの意図を込めて頭を撫でさする。


「…この感じだと当分ヴィスの拘束は解けなさそうだね」


「あ゛ぁッ!?」


 諦めたように呟くディアナの声に反射的に怒鳴り返したヴィスだったが、彼女はまるで気にも留めず前を向いて歩き続ける。

 彼はじっと彼女の背を見つめると、少し心を落ち着かせてまた舌を打った。


「……フン、貴様…初めから俺を自由にする気など毛頭無かった癖をして…。封印があっても俺様の力は脅威か? 恐ろしいか? 俺様が殺そうとさえしなければ十分に力を振るえることが分かって腰が引けたのだろう? …ハッ! 所詮は人間、鎖が無ければ何者も御せぬということか…」


「…くだらない」


 吐き捨てるような彼女の返事にヴィスは怒りで拳を震わせ、しかし今すぐ見返す術を見出だせず睨んでいるしかなかった。


 …この屈辱はいずれ何倍にも増して突き返してやる。

 そしてその機会は間も無く訪れる。

 彼はその想いを胸に自らに言い聞かせ、固く握った拳を引っ込めた。



※※※※※※※※※※※



 ソウラモンブルは大きな風車塔を囲うようにして木造の建築物が並び、その隙間を穀物や野菜等の畑が埋めているような長閑な村であった。


 民家が少なく、畑の数と比較してみれば住民の多くが農業で生計を立てていることがありありと窺える。


 しかし時折人が訪れることもあるのだろう。

 村の一角にある連なった小屋からは鶏と馬の鳴き声が響いて、ちらほらと店が構えてもあった。


「ひぇ~…、あっちこっちに(ニン)ゲンだ…。でもけもののこえもするぜ。(ニン)ゲンってけものともせいかつすんのか?」


 ルナは興味津々に辺りを見回しながら村の道の真ん中を堂々と歩み進めた。

 その隣にはディアナ、少し遅れてヴィスと、立ち位置は先程までと変わらない。


 しかし、村の住民達が遠巻きからルナと、特にヴィスを訝しんでジロジロと眺めてくるので、ディアナは二人を気にして用件を早く済ませてもう山へ登ろうかと悩んでいた。


「…あれは家畜と言って、人々が食べたり道具の材料にしたり労働力にするために育てている動物達だよ。そうして上質な脂肪をつけさせて、新しい子供を生ませる。人が危険を冒して狩りをしなくともいいようにね」


「へぇ…かちくかぁ…。(ニン)ゲンってみんなとろいからどーやってメシとってんのかフシギだったんだ。『うませる』って、アレだろ? まえにおしえてくれた『こうはい』ってやつのことだろ? まだよく分かってねぇけど、オスとメスが一ピキずついりゃあこうはいできるんだよな?」


「え、ええ…。ルナはまだ知らなくていいよ。七年後くらいには知ってないとマズくなるけど…」


「だってオレっち、ころしたことはあるけどうませたことはねぇんだ。こうはいって、うませるって、いのちをつくるってこったろ? それってすげぇよ! ペール・ルナールのみんなをうませたらさ、またみんなにあえんだろ? にぃちゃんにもあえんだろっ?」


 ディアナはどう教えたら良いものかと密かに頭を抱えてハハハ…と空笑いを返した。

 一方、ヴィスは不躾な視線を送ってくる住民達を睥睨して追い返しながらルナが聞き流していた言葉を蒸し返した。


「家畜、奴隷…。フン、人間どもにしては上等な文化だな。つまらん拘束ではなく、徹底的な暴力と恐怖、権利の剥奪により従わせる。まさに力有る者こそが利を得る正当な秩序だ」


「あん? どれいぃ…? …うんにゃ、んなこたぁいってなかったろ。ディアナがいってたなぁ、(ニン)ゲンがいつでもくいもんにありつけるようにけものをそだててるってこった。めいっぱいメシくわせてやって、こどもうませて、それからころしてくうんだろ? こどもってやつもそれでいのちをもらえるんだからいいじゃねぇか」


「貴様は馬鹿だから気付かんのだろうが、そいつらは人間に殺されるために産まれ、産まされているのだ。我を通せぬ一生など無に等しい。言わば生まれた瞬間からそいつらは死んでいるのだ。それともう一つ、貴様やペール・ルナールどもだってあの地下の連中にしてみれば家畜、良くて奴隷だ。怪霊獣への対抗手段として一生を定められ、良種のみを選定して道具とし、他の者は全て用無しとして殺された」


「…うぅ~、こいつ…むずかしいことばばっかつかいやがってよぉ~…。バカだっつうならあわせてくれよなぁ~…」


 ヴィスの発言にうんうん唸って考え込んでいるルナだが、隣で聞いていたディアナの顔付きは険しいものになる。

 ディアナは振り向くとヴィスを冷たく睨み付けて、殺気を隠すこともしなくなる。


 ヴィスは彼女の怒りを感じると却って呆れたように目を細めた。


「ほんっとうに最悪だね、あなた。ルナは人間、一人の女の子だよ。確かにプロジェクトの趣旨やそれに関わってきた人達の考えとして彼女は家畜や奴隷と同類かもしれない。だけど、そんなのは関わる人がどう思うかでしかない。だったら自由を手にして人としての知恵を身に付けようとしている今のこの子を、今関わっている僕らが人と認めるべきなんだよ。そうすることでこの子は正真正銘の人間で在れるんだから」


「…ハッ、俺様は事実を語っただけだ。実際何も間違ってなどいなかったろう? その餓鬼を家畜と断じただけでそこまで憤るのは何だ。散々家畜の恩恵に頼ってきた人間の分際で、人の命や権利を説いてきた間抜けだと自覚があるからか? 自らの矛盾に狼狽するくらいならさっさと全てを割り切ればいいのだ、愚鈍め。…貴様と俺の見解の相違点はただの一つ、『周囲の者が人間にしてやる』か、『当人の意志と力を以て我を突き通させる』か、だ。尤も俺様はその餓鬼は人間より怪霊獣となるべきだと思っているがな」


 ディアナはヴィスの言い分にピクリと目尻を震わせ、僅かに唇を噛んで前を向き直った。

 そうして彼女が勝手に言い負かされてしまったので、ヴィスは張り合いがなく退屈だと言うように大きく肩を竦めて冷ややかに笑う。


 ルナは未だヴィスの言ったことの半分も理解できないままガシガシと頭を掻き、歩きながら振り返って彼に言い返した。


「かちくとか、(ニン)ゲンとか、カイレイじゅうとかよぉ…オレっちにはみんなおんなじだぜ。いっぱいあそんで、はらへったらメシくって、あとはぐっすりねむれりゃあ十分じゃねぇか。二人とも、なにをそんなにきにしてんでぇ?」


 ディアナはそれを聞くと少し驚いてルナを見つめ、感心のような吐息を溢して目を伏せた。

 ヴィスはルナの真意を探るようにじっと見てから、フン、と何処か満足げに笑って再び住民どもを見渡した。


 ルナは結局最後の問いの回答を得られず首を傾げたまま前へと向き直る。


 しかし、会話に気を取られていたルナは迫っていた事象に気が付いていなかった。

 鬼ごっこをしていたこの村の子供二人組が近づいてきていたのだ。


 追われてきた同い年くらいの少女は鬼の方に気を取られていて前を見ておらず、互いの不注意のためにルナとその少女は正面からぶつかり合ってしまった。


 ルナの身体に跳ね返された少女はバサッと地面に尻餅をつき、ルナ自身もぽけーっと少女を見下ろして立ち止まっていた。

 そして少女はすぐに立ち上がって尻の土汚れをペシペシ叩き落としながらペコッと頭を下げた。


「ごめんなさい! いたくなかった?」


「お、おおっ…? …おぉ…」


「そっかぁ、よかった!」


 初めて面と向かって喋る同じ背丈の人間の子を相手に、ルナは困惑して言葉ともつかないような返事が精一杯だった。

 その後から鬼役の子も並んでルナの前に立ち、二人組が揃ってディアナやヴィスの顔を見てからルナに視線を戻した。


「旅の人でしょ? モンヴァーティに行きたかったら、村長さんあそこの家だよ」


「馬もらうんならそのとなりの家だよ。馬小屋にちょくせつ行ったら怒られるから」


「あら、親切どうも。さっきは此方も前を向いていなくて、ごめんなさいね」


 ディアナが代わって受け答えると、少女二人はコクッと一回頷いてそれきり走り去っていった。

 しかし、後から少女らの無垢が故の言葉が遠退きながら聞こえてくる。


「あの子、頭の上に耳ついてた! キツネ耳、キツネ耳!」


「一番後ろの人は真っ赤で血みたい、目もまっくろ! こわかったぁ! かいれいじゅうかな、あれ!」


「でも女の人だけ普通だったよっ? お母さんに聞いてくるー!」


 少女らが民家の一つへと消えていくのを眺めたルナは、少しきょとんと目を丸くして両耳をポンポンと撫でていた。

 それを痛ましく見つめているディアナだったが、その後ろではヴィスがうんうんと頷いてルナの背に近寄っていた。


「だ、そうだぜ。貴様は人間ではないのだ。少なくとも、人間どもは貴様を普通の人間とは思わん。さっさと怪霊獣を名乗る心積もりをしておくんだな」


「…んー…ふつーの(ニン)ゲン、なぁ…。でもオレっちにはあいつらのツルツルしてちっこいみみの方がめずらしいかんなぁ…」


 ディアナはルナのモヤモヤとした気持ちを払拭しようと、突然「待ってて」と言い残して少し先の店へと駆け出していき、すぐにパッと出てきてルナの前に立った。


 あっという間のことにポカンとしていたルナの前には、小さなさくらんぼを何房か乗せた両手が差し出されていた。


「はい、ご褒美の甘い物! これ食べて、嫌なことはみんな忘れてしまいなさい!」


「お、おう…。あまいもの…」


 ルナはまた困惑して辿々しく呟き、一粒切り離して目の前に持ち上げて不思議そうに見た。

 ヴィスは「くだらんな…」とつまらなそうに呟いて二人を通り越していき、二人もその後に続いた。


「…これ、なんていうムシだ? こんなちっこくて手もあしもかおもねぇムシ、はじめてみたぞ」


「む、虫じゃないよ、さくらんぼ。果物だよ。人が食べる物って生き物だけじゃないの」


「へ? い、いきものじゃなくてもくえるのか? …くだもの…。…こ、ころしてあんのか? はらん中であばれねぇか?」


「大丈夫だから、食べてみて」


 警戒してスンスンと匂いを嗅ぎ続けるルナを安心させようと微笑みかけるディアナ。

 ヴィスは中々そこから進もうとしない彼女にやきもきし、「案内しろ、何処へ行くのだ」と言いつけてその場で振り返った。


「あっ、ごめっ………。…馬を買い取るから村長さん家の隣だね。すぐ行くからそこで待ちなさい、ヴィス」


 相手を思い出し咄嗟に謝るのを止めた彼女だったが、ヴィスはそれ自体は気に留めないのでフンと鼻を鳴らして待っていた。


 また丁度そこで覚悟を決めてルナがさくらんぼを口に放ったので、ディアナは歩くペースを上げながら「どう?」と訊ねた。

 ルナは初めての味に目を見張って興奮した。


「な、なんでぇこれ!? にくじゃねぇぞ、はらわたでもねぇ! こんなのくったことねぇ! も、もう一コいいかっ…?」


「ええ、どうぞ。全部食べて」


 パァッと満面の笑みを浮かべたルナが両手でさくらんぼを鷲掴みにして口一杯に頬張った。


 リスのように頬を膨らませて幸せそうにしている彼女にディアナはほっと胸を撫で下ろし、残りも全てルナに手渡すとヴィスと先頭を代わって馬売りの家のドアをノックする。


 甘味に身を投じてふにゃふにゃ笑っているルナと図らず並んだヴィスはそれを鼻で笑う。


「お、はいはい。開いてますよ」


「失礼します」


 ディアナは中から男の声を聞くと溜めもせずそのドアを開け放った。


 そうして彼女に続きヴィス、ルナと入ってくると、その奇怪な面々に警戒し、暖炉の前のテーブルで通知書を(したた)めていた男がゆっくり立ち上がる。


 ディアナは真っ直ぐ彼の前へと進んで「ディアナ・テネリタスと申します」と静かに一言告げ、ポーチから赤と青の虹を照らす手の平大の黒い紋章板を取り出して見せる。

 男はハッと息を呑んで紋章と彼女とを見比べた。


「け、剣聖ディアナ…様…! あ、す、少しお待ちを! 抄紙の用意を…」


「いえ、先に用件だけ。三頭ほど馬を買いたいのですが、持ち合わせていますでしょうか?」


 タンスへ走ろうとしていた男はディアナの注文を受けて足を止めると、暫し考えてから渋い顔をして首を振った。


「…申し訳ございませんが、先日ブルセアからエ連派遣の方々がいらっしゃって大半を買い占めてしまいまして…調整中の一頭を加えれば三頭ご用意致せますが、今日中には…」


「あぁ、先遣隊の方々ですね。それなら、先に支払っておきますので数日後にまた受け取りに伺います。暫くモンヴァーティに籠る予定なので」


「あ、そうでしたか…。それは助かります。では少しお待ちを…」


 話がつくと男は再びタンスへと歩いていく。

 そこで「おい」とヴィスがディアナに詰め寄った。


「先遣隊とは何だ?」


「怪霊衆の基地はあなたが教えてくれたけど、僕達が最初から直接行ったのでは何か罠に掛かりかねないでしょ? 基地の中まで探らせる訳にはいかないけど、周辺の様子を調査するくらいは出来るし、立地確認や侵入ルートの模索も任せられるから。今の話に出たのはブルセアからということだから、地理的に考えてリーラハールスの基地への先遣隊でしょうね」


「…ふむ、そういうことか」


 特に文句を言うでもなくヴィスが引き下がっていったのでディアナは妙な気がしながらも、タンスから抄紙を引っ張り出してきた男に呼ばれてテーブルへと進んでいく。


 ディアナは男に水瓶を用意させ、紋章板を宙に浮かばせて操り暖炉の火に焼べて、熱した紋章を抄紙に押し付けた。

 そうして出来た焼き印の下に年月日と請求額、署名を書き記すと、紋章板を水の中に落として冷まし、抄紙を男の手に返す。


「では、それをラティナ皇帝管下財務官宛てに届けてください。送料も別途の紙に書いて同封していただければ出してもらえるはずです。ただ、いい加減なことを書くとひょっとするとただではすみませんので悪しからず」


「は、はい! …では、また都合のよろしい日にお越しください。一週間もいただければ問題ないかと思います」


「よろしくお願いします。それと、此方には剣匠はいらっしゃるのでしょうか? 手入れをお願いしたいのですが…」


「あぁ…。いや、この村にはさすがにおりませんね」


「そうですか、残念です。では、また七日後に」


 男がペコリと頭を下げて抄紙をタンスへ持って歩くと、用が済んだディアナはサッと背を向けてその家から立ち去っていく。

 その後をさくらんぼを食べ尽くしてご機嫌なルナ、異様にムズムズと口の端を震わせたヴィスが続いて出ていく。


 そうして暫し離れた所でディアナが不意にルナの方へ真っ直ぐに振り返った。

 ルナは唐突な彼女の真剣な表情にピクッと両耳を震わせて顔を上げる。


「ルナ、夕方から本格的にあなたの修業に入るけど、その前にまず教えておくことがある。修業をする間、僕はあなたの師匠。その間は『ディアナ』じゃなく師匠と呼び、必ず敬語で話すこと。そして僕に甘えたことを言わないこと。助けてもらえるとは思わないこと。以上のことを守って欲しい。そして何度も死に目を見ることになるとは覚悟を決めておきなさい。いいね」


「…けいご…ってぇと、さっきのとか、シンセンさまのとことかでディアナが……あ、や、おっしょーさまが、つかってたようなへんなことばづかいのこったろ? …ですか?」


「……山を登り始めてから降りるまでの間は常に修業の時間だと思って。そこからはさっき僕が言ったことを守れなかった度に罰を与えるから。とりあえず今はまだ修業前だから、先に丁寧語だけでも教えておくよ」


「お、おう…です! お、おねげぇします!」


 ビシッと背筋を正して頷くルナにディアナが静かに頷いて、道の真ん中だというのにその場で淡々と丁寧語の使い方を教え始める。

 暫しそれを見つめていたヴィスだったが、彼は突如二人からフイッと身体を背けてそこから歩き出していた。


「人間どものいる中で貴様らのお遊戯などには付き合っていられん。俺様はモンヴァーティの麓で待つ。後からでも来い」


「あ、こら、待ちなさい!」


 ディアナは駆け出して彼の傍を歩き、ルナは早足でそれに並んだ。

 ヴィスは決して彼女らに顔を見せないようにしてせかせかと歩き続ける。


「あなた一人に勝手な行動は取らせないよ。どうしても行くなら僕らも見張るためについていく」


「フン、勝手にしろ。俺様は凡人どもの眼が鬱陶しいだけだ」


 彼の返答に少し安堵し、ディアナは再びルナに敬語を教え始める。

 ルナも難解そうに首を傾げながらオウム返しのように実践を続ける。




 その一方、ヴィスはディアナから聞かされた先遣隊の詰めの甘さに一人ほくそ笑んでいた。

 周辺を調査して帰るだけなど何の意味もない。


 …ブルセアの先遣隊が向かったのはリーラハールスの基地などではなく、――メデューサの基地だ。

 ディアナも彼らも、漏れなくヴィスの虚言に踊らされていた。



 彼女にメデューサの基地だと伝えた南西の大陸にはリーラハールスが待っているのだ。



 ディアナやルナがメデューサを倒す程の力を手にしたとしても、リーラには決して敵うはずがない。


 また彼は怪霊衆の中でも特に頭がきれ、その行動力や他の怪霊衆への発言力も高く、何より誰よりも怪霊獣の繁栄を一重に願う者であった。

 封印を受けたヴィスが怪霊衆の地位に返り咲くためにはリーラの協力を取り付けるのが最善という訳だった。



 …この二人を出し抜き、怪霊衆の地位を取り戻し、そして効率良くこのふざけた封印も解いてみせる。

 その暁にはこの女の四肢を引き裂いて磔にし、この餓鬼を殺戮の鬼へと染め上げて人間共を血祭りに上げるよう強制してやる。


 アモルの戦利品として俺様を手下にしたというのなら、俺様がアモルと交わした取り引きもこの女が引き継いだのだ。

 俺様が味わった屈辱は姉の分も合わせて全て貴様に購ってもらうぞ…覚悟していろゴミ野郎…。


 そうして秘かにおぞましい悪鬼の笑みを浮かべる彼の姿を、その後ろで朗らかに笑い合う二人は知る由もなかった。

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