機械仕掛けの魔法使い~機械の目と犬~
異世界間ゲート。
略してゲートと呼ばれる。
それは異世界を繋ぐとされる扉。
見た目は、長方形の四角いコンクリートの塊に扉がついた物。
少し前に異世界のエルフの少女がやってきたとかで、一部の魔法使いと科学者たちは躍起になってゲートを調べている。
ゲートは、ここザーグ研究所の敷地内にある。
そのため、魔法使い同盟のメンバーがちょくちょく訪れるようになっていた。
その日、ゲートの前にいたのは栗色の髪の老人と少年だった。
「今日は、ジーラとシムゥンが来たのね」
ゲートの前に立ってた二人に、そう声をかけたのはシームァだった。
「あ、シームァ」
と嬉しそうに振り返ったのは、シムゥンだ。
シムゥンはシームァとシムィンの弟にあたる。強い魔力を持って生まれてきたため魔法使い同盟のジーラに引き取られていた。
ジーラも似たような境遇なのだが、昔のこと過ぎて定かではない。
ジーラは二百歳とも三百歳とも言われている。自身の体をあちこち機械の部品に入れ替えて長く生きてるらしい。
そんなジーラに、シームァはとても親近感を持っていた。自然と笑顔になった。
「あれから異世界の誰かは来てないのか?」
ジーラが質問した。
シームァは答える。
「前に話した通り。エルフの女の子と機械の少年とその後は誰も見てないわ」
そこでシームァは少年に言われたことを思い出した。
「このゲートは不具合が起きてるの?」
「不具合?」
ジーラは首をひねる。
「特に気になるような不具合はなさそうだが」
それを聞いて、シームァは頷く。
以前はザーナが定期的に点検をしていたのだ。そんな不具合があってもザーナがどうにかしてたはずだ。
「そうよね。前に機械の少年にそんなことを言われ…… ――え!? また来た!」
急にシームァは声を上げた。
思わず、ジーラとシムゥンはシームァを見て、その目線の先を追う。
シームァは驚いたようにゲートの後ろあたりを見ていた。
だが、そこには誰もいない。
「シームァ、どうしたの?」
シムゥンが心配そうに声をかける。
シムゥンもジーラも、シームァが機械の目のは知っていた。
シームァはゲートの後ろに向かって話しはじめた。
「シームァ……?」
ジーラはじっとシームァを見た。
口にこそ出さないが、シームァの目こそ不具合が起きたんじゃないかと思っていた。
* * *
それは狼のように見えた。
ふと、狩猟犬かなと気づいた。
犬は何かを探しているのだろうか? それとも目的地を探しているのだろうか?
地面に鼻を近づけ、においを嗅いでるか、方角を確かめつつ歩いている。
犬の後ろに、戸惑いがちに歩く女の子の姿があった。
間違いない。以前来た黒髪のエルフの少女だ。
「あなた、また来たの?」
だが、シームァが話しかけても女の子は返事しない。
返事しないどころか、女の子はシームァに気づいてないようだった。
「あなた、この前来た女の子でしょ?」
やはり、女の子はシームァに返事しない。
聞こえてないのだろうか?
「シームァ、しっかりして!」
と、シムゥンが泣きそうな顔でシームァの背中をつかんだ。
「え?」
シームァは意味がわからず、シムゥンを見返す。
「シームァ、誰と話してるの?」
「ここにいるでしょ?」
「誰もいないよ!」
「……そんなはずは?」
その時、シームァは犬と目があった。
犬はシームァと目があった途端、猛ダッシュで後ろへと引き返した。
それを慌てて追いかける女の子。
一人と一匹はあっという間に見えなくなった。
「シームァ? 疲れてるんじゃないか?」
心配そうに、ジーラが声をかけてくる。
「今、ここに女の子と犬が……?」
シームァが話しても、二人は心配そうに無言になった。
その様子に本当に誰もいなかったのかと、シームァは思った。
「あ、うん、ちょっと寝不足だったかも。もう気にしないで」
シムゥンはほっとしたようだ。
ジーラはひっかかるものを感じてはいたが、ゲートの方に向きなおる。
シームァが心配でもあるが、今日はゲートの偵察に来たのだ。
* * *
シーザーは家で宿題をしていた。
雪の多いこの地では、子どもが学校に通うのではなく、先生が各家庭に週一で教えに来る。
そのかわり、どうしても宿題が多くなる。
明日が先生が家に来る日だったのだ。
それをころっと忘れていたシーザーは必死に宿題を取りかかっていた。
どうして宿題を忘れていたか。
理由は明らかだった。
その理由を思い出すとまた宿題が手につかなくなりそうなので、シーザーは今は宿題に集中する。
* * *
シムゥンとジーラが帰った後、シームァは釈然としない気分だった。
確かに少女と犬を見たのだ。
シームァは自分の片目を手で塞ぎ、片方ずつの見え方を確認してみたりした。
何かおかしなモノが見えたりする、ということはなかった。
また、さきほどの女の子と犬がいた辺りに来てみた。
今は誰もいない。
この辺で犬を飼ってる家は数件あったはず、なんてこともシームァは思い出した。
どこか近所の犬だったのだろうか?
それなら、ジーラとシムゥンに見えてないのもおかしな話だ。
その時だった。
犬がいた。
間違いなく、さっきの犬だ。
どういうわけか、犬はずぶ濡れだった。
シームァは犬に触れてみる。
だが、触れなかった。
シームァの手は犬を体をすり抜けた。
驚きはしたが、心のどこかでやはりと思っていた。
ということは、やはりこの犬は幻?
ならこの憐れな犬は実在しないのか、なら安心なのだが。
その時、犬はシームァを見た。
犬はすがるような目でじっとシームァを見ていた。
そして、前足を片足上げ、まるでおいでおいでするような仕草をした。
「来いってこと?」
シームァはそう解釈した。
今、シームァは犬の目の前にいる。
だけど、この犬は実際にはここにはいない。
……ということは?
シームァはゲートを見る。
それしか考えられない。
シームァはゲートの扉を開けた――
* * *
ジーラは異変を感じた。
シムゥンも気づいたようだ。
二人は魔法使い同盟の本部に帰る途中だった。
「今の何だ? あのコーヒー農夫か?」
寒いこの地域でビニールハウスでコーヒーを栽培している人物がいる。かなり魔力が強そうではある。
「違う。誰かの魔力じゃない」
シムゥンは気配を探ってるようだ。
「シームァ?」
「本当か?」
ジーラはシムゥンの言葉を疑ってるわけではない。
魔法に関してはジーラよりも、シムゥンの方が強い。
とはいえ、シームァから魔力らしきものを感じたことがなく、信じられない思いがあった。
「どこから?」
「たぶん。ゲート」
ゲートは研究所の敷地の中にある。
二人は元来た道を引き返すことにした。
* * *
――これも幻?
そこは暖かった。
木がたくさんあった。森のようだった。
シームァの知っているような雪に覆われた森などではない。
雪が一切ない世界。
そこにさっきの濡れた犬がいた。
犬はシームァを見て、クゥーンとすがるように鳴いた。
犬のそばにずぶ濡れの女の子が横たわっていた。
犬が前足で、女の子の体を小突いたりするが、女の子は反応しなかった。
シームァは女の子のそばに駆け寄る。
屈んで、少女の容態を確認する。
女の子は息をしていなかった。
シームァは心肺蘇生を試みる。
研究所で一通りの訓練を受けていた。まさかそれが役に立つ日が来るとは……
人工呼吸をするのは少し躊躇いがあった。
意識のないその顔はまさに美少女だった。
だがこの際そうもいっていられない。少女はまだ息を吹き返していない。
唇を重ね、息を吹き込む。
ごほごほと、少女は口から水を吐き出した。
そして、むくっと起き上がった。
少女はシームァを見てきょとんとした。そしてにこりと微笑む。
「あ、シーナだ。この前はありがとう」
女の子はシームァに抱きつき頬にキスしてきた。
「え?」
シーナに間違えられたこともそうだし、キスされたことにも驚いていた。
シームァとシーナは血縁的には従姉妹くらいの関係だ。似てはいるが、見間違えるほど似ているとは思っていなかった。
「……てことは、ここは魔法使いの国?」
女の子は辺りを見回す。
「あれ? エルフの森だ」
「……あの、なんで?」
シームァは頬を手で押さえていた。笑顔の女の子を見てるとどきどきしてきた。
「シーザーに教えてもらったの。お礼はハグしてほっぺにちゅーするんだって」
女の子は笑顔でそんなことを言った。
その顔がかわいすぎて、シームァは赤くなってしまう。
何気に犬の方はといえば、少女が息を吹き返して嬉しいらしく尻尾をぶんぶん振っていた。
「そう。でも、私、シーナじゃな……」
「ごめん。静かに」
少女は自分の口に人差し指をあてて、喋らないでのジェスチャーをした。
ほんわかにこにこ顔だったのに、神妙な顔つきで辺りの様子を覗っている。
犬は、うーと唸りながら、周囲を威嚇してるようだ。
その時、木の陰から男が現れた。
男というより、それはアンドロイドだった。人間そっくりではあるが無表情で作り物の顔だとすぐわかる。
歩き方もぎこちないし、ゆっくりした足取りで近づいてくる。
だが急にスピードを速め、突進してきた。
少女は素早く、服の袖からナイフのようなものを出し投げつけていた。
ナイフの後ろに細い針金のようなムチのようなものがついていた。ワイヤだ。
ナイフはアンドロイドに刺さり、ワイヤが倒れたアンドロイドの体に巻き付く。
「ここらへんはね、心が壊れちゃったアンドロイドが襲い掛かってくるの」
少女は悲し気に言う。
「わんわんち、シーナを魔法使いの国に送って行って。行けるね」
犬は得意げに尻尾を振る。
「私、シーナじゃ……」
倒れていたアンドロイドが起き上がろうとしていた。
「早く」
少女はシームァをゲートの入り口へと立たせる。
犬が前足で押すと、扉は開いた。
「今度、またゆっくり話そうね」
少女はにこりと微笑んだ。
その顔を見て、シームァにやはりかわいいと思った。
その後ろに、アンドロイドが迫っていた。
「さあ、早く」
「え?」
犬――わんわんちが、シームァのズボンの咥え引っ張っていた。
展開が急すぎる。
戸惑うシームァ。
少女はアンドロイドに対峙していた。
あんなアンドロイド相手にこの少女を一人にするのは気が引けた。
だがシームァの思いは知ってか知らずか、わんわんちはシームァを引っ張っている。
「必ず、また会おうね」
シームァはそんなこと言った。
今生の別れになる、なんてことにはなりたくない。
その声は少女に届いたかどうか。
わんわんちに引っ張られ、シームァはゲートの向こうへと足を踏み入れた。
*
扉の向こうは光のない空間。だけど真っ暗というわけではない。
足に触れるものがなく、それでいて歩いている実感はある。
わんわんちの後についてシームァは歩いた。
そして、扉が見えた。
扉の向こうから自分を呼ぶ声が聞こえて来た。
わんわんちは振り返り、シームァを見た。
「もう大丈夫。あなたはあの女の子の所に戻ってあげて」
そう言うと、わんわんちは元来た道をダッシュで引き返して行った。
シームァは目の前の扉を開けた。
* * *
扉を開けると、そこにジーラとシムゥンがいた。
「シームァ!」
シムゥンが泣きそうな顔で抱き着いてきた。
「なんでぬれてるの?」
ずぶ濡れの少女とハグしたから。
それを思い出して、恥ずかしくなるシームァだった。
その少女とキスまでしてしまった。
「ちょっとね……」
「シームァ、異世界に行ったのか?」
ジーラは信じられない思いだった。
シームァには魔力はないと思っていた。が、シムゥンの実の姉だけある。本当は強い魔力を有しているのかもしれない。
「行ったというより、呼ばれたの」
きっと溺れて意識のない少女を助けたいと思ったあの犬が自分を呼んだんだろう、シームァはそう思った。
そういえば、どうして溺れたのか、それどころか少女の名前も聞いてなかった。
「あなたたち、帰ったんじゃなかったの?」
「大きな魔法を感じて、引き返してきた」
「ゲートの向こうにシームァがいるような気がして、名前を呼んだんだ。そしたらシームァが出て来た」
とシムゥンが言った。
「私のこと呼んでくれたの、シムゥンでしょ」
シームァの問いに、シムゥンは頷く。
「ありがとう。おかげで迷わず帰って来れたわ」
シームァの言葉にシムゥンは得意げにに笑う。
ジーラは信じられない思いで、シームァを見ていた。
* * *
翌日――
シームァは、兄のシムィンとゲートの前にいた。
シムィンがゲート横の液晶端末を操作する。
「開いた形跡がある」
シムィンはそんなこと言った。
「シームァが開けたの?」
「違うって。私は呼ばれただけ」
「僕も異世界行ってみたいな」
「私ももう一回行きたい」
軽い口調で行ってみたシームァだが、あの犬と一緒にいた少女は無事なのか気になっていた。
「扉を開けたら、異世界が……」
なんて言いながら、シームァは扉を開けてみた。
扉の中は、特に別の星でもなければ、異世界でも何でもない。
そこにあるであろう至って普通の狭い室内だった。
「……なわけないか」
シームァはため息をつく。
「また呼びに来るんじゃない?」
シムィンはよくわからないなりに、なぐさめてみた。
「そうかしら?」
シームァは思う。
もしも、また呼ばれたとしたら、それは何かのピンチの時だ。
そういう展開にはならないほうがいいに違いない。
「異常はないね」
シムィンは研究所に戻ろうとした。
「私はもう少しここにいるわ」
シームァは言って、液晶の端末を触ってみる。
シームァが触っても、それは反応しない。
シムィンは見てはいけないものを見てしまったような気がして、さっと研究所に戻った。
シームァは液晶端末を触ってみた後、扉を見た。
扉を眺め、機械の目の焦点距離を上げてみた。
そんなことで、ここにないモノが見えるわけもなかった。
だが!
ぼんやりと見え始めた。
それは昨日の女の子と犬だった――
*
それは幻のようで、幻じゃない。
ここにはないけど、どこかに確実にあるもの。
シームァにはそれがわかった。
少女はしゃがんだ姿勢で何か操作している。その仕草はおそらくゲートの点検だろう。
その後ろにいる犬は、わんわんちだった。
ふと、シームァはわんわんちと目があった。
「あなた、私が見えてるの?」
そんな言葉も、わんわんちに聞こえてるはずはないのだが。
だが、わんわんちはシームァを見て、嬉しそうに尻尾を振る。
そして、少女の身元で会話するように口を動かしていた。
一通り、会話が終わると、少女はシームァに向かって手を振ってきた。
思わず、シームァも手を振り返す。
少女は笑顔だった。
名前すら知らない少女だが、無事なのが知れてよかった。
可能性は低いがいつかまた会えるかもしれない、シームァはそんなことを思っていた。
終
読んでいただきありがとうございました。