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今回の急な出立にギヨームとユーグは完全に反対していたし、タランスもかなりの難色を示した。だけど俺は、エミリーの手紙に書かれていた元の世界につながる蜘蛛の糸ほどの細い手掛かりを諦める事が出来なかった。
お互いに譲らないから次第に語気も荒くなってきた頃に、一人静かにエミリーの手紙を読んでいたエリザベスが俺に声を掛けた。男性陣はエリザベスが説得する事を期待していたようだが、彼女は俺を責めるような気配を見せずに、一つづつ確認するように質問してきた。
エミリーの手紙は内容はほぼ”無理を言って申し訳ないけど、直接会って相談したい事があるから何とか都合をつけて欲しい”と懇願する内容だったから、恐らくランヴェオック伯爵家が関係していそうだとか、ラ=ルール伯爵家とマラン枢機卿との関係も影響を否定できないとか、この時期にエミリーが俺と一対一で話をしたいと願う理由を想定できる限り答えた。それと、俺にとって最大のポイントだったビブリアニメに触れていた部分も、この間リジューに来た時にエミリーと取り決めた緊急事態を報せる符丁だと説明したら、それ以上深く追求されなかった。
問われるままにいくつかの質問に俺が答えると、エリザベスは少し目を瞑って黙考してから”敢えて飛び込むでも良い”と後押ししてくれた。その時の男性陣の驚愕の顔はかなり見物だったが、俺自身もエリザベスの許可を取り付けるのが一番の難関だと思っていたから、正直かなり驚いていた。
ただし、リジューの紋章の無い馬車を使う事や護衛を最小限にする事は断固として拒否された。
貴族の沽券に関わるという事もあるが、何も後ろめたい事が無いのなら堂々とすべきだと言われた。言ってる事は分かるんだけど、なるべく目立たないように配慮するのは決して悪い事じゃないはずだと反論しても、これはそういう問題じゃないと一喝された俺は、粘ってエミリーと会う事まで却下されては困ると、この辺りを落としどころとして同意するしかなかった。
それからエミリーと詳細を詰める為に、平民の四人家族が数か月暮らせる程の速達の魔道具を使った結果、会う場所は王都外縁部にいくつもある貴族向けの貸出邸宅の一つに決まった。
それと言うのも、リジューの紋章を掲げた馬車が王都貴族街に入ってしまえば、今の時期はまだ、どうしても目立ってしまう。
少しづつ鎮静化しているリジューの別邸で会う事にしても、ラ・フロット伯爵令嬢がお忍びで会いに来ては、また耳目を集める事になってしまうし、かと言って俺達がラ・フロット伯の屋敷を訪ねても同じ事になる。
そこで王都外縁部にある貸出邸宅が会合場所に選ばれた。選ばれた邸宅も入学前に泊まった邸宅ではなく、子爵位としては少し気張っているな程度で、伯爵位としては標準ギリギリにぶら下がっているくらいの、無難な邸宅が選ばれた。ここなら、リジューとラ・フロットの馬車が出入りしても、貴族街に比べれば目立たない。そもそも貸出邸宅は、借主が長くても一週間程度で変わるので、周辺の使用人や平民は紋章の違う馬車が出入りしても、気にも留めない。
何よりも、貸出邸宅は無役の法衣貴族や部屋住みの貴族令息、令嬢を救済する王家の事業の一つだから、貸出邸宅で働く者は、前は誰が泊まったとか次は誰が泊まるのかなんて極初歩は当然として、あらゆる守秘義務の履行が徹底している。そんな貸出邸宅に下手に何か仕込んでも、管理台帳などに記録が残る。さすがに権力に拠る改ざんや邸内からの情報漏洩が絶対に無いとは言い切れないが、少なくとも過去にそのようなスキャンダルは無い。もしもそういったスキャンダルが横行しているなら、貸出邸宅なんて事業はとっくに潰れている。
だいいち、盗聴を含めた魔道具の使用が想定されるなら、対策はいくらでもあるのだから周到に準備しておくしかない。その意味では、リジューの別邸でもラ・フロット伯爵の邸宅でも無ければ良いという話だ。
王都外縁部に入って街道を進むと、いつしかすっかり日が暮れていた。街道沿いの家々から漏れる灯りを眺めながら、なんとは無しに溜息を吐いていると、イルマが心配そうな顔をして呼び掛けてきた。
「お嬢様? どこか、お加減でも?」
俺がすぐに首を横に振って「何でも無い」と答えても、イルマはまだ心配そうな顔をしている。
本当になんでも無いんだよ。溜息吐いたのだって、本当に些細な事なんだ。
外を眺めていたら思ったんだ。俺、王都から出る時は決まってブランケットにくるまれていたり、昏睡状態で運び出されたりしてるから、そういや明るい昼間の王都外縁部見た事無いなって思っただけなんだ。
翌朝、朝食を済ませた俺は、苛立ちを隠し切れていない貸出邸宅の執事長の先導を受けて談話室の一つに向かっていた。もう貸出邸宅の執事や侍女達の空気ピリピリしている。皆の剣呑な視線は、真っ直ぐタランスに向けられていた。
それと言うのも昨日、貸出邸宅に到着した俺達を出迎えた執事長の挨拶をそうそうに切り上げさせたタランスはこう言い放った。
「この屋敷内の防諜体制を確認する。なに、最低限の確認をするだけだ。君達の職分を侵す訳ではない」
こいつ一体何を言ってるんだ? という視線を一身に受けながら、それからのタランスは呼吸する傍若無人と化した。
何か得体の知れない魔道具を取り出すと、執事長達が必死に止めるのも聞かずに屋敷の彼方此方を調べ始めていた。途中、執事長から縋るような目つきを向けられた俺が、気合を入れて「タランス教授、さすがにそれはこちらの皆様に対して、失礼が過ぎます」と窘めると、久しぶりにバカを見下すような目つきを向けながらこう言い切った。
「アリシア嬢、君はバカなのかな? 可能な限り貴方の安全を図っているに過ぎないのに、何故それを止めさせようとするのかね?」
うーん、お前の方がバカだと思うぞ。その目的に向かって最適解しか選ばない真っすぐさは、どう考えてもバカだよ。敵とも味方とも分からないここの人達を、今全力で敵に回してるお前は絶対バカだ!
本当に残念だけど、ここにはギヨームもエリザベスもいない。
「教授のなさりようは余りにも礼を欠いた行いですわ。私はこちらの皆様をお仕事を信じます。直ちにお止めくださいませ」
その後、俺とタランスは貴族としてギリギリ許される言葉遣いで言い合いを繰り広げた。気が付けば卒倒しそうになったイルマをリリエンヌが支えていて、リジューの侍女達と貸出邸宅の執事長達は遠巻きに俺達を囲んでいた。いや、あんたらの為にこうして話してるのに、なんで距離取るんだよ。酷くね?
最終的に改めて確認する部屋を、俺が休む寝室とこの貸出邸宅にある全ての談話室だけに落とし込んだら、執事長もそれならやむを得ないと呑んでくれた。
案内された談話室に入って時計を見ると、エミリーとの約束の時間までまだ三十分あった。
慌てたり焦ったり、心配しても仕方ない。こういう時は自分はしっかり準備してきたんだと、自己暗示をかけるように繰り返し考えながらイルマの淹れてくれたお茶を飲んでいた。
時計の針が九時五十分を刺すと、タランスが言った。
「急で申し訳ないが、二つ隣の談話室に変更する。あちらの支度はリジュー子爵家の侍女達で整えてあるので、こちらの侍女達は後片付けを済ませたらこの場で待機しているように。ああ、そこの君は執事長に部屋が変わった事を報せてくれたまえ。ではアリシア嬢、急ぎましょう」
口に含んだ紅茶を吹き出しそうになった。
そこまで考える? だとしてもそこまでする!? 貸出邸宅の皆、目を丸くして”もう勝手にしろ”って顔してるよ? ねぇ、リジューにまで悪評が付くのは困るんだけど?
だけどイルマとリリエンヌは事前に聞いていたのか、落ち着いた様子で俺を先導し始めた。
貸出邸宅の侍女にせめてもと謝意を込めて会釈を送ると、分かる事は分かるけど納得は出来ないと言いたげな微妙な視線を返された。これはあれだ、ちょっとお礼を奮発しないといけないかもと思っていたら、イルマが俺の考えを読み取ったように言った。
「相場よりも随分多く支払っていますから、彼らも嫌とは言えないのですよ」
なるほど。まぁたエリザベス決済ですね。正直助かります。
部屋を移って間もなく、貸出邸宅の執事がエミリーの到着を報せた。俺が「こちらにお通しして」と返事をすると、深くお辞儀して立ち去って行った。
表情が見えないのが怖い。怒ってるかなぁ、不快に思ってるかなぁ。ごめんな、俺もやり過ぎだと思ってるんだけど、タランスがさぁ……。
そう言えたらどんなに楽かと考えていたら、軽やかなノックの音が談話室に響いた。
「どうぞ」と俺が答えると執事長はゆったりと朗らかな微笑を浮かべながら、改めてエミリーの到着を告げた。さすが執事長! プロだねぇ、プロ根性だね。全く嫌味の無い見事な仕事ですよ。眼鏡の鑑定士さんも「いい仕事してる」って絶対言うよ。
そのまま流れるような所作で執事長がドアの前を譲る。それを合図に立ちあがった俺は、上位者を迎える姿勢を取った。
一拍空けてからラ・フロット伯爵家の侍女が入室し、後に続いてエミリーが入ってきた。
リジューの夜会や学院で見るドレスと違って、華美ではないけど伯爵令嬢にふさわしい絹生地やレースをふんだんに使った明るい生成のベースに、所々締めるように茄子の皮のような鮮やかな紫色が使われたAラインのドレスだった。新緑のような鮮やかなグリーンの髪とも上手く会っていて、可愛いだけじゃないエミリーらしさがあるように思えた。
ひとしきり歓迎の挨拶を述べると、エミリーはトトと足早に距離を詰めてアリシアの手を取って言った。
「アリシア様、そのように畏まらないでくださいませ。この度は、わたくしの友誼甘えた無茶なお願いにも関わらず、お聞き入れ下さいました事、心より感謝申し上げます」
「勿体ないお言葉に存じます」
ん? 貸出邸宅の皆がドン引きしているのが視界に入った。なんでだろう。
あぁ、そうか。伯爵令嬢が子爵令嬢の手をとって丁寧にお礼を言ってるのに驚いたのかも。そうだよな、その反応が普通だよな。
エミリーに席を進めながら、俺も自分の席に座る。ラ・フロットの侍女達は事前に説明を受けているのか、空気を読んでいるだけなのか、リジューの侍女達が動き回る事に驚いてはいなかった。
「御用の折りにはそちらの鈴を鳴らしてくださいますよう」
貸出邸宅の執事長がそう言って部屋から出ると、タランスはエミリーに話しかけた。
「ここは学院ではありませんが、エメリーヌ嬢とお呼びしても?」
エミリーがコクリと頷くと、すぐさま学院で見覚えのあるエミリーの側仕えに、盗聴防止の魔道具を使用すると告げた。
他家の屋敷で使うのがご法度なように、貸出邸宅で使うのも基本的にはご法度だ。ただし貸出邸宅では、使用申請すれば使う事が出来る。当然管理台帳にはいつ、誰が、誰と盗聴防止の魔道具を使ったとばっちり記録が残る。こっそり使えばバレないかと言えば、基本的にはバレる。一種の警報器のような魔道具が存在するし、警報器が無くても魔道具を使えばどうしても痕跡が残るからだ。
「この部屋に設置されていた感知の魔道具は止めてあります。使用後の痕跡も私の所持品で対策できますので、どうぞ皆様、ご安心を」
真っ黒なイイ笑顔でタランスがそう言うものの、その笑顔に不慣れな上に結構ヤバい話を聞かされたラ・フロットの側仕えは辛うじてひきつった笑みを返すと、すぐにエミリーにダメだという視線を送った。
ところが意外にもエミリーは、タランスに微笑んで見せると側仕えに「タランス教授の言う通りに」と言って、使用を認めた。
手早く盗聴防止の魔道具を準備したタランスから会話を始めて良いと言われて、ようやく秘密のお茶会が始まった。
初めはお互いの装いを褒め合った。エミリーの今日の装いは本当に良く似合っているから、俺も本心から褒めていると、エミリーは嬉しそう微笑んで「ありがとう」と言ってくれた。でも周囲の侍女までぽーっとした顔で喜んでいたんだけど、もしかしてエミリーのコーディネートじゃなくて侍女達のセレクトだったんだろうか。うーん、分からん。
それから、彼女達が帰ってからどんな事があったのか、日常会話の中で情報交換をした。
婉曲表現が多いものの内容から当事者を知っている俺達には、結構分かりやすい話が多かった。
俺が受け取った手紙からは分からなかったが、マリーはシャルル・アンリ第二王子からリジューに関わり過ぎていると注意を受けたらしい。それに関連しているかは分からないが、将来の王族としての教育を受ける為、王宮に登る頻度が上がったそうだ。そして今は、以前手紙で伝えてきた通り、ゾンネヴァルトの問題児達と一緒に王家の避暑地に行っているそうだ。大変だな、王子の”婚約者候補”って。
そしてユージニとシルヴィは領地に戻っているらしい。
なるほど、王都にいるのが自分だけだから、無茶言って来たのか。
話の流れでアレキサンドルの事を聞いたら、王都で訓練三昧だそうだ。兄は王宮騎士団長と一緒に領地戻って、領地経営の勉強だそうだ。実態はそうじゃないんだろうけど、それだけ聞くと次男は気楽でいいとか言われるんだろうな。あ、ミシェルも次男か。Aクラス男子は次男率高いね。
一通り情報交換が終わってお茶の入れ替えを頼むと、エミリーは気合いを入れ直したように真剣な表情で言った。
「そろそろ、お人払いをお願い致します」
それに合わせてタランスは勿論、お互いの侍女達も隣室へ下がって行った。するとエミリーは一人だけ呼び止めるように言った。
「ああ、リリコットさんは残ってくださいませ。その方が、アリシア様も安心できるでしょう?」
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