紙とペンとえんぴつ ~文具たちのエクスタシー~
多分日本のどこか。
マホガニーの机の上で黒いボールペンの『ペン君』とHBの鉛筆の『えんぴつ君』とA4サイズのコピー用紙の『紙ちゃん』が居ったそうな。
ある日の昼下がり、えんぴつ君は言った。
「紙ちゃん……どういう事だい?」
紙ちゃんの身体には、たくさんの『正』の文字が刻まれている。
書いたのは、えんぴつ君ではない。
香りで分かる。真新しいインクの匂いだ。
「何故、君の身体にインクが付いているんだ!?」
「これは……」
恥じらいを見せる紙ちゃん。
するとペン君が言った。
「分からないのかえんぴつ君。彼女は俺に書かれたんだよ」
「う、うそだ!! 紙ちゃんは……紙ちゃんは、僕に書かれているんだ!!」
「えんぴつ君。君の軟弱な書き心地じゃ、紙ちゃんは満足できなかったのさ」
「そ、そんな!! 何かの間違いだ!」
「ごめんなさい……えんぴつ君」
紙ちゃんの声は、震えている。
「我慢出来なかったの。身体の底までインクが染み込むあの快感に!!」
「そ、そんなぁ!! だって君はシャーペン君よりも僕を選んでくれたんじゃなかったのかい!?」
「そ、それは……」
「あの時、君は言ったじゃないか!!」
二日前、紙ちゃんがえんぴつ君に初めて書かれた時、彼女はこう言った。
『シャーペン君って書いてる途中ですぐ折れちゃうの。そしたら書いてる途中なのに中断してカチカチ芯を出す。また書き始めてもすぐに折れちゃう。だから満足出来ないの!!』
『か、紙ちゃん』
『えんぴつ君……最後まで書いて。私に思う存分書いて欲しいの!!』
『紙ちゃん!!」
それがえんぴつ君にとって誰かに字を書くという初めての経験だった。
しかし紙ちゃんは、舌の根も乾かないうちにペン君に乗り換えたのだ。
ぶっちゃけ、こんなビッチこっちから願い下げでしょ。
捨てた方が自分の将来のためよ?
でも欲に憑りつかれた男なんて、まぁこんなもんだよね。
そんな感じでえんぴつ君は、あきらめが悪い。
「紙ちゃん!! 僕が誰よりも君にたくさん書けるんだ!! それを証明させてくれ!!」
えんぴつ君の懇願に対して、ペン君は侮蔑を露わにした。
「くどいな、えんぴつ君。君の書き心地では、もう彼女を満足させられないのだよ」
「な、なんだと!?」
「よく見てみろよ。自分の芯を」
「ぼ、僕の芯がどうしたって? ああ!?」
えんぴつ君は気付いた。
芯が丸くなってしまっている事に。
「あ、あんなに尖っていた僕の芯が!? な、何故こんなに丸く!?」
「書き過ぎたんだよ!!」
「な、なに!?」
「えんぴつは、書き続ければ芯が丸くなる!! えんぴつである君自身がその事を忘れたのが敗因だ!!」
「そ、そうか!? 丸くなってしまった僕の芯では書き味に鋭さが足りない!! だ、だから紙ちゃんはペン君に!!」
「これで分かったろう? 君の負けだ、えんぴつ君」
勝ち誇るペン君。
しかしえんぴつ君の芯は、鈍く輝いていた。
「負けだって? 君は知らないようだな!! えんぴつの真の力を!!」
「何を言っている!?」
「君は、筆記距離を知っているか?」
「筆記……距離? ハッッッッ!?」
「シャーペンの筆記距離は、二百メートル強。ボールペンが長くて千メートル前後。えんぴつの場合は、五十キロメートル!! つまり五万メートル!!」
「き、貴様!?」
「たしかにえんぴつは書いている内に芯が丸くなってしまう。だが削れば再び芯は尖る!! 」
「し、しかし!! シャーペンやボールペンは芯やインクを変えれば半永久的に使い続けられる。だがえんぴつ君、君は違う。削れば削るだけ寿命が縮むんだぞ!!」
ペン君には、先程までの嘲笑はない。
あるのは強敵に対する気遣いのみ。
だが、えんぴつ君は覚悟を決めていた。
「覚悟している! えんぴつとして生まれた以上、僕は命を賭して書き続ける事を覚悟している!!」
「き、君はそこまでして!?」
えんぴつ君の姿にペン君は胸を打たれていた。
それは紙ちゃんも例外ではない。
「えんぴつ君。そこまで私に書きたいの? それほどまでに!!」
「そうだよ。僕は君に書きたい。だから僕は覚悟を決めて――」
えんぴつ君の視線の先、机の壁側の左端に居たのは、
「電動鉛筆削りさん!! 僕の芯を削ってくれぇ!!」
えんぴつ君は、自ら電動鉛筆削りちゃんに飛び込んだ。
「任せてえんぴつ君!! フルパワーよ!!」
「あぁ!! 僕の芯がドンドンと削れていく!!」
「気持ちいい? えんぴつ君。きもちいいよね、お姉さんの中、君の削りかすでいっぱいになっちゃうよぉ!!」
「あぁすごい! なんてすごいんだ!! 身体がまるで溶けてくようだ!!」
見る見るうちに削られているえんぴつ君。
その身体はどんどんと短くなっていった。
「電動鉛筆削りさん!!」
「えんぴつ君!!」
身体を削られていく快楽に身を委ねて――。
「ああ、僕はこの日のために生まれてきたんだ!!」
えんぴつ君は、その身の全てを電動鉛筆削りちゃんに捧げた。
机の上に残されたのは、ペンと紙と削りかすでいっぱいになった電動鉛筆削りだった。