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良翔は、ボンヤリとした意識が、周囲の朝の雰囲気を感じ取り、徐々に戻って行くのを感じる。
うっすら目を開けると、芽衣はもうベットから抜け出し、朝の支度をしている様だ。
リビングの方で音がする。
時計を見ると、いつも出勤の為に嫌々起きていた時間よりは早いが、それ程ユックリ出来る時間でもない。
良翔はむっくり起き上がり、しばしベッドに腰掛けた状態でぼぅっとする。
欠伸を一つした後に、少し重い腰を上げる。
やはり、それなりに疲労していたらしい。
昨日は、すぐに寝落ちしてしまった。
そして、この時間まで、全く意識が戻らなかったのだ。
熟睡時間が長かったせいか、体が少し気怠い。
すると頭の中で…、ではなく隣から、声がする。
『おはよう、良翔。眠そうね?』
声の方へ良翔が向くと、ノアがそこには立っていた。
昨日とは少し違い、今日は緑を基調とした感じの服装だ。
「ああ、おはよう、ノア。そういうノアはよく眠れたかい?」
『ええ、お陰様でね。なんだか昨日は気持ちのいい睡眠だったみたいで、結構早く目が覚めちゃったのよ』
「ああ、そうなんだ。でも、よく眠れて良かったよ。今日は…」
良翔はそう言いかけて、ハッと思い出す。
いくら何となく眠いといっても、今日は、いよいよ、カシナのクエストをメインに、初の冒険者業務を行うのだ。
ちゃんと気を引き締めて行かなければならない。
危険かどうかは分からない。
だが、決して安全と呼べる所へ行くわけではないのだ。
『今日は?』
ノアが聞き返す。
「ああ、ごめん。今日は、カシナのクエストをこなしに行かなきゃならないな。ちゃんと気を引き締めて行かないと。いつまでも眠いなんて言ってられないな、と思ってさ」
するとノアは、何故かくすくす笑いながら、返してくる。
『そうね。気を引き締めて油断しない事は大事だわ。でも…、そのセリフの前に、口元のヨダレを拭かないと。せっかくの決意が締まらないわよ?』
ノアにそう言われ、良翔は慌てて、口元の辺りを触る。
盛大にヨダレが垂れていた。
良翔は急いで、顔を赤らめながら、ティッシュで拭きとる。
その間ノアはくすくす笑っている。
そんなやりとりの後、良翔はリビングへノアと向かう。
リビングの扉の向こうからは子供達の声と芽衣の声が聞こえる。
まだ、芽衣は登校前の子供達と戦闘中の様だ。
「ママー!麦茶こぼれちゃった!」
「ええー!?もうすぐ出なきゃなのに、服濡れてない?」
「お洋服は大丈夫!でも、テーブルの上が水たまりみたいになってるよー!あっ!ゾウさんみたいに見える!?」
芽衣がパタパタ小走りに走って行き、テーブルを拭いてるのだろう。
「ママー!髪やってー」
「テーブル拭くから、ちょっと待ってー!」
良翔も手伝った方が良いだろう。
良翔はリビングの扉を開ける。
すると娘達は振り向き、良翔を確認する。
「パパー、おはよう!」
「パパ、少しだけお寝坊さん!」
良翔はニッコリ笑い
「ああ、お寝坊のパパだよ。おはよう」
すると、娘の一人がノアに気付き
「後ろのキレーなお姉ちゃん誰ー?」
そう言われ、ノアが前に出る。
すると、芽衣が気付き、テーブルを拭いていた手を止めると、
「ノアちゃん、おはよー!」
と抱きつこうと駆け出すのを良翔が捕まえる。
それを聞いた子供達が
「あーこの人が、さっきママが言ってたノアちゃん?」
「わーい、新しいお姉ちゃん来たー!」
子供達が芽衣の代わりにノアに抱きつく。
ノアは突然の事に、少し固まっていたが、やがて、優しく笑い
「おはよう、未亜[みあ]ちゃん、奈々[なな]ちゃん。そうよ、私がノアよ?これから宜しくね!」
「うん!ノアちゃんとよろしくしたー!」
「ノアちゃん、いい匂いだー!」
なぜかそんな様子を恨めしそうに見る芽衣。
ノアは良翔の中に居たのだから、当然未亜や奈々の事は知っている。
だが、話すのは初めてで、少し緊張はしていたようだったが、子供達の無邪気な反応に、なんの問題もない事を感じた様だ。
その間、良翔は、母親似かな?と呆れながら、子供達とノアの様子を見ている。
「ほら、未亜、奈々。学校遅れるよ?」
良翔にそう言われ、未亜と奈々はノアから離れ、渋々ランドセルを背負い、
「「行ってきまーす!」」
と声を揃えて出て行った。
「行ってらっしゃい」
「行ってらっしゃーい」
『行ってらっしゃい』
それぞれに応え、子供達を見送る。
すると、芽衣は良翔から降り、テーブルに向かって、残りの溢れた飲み物を拭きに歩き出す…
と思いきや、さっ、と良翔の側をすり抜け、ノアに抱きつく。
「ノアちゃんおはよー!昨日はよく眠れた?ああー本当だー!ノアちゃん、寝起きなのにいい匂いするー。んー、癒されるう」
芽衣が時折見せる、この動き、ただ者ではないのではないか、と良翔に疑念を抱かせる。
良翔は軽く溜息を吐いた。
ノアは戸惑いながらも、芽衣に挨拶する。
『おはよう、芽衣。お陰様で気持ちを安心させてもらったから、ぐっすり眠れたわ』
すると、芽衣はおふざけ顔から、優しい笑みに変わり
「そう、なら、安心したわ♪」
そう言い、芽衣から離れ、
テーブルに溢れた飲み物の残りを拭き、すぐにキッチンに戻っていく。
その後、3人で朝ご飯の支度をし、一緒に席に着き、朝食を食べる。
今までにない充実感に満たされた朝食だった。
人が一人増えるだけでこうも違うものなのだろうか。
いや、ノアだからこそ、この時間が生まれたのかも知れない。
朝食を終え、芽衣が3人分のコーヒーを入れてくれるのを待つ間、良翔はそう思う。
良翔は久々にくつろぎの朝の時間を過ごす。
モンスターの話も昨日既にしている為、朝から、今日の予定をお互いに話す。
『今日は、良翔と私は、ギルドマスターから受けたクエストをしに行くわ。ついでに他にも受けたクエストもあるから、それも並行して行う感じね』
「ああ、ノアの言う通りだ。あちらの世界で無事に冒険者になれてね。どうやら、向こうの世界では、ノアや俺が使うスキルは有能みたいでね、早速依頼を頼まれたって訳さ」
「うんうん。なんだか良翔楽しそうだね!私もね、昨日、話しそびれちゃったんだけど、私のスキル?魔法でね、家の中をピカピカにする方法を閃いちゃったのです!」
そういえばそうだった。
あまりにも綺麗で、芽衣が何をしたのか説明してもらう筈だったのを、良翔は思い出す。
「ああ、そういえばそれを昨日聞きそびれちゃったね?どうやってやったんだい?」
すると芽衣はふふんと鼻息を吐き
「では、教えてしんぜよー。実はね…」
ノアも興味深い様で、真剣に相槌を打っている。
「私の魔法って、物に対して、こうして、ってお願いすると、そう思ったように、その物自身が移動したり、燃えたりするって、良翔が教えてくれたじゃない?だから、今回は色んな家の中のものに、出来た時と同じ姿に戻って、ってお願いしたの。壁の小傷だったり、窓の汚れだったりって、初めは付いてないじゃない?だから、そういうのが、着く前の状態に戻ってもらう様にお願いしたの。そしたらね、見事に新品の時の状態に戻ってくれたのよ!これで何か汚れちゃったり、傷付いたりしちゃっても、また、新品に戻ってもらえるから、新しいのとか全く買わなくていいんだよー?どう?凄くない??」
『うんうん!芽衣凄い!よくそこに思いついたね!』
ノアは頷きながら芽衣を褒める。
「ああ、確かになるほどだね。芽衣は賢いな」
良翔も芽衣を褒める。
芽衣は、そうでしょ?、とドヤ顔だ。
そして、良翔は芽衣のその力の有用性に気付く。
物に対してであれば、新品の様になる。
つまり、人や生き物であれば、仮に大怪我を負ったとしても、元に戻す、つまり治す事が出来るのだ。
また、癌だったり、何かの免疫が弱い、もしくは過剰に反応してしまう様なアレルギー症状であれば、それらに働きかけ、正常に機能する様に指示してやれば良い。
芽衣は万能の医者として、多くの人や生き物を救う事が出来るだろう。
それこそ、神の子と言われてもおかしくないほどの力だ。
今は芽衣はそこまでは考えていないだろうが、子供の大怪我や、家族の危機の際は、必ず役立つ力となり得る。
その力はいざという時に使われれば良い。
普段は、やはり、他とは違うようにはせず、転べば痛いし、治るまでは傷口からの痛みもあるだろう。
だが、それでいいのだ。
痛い思いをするから、気をつける様になる。
それが、本来あるべき姿だと良翔は思う。
なので、この力の使い道は芽衣にはあえて伝えない。
何でもかんでも、直してしまっては都合が悪い事もあるのだ。
良翔は、そんな事を思いながら、芽衣とノアのやりとりなどを聞いていた。
『芽衣すごいね!これなら、家中ピカピカになっちゃうね!それに、きっと掃除も不要になるかもね?』
「うんうん、そうなのー!みんなにお願いして、自分で綺麗になってもらってるから、実は昨日はお願いして回っただけで、私は何も掃除してないの!もう、みんなありがとー!って、感じだよ」
ノアは微笑み、頷く。
良翔もそんな2人のやり取りを、微笑ましく見ている。