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良翔は火照った顔が冷めるのを待ちながら、ノアの隣を歩いて、バンダンが教えてくれた街の広場を目指す。
その間、ノアは終始ご機嫌な様子だった。
やがて、広場が見えて来る。
すると、突然、良翔のお腹が鳴る。
そういえば、まだ、昼を食べていなかった。
何となく、良翔はお腹に手をやる。
ポケットから、携帯を取り出し時刻を確認する。
時刻はもうすぐ、14時だった。
そりゃあ、お腹も空くな…と思う良翔。
そんな良翔の様子に気付き、ノアは声をかけてくる。
『良い天気だし、丁度ベンチも有るみたいだから、あそこでお昼にしましょ!』
ノアは駆け出し、1つのベンチの前に行き、こっち、こっち、と声をかけてくる。
良翔はノアに言われた通り、そのベンチへ行くと、ノアは腰を降ろし、空いた方をトントンと叩く。
ここに座れ、との事だろう。
良翔はノアとの間に隙間を空けて座り、お弁当を、ノアと良翔の間に置く。
もちろん、良翔の膝の上に置いて、2人で突いて食べても良いのだが、さっきの仕返しがあったばかりだ。
あまり油断して、距離が近過ぎるとノアにいたずらされてしまうし、そんな事をしていると、もの凄く芽衣に罪悪感を感じてしまうからだ。
ここは警戒するに越した事はない、と良翔はあえて、ベンチの真ん中にお弁当を置いたのだった。
ノアは、良翔が自分との間にお弁当を置いた事に、ちっ、と良翔に聞こえない程度の舌打ちをする。
『良翔、なかなかやるわね…。さっきのキスは失敗だったかしら…。なかなかに警戒心を与えてしまったようね…』
ノアは小さくブツブツ呟くと、笑顔に戻り
『さあ、食べましょ!私もお腹ぺこぺこだわ!』
「ああ、そうだね。今日は芽衣が外でも食べれる様にサンドイッチを作ってくれたんだ。もちろん、ノアの分もあるよ」
すると、ノアは驚き、同時に目が輝く。
『え…。私のお弁当…?』
「そうなんだ。芽衣がノアにも作ったみたいで、2つ入ってたんだ」
そう言って、ノアに専用のサンドイッチケースを渡す。
ノアはとても嬉しそうに、良翔から受け取ったサンドイッチケースを見つめている。
意を決し、ノアはサンドイッチケースの蓋を開ける。
すると、綺麗に彩られたサンドイッチが顔を出した。
ノアは少し鳥肌が立った。
それもそのはず、ノアにとっては初めての自分のお弁当だ。
たかがお弁当かもしれないが、ノアにとってはとても大きな意味だった。
自分の事を初めて、ちゃんと良翔とは別の人として、扱ってもらえた証拠なのだ。
この世界では、初めから、ノアという存在が出来ていたから、特別な感情は特に無かった。
もちろん個として認めてもらいたかった思いもある為、自分をノアと呼び、誰かから声を掛けてもらえるのは、素直に嬉しかった。
だが、良翔や芽衣の生活している世界では、全く存在を認められていないし、ノアという存在がいる事を、今まで誰にも気付いてもらえなかった。
正直、良翔には直ぐに認めてもらえる自信はあったし、心配はしていなかった。
なんせ、ノアはずっと良翔の中に居たのだから、良翔の事はよく知っているし、記憶も共有している。
そう自信を持っても不思議ではなかった。
だが、良翔の周りの人間は違う。
ノアの生い立ちを知っても、まともに信じてくれる人が居るだろうか。
認めてくれる人が居るだろうか。
ノアは凄く不安だった。
ノアもまた、良翔の居た世界で生まれ、共に生活してきた様なものなのだが、誰もノアの事を知らない。
ノアは良翔の居た世界への憧れは、格別に強かったが、しかし、同時にノアは自分が異色の存在である事を認識していた。
だから、良翔の世界では、姿を消し、自分がここに居る、と主張はしなかったのだ。
ノアは芽衣の事も、良翔と同じくらい知っている。
ノアも良翔と同じく、芽衣の事は好きだった。
よく笑うし、とても気持ちの良い人間なのだ。
芽衣と良翔が出会うと、ノアも直ぐに好きになった。
そして、何よりもノアが驚く程、とても良く良翔の事を分かってくれるのだ。
ノアは良翔が羨ましかった。
私もこれくらい、誰かに私の事を分かってもらいたい、と思ったくらいだ。
だけど今は、遂に、憧れの芽衣がノアの事を認識した。
認識して、ノアの分のお弁当を用意してくれたのだ。
嬉しくない筈が無かった。
震えが出る程、涙が零れ落ちそうになる程、嬉しかった。
ノアは1つを取って、恐る恐る口に運ぶ。
一口食べると、野菜のシャキっとした食感と同時に、パンに塗られたバターとハムが程よく塩気を感じさせながら、パンがそれらを包み込む様に口の中で混ざり合う。
『…美味しい…。』
ノアは良翔に聞こえない程、小さく小さく呟く。
いつもみたいな明るい声が出せなかった。
ノアは涙が流れていた。
声を出せば、声が震えて、良翔に泣いているのが分かってしまう。
別に泣いた所を良翔に見られた所で、心配される程度の事だろう。
だが、ノアは、良翔の前ではいつも明るいノアで居たかったのだ。
ずっと良翔の中で、ここ最近の良翔の苦しみを見てきた。
だから、私といる時は、元気にさせてあげよう、そう心からノアは思っていた。
だからなのか、ノアは良翔には、真剣に泣いてしまっている自分を見られるのに抵抗があった。
ノアは下を向き、夢中でパクパク食べている演技をする。
本当は次から次へと溢れてくる涙を必死に堪えようと下を向かざるをえなかった。
やがて、涙が収まりを見せ始めた頃、サンドイッチの間から何かを見つける。
紙切れが一枚、顔を覗かせたのだ。
ノアは紙切れを取り、開く。
『ノアちゃん、初めまして!芽衣って言います!ノアちゃんの事良翔から聞きました!話を聞いただけなんだけど、私はノアちゃんの事とても好きになっちゃったよ!でも、残念。まだちゃんと会って、お話しした事ないから、ノアちゃんが何が好きで、何が嫌いか分からなかったんだ!だから、良翔と同じ中身のサンドイッチにしちゃったよ!嫌いな物、苦手な物が入ってたらごめんね。遠慮なく残して良いからね!ノアちゃんに会えるの楽しみにしてます!良翔は変な所あるけど、何よりとても優しい人だよ。そんな良翔の事、宜しくお願いね!
早くノアちゃんに会いたい芽衣より』
『私も芽衣の事大好きだよ…』
ノアは、芽衣の手紙を読み終えると、そう呟き、ギュッと、とても大切そうに握り、胸に押し当てた。
もう、涙を隠す事は叶わなかった。
ノアは顔を上げ、良翔へ顔を向ける。
涙が先程とは比べられない程、とめどなく落ちてくる。
ノアは良翔にこの気持ちを、とにかく理解して欲しかった。
本当はずっと寂しかった。
でも、良翔が機会をくれた。
良翔が、ノア、って自分を呼んでくれた。
良翔が、ノアが居てくれないと困るって言ってくれた。
芽衣が、ノアにお弁当を作ってくれた。
芽衣が、ノアに会いたいって言ってくれた。
芽衣が、ノアの事を…、好きだ、と言ってくれた。
ノアはたまらなかった。
胸の中から、次から次へと、気持ちが込み上げてくる。
気持ちが抑えられない。