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正直、ガザルは焦っていた。
良翔が、当然恐れおののき、試験を辞退すると思い込んでいたのだ。
そして、良翔が辞退すれば、直ぐにケルベロスを引っ込めるつもりだった。
ところが、あろう事か、良翔は迷う事なく、コイツと戦わせろと言うのだ。
仮に、このまま良翔が戦い、死んだとしても、気にはしない。
冒険者はいつ何時も死の危険が隣り合わせにあり、自分の力を過信し、その危険性を理解出来ない者から先に死んでいくだけだ。
試験中に受験者が死んだとて、ガザルが罪を問われる事は無い。
だが、事態は良翔が死ぬだけでは済まされない状況であった。
良翔が破れた場合、当然召喚してしまったガザルが責任を持って、速やかに召喚したモンスターをその場で討伐しなければならない。
だが、愚かなガザルは怒りに任せて召喚を行った為、他の術者同様、魔力が底をついていたのだった。
正直立っているのも虚勢に過ぎない。
普段なら、全力で戦えば、苦戦こそすれど倒せない相手ではない。
だが、今は状況がまるで違う。
いまここで、ケルベロスを放つのは、確実に不味い。
その為、ガザルはどうしても、ケルベロスを召喚の魔法陣から解き放ちたくは無かった。
召喚の魔法陣から解放さえしなければ、召喚された魔物はこちらの意図に従い、消したりする事が可能なのだ。
だが、一度、魔法陣から解放して仕舞えば、その制御力を失い、たちまち魔物の自由を許す事になる。
つまり、それは自分に死の危険が迫る事を意味する。
自分が死ぬだけではなく、街内にこんな巨大な魔物を解き放てば、当然犠牲も多数出てしまうだろう。
それだけはなんとしても避けたい。
しかし、良翔達に大見栄を切ってしまった建前上、そう簡単に引っ込める訳にも行かない。
良翔から試験断念の言葉を聞き出さねば、ここまでの苦労が全て水の泡に帰してしまう。
だが、相変わらず良翔は、問題ないから戦わせろ、と言っている。
この世間知らずの大バカ者が!と心の内で盛大に罵倒する。
だが、ガザルのなかでは、答えは分かり切っていた。
自分の建前よりも、命と安全の方が大事に決まっている。
そう結論を出したガザルは、ある事を思いつく。
そうだ、ケルベロスを消した後、どの様な事態に陥る可能性があったのか、また、その様な自分勝手な振る舞いや考え方は、街を危険に晒すだけでなく、仲間の命さえも危険に晒す事を伝え、そんな者を冒険者にする訳には行かない、と今回の試験を不合格にしてやれば良い。
そんな全て自分に返ってきそうな理由を、全く気付きもせず、ガザルは名案だと思い付き、ほくそ笑む。
良翔はそんなガザルを、くだらない事でも思いついたのかな、と内心呆れて見ていたが、意識はしっかりとケルベロスを捉えていた。
いつ襲いかかってきても、対処出来るようにするためだ。
良翔は気付いていた。
恐らくノアも気付いているのだろう。
このケルベロスは、既にガザル達の制御下にいない。
それを証明する様に、光のヴェールから、前脚を少し出していたのだった。
先程のファウンドウルフは、光のヴェールを超えられずにいた。
だが、ケルベロスはその光のヴェールをなんの障害も感じていない様に、前脚を光の外に出したのだ。
恐らくケルベロスの背後に立つ、ガザルにはケルベロスの前脚が見えていないだろう。
きっと制御下から外れている事を気付いていない。
そんなケルベロスが魔法陣から飛び出し、攻めてこないのは、良翔がいつでも応戦出来る気配を出しているからだった。
そんな事はつゆ知らず、ガザルは高笑いを始め、良翔を見下す様に話してくる。
良翔は視線だけ、ガザルに向ける。
「ふははは!お前は、愚かな男だ!自分が下した決断をまだ、分からずにいるのか!即ち、即刻、試験はやめだ!もう既に結論は出ている」
良翔はガザルが何を言いたいのかいまいちよく分からない。
ガザルはそんな良翔の様子に満足そうに頷き、
「そうだろうなぁ。よく分からんだろう?
なぜ試験がやめなのかを。だからこそ、お前は愚かなのだ!」
そう言い、ガザルは掌をケルベロスへ向ける。
「とりあえず、試験は中止だ!このモンスターを消した後に説明してやる!」
ガザルは高々にそう言い、自信満々に何かを唱える。
すると、先程迄光を放っていた魔法陣がみるみる消えていく。
それと共に、モンスターの姿も…。
消えない。
魔法陣だけが消え、モンスタが何事もなかったかの様に同じ姿勢で、残っていた。