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ふと、違和感を覚える。
先程より、トイレ全体が明るくなっている気がしたのだ。
だが、不思議な事にトイレの中の蛍光灯は一つも灯いていない。
耳に意識を傾けても、先程まで微かに聞こえていた周りの音も無くなっている。
何かがおかしい。
不安を抱きつつも、恐る恐る、トイレを出る。
良翔は一瞬真っ白になった。
そこには、青々とした草が膝丈ほどの高さまで生え、辺り一面に茂っていた。
草原だった。
思わず自分の場所を確認するかのように、後ろを振り向く。
だが、そこには先程まであったはずのトイレが無くなっていた。
声すら出ない。
良翔は口を閉じるのを忘れてしまったかの様に、ポカンと口を開け放ったまま立ち尽くしていた。
辺り一面360度が草、草、草なのだ。
長い時間の様に感じられたが、実際は数分程だろうか。
放心状態からふと我に返り、良翔は先程までの状況を思い出しながら、自分の現在の状況把握に努めようとする。
が、失敗する。
正しい回答が得られそうにないのだ。
「…どういう事だ?」
やっと口にした言葉だった。
すると、突然無機質な声が聞こえる。
『創生されたゲートにより、異世界への転移が完了致しました』
先程、個室で聞いたあの声だ。
良翔は声を聞くなりビク、と体を固まらせた。
周りに誰も居ないのは確かだ。
なのに声が聞こえたのだから驚くのも無理ない。
恐る恐る視界の後ろに顔を向ける。だが、そこには誰も居ない。
しかし、声はハッキリ聞こえたのだ。
叫びそうになるのを堪えて極力抑えた声で周囲に向けて、途切れ途切れ聞き返す。
「あの…、失礼ですが、どちら様でしょうか。…私からは…、あなたの姿が見えないのですが、どちらにいらっしゃるのでしょうか?…それに、…ここが何処なのかご存知ですか?」
返答を待つ間、声の出所を特定しようと、周囲へ目を走らせる。
『私はマスターに創生された、イメージ創成ナビゲーターで御座います』
またしても、その声の主を目にする事は叶わなかった。
それにしても声が近い。
声の近さにまたしても体がビクつきそうになるのを堪える。
無機質な声が続ける。
『マスターがイメージの具現化機能を御希望されましたので、マスターの中に、機能のみの実装となりました。その為、私自身には、マスターが目でご確認頂けるような、姿や形は用意されておりません。現在はマスターの脳内に、マスターが理解される言語に変換して直接お伝えさせて頂いております』
「…」
沈黙する、良翔。
そんな良翔にはお構いなく、何ちゃらナビゲーターは続ける。
『そして、マスターがイメージされた異世界に対し、イメージ変換機能を使用して、個室の扉と異世界をお繋ぎ致しました。マスターはゲートとなった個室の扉を通り、現地点へ来られました。つまり、ここはマスターがイメージされました異世界となります』
何ちゃらナビゲーターの声が止まり、頭の中に静寂が訪れる。
冷静に聞いていたつもりだったが、鼓動が早くなる。ジワリと汗も頰をつたる。
少し間を置いて考える。
脳内で呟く様に、もしくは確認する様に語りかける。
「つまり…、俺があなたを…、ナビゲーターさん?を作り出した、と?」
『はい』
「それに…。俺が行きたいなぁ、と思い描いたイメージに似た異世界へ通じる道を、その…、ナビゲーターさん?…がトイレの個室に作成した、と…?」
『はい』
「…で、俺は、今それを通って、異世界に来てしまった、と?」
『はい』
「…」
「…」
「…ん」
「ヤッパリ意味わからん」
どれだけ冷静に考えても、やはり今の現状はそう簡単には飲み込めない。
それにここはどこで、一体何なのか?
さっきまで駅のトイレに居たよな?
確かにポスターを見て、こんな所行ってみたいな、とは思ったよ。
偶然とはいえ、たしかに景色が先程のポスターに似ていなくもない。
いや、でも、あり得ないでしょ…
考える事が多過ぎて頭の処理が追いつかない。
その為か、何度も同じ問いを自問自答で繰り返してしまう。
暫くして、ラチがあかないことに気付き、一度考えるのを止める。
一度、深呼吸をする。
再度、周囲の景色に目をやり、そのまま、360度ぐるりと水平にユックリ周り、辺りを確認する。
やはり、目の前にあるのは草、草、草。
遠くには、先端だけをほんのり雪化粧した山が見える。
「ここ、何処なんだよ…」
ポツリと呟く。