ナトラ ⅩⅩⅧ
街明かりを反射する、大きな雲の塊が流れていく夜空の下。出港したばかりのグラン・ペルアイナのメインサロンは賑々しく、疲労の溜まったナトラにはそれはそれは刺激的だったので後部甲板に逃げてきた。ナトラは遠くなっていくトートバスを眺めてながら煙草を咥えた。
四カ国代表団の記者会見は、トートバスの外れにあるゲテウン岬共同霊園で行われた。ラジオ放送中の襲撃を思い返して何か起こるんじゃないかと内心ヒヤヒヤしいていたナトラだったが、四カ国で護衛を行ったからか何事もなく終わってくれた。掘り起こされた遺骨の埋葬を同時に行うこと話題性も増して、結果的には成功だろう。
ナトラとしても、クノとシドウとスズリが同じところに眠れて少しは慰みになる。
などと、ゆっくり煙草を吸っていると、聞きなれた声が背中にかかる。
「ナトラぁ」
「アーシェか」
振り返ると、髪を下ろしてパジャマ姿にナイトガウンを羽織ったアナスタシアがいて、潮風に石鹸の匂いが混じる。彼女は居心地の悪そうにソワソワして、少し緊張しているようだった。
「ハー、ホント、黙ってれば良い女なのに。黙っていれば」
などと憎まれ口を煙と一緒に吐いたのは、景気づけにアナスタシアの子供っぽい反発を期待していたからであったが、予想に反して彼女は大人みたいな顔をして、
「……大丈夫そ?」
「は?」
「いやなんか、お仕事、大変そうだから…… どう?」
気恥ずかしいらしく、彼女はモジモジと手遊びを始める。本当に仕事を心配しているならズケズケと物申すだろうから、彼女の関心はクノの方だろう。
「誰から聞いた?」
「ぅえ? いや、その…… ミドさんがクノさんのことで一悶着あったんじゃないかってッ。タイミング的に森でクノさんと戦ったんじゃないかってッ」
正直に情報源までゲロってしまうあたり、アナスタシアに秘密を教えるのは絶対にダメだと再確認した。
ともあれナトラは、いつもより多めに煙を吸ってから、
「フゥーー…… ま、色々思うところがあったけど。なんか、ぶった斬ったらスッキリした。それだけ」
「あーー? あー…… そーれーは、大丈夫なの?」
「自分でもビックリするくらい大丈夫。つーか、今までが大丈夫じゃなかったんだなって、自覚した」
なんて事はない。クノが死んでから四年間、ずっとパニック状態だったのだ。彼女が喜ぶはずもないのに、国別対抗戦まで参加して、しかし参加したから感情に向き合えた。
アホな話だと、ナトラの心の中で自嘲した。
しかしおかげで心に余白が出来た気がした。
視界が明るくなった気がした。
背が伸びた気がした。
「要するにガキだったんだ俺ぁ」
思わず小さく呟いてしまったナトラを、ジッと見詰めるアナスタシアの瞳は、言葉よりも感情を読んでいる様子。
「……なーんだ大丈夫なのかぁ」
彼女は納得したようで、クタァと肩腰の張りが抜けたかと思ったら一気に距離を詰め、唾がかかる子供のように捲したてる。
「お前、結構心配したんだぞ。様子おかしかったし。ミドさんは放っておけって言うけどやっぱり変だし、ホントにもー、相談しろよ!」
「あー悪い悪い」
「は? …………何あれ?」
何かを感じ取ったアナスタシアは真剣な目つきで夜空を見上げる。
豹変ぶりに一瞬困惑したナトラは、遅れて威圧感を感じ、顔を上げると、夜空に溶けるようなカラスが一羽飛んでいた。
天龍院からの遣いだ。
機密情報を報せにやって来たのだが今はアナスタシアがいる。できれば“情報のやり取りをしている”という情報すら知らないで欲しいのだが、かといって放っておくと誰かに堕とされる可能性がある。
「南無三、南無三」
「ほう、呪文に反応するのか」
違う。
ナトラは上着のポケットから懐紙を一枚取り出し広げ、ヒラヒラと揺らすと、カラスが懐紙に飛び込んで墨汁に変わり文字となる。
「天龍院? なんて書いてあるの?」
「秘密、てか機密」
興味津々アナスタシアは無邪気に手を伸ばすからナトラは高く上げて遠ざけるが、彼女は無防備に身を寄せてまで紙を追う。
一度気になったら頭から離れないらしい。こういうところは甘やかされたお嬢さんである。
極東の文字をさらに暗号にしたモノだからアナスタシアに読めると思わなかったが、機密情報なので見せないように彼女の顔を掴み遠ざける。
「ちょ、ま、いたいて、まッ」
アナスタシアがタップしている隙に、ナトラはそれに目を通し、すぐに煙草の火をつけて燃やし始める。
火が大きくなってようやく、右手を彼女の眉間から離した。
「あーいった、なんて? 教えてよケチ」
アナスタシアは暴力自体に文句を言うこともなく、燃える懐紙を惜しそうに見つめる。このまま延々と詮索された方が厄介。すぐにわかることなら良いだろうとナトラの口が緩む。
「……ハー、クソジジイが魔導具送ってくれるそうだ。次からフルスペックで国別対抗戦を戦える」
「マジ? やったじゃん」
「そんな良いもんじゃないけど、なッ」
背後から足音が近づいてくるので、詮索者が増える前に燃えている懐紙を海に捨てる。
そして振り返ると、シャルロットとネリアンカが並んで歩いてきた。二人とも髪が濡れていて、やはり揃いのナイトガウンを煽って、おそらくその下には寝巻きか部屋着を着ているだろう。
「ネルさんッ、シャーリーッ、コッチぃ」
小さく手を振り、アナスタシアは自らの方に招く。
顔を真っ赤にしたネリアンカは片手にワインボトルをもって、
「こんばんは、お二人さん。夜になると涼しいなぁー」
と挨拶をすると、ボトルに直接口をつけてグビグビと呑み始めた。
確かにアゼンヴェインなら酒でも呑んで寝るという話をしたが、それにしても随分乱暴な呑みだ。
「ネルさんお酒はほどほどにした方が……」
「大丈夫だよ〜。お酒は強いんだ」
対照的にシラフのシャルロットは、ナトラの口端の煙草を摘み奪うと「灰臭い」と海に投げ捨てた。
ナトラは思わず、
「ひ、非道い」
「ごめんなぁ、サロンが煙臭くて逃げて来たんだぁ」
グラン・ペルアイナにはシンカフィンとクォンツァルテの代表団が同乗している。祝勝ムードというわけではないが、船の中は賑やかになり、ケイネスやらソヒエントやらの外敵は怖くない。
しかし不安要素はむしろ増える。金のこと、各国の思惑、各団の順位争い。いろんなことを棚上げして、国別対抗戦の建前を主張することで細く繋がっている状態だ。
それでも繋がっているだけマシかとナトラは思っていた。
ナトラの予想では協調関係は会期直前で切れるだろう。エドワードの政治家としての素養が、ナトラのネガティブな予想を覆すようにと願うばかりである。
少なくとも、グラン・ペルアイナは活気で満ちている。ケイネスがまだ横綱相撲をとっているつもりなら、ありがたいのだが。
ナトラから離れたシャルロットは不快そうにナイトガウンを叩いて煙の匂いを祓う。
「ウォルフガングの野郎、ガキの前でプカプカ吹かして。せっかくのサロンが台無し」
「ガキ?」
「あなた達のガキ」
「ああ、エドワード」
エドワードは船の主人として各団のお偉方を接待しているはずだ。協調関係を維持するために気難しい話をしているのだろう。
ご苦労様である。
しかしシャルロットは、エドワードを気遣っているというわけではなく父親のことが嫌いなだけだろう。彼女はウォルフガングのことになると非常に短気になる。
ナトラの視線に気がついたシャルロットは不機嫌そうな声で、
「なに? 文句でもあるの? 眠る?」
「なんでもありません」
茶化すとまた風穴が開きそうなので、ナトラは話題を変える。
「上といえば、よくシンカフィンを説得できたな」
「本部長は最初から前向き」
「その上」
「ああ、大統領」
ウォルフガングから話題がズレたおかげか、彼女の口調、態度は柔らかくなる。立ち姿もドッシリと地に足ついた感じだったのが、欄干にもたれ掛かって腰がクネッと崩れる。
感情が姿勢に出るタチらしい。
「選挙が近いから、大統領は人気取りに必死なの。わざわざ選挙日を国別対抗戦に合わせてるんだから手が込んでる…… 戦況が選挙に影響する…… クク」
シャルロットが自らの寒いシャレで独りニヤけるとアナスタシアはツッコミを入れる様に、
「五十九点ッ」
「勝手に点をつけない」
「まあまあ、アーシェちゃんシャルちゃん、飴チャンあげるから…… 幹部方は難しい話してるけど、あたし達は仲良くしよーね」
ネリアンカはナイトガウンのポケットから銀紙に包まれた飴玉を取り出して二人に渡すと、声を張ったのが嘘のように、アナスタシアとシャルロットは朗らかな顔で銀紙を剥がす。菓子で機嫌がとれるところは揃って少女である。
しかし口に含んだ瞬間に二人の表情は苦渋一色に変わる
涙目のアナスタシアは口をすぼめて問う。
「ネルさん、この飴は一体なんですか?」
「発酵魚の飴。酒の肴に飴て結構アリなんだぁ。あたしの実家で売ってんだよぉ」
「渋い、渋いよッ。いや苦いぃぃ」
「クォンツァルテ人は舌はどうかしてる」
普段は澄ました顔を崩さないシャルロットまで、目をカッと開き口元を抑えていた。
しかし二人は、苦言を吐きながらも飴玉は吐き出さない。育ちの良さが窺える。
「この味が癖になるんだぁ、はいナトラ君も」
ニコニコのネリアンカはナトラにも飴玉を差し出した。
二人の反応を見て、迂闊に受け取れない。
「俺は遠慮……」
「遠慮なんて良いから、ナトラ君も」
|ブリュンベルク侯爵令嬢とウォルフガングの娘は舌が肥えているはず。多少のクセのある食べ物ならこれくらいのリアクションはあり得るか。
「友好の証だと思ってくんろ。これから顔を合わせる機会もふえるだろうし、ね?」
その点ナトラは育ちの悪い貧乏舌だ。曲がりなりにも市販されているモノなら大丈夫だろうと、意を決して飴玉を試した。
渋柿を凝縮したような渋味。灰汁をかき集めたようなエグ味。焦げた砂糖の風味が拍車をかける。味覚中枢が破壊される感覚。生存本能なのか唾液が止まらない。
不味い。
ナトラは躊躇なく海に吐き捨てた。
「ああッ、もったいない」
「……クォンツァルテの観光業が不振な理由がわかった」
それを見て“吐き出す”という選択肢があることに気づいたらしいお嬢さん二人も続いて海に。
友好の証の後味は不思議と甘く、トートバスの灯りは岬の陰に消えて、増えた星々が滲んで見える。
第二章はこれにて完結です
感想やポイントなどが頂ければ幸いです。
第三章以降は執筆中でまだまだ先になると思いますので気長に待ってってください。