ケイネス Ⅳ
老獪を絵に描いたような男ケイネス・ローランド・ノルマンディー伯爵は、国務省の執務室の窓際で感慨に耽っていた。
この日のオヴリウス帝国の帝都ハウシュカは快晴に恵まれ、夕暮れになると気持ちの良い落日が街を朱色に染める執務室は庁舎の中でも高いところにあり、窓から見えるその姿は一枚の絵画のようで、芸術を深く愛するケイネスとしては見逃す訳にはいかなかった。
するとノックの音が三回。その叩き方で誰が来たか見当はつく。
ケイネスは視線を夕焼けに向けたまま、
「入りたまえ」
「失礼します」
予想通り次席秘書官であるメルト・トルテンが入室してきた。
「お邪魔でしたか?」
「構わんよ」
ケイネスが執務机の椅子に座ると、書類の束を持った彼女が目の前に来て、姿勢を正す。
「閣下、ゼプァイルの諜報員からの報告が届きました」
昨晩、オヴリウス、シンカフィン、クォンツァルテ、ゼプァイルの四ヶ国の代表団は記者会見を行った。内容は、猟犬部隊の鎮圧作戦を行ったこと。今後四ヶ国は協調してソヒエントに対抗すること。参加しなかったユーグミシェラ、エインジェンの二ヶ国の参加を歓迎すること。の三つである。
諜報員の調査によると、鎮圧作戦に参加しなかった二ヶ国と同盟事務局が遠回しに非難したが、録音テープの公開もあり、一般世論は概ね協調を支持したようだ。
「四ヶ国による協調関係の名前は、トートバス協調隊。なにやら取引があったようで、ジストジエラ本部長代理が独断で命名したそうです。ゼプァイルからの報告は以上です」
「団結か……」
苦肉の策だろうが、ケイネスにとっても悪い話ではない。世論頼りのエドワードにとって、協調が破綻すると非難の的になり致命傷となるだろう。
過去、国別対抗戦期間中に代表団らによって何度か協調関係ができたが、その全てが破綻している。理由は単純で、代表団同士は一つでも良い順位を目指す競争相手だから、会期終了間際になれば、裏切って相手を蹴落とすのは当然の思考だ。
現にトートバス協調隊という名前は実に当たり障りのないモノだ。本気で勝算があると思っているなら地名ではなく、もっと露骨に人名なり企業名なり商品名を含ませるのが筋道だろう。少なくとも名付け親のハロルド・ジストジエラは勝算がないと判断していると推察できる。
「……同盟事務局に根回しできなかったあたり、まだまだ政治に疎いな。エドワード皇太子は」
「猟犬部隊の人員が同盟の支局に潜伏していたことで、疑心暗鬼になったのだと思いますが」
「うん、その辺は良い方に転んだな」
実際のところ、同盟事務局は伏魔殿。各国から出向してきた官僚が自国利益、あるいは私利私欲のために跋扈している。あそこで信用に足る人物を見繕うのは、刑務所の中から聖人を見つけるようなものだ。
オリシズムをスタッフごと潰されたというのに、トートバス協調隊に批判的なのが良い証拠である。
「猟犬部隊なら、ウェルケンを計算に入れても皇太子謀殺も可能と思ったのですが…… 思いの外、護衛に着いた者の機転が効いたようです」
ウェルケンを唆したのはケイネスの謀略であった。自尊心の強い彼をコントロールするのは簡単で、間接的に猟犬部隊もコントロールしたかった。
「入団した近衛はアガートラムとかいったな」
「はい、それと天龍院のキラミヤ・ナトラがそばにいたようです」
「天龍院…… やはり彼の入団を妨害しておくべきだったか」
目を瞑ったケイネスは特別試験の時を思い出す。ナトラは私怨から参戦しようとしていたし、当時の本部長であるグラディスが譲らなかったから無理をしなかったが、彼と天龍院の存在がここまで影響するのは誤算だった。
「ウェルケンといえば、よろしかったのですか?」
「ん?」
「〈骨喰の王〉の件です。魔導目録に記載されていなくて、戦闘に使えるモノは希少ですので、その……」
いつになく歯切れの悪い言い方だった。
メルトの言いたいことも分からないではない。
「“もったいない”と言いたいのか? 青いな、アレを与えなければウェルケンは踊らない。道具というものは使い捨ててこそ価値があるのだ。それに、ゼプァイルでの一連の出来事はお前が思うよりも良い結果だ。私は十分満足している」
「そうなのですか?」
「商連ラウンドの成績を見たか? 一時は首位タイまで順位をあげたというのに、猟犬部隊に襲われてからの連敗で五位まで落とした。今回のことで一時的に世論を味方につけたようだが、国別対抗戦で優勝できなければ意味がないのにな。その点、エーデルフェルトはよくかき回してくれたようだ」
「なるほど……」
今度は、同意の言葉の割にメルトは怪訝な表情をしていて、視線が露骨に左右に揺れる。
ケイネスは表情を咎める。
「不満そうな顔だな?」
「……閣下の御見識は正しい判断のだと思います。ただ、民衆が正しい判断ができるかと言うと疑問です」
「ふむ、一理ある。だからこそ頭を働かせなくてはな」
「はい。ゼプァイル支局襲撃事件での金銭面での追求はいかがしますか? 皇太子が回復したら直ちに折衝という約束ですが。次のラウンドが始まる前に誰か差し向けますか?」
「ふむ。四ヶ国で協調するなら、費用も分担すると言い出すだろう」
「そこまでしますかね? 六十億ともなると各代表団の余剰金を集めても足りないのでは?」
「時間稼ぎの口実にはするだろう。エドワードからすれば、国別対抗戦が終了するまで保留できれば良いのだからな」
「と、おっしゃると?」
察しの悪いメルトの頭の上に露骨に疑問符が回る。
「……優勝して戴冠が決定的になれば、彼の発言権は増して国庫での負担に反対できない。優勝できなければ元より破滅。大会期間中は保留という回答を用意できれば済む話なのだ」
「では、“保留”を崩しますか?」
協調関係を破壊する手がかりになるかもしれないが、金の扱いに敏感なゼプァイル商人が関わっているなら、どう転ぶか分からない。
ケイネスの勘では、金銭での攻めるのは空回りに終わる気がしたが、やって損も出ないだろう。
「そうだな…… 金銭面での追求は君に任せる」
「は、必ずや成果を上げてみせます」
次席秘書官には“どうでも良い事を任せる”というルーティーンを自覚している筈だが、口ぶりは気合の乗ったものだった。
「続いて、ローガルド方面の情勢ですが……」
話は切り替わって、帝国内の反乱分子の捜査報告をメルトが始める。
クーデターを準備しているケイネスが、国務長官としての、責務を全うしているのだからおかしな話だ。
「報告は以上になります」
「……紅茶を頼む。ブランデーを忘れないでくれ」
「はい、タップリと」
敬礼をしたメルトは一度退室した。じきに紅茶の甘い香りが充満するだろう。
椅子から立ち上がり、デスクから離れたケイネスは窓から外を眺める。夕陽は既に落ち、夜空が広がっていた。やはり街明かりのせいで、田舎のような星の海という感じでは無い。面白味が欠けたのでケイネスは再び椅子に座る。
「……暗殺か」
暗殺が成功すれば良し、失敗しても国別対抗戦に悪影響を出れば良し。エドワードの心身に負担をかけ続けることは利益になる。
しかし“下手な鉄砲”を撃つわけにはいかない。トートバス協調隊が成立したことで警備力が強化されたことは間違いないし、成功体験を与えると協調関係は強固となるだろう。空中分解してくれるのが一番簡単で楽なのだから、慎重が求められる。
それに今回猟犬部隊を動かすに外法を使った。しばらくはソヒエントの内部もバタバタするだろう。
「しばらくは帝国での地固めに注力するか」
決心すると、次のラウンドでは純粋に楽しめそうだ。
「さて、次の共和国ラウンドではどうなるかな? もう後がないぞ、エドワード本部長」
帝都ハウシュカの七月は、熱帯夜とは程遠い涼しい風が吹いていた。




