ナトラ ⅩⅩⅦ
少しづつ高くなる朝陽が、森を随分と明るくして、気温も上がっていく。そんな帰り道を、ナトラは失神したウェルケンを肩に担いで、部隊と合流するために猟犬部隊アジトに向かってきた。
分隊はアナスタシア、ネリアンカ、ナトラ、シャルロットと縦に並び、急いでいるわけはなかったから、警戒優先のゆっくりとした歩みであった。
「……ネルさん大丈夫?」
先頭のクセに警戒を忘れて振り向いたアナスタシアがすぐ後ろに声をかける。ナトラが文句を言う前に雷神が立ち止まってペコリと頭を下げたので、分隊全てが止まる。
「あの、アナスタシアちゃん…… さっきはありがとう」
「ぅえッ、何が?」
突然の御礼にアナスタシアは困惑の表情。
視察員は傍観の様子。急いでいるわけでもないし、ナトラ自身が公私混同したばかりだし、今回の作戦の趣旨、協調関係の確立を想って目を瞑る。
ネリアンカは頭を下げたまま、
「あだし、人を殺すところだったから。止めてくれてありがとう」
「いや私はゼンゼンいつも通りだしッ、だし!」
とアナスタシアは気恥ずかしそうに顔を赤くしてアタフタとするが構わず続く。
「あだし、そこの人を許せない。でも許すとか許せないとか、そういうところで悩んでもアゼンヴェインは帰ってこないから……」
何かを思い至ったアナスタシアは、キッと真面目な表情になり、
「ネルさん」
「ん?」
「絶対、絶対試合でネルさん倒すからッ。あとアーシェって呼んでッ」
謎の宣戦布告。
頭を上げたネリアンカは「はい」と小気味良い返事で応えた。
そして二人で微笑み始める。
感覚派の二人が何をどのように思考したのかナトラには理解できなかったが、なんだか仲が深まっているようなので安堵安堵。
ところがシャルロットは呆れた様子で、
「バカには勝てんな」
「全く」
「あなたもバカ側」
とナトラの尻は彼女に蹴り押された。
「んー…… お前らなんで仲悪いの? と言うかなんで泣いてたン?」
アナスタシアが無邪気に訊いてくるから、ナトラは苦い気持ちになった。クノの骨前で泣いた話が広まるのは精神衛生上よろしくない。
どうやって有耶無耶にしようか考えていると、面倒臭そうにシャルロットが、
「なんでもない。いい加減進んで、日が暮れる」
「いやいや」
「黙れ」
最終的に有無をいわせぬ豪圧でねじ伏せた。“怪物”の二つ名は伊達じゃない。
それから十分ほど歩き、猟犬部隊アジトのすぐ側まできた。ドンパチしていることを考慮して西側からアプローチしたが既に戦闘音はなく、その場の面子の表情はリラックスした様子で、煙草を吸っている者もチラホラ。
それでも警戒して、他の者には気づかれない程度の声の大きさで「ミドさん」と唱えると、部隊の中心にいた彼女は大きく手を振って招いた。大丈夫そうだ。
四人は警戒度を下げて、小走りで伐採空間を進むと、自然にオヴリウスとクォンツァルテの団員が十人ほど集まって迎え入れる。数が合わないから、別動隊でも組んでいるのだろう。
四人と戦利品を見たホッと胸を撫で下ろしたミドは、
「ナトラくん、お帰りなさい。やっぱり〈伝々鳩〉持ってくるのだった」
「今更言っても…… 目標の魔導師と、その他諸々です」
ナトラとアナスタシアは、戦利品である瀕死のウェルケンと、〈骨喰の王〉、彼の私物をまとめた巾着袋、遺骨を包んだ風呂敷の四点セットを置いた。
その枕元にしゃがんだミドは、首筋に手をやって脈を確認しつつ、
「これまた随分と派手に…… まあいいわ、ご苦労様」
「私物、大したモノはなかったけどちゃんと検めた方がいい…… あれからどうなったの? 被害は?」
「あなた達が離れてすぐ銃撃が止んで、射点に何人か調査に出してたのだけど誰もいなくて、離脱したみたい」
「入れ替わりの仕掛けは? 分かった?」
「坑道」
塹壕には、地下坑道と繋がっている出入り口がいくつか存在していて、伐採空間の外側に通じていた。その出口には使い捨てられていた機関銃と迫撃砲が放置しており、そこから十字砲火を放ったらしい。
ナトラは猟犬部隊の仕事姿を想像して、
「土木業者じゃあるまいし」
「ぜひ転職して欲しいわね。被害だけど……」
と、顔が暗くなったミドはラザールの顔をチラリと見て続ける。
「オヴリウスは大丈夫、死者は無し」
「……クォンツァルテさんは?」
「二人死んで、二人重体。〈魔性の蛸壺〉を借りている。早く帰りたいンだが、猟犬部隊がトートバスの方向に消えたから迂闊に帰れないってのが、今の状況だ」
「なるほど。でもここでピクニックするわけにもいかないでしょうよ」
「その通りだ。この場の調査を終え、体制を整え次第出発する」
「ナトラ分隊は解散よ。一息入れてちょうだい」
ミドの言葉を聞いたアナスタシアもシャルロットもネリアンカも露骨に気が抜けてヘタぁと体を崩し、活性化すら解いてしまった。夜通しの戦いは不慣れで疲れていたのだろう。
特にネリアンカの消耗は激しい。背中から直接翼を生やしているため、副作用が体を蝕む。逆に言えば、このリスクを背負っているからこその帝国ラウンド最優秀選手だとも言える。
ナトラはそこまで弛まなかったが、紙煙草を咥えて火をつけた。紫煙が徹夜明けの身体に良く染みる。
その煙が鼻先についたらしいミドは、不愉快そうに鼻を摘み手をヒラヒラ振って“あっちに行け”とアピールすると、もうナトラに興味ないようでウェルケンの私物を物色。ラザールは、失神しているウェルケンの胸ぐらを掴み上げていた。
「テメぇには洗いざらい吐いてもらう。覚悟しておけ」
と目覚ましのビンタを一発。すると刺激で彼は目元がピクピクと動き、開いた。ウェルケンはまだ頭が覚醒していないのだろう。眼は左右に揺れて定まらず、口元はダラシなく開いている。
ミドやラザールらのウェルケンを囲う面々は至って冷ややか。帰ってからの“尋問”は愉快なモノになるだろう。
「ご愁傷さま」
とナトラは同情して視線を背ける。
少し歩いて煙の届かぬように少し離れ、トートバスのある南に目を向け燻らせた。
同情しながら煙を味わっていると「許して、くれよ」と弱々しい命乞いが。まるでこちらが悪者である。
ナトラとしては彼の所業をあまり恨んでない。不本意な形だが、ミドを哀悼れて心がスッキリしてしまった実感に嘘はつけないのも事実であった。まして、猟犬部隊が逃げるための囮に使い捨てにされたのだ。一人くらい生命を心配してやってもいいだろうと、振り返りミドたちに囲まれたウェルケンを見た。
彼は目が覚めても、狂った頭はそのままのようで、ヘラヘラと「助けてぇ」と命乞いを繰り返す。
「……尋問?」
違和感を怯えた二秒後、ナトラの耳元でヒュンと風切り音が鳴ると、ウェルケンの頭がパァンと弾けた。頭部は完全に原型をなくし、大事な戦果と重要な情報源が、血飛沫となって囲んでいた人員にベットリこびりついた。
完全に気の抜けたタイミングを狙われた。
「やられた狙撃だッ」
と警戒を促したナトラは頭を下げる。
しかし短気な面々が特異な風音の元に疾ろうと臨戦態勢に。というか、何人は既に疾っている。
これはいけないと思い、ナトラは僭越と感じながら、
「ダメだッ、待ち伏せされてるならまた十字砲火だ!」
声を聞いた彼らは立ち止まり、憎らしそうに、恨めしそうに銃声の方を睨みつけた。
真っ先に飛び出して、引き返してきたアナスタシアが混乱した表情でナトラに近寄ってきて、
「銃だよね? 気づかなかったよ? そういう魔導具?」
「イヤ、活性化しないで撃ったんだろう」
魔導師の視力でも音速を超える弾丸を視認するのは困難だ。今までの銃撃を対応できたのは威圧感を感じ取っていたからであって、通常通りの射撃、つまりは気配を消されると反応できない。
「クソッ、情報源を消しにかかって当然なのに。いつに間にボケたんだ俺はッ」
「ナトラにせいじゃ……」
「俺のせいなんだよ…… 悪い、取り乱した」
天龍院として、想定してしかるべき状況だった。しかし悔しがっている暇はない。意識を切り替えたナトラは警戒しつつ、できることを探すために遺体に近づくと、ミドたちが鎮痛の面持ちで残骸を見下ろしていた。
「全員活性化を解くなよッ…… おい、通常のライフルでも魔導師を殺せると思うか?」
ラザールは明確に、ナトラに対して問う。先ほどの“僭越”は評価されたらしい。
弾丸が魔導師に有効なのは活性化による底上げがあればこそ。ウェルケンの頭蓋骨を貫通したのは、朦朧としていたからであって、本来なら通常弾など皮膚を引き裂く程度。命に届くことはない。
しかし、
「眼窩か鼻腔か、口腔を通されたら脳味噌まで届くよ」
「……狙って通せると思うか?」
ナトラは即答できなかった。
ターゲットは人間に囲われ、発砲音自体は届かないほど離れた場所から、しかも弾道の大半が森の中。さらには、ナトラが南に向けていた視線を外した瞬間を狙われて、発砲炎の視認すら許してくれなかった。
こんな条件で狙撃など常識的には不可能だ。チャレンジすらしないだろう。しかしその不可能を目の当たりにした以上、発想を飛躍させなくてはならない。
響測の魔女をチラりと見たナトラは、
「普通は不可能だ、でも……」
「魔導具による補助か、魔女であればあり得る…… ってところか」
ライフル自体は活性化しなくとも、射手本人に小細工を弄している場合はある。
それでも至難の業だろうが。