ウェルケン Ⅰ
朝露の滴る森の中をひたすら走るウェルケンに、いつものような傲慢で尊大な雰囲気はなかった。〈骨喰の王〉を背負い、全身に脂汗をかき嗚咽を漏らしながら、それでもたいした速さではなく見窄らしい。
「ああ、ああッ! おえッ、なんで、こんなこと、にぃ…… はあ、んああ!」
「待てゴラぁ! 止まれってぇ! あっ、と…… 待てぇ!」
〈蝶々発止〉を使って追いかけてくるアナスタシアは怒声を張り上げていたが、脅し文句が乏しいため迫力に欠ける。それよりも、槍姫の後ろを飛んでいる無言のネリアンカの剣幕は人殺しの顔で、こちらの方がはるかに怖い。
「ぁれかぁ〜〜! 助け、てくれ、よぉ〜!」
助けなどない。
ロイに言われた通りに北に走ったというに、どうしてこうなった。猟犬部隊全員で北に逃げるのではなかったのか。なぜ一人で走っているのかウェルケンには理解できないが、捕まるのは時間の問題なのは肺が裂けるほどに理解できた。
幼少期のウェルケンは、学業では同世代では並ぶ者はいなかったし、魔導師としても比肩する者はいなかった。神童と言われた。それが周囲の嫉妬を買うことになる。元々“良い子”ではなかった。友達はおらずイジメられて、九歳の頃になると義理の父から厳しい折檻を受けるようになる。教会にいっても「お前が悪いのだ」と冷蔑された。それによってウェルケンの性格は壊滅的に歪んでいき、気がつけば故郷を捨てていた。その後はソヒエント傘下の組織をいくつか転々。様々な戦地で破壊活動を繰り返した。その時の実績を買われて、〈骨喰の王〉を貸与されて猟犬部隊に流れ着いていた。
天才だったはずだ。将来を約束されたはずだ。世界をアッと驚かせるはずだった。
にも関わらず、
「どうしてこうなったんだよおおぉぉぉ!!!」
逃げきれないことを悟ったウェルケンは立ち止まり、背負っていた〈骨喰の王〉を下ろして死に物狂いで起動した。
自動で棺桶の蓋が開き、内部にあった残り少ない頭蓋骨に粘土状の具象物が絡まり、ドロドロと人形になろうと形成し始める。しかし、そのドロドロに〈縛猫〉が飛びかかってきた。そして破裂して、銀色の粉が撒き散らされた。
ウェルケンは無視して制御を続けるが、〈骨喰の王〉が命令を受けつけない。
この魔力が“通らない”感覚には覚えがあった。
「ああああ!! 無効系とか空気読めぇ!!」
「よし、チャフ賢い」
〈蝶々発止〉で一気に加速したアナスタシアが勢いそのままにウェルケンの抱える〈骨喰の王〉にグッと“着地”。
ウェルケンは勢いを吸収できずピンボールのように弾き飛び。その際の衝撃で〈骨喰の王〉が腕から離れてしまう。
「ぐがああッ?!」
受け身を取れずに顔面から地面に突っ込み、グルグル転がる。酸欠と疲労で脳味噌がクラクラと回る頭。それでもで、〈骨喰の王〉を見つけ手を伸ばす。もうこれしか拠り所がなかった。
だが、先にアナスタシアがそれを抱き上げて距離を取ってしまう。
「よしッ! 確保!」
「ああああ!! 返せよぉぉ!! 俺様のだよおぉぉお!!」
「……おい」
絶望を噛み締める間も無く、フワリとネリアンカが地上に降り立った。彼女の顔は、奥歯が砕けんばかりに食いしばって眉間の皺が濃く、目を見開きウェルケンを睨みつける。
天使のような翼を生やしているくせに死神に見えた。
「クソクソォォォ!!」
ウェルケンは魔導具を諦め、逃げようと上体を起こしたものの、腰が抜けて立ち上がることができない。恥も外聞もない。四つん這いでヨチヨチと、行くアテもなく、方角すら忘れて這い回る。
湿った目で見下ろすネリアンカは、歩いて間合いを詰めていく。
「来るなあああああああ!!!!」
もはや絶叫するしかできないウェルケンに、ネリアンカは雷迅二式を掬い上げるように振い、無防備な尻をしばき上げた。
「いハッ?!」
ウェルケンは軽く十メートルは吹っ飛び、背中から木にぶつかり、地面にうつ伏せに落ちる。丸眼鏡はどこかに消えた。
「ぐッ! ガアアアア!! 痛い痛い痛いいいいい!!! あああああああ!!!!」
尻に人生最大の激痛が。手を当てて確かめると、グッチョリとした大量出血の感触と砕けた骨らしき硬い感触だけで、右の尻肉が無い。代わりに、彼女がこれ見よがしに掲げたスパイク部には抉れた血肉が食いこんでいた。
ウェルケンは逃走は不可能だとようやく悟り、伏せたままできる限り両手を挙げ無抵抗をアピールし、
「待て!! 助けてくれよぉ!! 魔導具ならくれてやるからあ!!」
数秒、シーンと時間があって、雷迅二式を下げたネリアンカはウェルケンの鼻先でしゃがみ、今にも泣き出しそうな剣幕で口を大きく開き、
「なんで! アゼンヴェインを殺したんズか!! それを聞きに来まじた」
「アぜ? だれ?」
「ゼプァイル・シティでお前が殺した女だよぉ!!」
か弱い女の子の大声を聞いて、もしかしたら生き残れるかもしれないとウェルケンは期待してしまった。
痛みを忘れて記憶を遡ってみる。
だがしかし、ゼプァイルではかなりの数の頭蓋骨を回収したためか、まったく思い出せない。それくらい、致命的に他人に関心がなかった。
「知らないッ、知らないよ! 俺様はただ骨が欲しくて! 言われた通りにやっただけだよ!! アイツら、猟犬部隊…… アイツらが悪い!! 助けてくれよぉなんでもするからぁ!」
「こ、んなヤツに、アゼンヴェインは……」
ウェルケンが渾身の命乞いをすると、ネリアンカは脱力してヘタリ込む。
アナスタシアは恐る恐る近寄り、
「ネルさん?」
「…………………………殺してやる」
ネリアンカは再び死神の顔に戻る。
彼女はスクッと立ち上がり、ウェルケンに帯電した雷迅二式のスパイクを向ける。
「ネルさんッ、ダメだって!」
「こんなやつにいいぃぃ!!」
大気を鳴らし紫電が瞬く。
アナスタシアの制止を無視したそれによってウェルケンの右腕が吹き飛ぶ。
「がああああああッッ!!! ああああああ、死んじゃう死んじゃううううううう!!!!」
傷口は焦げて、自らが焼ける臭いが鼻に入る。激痛の最高記録は更新。ウェルケンの脳髄を狂わせるには十二分で、思考が真っ白になり地面をのたうち転がっていることすら自覚できなかった。
それでもなお、ネリアンカは凶器を向け続けると、アナスタシアが二人の間に割って入ってきた。
「ネルさんッ、これ以上は本当に死んじゃうって! 死んじゃうから!」
「死んじまえぇぇぇ!!!!」
鬱屈した感情を乗せた雷撃は〈蝶々発止〉に跳ね返されて暁天へ打ち上がる。
ネリアンカは怒りをぶつけるように雷撃を繰り返す。
「ネルさん落ち着いてッ、落ち着いてってば!」
「アゼンヴェインを返せよぉ!!!」
それから二人で、瀕死のターゲットをヨソに数えきれないほどの紫電を撃ち放つこと数分。
殺人に意味がいないと悟ったのか、恩師が生き返ることがないと理解したのか、疲れたのか、ネリアンカは戦意を喪失したようで、四枚の翼は蒸発して、蹲って膝を抱えてしまった。
「ハア、ハア、ハアアァァ〜〜、ホント勘弁してよ」
アナスタシアはそれ以上言葉をかけることができずに、〈骨喰の王〉を抱えてアタフタとしていると、ナトラとシャルロットが現れた。雷鳴を聴いて全速力になったのだろう、二人とも息がかなり上がっている。
「アーシェどうなってる?」
「ナトラッ」
二人と合流して緊張が解けたのか、アナスタシアの表情がクタァッと露骨に緩む。
ひと目で状況を理解したらしいナトラは、キョロキョロと周囲を警戒しながら、
「あー、こうなったか。〈骨喰の王〉は確保してるな。良い良い、良くやった」
彼はウェルケンを見て満足げであるが、散々雷撃を見続けたアナスタシアは愚痴をこぼす。
「遅えよ本当さぁ! こんな面倒な役押し付けてッ、死にかけただけど?! ……なんだその顔? 泣いてた?」
「なんでもねぇよ」
「よく言う」
「……うっさいな」
目元を赤くしたナトラと、軽い口調で揶揄うシャルロット。二人が登場したことで、アナスタシアの視線はそちらに惹かれている。ネリアンカは膝を抱えて蹲ったままだ。
チャンスかもしれない。
泡を吹くほどの痛みの中で、ほんの僅か取り戻した冷静さで、ウェルケンは気づかれないようにゆっくり静かに地を這う。
無駄だった。
即座に反応したナトラの抜刀で、膝上が切断されてコテンと倒れる。
「いいたいいい!! やだあぁぁああ!!」
納刀しながら残酷な視線で見下ろし、
「逃すわけないだろ、舐めてのか?」
「あああ?! ごめんなさいィィ!?」
連続して肉体を失っていくのは、肉体的にな痛み以上に精神的な喪失を伴い、ウェルケンの思考回路は本格的に壊れていった。
「あはああ、わはあはは! ああ〜〜ーーー……」
衰弱していくウェルケンの姿を見たアナスタシアが、
「ナトラ…… いやでもやり過ぎじゃ」
「手脚を捥いだくらいじゃ死なねぇよ、魔導師なんだから。どうせ尋問するんだし、むしろ気が利いてるだろ…… で、どうだった?」
蹲ったままのネリアンカに声をかけた。
「わがんねぇ……」
「そうか、アゼンヴェインなら、なんて言うと思う?」
「アゼンなら…… 酒飲んで、ぐっすり寝て、元気になれって言う」
「それが分かってるだけで充分じゃないか。帰るぞ」
突然、ウェルケンの無防備な顎先に強い衝撃。強烈な吐き気を覚えたが、胃酸が逆流するより早く失神した。




