ナトラ ⅩⅩⅥ
森の中、〈座鯨切〉の鞘に左手をかけてたナトラは、ウェルケンが残した人形たちを確認して逡巡してしまう。
それらの数は十体。最初は密集していたのだが、ユーラユーラと揺れながら歩いて散らばっていく。体型はそれぞれ個性があり、触媒となった者の面影がハッキリと見てとれた。
何を思ったのか、〈集束煌〉の光球を従えたシャルロットが黒髪をファサッと払うと、不愉快そうに、
「私が潰す?」
「黙ってろよ、視察なんだから」
「では手早くどうぞ」
と軽い口調で後押しされたナトラは、人形たちにゆったりと歩んで近づく。一体の人形の近づくと反応したそれは、棒立ちから足を開いて重心を少し落とし、両手を握り込んで体の前に出す。今にもキレの良いパンチが飛び出しそうな臨戦態勢だ。
死してなお、戦いが身体に染み付いているのだから恐れ入る。
見間違えるはずもない。天龍院の先輩、シドウの人形だった。しかしナトラを緊張させるには不十分だった。
「参る」
と一言唱えて一歩踏み入ると、人形はキレキレの右の正拳突きを繰り出す。歯を食いしばったナトラは半歩下がりながら拳を額で受け、無心で抜刀し、右腕を刎ね飛ばしてから流れるように袈裟斬り、両断。彼の上半身が地面につくより早く頭部を横に斬った。
触媒を失い蒸発していく人形に、鋒を向け残心しながら見守って、頭蓋骨だけになってようやく納刀。
心持ちは悪かったが、ナトラは自分でも驚くほど淡々と刀を振るえた。
「起動して斬ればいいのに」
「できる限り形は残したい、遺骨なんだから。拾ってくれ」
「はいはい律儀な隊長さん」
地面に残った頭蓋骨をシャルロットに拾わせる。
そんな事を繰り返すこと八つ。残りは一つ。
「……見間違いじゃなかったな」
「知り合い?」
「恩人だ」
トウドウ・クノの人形が無防備に立っている。
猟犬部隊アジトでは見なかったから、ココで彼女と会える可能性は五分と思っていた。運が良かった。
月明かりが照らす彼女の姿は、とても魔導具で創られているとは信じられないくらいに生々しかったが、ナトラの知っている表情とはあまりに違った。
「そんな顔するなよ」
微笑みの絶えない女性であったから、彼女の無表情を初めて見た。真一文字に結んだ口も、実は釣り目がキツイことも初めて知った。
シドウやスズリには悪いが、やはりクノは特別だ。どうしても感傷的になってしまう。
違う、感傷的になるためにここまできたのだ。
四年前。前回の国別対抗戦ゼプァイル商連ラウンドの試合中、クノは死んで、検疫の都合上からトートバスの公営霊園に埋葬された。帰ってきたのは彼女の遺品だけだった。
強烈な喪失感と無力感に苛まれてそれを振り切るように四年間、己を鍛錬してきた。
復讐すればスッキリするかと考えて国別対抗戦に参加したが、実際にウォルフガングと対峙して想ったのは畏敬の念だった。彼に臨むべきは挑戦であって復讐ではないと悟った。
ナトラは、大使館襲撃の際に彼女の人形の姿を見たとき、自分が呪われていると思った。彼女に対する感情の落とし所がなっていないと、その時ようやく自覚した。
エドワードに厳しいことを言った時、本当は自分に言い聞かせていた。その心構えではダメなのだと。
そしてシエスタがエドワードに理想を重ねていると言ったとき、自分の胸に四年間痞えた感情が何なのか、これから理解できた。
ナトラは、クノが生きていたことを継承したいのだ。
名前の話ではない。生き方、考え方、技術とか、作法とか。そういったモノを“次”に繋ぎたい。
呪いから、継承に。
ならば姉弟子の亡霊を前に、するべき事はよくわかっていた。
ヌケヌケと、シンプルに、稽古のように、スズリを葬送ったように、シドウと同じように、斬ればいい。
コレを斬ってようやく一人前になれる気がした。
「スー…… 参る」
息を整えて、気を整えて、柄に手をかけたナトラは居合の間合いに踏み入る。
人形の空な視線は、まだナトラを構えない。
ナトラが抜刀しようと心を決めると同時に、磁力で引かれるように、スッと彼女の身体が迫ってきた。そして抜刀するよりも早く〈座鯨切〉の柄頭を両手で握ってきた。
やはり速い。
不覚悟で動きが鈍ったのではない。ただ単に、クノが縮地法の達人なのだ。そういう人だった。分かっていたから、稽古通りに身体は動いた。
ナトラは〈座鯨切〉を彼女にグイッと押し込みながら半歩下がって間合いを作ると鞘を外すように逆手抜刀、そのまま刀身を左手で支えながらクルリと回して彼女の脚を狙う。
彼女は抵抗しようと柄を握る両手に力を込めるが、左手で支えているので〈座鯨切〉は綺麗に回り、彼女の右太腿を圧し斬る。
片脚になっても彼女は無表情で、転び、ナトラは間髪入れずに眉間に振り下ろそうとした。
視線がナトラを向いていた。
だが過去に思いを馳せる事はない。間髪入れずに振り下ろすし、鋒は頭部を割った。
触媒を失い蒸発していく人形に、鋒を向け残心しながら見守って、頭蓋骨だけになってようやく納刀。
ちゃんと稽古通りにできた。
教わった通りにできた。
ナトラは達成感と充実感で胸が一杯になり膝から崩れ落ちて蹲ってしまう。
「クノ、俺は強くなったかな? なったよな?」
骨は答えない。いつまで経っても答えない。当然だ、ただの骨なのだから。
「抜刀術…… 上手くなったろ? あれから、クソジジィにシゴかれて、トワも、カスガも厳しくって……」
無駄なことだと分かっていても訊いてしまう。
「俺はクノともっと一緒に、居たかった。恩返ししたかった。けど、エドワード見てたらもうそんなこと言ってらんないよ」
ようやく彼女の屍の上に立つことができた、そんな気がする。
「行こう、二人が心配…… みっともない」
事情を全く把握していないであろう彼女は、水色のハンカチを差し出す。
「は?」
「涙」
言われてようやく、頬に涙が流れていることに気がつく。
大した量じゃない、ただ一筋だけ。