シャルロット Ⅲ
シャルロットは、ナトラの指揮の下で北上するターゲットを汗を滲ませて追走する。朝靄でジメッとした森が不快だった。
ただの視察役であるはずなのにこんなところまで駆り出されてしまった。確かに、ターゲット確保という肝心なところを見届けなくてはならないから付き合うしかないのだが、結局うまく使われている気がして複雑な心境である。
「ハンティングは趣味じゃないのに」
シャルロットが愚痴を漏らすと、すぐ前を走るナトラが前を向いたまま、
「あ? 何?」
「なんでもない独り言。それより、本当に逃げてるヤツがターゲットで間違いない? ブラフの可能性はどのくらいと見積もっている?」
彼は少し逡巡して、
「……魔力残滓を覚えた〈縛猫〉が追っているから、背負ってるのが〈骨喰の王〉なのは確定。人間の方は分からん」
ナトラの前を先導する真白い〈縛猫〉はそれはそれは賢猫で、四人の中で最も鈍足なシャルロットに合わせて速度を抑えながらも、朝の森を颯爽と駆け抜ける。二股の尻尾がそれはそれは愛らしく、任務中でなければ撫で回したいほどだ。
「ヨソで喋んなよ」
「承知している…… アイツ速い」
〈縛猫〉など眼中にないネリアンカは〈偽天契約〉の翼をはためかせ先行。樹々の中を窮屈そうに飛んで、さらに加速しようとする。
孤立させまいとアナスタシアも加速してしまい、隊列は縦に長く伸びていく。
即席の即席の分隊にきちんとした連携をしろと言うのが難問だが。もう少し気遣いはないのだろうかとシャルロットは呆れる。
明確に指揮権を渡されたナトラが強い口調で指示を出す。
「アーシェ、ネリアンカ、突出するな! ちゃんと後衛に合わせろ!」
アナスタシアは素直に速度を落として、〈縛猫〉よりも後方に退がると、
「ごめん、でも逃げられちゃわない?」
「大丈夫。大使館の時、相当素人っぽかった。アレで速いってこたない…… おいッ、聞こえてんだろ、指示に従え!」
「この先に仲間がいるがもしんねぇだろぉ! いそがねぇとぉ!」
しかし背中を向けているネリアンカは速度を落とさず、さらに先行する。彼女は振り返ることはなかったが、今にも泣き出しそうな声であった。
「なおさら隊列乱すなッ」
「うう……」
ネリアンカは観念してようやく速度を落とし合流した。彼女は地に足をつけると、顔を隠すように翼を閉じて速度を緩める。
追いついたナトラはネリアンカの背中に手をやって、
「もう少しだけ辛坊してくれ。俺たちの目的は分かってるな」
「……生捕り。魔導具も、持っで帰える」
「分かってんじゃねぇか」
「わがんねぇよ!! みんな、どうじて冷静でいられるんずか!?」
「じゃあテメェの目的は? 何がしてぇんだよ?」
「あたじの? あたじは……」
「板挟みになるな、折り合いをつけよう。君はクォンツァルテ代表だろ」
「……わがった」
諭されたネリアンカの泣き言は一旦収まる。
シャルロットはナトラの言葉に大した効果があるとは思わなかった。この程度で彼女の心の整理がつくなら、とっくの昔にラザールなりアヴローラなりが収拾をつけているだろう。
ともあれ、移動速度と感情が落ち着いてから四分後。一人ぼっちで逃走するウェルケンを視界にとらえた。
ウェルケンとの距離は百メートルもない。
荷物を背負いながら起伏のある森の中を往く体力はないのか、彼の足取りは重く、トボトボと後ろ姿だけでも疲労困憊なのがわかる。優れた魔導師なら無茶が効くはずだが、よほど運動が苦手なのだろう。
などと、シャルロットは肩で息をしながら同情してしまった。
ナトラは先頭の背中に声をかける。
「ネル、大丈夫だな」
「うん……」
「よし、行けッ」
ネリアンカが翼をはためかせて飛び出した。
「ナトラ私は?」
「君も行け、ネルを孤立させるな」
ナトラが指示を言い終わる前に、真紅のジャケットを肩から払ったアナスタシアは「よッ」と残して跳ねていった。
地面に落ちる前に制服を回収したナトラはチラリと振り返り、
「俺たちはこの速度で追いながら援護する」
「了解…… ハァ、フゥ」
額を拭ったシャルロットは〈集束煌〉を起動して光球を出し自身の周囲に保持して備えた。
ようやく追手に気がついたのかウェルケンは振り返り、遠目からでも分かるほどの慌てふためいた表情を見せる。
「ひ、だ、誰かぁ! ハアハア、あああーー!! 誰もいないぁ? あんでぇ!」
見事な絶叫をあげたウェルケンは〈骨喰の王〉から十体ほどの人形を作り出す。
「あああ、足止めしろ!」
と叫んで逃げるためヨタヨタと走り出す。
しかし命令を受けた。人形は融合せず、ユラユラと亡霊のように棒立ちしていた。
「待てコラァ!?」
危険はないと判断したらしいアナスタシアとネリアンカが人形の合間を縫ってウェルケンを追おうとすると、棒立ちが嘘のような、キレのある拳打が二人を襲う。
「ンちょッ」
ネリアンカはヒラリと躱して高度を上げやり過ごした。アナスタシアは持ち前の反射神経で上体を倒してこれを躱すが、完全に体勢が死に、続く踵落としを避けることができない。瞬時に起動した〈嘲笑う白刃〉で受けるが、衝撃を吸収できずに背中から地面に落ちた。
人形が仰向けのアナスタシアの顔面に下段突きしようと腰を据えた瞬間。〈座鯨切〉が人形の身体を上下に斬りわける。
「退がれ」
ナトラの声が響くと、アナスタシアは寝たまま〈蝶々発止〉を蹴ってズルズルと地面を転がって戻ってきて、勢いを利用してヒョンと跳ね起きたが、ストロベリーブロンドの髪がボサっと乱れて、キャミソールは石やらでボロボロになっていた。
脱ぎ捨てたジャケットをバサッと頭にかけたナトラは、
「バカ」
「うー、うるさいな」
アナスタシアにも恥じらいはあるようで頬を赤らめて袖を通す。そもそも薄着で戦闘するのはいかがなものかと、オヴリウス二人に呆れたシャルロットは気が抜けて、深くため息をついてしまった。
「ハァー…… あなたたち、いつもそんななの?」
「アーシェだけだ」
「いつもじゃない!」
両断された人形は、上半身だけでモゾモゾ動いて下半身に触れると、グュンニョリと粘土を捏ねるように動き回り、再び人の形となった。
各個体の性能も良いし、合体もできる。やはり魔導師が的確に操作“できれば”厄介だっただろう。
ウェルケンは手負いの鹿のようにトボトボと、今にも倒れ込みそうな姿で逃げていく。他人のことをとやかく思えるわけではないがシャルロットから見ても、やはり走る姿に運動神経を感じない。
そんな彼を見てもネリアンカは激情に堪えて突出せず、ナトラの頭上で対空。
「気をつけろ、死ぬ前に覚えた身体の動きを全自動で再現してくるようだ。全部ジャスパーかなんかだと思っとけ」
ジャケットから取り出したシュシュで手早く髪を結ったアナスタシアは、
「……なんかトカゲとかアリとかよりも厄介じゃね?」
「わざわざ墓を暴いた成果ってわけだ…… 三人でアレを生捕りにしろ。焦らずジックリやりゃ大丈夫だ」
「ん、ナトラは?」
「俺は人形を回収しながら追う」
「は? 一人で?」
とアナスタシアは目を丸くした。
人形達に三人の背中を晒す事を危惧しただろうか。
「質問は無しだ、さっさと行け」
「んー…… 分かったよ」
言い返したくて堪らない、とアナスタシアの顔の書いてあったが時間はない。〈縛猫〉を抱いたアナスタシアとネリアンカは人形の手が届かないように魔導具を使って宙を舞い、ウェルケンを追った。
「……君も行け」
シャルロットは動かなかった。
実力的にはナトラ単独で人形の回収は可能だろう。しかしシャルロットの直感だと、こちらを視察しておいた方が良い気がする。
「私は機動力が悪い。だいたい、二手に別れるなら二対二にするのがベター。反論は?」
「ねえよ。早く行け」
「あ? 視察員があなたの指示に従う道理ある?」
二人は睨み合う。
お互いに本気で怒っているわけではないから、どこか迫力に欠ける。
「……分かったよ」
ほどなくナトラが折れた。さっきのアナスタシアよりも恥ずかしそうだった。