ロイ Ⅲ
猟犬部隊隊長ロイ・ウーラートは軍服を泥だらけになりながら、テント近くの塹壕から頭を出し、双眼鏡で南東を覗いていた。赤銅色の癖髪は乱れ、ブーツの中まで泥が浸水、耳は爆音でキンキン。中年には辛い仕事だ。
暁の空はまだ暗く、彼らの人相を断定できないが、事前に知り得た情報と彼らが使っている魔導具を鑑みれば、攻撃を仕掛けてきたのはクォンツァルテの部隊だということはすぐにわかった。
強敵と評して良いだろう。
猟犬部隊は差し当たって、敵襲があった場合の対応を行ったものの敵部隊に決定打を与えられなかった。指揮官としては、こんな地味な戦いで部下を消耗したくない。
よって今回は“逃げ”の一手である。
「退場劇か」
それだって一筋縄ではいかない。
彼らが森の中に後退すると、ロイは攻撃の手を緩めるよう指示を出した。銃撃を続ければ樹々を薙ぎ倒すことは可能だが、風通りが良くなる頃にはクォンツァルテは横に移動して、樹々の陰に入るから意味がない。迫撃砲は樹々はそれほど問題にならないが、放ってから着弾まで長く、移動対象相手には不得手だ。
しかし彼らの魔導具の有効交戦距離はライフルより短く、あちらも決め手を欠くようで、お互いに牽制程度の射撃を散発させている。
それにしても、ライフルと迫撃砲での制圧で彼らが素直に後退したのはロイのプロファイルとかなり異なる。
「なんか反応があざといなぁ」
「そうですか? 手をこまねいているだけでは?」
傍で同じように泥に塗れているセイリス・A・ラフラカンテが楽観的に返事する。
乱れたブロンド髪も泥のついた肌も、どうして彼女は絵になるのだろう。
「……美人はいいね。水虫にならなそうで」
「はい?」
「独り言。打つ手がないなら特攻するような連中だよ。後退するなら何かしら備えがあるね」
「はぁ…… 私たちと通じるところがありますか」
「連中に聞かれちゃダメだよ? 我々のような下賎な者と同じにされちゃ怒っちゃうよ」
「もう十分怒らせてますから、これ以上の心配がいらないのでは?」
「いや、これ一本取られたかな? アハ」
緊張感のない戯言を吐いていると山陰から朝陽が差し込み、一瞬目が眩む。
と同時に南西方向から膨大な威圧感と共に、飛び道具がバカスカ打ち込まれ陣地は十字砲火を浴びる。
反射的に頭を下げながら、
「あーやっぱり別働隊がいたね…… よりにもよってオヴリウス…… フェイズ4へ移行」
「了解」
この程度は想定内。別働隊を用意していたのは魔導師たちだけではない。こんなこともあろうかと、塹壕内に潜ませていた第三小隊が銃撃を開始して抵抗する。するとオヴリウス隊は、防御にリソースを回さなくてはならないためか、多少は制圧力が落ちた。
とはいえ、このまま十字砲火を浴びる続ければ、壊滅するのは間違いない。響測の魔女ことミド・アンティーナ・クドリャフカがいるからだ。
塹壕内に潜んでいても、その耳で位置を把握され、さらに〈玉撞き遊び〉の鋭角に曲がる軌道は、防楯の使えず塹壕に身を隠す者としては悪魔だ。
まだ距離があるせいか命中精度は悪いが、それでも彼女一人で最前の隊員たちに次々と鋼玉が穴を開けていく。
ミドがいる限り壊滅は時間の問題だし、そうでなくとも、今この瞬間にもクォンツァルテの部隊が突撃してきてもおかしくはない。この辺が潮時だろう。
「ウェルケン殿」
「うひぃッ! なぁなんだぁ!?」
これまで散々大口を叩いていたはずのウェルケンは、襲撃があってからは塹壕の底で頭を抱えてガタガタと縮こまっていた。この小心者は、襲う事は何度もやってきたが襲われるのは初めてなのだろう。綺麗だった白いローブが汚れて、ようやく、かろうじて、親近感をロイは覚えた。
「このままでは戦線を抜かれます。準備もないですし、こんな意味のない戦いに付き合わないでサッサと逃げましょう。あなたには魔導具を使っての迎撃をお願いします」
「おおお俺さまがか? あ?」
「このままでは死にますよ?」
「あ、う、分かった。それは構わんが…… いつ逃げるんだ!? どうずる?!」
彼は振り絞るように言葉を吐いた。
「このまま逃げても追撃されるだけ。ですので〈骨喰の王〉での迎撃を。いい頃合いで煙幕を張りますので、〈骨喰の王〉を持って北に撤退してください」
「きた、北だな…… しかしそれでは、折角集めた頭蓋骨がかなりの数置き去りになってしまうのでは?」
「仕方ありません、命あっての物種です。我々も物資を諦めますから」
ウェルケンは数秒苦悩したが「仕方ない、か」と意外にもすんなり諦めた。もっと執着すると思っていたから、意外であった。
「こうなったのは貴様らのせいだ。頭蓋集めは貴様たちでやってもらう」
「あー、そういう」
ウェルケンは隣で寝ていた〈骨喰の王〉を起動。勝手に開いた棺桶の中から白い人形が湧いて出てくる。
それらはグロテスクに寄り集まりながら二つの塊となった。やはり白く、高さは二メートル。長さは六メートルほどか。塹壕の中にかろうじて収まる大きさだ。細い六足で立っていて、いつもの大トカゲとはシルエットが異なる。
「コウロギっぽいですね」
「クワガタじゃない?」
「アリだ馬鹿者どもが、教養が足りんぞ教養が」
いずれにせよ、顎の大きな昆虫のようである。
這いつくばって震えていたウェルケンはズレた丸眼鏡を整えるとスクッと立ち上がって、
「行けッ、身の程知らずな愚か者どもを噛み殺してこい!」
彼は魔導具を起動すると気が大きくなったようで、命じる声に覇気があった。
二頭の大アリは塹壕から出てそれぞれクォンツァルテ隊とオブリウス隊に突っ込んでいくが、片方は紫電を浴びて焦げ、もう片方は一太刀で両断された。
「馬鹿が、この程度でどうこうなる〈骨喰の王〉ではない!」
と大声でリアクション。
ウェルケンが何をするわけでもなく、〈骨喰の王〉は全自動でアリの型に戻ろうとする。本当に彼には勿体ない高性能の魔導具である。
「……あのアリは二体だけで?」
「ん? いやまだ作れるが」
「触媒をケチって死んだら元も子もないでしょう」
「分かっている、ありがたく思え」
ウェルケンはアリを更に四頭作り出し、敵部隊に差し向けた。
まだ足りない。さらにストレスを掛けたい。
「セイリス、第二と第三小隊で押し返せ」
「了解」
ロイの命令で猟犬部隊の銃声が高鳴る。ライフルも迫撃砲も残弾度外視の砲火だ。これだけやれば、響測の魔女は目の前の戦闘しか聞こえないだろう。
「……ウェルケン殿、あなたはこう少し後方で待機していただけますか」
「ん、もちろんだ。もっと安全な場所に移動する」
と偉そうな雰囲気を出しながらも、塹壕から頭が出ないように細心の注意を払いながら離れていく。
あとは見計らって煙幕を張るだけである。