アナスタシア ⅩⅡ
七月十九日 木曜日
会談から六時間後、日付け変わって少し経った頃。アナスタシアは、オヴリウス代表団から選抜されたメンバーとトートバス北部の未開発地区を歩いていた。
この辺りの建物は、木材だけで組み上げられた古いモノが多く、良くいえば歴史を感じる。中心部からかなり離れているためか、ネオンの灯りは届かず街中は暗い。その割に星は冴えず、なんだか寂しい印象だ。
団員たちは各々、魔導具を装備して臨戦体制を整えているからか緊張感が強く、言葉数も少ない。かくいうアナスタシアは、グラン・ペルアイナでお行儀良くしていた反動か気が大きくなっており、ジャケットを肩に羽織ってキャミソールの胸元を夜風に晒していた。そして、珍しく協力的な警備班から借りた真白い〈縛猫〉一匹を腕に抱いて、なんだかリッチな気分である。
これからするのは実戦である。試合とは全く違う感覚、感情だ。不思議なことに試合と違って緊張せず、心地の良い高揚感を覚える。
明確に“敵”を認識できているからだろう。
変なところでブリュンベルクの血を感じながら、アナスタシアは前を歩く喫煙男に声をかける。
「ナトラ…… ナトラッ」
「ん? なんだよ」
振り向いた彼の口には煙草があったが、何だかいつもよりも美味しそうである。
銃撃事件以降、心ここに在らずといった感じで心配していた。クノの骨の話を聞いて合点がいった。スズリの時も一時フリーズしたし、天龍院関係は彼にとって地雷のようだ。
それはいい、まだ分かる。
しかし彼は、エドワードが目覚めてからはずっと楽しそうな、嬉しそうな、幸せそうな、とにかく上機嫌である。
こうなると全く理解できない。
「ナトラ大丈夫か?」
「ああ? 何が?」
「イヤ、なんか、悩みとかないッ?」
「ねぇよ」
クシャリとアナスタシアの頭を撫でると、ナトラは再び前を向いてしまった。
今までと何か違う気がした。
不安になったアナスタシアは歩調を緩めて、すぐ後ろにいたミドと並び、彼女の袖を引く。
「ミドさんナトラが、なんか、おかしいよ」
「そうかしら? 絶好調に見えるけど? まあ男の子には色々あるのよ」
地図を読み込むミドは気にも留めておらず、面倒そうに「歩きづらい」と続けた。
しかしアナスタシアは気が気でない。これから敵の本陣に乗り込もうというのだから不安要素はなんとかしておきたい。
「ミドさんッ」
「アーシェちゃん、お姉さんぶらなくて大丈夫よ。それよりも私はあなたの方がよっぽど不安なのだけど。今からでもキャンプに帰った方が良いんじゃない?」
「うへぇ」
どうやら藪蛇だったらしい。
「立場的にはあなただって彼らのターゲットになってもおかしくないでしょうに。よくハンシェルが許したわね」
「まあ、自分でもどうかと思うけど、頭数揃えるのだって大変でしょ?」
「それはそう」
実際、ブリュンベルク派閥からは強く反対されたが、怪我人の多い前衛の中から人数を揃えるためには他に選択肢がなかった。アナスタシア自身もハイリスクなのは理解しているが、何事も経験である。
「大丈夫、ちゃんとミドさんのこと守るから」
「あなたねぇ…… まあいいわ、この前みたいに突っ走らないでね」
「ぐへぇ」
「でも緊張してないのは良いわ…… ジャスパー君の件、あなたは大丈夫?」
「んー、まあ身内が死んじゃうことは良くあるから。辺境だもの」
「イヤな話。聞くんじゃなかった」
口ぶりの割にはミドの表情は柔らかく、機嫌は良さそうに見えた。流星事件以降、ヘッドコーチ代理としてイライラしてばかりだったから、こういう彼女を見れるのはアナスタシアとしては嬉しいが、やはり不思議に思える。
「……ミドさんも、怒ってないの?」
「何が?」
「いや、『勝手に鎮圧作戦決めてきて、試合はどうするのー』的なヤツ。ガミガミしない?」
「アーシェちゃん、あなた私を買い被りよ」
「……その心は?」
「ストレスの原因をぶっ殺せるのだもの、思い切りやるわよ。結構気持ちがいいものよ、嫌いな人間に風穴開けるのって、ふふ」
物騒なことを吐いた彼女の口元は清々しさに溢れていた。腕の中の〈縛猫〉が「フゴー」と警戒しているのでおそらく本音だろう。
ナトラも同じ心境なんだろうか。
返す言葉を見つけることができず、段々と不安が募っていくが、そんなことはお構いなしに一向は目的地に到着する。
そこは建設途中のビルで、躯体こそ完成しているものの内装はおろか外壁もコンクリートが打ちっぱなし。近づくと、中からニヤけ顔のハロルドが出てきて手招きする。
「おーい。こっちこっち」
すると上機嫌だったミドの顔は、ジトッとした恨めしそうな表情になった。彼に風穴が開かないか心配である。
彼女は感情を隠そうともせず、イヤな言い方で、
「営業の成果はあったようね」
「お陰さんで」
「なんの話?」
「無駄話。入るわよ」
アナスタシアの問いを投げ捨てたミドは建物の中に入っていく。後でハロルドが蜂の巣にならないか心配である。
アナスタシアらも彼女に続いて建物の中へ。そこ一階部分ではすでにクォンツァルテの選抜が控えていた。彼らは資材に腰掛けたり、柱にもたれかかったりして、無駄口を叩かずに殺気を立ててる。普段の大らかな一面を知っているから余計に近寄りがたい。
オヴリウスの面子を確認したハロルドは、揶揄うように口角を上げて、
「あらら? オタクらの本部長さんは?」
「彼は不在よ。先の事件のターゲットだった彼を連れていけるわけないじゃない?」
「そらそやなぁ」
出陣前、エドワードは自ら不参加と決めた。リスクを顧みれば当然なのだが、部下を死地に追いやる苦しみはアナスタシアの想像を絶する。
「でも言い出しっぺが不在とは…… 随分と、ププ、ヌルいなぁオタクら」
ハロルドの嘲笑を無視したミドはラザールの隣に立ち、本題を進める。
「ということでラザールさん、仕切りをお願いしてもよろしいですか? ヘッドコーチ代理では不足でしょうから」
「よぉし! おうおうテメェらよく聞けッ、ボサッとしてんじゃねえぞ! 気合い入れろ!」
指揮権を譲られたラザールは慣れた様子で檄を飛ばすと、クォンツァルテの面々が同時に「おおッ!!」と吠えた。いまにも暴発しそうでおっかないが、アナスタシアはこういうのは好きだ。
必要な情報と、大雑把な作戦内容は既に共有している。即席部隊の構成は、オヴリウス代表団とクォンツァルテ代表団から八名ずつ戦闘用魔導師を選出し、さらにそこにシンカフィン代表団とセプァイル代表団から視察員を二名ずつ派遣された、計二十人。
「今回の作戦の目標は〈骨喰の王〉の持ち主、ただ一人に絞る。おそらく猟犬部隊の部隊長だろう、コイツを生捕りにするッ」
ハロルド情報では、猟犬部隊の人数は推定二百人程度と魔導師が一人なので、戦力的にはやや不利。さらに連携の良し悪しを考えればかなり不利と言えるだろう。魔導師と魔導具をピンポイントで狙うのは分かりやすさもあるが、短期決戦で決着をつけたいという現実的な面の方が強い。
それでも戦う理由がある。
「俺たちにケンカを売ったことを後悔させてやれッ! いいな!!」
「おおッ!!!」
今度はアナスタシアを始めブリュンベルク派も呼応して叫ぶと建物に爽快感が響く。耳を塞いだ響測の魔女がギロッと睨んできたのは、気付かなかったことにしたい。
ラザールは床に大きな地図を指差しながら、
「オヴリウス隊とクォンツァルテ隊に分かれて進軍し、到着次第待機。両隊の後衛で十字砲火陣を敷く」
トートバスの港街の北部には二つの山脈が南北に並走するようにあって。その合間に細長い森がある。
ラザールはアジトがあるとされる所に小さな赤い石を置く。その辺りは特に狭窄しているように見えた。地図を信じるなら森の幅は一キロ未満だろう。
「布陣は敵アジトの南側でいいのよね?」
と耳の痛そうなミドが確認を取ると、ラザールの口調は少し大人しくなり、
「ああ、最初の後衛攻撃開始は日の出と合わせる。五時四十三分だ。前衛は機を見て突入、東西から挟撃する形でな。そこで目標を捉える。同士討ちに気をつけろ」
「あえて北側を開けて逃して、トートバスから遠ざけつつ私たちの退路も確保する…… いいんじゃない?」
“逃げた場合どこまで追跡するか?”についてはあえて誰も訊かなかった。“行き当たりばったり”としか返答がないのが分かりきっていたからだ。
「見物にきた奴らは自分の身は自分で守れッ、コッチは責任取らねえからな!」
「了解している」
「モチのロン」
ウォルフガングとハロルドが自己の責任を了承。これで段取りは全て済んだことになる。
「よぉしッ、ここで腐っていても仕方ねぇ、出発だ! いくぞッ!!」
ラザールの号令を起爆材に即席部隊は出発。二十人はトートバスの森に足を踏み入れたのだった。




