ロイ Ⅱ
オヴリウス帝国大使館の内装はまるで劇場のそれで、歴史を感じる風格であった。エントランスホールには大階段があり、天井まで続く吹き抜けがあって、二階の通路からも玄関を見下ろす事ができる空間である。
ここを占領した猟犬部隊隊長、ロイ・ウーラートは二階の窓際にいて内部も外部も目視で把握できる場所でターゲットが来るのを首を長くして待っていた。
従順な部下五十人は、大階段はもちろんのこと、ワイヤーを利用して壁の窓、シャンデリア、銅像の上など、玄関を狙うように立体的な半包囲陣を布いた。
そして、帝国兵に扮した二人の隊士によって玄関が開かれると、エドワード・リゼンフォーミル・フォン・オヴリウスとその従者シエスタが登場。
状況を理解したのか、エドワードの表情は呆然とし、シエスタの表情は苛烈なモノになる。
ロイは「撃てッ」と端的に命令を下す。
間髪入れずに無数の銃声が鳴り響く。
銃弾より早く二枚の防楯が展開されるが、銃弾の雨は半秒もかからずこれを粉砕。僅かに稼いだ時間でシエスタがエドワードを抱きしめて庇う。
彼女の背中に弾丸が数発当たってようやく、〈澄碧冠〉が起動。彼らを襲う弾丸の軌道は捻じ曲げられて八方に散る。しかし〈澄碧冠〉の作る斥力場は上下左右からの無数の弾丸全てに対応することは出来ずにシエスタの背中の真っ赤な穴は徐々に増えていく。
「エドワードッ!!!」
外を見ると、エスコート役で周囲に残っていた隊士四人はナトラに斬殺されてた。
「手も足も出なんだか」
彼らだって十分に手練れだが、目を話した隙に殺すのだから近接戦ではどうしようもなかっただろう。
すでに〈座鯨切〉は納刀されていてる。彼は防楯を展開して自らを守りつつ、エドワードたちに近づくため邸内に入った。
想定内である。
部下たちは指示もなく照準をナトラに変えた。〈澄碧冠〉の向こう側にいるとはいえ、命中率はそこそこ良い。
猟犬部隊の布陣は吹き抜け構造を利用した立体的なモノだ。〈座鯨切〉の一振りで殺せるのは精々五、六人。そして二撃目を放つ前に彼も銃撃の餌食になるだろう。
そうなれば護衛は消えてエドワードを獲れる。
「さて、どうする?」
ナトラは防楯が割れるより早く〈座鯨切〉を抜いた。狙いは一階の隊士たち。伸びる斬撃の横幅は案外狭く、意外と云ってはなんだが、横並びになった隊士たちを三人しか斬ることは出来なかった。
銃声の高鳴りに大差なし。これなら問題なく獲れると油断した瞬間、大使館が唸り声を上げ、シャンデリアの明かりが消えて唐突に暗くなった。
「そう来たかぁ」
目視できない通電設備も斬ったい違いない。恐らく、屋敷の構造を把握していたのだろう。隊士たちは銃撃をやめないが、灯りが消えたせいか射撃精度は悪い。
オマケに柱の一本も斬ったのか、ただでさえ流れ弾で壁がボロボロになっていた煉瓦屋敷は天井から堕ち、崩れていく。
〈澄碧冠〉は尚も有効で、あと数秒で仕留めきれる保証はなかった。
ここで五十人が傷むのは惜しい。
仕方なく「退避ッ」と命じると続いていた銃撃はピタッと止み、隊士たちは身の安全を確保し始める。
ほどなく、崩れた天井が大理石の床を砕き、煉瓦特有の軽い音の混じった瓦礫音が地面を揺らした。ロイのいた二場所には、大きな煉瓦は落ちなかったものの、足元が崩れて一階まで落ちてしまった。
着地で尻餅をつき、舞い上がった粉塵でむせ返る。
心配したのかセイリスが寄ってきて、
「隊長、ご無事で?」
「コホッ、コホン。ヤレヤレだ」
大使館は半壊して、街明かりがよく通る。粉塵の中から脱出する彼らの姿を見つけることに苦労はなかった。
ナトラは、〈澄碧冠〉が散らしていたとはいえ、数発銃弾を受けていた。腹や脚から出血をしているし、もう本来の実力は発揮できないだろう。そんな身体で、動かないエドワードとシエスタの身体を右手一本で掴み、そのまま引きずって正門の方へ逃げていた。
「良くやったぞぉー、猟犬部隊隊長ウーラートぉ」
庭を見ると、実に楽しそうなウェルケン・フォストラウトの嫌味が聞こえる。彼は傍らに黒い棺、〈骨喰の王〉を置いて、ナトラたちの行く手を阻むように正門の前で立っていた。
鼻歌混じりのウェルケンは〈骨喰の王〉を起動した。棺の蓋がひとりでに開くと中からは大量の頭蓋骨がガラガラと溢れる。さらに、棺の底面から白い液体が滲むように出てくると、頭蓋骨に絡まっていった。液体は粘土のようで、形を整えながらムクムクと大きくなっていく。
その塊からはルシウスに比肩するほどの強烈な威圧感を覚える。魔導師としての才能は世界中でも十指に入るはずだろう。
「どうしてあんなのになっちゃったのかねぇ」
「ヤらせて良いのですか?」
「仕方ない、仕留めきれなかった俺たちは悪い。ここまでこれば失敗らないだろうし、あとはやらせてやろう。撤収」
「はッ…… 隊長は?」
「一応責任者だからね。見届けるよ」
「お供します」
モゴモゴと動いていた粘土のようなモノは、いつしか巨大な生白いトカゲのような具象物と化した。
その足元でウェルケンは恍惚の笑みを浮かべて、
「俺様は、俺は歴史になるのだ…… フハハ! 皇太子殺し、結構じゃないか!!」
満身創痍のナトラは引き摺っていた二人を離すと、再び〈座鯨切〉を抜刀。上から下へと振り下ろした。
負傷していても、伸びる斬撃は綺麗な太刀筋で大トカゲを左右に両断。
するとウェルケンは、わざとらしく大袈裟な声を上げた。
「なんだとーー?! 一撃でぇーー?!」
巨体がパカッと“逆八の字”に割れて、そのまま倒れてしましいそうになる。しかしその前に断面から白い粘度がグニョグニョと伸びて、くっつき、割れた巨体を引き合って再び大トカゲの姿に戻った。
ナトラのアテを外したのが心底面白かったようで、ウェルケンは徐々に破顔していった。
「クックック…… クハハハぁ! 無ぅ駄ぁなんだよぉッ、そんな攻撃はぁ、俺様の〈骨喰の王〉にはぁ! 無駄無駄ぁ!!」
大トカゲの腹から、〈座鯨切〉で切断されて触媒条件を失った頭蓋骨が数組、ボロリボロリと落ちた。しかしこの程度では大きな問題にならない。〈骨喰の王〉でできた怪物は一見すると一匹のように見えるが、実際には本物の頭蓋骨を触媒に造られた無数の人形がくっついて重なりできた集合体である。
魔導具には起動の際に何らかの条件を要求し、威力を底上げするものがある。物質的な場合は触媒と呼ばれる。その証拠に、大トカゲの体表には触媒にされた者の生前の顔が所々に現れていた。
〈骨喰の王〉は大量の魔力と大量の触媒を用意しなくてはならないが、その分単独で起動する魔導具としてはトップクラスの性能である。
ノッソノッソと歩く大トカゲは、右の前腕を振り回してナトラたちを襲う。既に納刀済みのナトラは抜刀してその前腕を斬り落とす。
しかし、落ちた前腕はさらに三つに分かれ、各々人の形となって、ナトラに飛びかかる。
負傷のためなのかナトラの反応は鈍く、一体、二体と頭部を斬ったが、三体目に組みつかれてしまい剥がすことができない。
怪我のせいだろうか?
その隙に、大トカゲの前腕はニョキニョキと生えた。さっきと同じように腕を振り、人形に組み付かれたナトラ、エドワード、シエスタをまとめて叩き飛ばした。
彼らはバラバラに宙を舞い、ボトボトと地面に落ちる。
シエスタは不動。ナトラは抜き身の〈座鯨切〉を杖にして立ちあがろうとしている。肝心のエドワードはまだ生きているようで、モゾモゾと手脚を動かしている。〈澄碧冠〉の能力で衝撃が半減したのだろうか。
「おーい、遊んでないでサッサと終わらせてくれませんかぁ?」
と時間を気にしたロイがケチとつけると、ウェルケンは芝居がかった口調で、
「ふは、ウーラートは下品だな。歴史が変わる瞬間なんだ。もっとじっくり味わいたまえ。そもそも危険を顧みず、俺様の邪魔しようという酔狂なヤツがいるのかね?」
「ここにいるぞ!!」
勇猛な野太い声が突如響いて、夜空を切り裂く|光芒《光芒》が降り注ぎ、〈骨喰の王〉の大トカゲを貫く。
晴天を思わせる蒼いジャケットを着た男が、隣の建物の屋上から大トカゲに向かって飛びかかり、剣でその首を刎ね落とした。そしてエドワードたちに背を向けた。
「大使館への侵入をゆるしてくださるかな!? オヴリウス帝国の諸君!」
〈竦む我が身に一喝を〉の剣と盾を持ったヒーローのようなその男は、シンカフィン共和国代表ヴォルフガング・フランベルゼであった。隣の屋上にはシャルロットの姿もある。もしかしたらシンカフィン共和国の他の魔導師も控えているかもしれない。
これは流石に想定外すぎると。
瞬間的に大損害を受けた大トカゲは一度完全にその姿を失って白い肉塊になった。モゴモゴと脈動しながら再び手脚が生やして元の姿に戻ろうとするが、〈集束煌〉が絶えず撃ち込まれているので叶わない。
その姿を見たウォルフガングは、途端に怒気を含んだ鋭い表情となった。
「……なんと禍々しい姿だ」
「お前らなんて、俺様以下のゴミだろーー! 邪魔するなよぉぉ!!」
自分の思い通りにならないのが頭に来たのか、さっきまで余裕綽々だったウェルケンは顔を真っ赤にして子供のように地団駄を踏み始めた。
彼のお守りをするのは骨が折れる。
「隊長、撤退した部隊を呼び戻しますか?」
とセイリスが訊くが、ロイの考えが逆である。
「いや、むしろ撤収だ」
「アレは?」
「……連れ帰る。煙幕」
と命令すると、脱出口近くにまだ残っていた一個分隊が一斉に煙缶を大トカゲの周囲に投げ込む。さらに半壊した屋敷や、庭の至る所からも煙が噴き出て大使館の敷地内は視界ゼロになる。
事前の打ち合わせでは、煙幕が撤退の合図と決めていたのだが、とてもじゃないが彼が素直に退くとは思えないので声をかける。
「おーい!! フォストラウト殿、帰りますよー!!」
「ふざけるな! まだ殺してないぃ!!」
だからサッサと殺せば良かったのに。
誰のせいで失敗したのか理解していないらしい。
「僕の言うこと聞く約束でしょー! それとも置いていかれたいー?!」
「くぅッ」
敵中に置いていかれるのはさすがに嫌なようで、ウェルケンは歯軋りしながら〈骨喰の王〉をガタンと叩く。大トカゲはモゴモゴと形を乱し、ニュイーーンと延びて棺に突っ込む。棺の底に触れた粘土は蒸発して頭蓋骨だけが残ると、棺はバタンと蓋が閉じられた。
正門前にいたウェルケンは棺を担いて半壊屋敷へ歩くが、ウォルフガングが邪魔をする様子はない。イタズラに戦闘を激化させる意味はないと判断したのだろう。歴戦である。
瓦礫の山を乗り越えてロイの元へやってきたウェルケンは、今にも脳血管が破裂しそうな険しい表情をしていた。
「……貴様らの援護が足りなかったかだッ。貴様らの失態だからな!」
「はいはい、いいからいいから」
グチグチと文句を垂れる背中を押し、すぐ近くに確保していた下水道へのマンホールに押し込んで撤収した。
暗殺失敗は悔しいが、生きていれば次のチャンスがあるだろう。