エドワード Ⅶ
エドワード、シエスタ、ナトラの三人は、魔導具を使い同盟ゼプァイル支部に隣接する建物に移動していた。そこは何かの商社のようで、広いオフィスという点ではゼプァイル支部と同じなのだろうが、どのデスクの上にも山積みの書類があった。
三人は寄り添ってしゃがみ、壁に耳をつけ外の様子を伺っていたナトラが、
「……よしよし、〈心開魚〉のおかげで威圧感がボケたな。とりあえず、大丈夫そうだな」
と言って、耳にかけっぱなしだった煙草を口に咥えて火をつけたが、近くのデスクにあった灰皿の手を伸ばし。その間も緊張感は絶えることなく屋外に意識を向けたままのようだ。
「ジャスパーさんは無事でしょうか?」
エドワードは、自分が暗殺されかけている事よりも、いろんな人を巻き込んでしまったことに罪悪感を覚えて、襲う吐き気に耐えていた。
エドワードが俯いて言うと、ナトラはポンと肩に手を置いて、
「余計な心配だ。あいつの覚悟を尊重してやれ」
「はい……」
ナトラの言葉で切り替えることができるほどエドワードは大人ではない。ザワザワと騒ぐ胸の奥で彼の無事を祈ることだけだ。
自分の不甲斐なさに、無力さに押し潰されそうだった。
「ハーッ! ハーッア! ハアッ、フー」
青い顔のシエスタは苦しそうに深い呼吸を繰り返していた。
「シエスタ、大丈夫ですか?」
「は、はい、ハー、ご心配なく、フー、フー」
彼女は強い魂魄を持っているが、それでも大量の〈心開魚〉と穴抜け魔導具〈禁錮破り〉の使用で一気に魔力を失い、魂魄不振を起こしている。
「酸欠みたいなもんさ、大人しくしとけばすぐ治るよ」
「あ、あのー、オヴリウスの人ですよねぇ?」
建物は無人ではなく、残業のサラリーマンが数人いて、突如現れた三人にどう接するか迷っているようで、おっかなびっくりコンタクトを取ってきたわけだ。
しかしナトラが、煙草を持った右手で邪険に突き放すように、
「シッ、静かに。少し経ったら出ていく。構わないな?」
さらに左手で〈座鯨切〉をカチャカチャと、これ見よがしに強く警告すると、サラリーマンたちは「うへー、怖い怖い」と茶化して離れていく。説明になっていない説明なのだが、ラジオ放送と爆音を聴いていたのだろう、実に物分かりが良い。
「一呼吸置いたら移動くぞ。行き先を決めよう」
「はい…… 下水道に残した近衛と合流しますか?」
エドワードの提案にナトラは首を振った。
「外に待機しているはずの天龍院の人員から警笛がなかったし、野次馬もあんまり混乱してなかった。突入してきた部隊は、一般人に見られなかったってことだろう。ってことは、俺らと同じように下水道から来たことになる。魔導具を使っていなければ話だがな」
ナトラの仮説が正しければ、見張りに残した近衛は死んでいるだろう。合流どころか、敵が待ち伏せしている可能性すらある。
「ハー、キャンプから救援は来ると、クはー、思うか?」
「ミドさん次第だな」
「事務監は、妨害しない、と?」
「妨害した上で、ミドさん次第」
「ふー…… アテにならないな、我々だけで、どうにかするしか、あるまい。フー……」
「となると、自力でキャンプまで帰るか? 市街地から出ると荒野だぞ? 〈年中夢中の大津波〉でかっ飛ばすってのは往路でやってるからなぁ」
「そうだな。我々だけで、なんとかすると、なると……」
渋い顔の二人に、キョトンしたエドワードは、
「大使館に行けばいいのでは? あそこなら駐在武官がいるはずです」
と言うと、二人はさらに渋い顔で見合わせるのでエドワードは不安になってしまう。
「また見当違いでしょうか?」
随分と呼吸が整ったシエスタが、
「暗殺者たちの立場で考えたら、私たちが大使館に逃げ込むのは想定されていると思われます。当然、待ち伏せされている可能性があります」
「でも、それはキャンプも同じでしょう? 他に信用できるところもありませんし……」
「もう一つ問題がある。大使館はノルマンディーの息がかかってるんじゃないのか?」
ナトラが思い出させるように訊いてくる。しかしエドワードはそんな大事なことを忘れたりしない。
「信じます」
確かにアインツグラーツは国務省長官の部下であるのは変わらない。しかし、その程度の根拠で臣下を信用できなくなっては為政者としては終わりだろう。もっとも、彼に裏切られたとしてもエドワードの命運は終わりなのだから、ある種の諦めと開き直りは必要である。
「僕は大使を信じます。あの方は、ノルマンディー長官と共に簒奪などする人ではありません」
「……ま、君が覚悟しているのならそれでいいけど。他に良い案もないしな」
「殿下の御身は必ず、このシエスタ・アガートラムが命をかけて御守りしますゆえ、ご安心ください」
胸に手を当て頭を下げた彼女は、呼吸だけではなく、顔色も良くなっていた。
「はい、期待しています」
「行こう」
とナトラは煙草を灰皿に押し付けた。
行き先も決まり、長居する理由はない。
しゃがんでいた三人は立ち上がり、シエスタがサラリーマンたちに向かって「邪魔したな」と一声かけて足早にオフィスを去ろうと歩き出した。
しかしサラリーマンの一人が小走りで先回り、立ち塞がり、白紙の色紙を差し出して、
「あのー、殿下のサインもらって良いですか? 高く売れるかもしんないんで。迷惑料だと思ってさ」
軽々しい口ぶりがシエスタの逆鱗に触れた。激昂するために彼女の口は大きく開いたが、ナトラの右手が、声が出るより先に塞ぐ。
ナトラはヒソヒソと、
「ここで騒ぎになった方が面倒だ」
「むぐぐ」
「いいよ、その代わり、あなたの背広と交換な」
「背広? うーん……… まあいいか」
二人の間で勝手に交渉が成立すると、ナトラは色紙を受け取るように促す。エドワードは不愉快ではないので「それでは」と懐から万年筆を取り出し、色紙の上で走らせた。
「やけに用意が良いな」
「これくらいのことは良くしてますから」
「公文書とかの話だろ」
ナトラの言う通り、書き終えたそれは堅苦しい文字であった。エドワードらしいと云えば間違い無いのだが、面白みはない。それでもサラリーマンはニコニコと「毎度ありがとうございますー」と喜ぶので、書いてよかったなと素直に感じた。
シエスタの口を片手で塞いだま、もう片手で背広を受け取ったナトラは、それをそのままエドワードに差し出す。
「羽織っておけ」
「僕がですか?」
「君のその格好、かなり目立つからな。頭のそれも隠しておけ」
「“こっち”はどうしましょう」
「それの上から羽織れ」
マントである、〈年中夢中の大津波〉は魔導具であるため破壊不可能。銃撃を受けても貫通することがないため、防具としても機能するだろう。
しかし衝撃は消えない。そもそも銃撃されないのが肝要だった。水銀を使い果たした以上、藁にも縋る。大人用のものだからエドワードの姿を隠すにはちょうど良いのだが、着させて見るとかなり不恰好である。
「じゃ、行くぞ」
一通りのやりとりが終わってから口元を解かれたシエスタが鬱憤まじりに「邪魔したなッ」言って今度こそ三人はオフィスを後にした。
一同は廊下の端にあった階段を降りていく。
「さっきから気になっていたんですか、それは何ですか?」
エドワードは、ナトラが革のベルトのついた金属製の箱を肩にかけていたのが気になっていた。そんなことを聞いている状況ではなかったので後回しになってたのだが、今なら良いだろう。
彼はその箱を差し出して、
「録音機らしい、ディレクターに渡された」
「……そう言う事は早く言ってくれないか?」
シエスタは難しい顔で首を傾げる。失言がなかったか、思い返しているのだろう。
小窓を覗くと中で機械がグルグルと動いている。
「……あの方達は、ラジオのみなさんは僕が出演を見遅れば巻き込まずに済んだのですかね?」
「連中は覚悟の上だったと思うぞ。想像とは違ったろうけど」
「きっと無事だッ、うん、そうに違いないッ」
シエスタは録音機を意識しているのか、不自然な口調であった。
「丁度良いからエドワードが持ってろ」
「分かりました」
既に〈銀色の仕業〉の杖を持っているが、受け取ったエドワードは大事にそちらのほうをより大事そうに抱えた。
金属の箱とはいえせいぜい二十キロ程度の重さ。活性化している魔導師ならむしろ軽いくらいなのだが、恐ろしく恐ろしく重く感じた。
エドワードはみんなに幸せになってほしいはずなのに、不幸に巻き込んでしまっているだけではないか。
そんな考えが脳裏に浮かんだ。
三人は一階まで降りて、そのまま廊下を玄関とは反対側に歩き、突き当たりまで来るとナトラが、
「この辺でいいか、俺が開けるか?」
「ダメだ私がやる」
シエスタは、懐から魔導具〈禁錮破り〉を取り出す。
それは大きな鍵の形をしていて、壁に突き立てると、スーッと壁に沈み込んでいく。捻るとカチャリと音が鳴ってそこを中心に空間が渦巻き、円形の穴が開いて屋外への通路ができる。
落ち着いたはずのシエスタの呼吸がまた荒くなっていく。やはり負荷が強い魔導具だ。
見かねたナトラが、
「さっきはともかく、俺が開けても良いのに。魔力大事にしろよ」
「ふーッ、乱暴な奴だ。ハア、痕跡が残るだろう」
「魔力残滓が残るのは同じだろ」
「まあまあ、建物のオーナーに迷惑をかけたくありません」
ナトラが路地の様子を伺い、安全を確認すると、そのまますぐ隣の建物の壁も同じように開け、侵入する。こうして三人は建物伝いに移動していった。