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抜刀ナトラ  作者: 白牟田 茅乃(旧tarkay)
ゼプァイル商連ラウンド
75/95

ジャスパー Ⅳ

 帝国皇太子(エドワード)を逃し、自ら退路を絶ったジャスパーの心は清々しく、晴れやかなモノだった。

 先ほどまでの重い緊張が嘘のよう。生まれ変わった気分である。ここで死ぬと確信しているというのに、休みの日の昼下がりのように穏やかなのは、やはり帝国臣民の性なのだろう。

 帝国ラウンドで共に戦えなかった本懐をここで取り戻す。

 試しに穴を塞いでいる水銀の上でステップを踏むと飛んでいるようで、暗い室内でも視界は明るく、広い。

 ベストコンディションである。


「キレッキレだぜぇ?」


 右から(かす)かに足音がした。

 不可視が相手でも、敏感に反応。

 ジャスパーは透明人間のハイキックを左で受けながら右で鳩尾(みぞおち)に打ち込む。 


「グハァ、あ、げぇ」

 壁までブッ飛ばす打拳の感触で体格を把握。


「身長百七十二センチ、体重五十六キロ。良い女だな!! おい!!」

「ゴゲッ、おえ、黙ってろ!! う、おえッ」


 空中から血液混じりの吐瀉物がバシャッと落ちた。透明能力が解かれることはなかったが、刻まれた〈積み上げる幸福(テンカウント)〉の刻印が赤く発光して目印になる。

 もう彼女の能力は問題にならない。


「いやはや、なかなどうして冴えていますなぁ」


 エイクを殺した老人が感心した様子で拍手。実に嫌味である。


「次はアンタか?」

「それでも良いですが…… おや?」


 と意味ありげに老人が数歩下がる。

 すると天井が爆発。粉塵が舞い、瓦礫が落ちてスタッフが一人潰れて死んだ。ラジオブースは、これでほとんど上階と繋がってしまった。

 わずかに残った上階から透明人間とは別の、清楚な女の声が響く。


「ヤンさんッ、ルシウスッ、パトラッ」

「問題ありませんよ、セイリスさん」


 と、老人の呑気な声が返事をすると、セイリスと呼ばれた清楚な女がスタジオに降りる。

 彼女はすぐに粉塵の中のジャスパーに気がつくと、ギョッと目を丸くし、

「敵じゃないですかぁ!」


 とセイリスが手をかざすと、上階にいる武装兵たちがライフルでジャスパーを狙う。ジャスパーは銃器については詳しくないが、数人で集中砲火されれば、ひとたまりもないのは先ほどのやりとりで認識していた。


 しかしヤンと呼ばれた老人が彼女の肩を叩き、

「まあまあ、セイリスさん落ち着いてください」

「どういうことですか? 説明してください」

「ターゲットはそこの穴からは下に降りました。勇敢(ゆうかん)な彼は、殿(しんがり)というわけです。お分かりですね?」

「分かりましたヤンさん、我々はあちらから」


 至極真っ当なことを言ったセイリスが手招きすると、上階から黒マントの武装兵が七人降りてきた。

 これだけの人数でエドワード達を追うならジャスパーだけで妨害するのは難しいだろうと、策を考えていると、なぜかヤン老人が、セイリスを引き止める。


「やはり分かっておりませんな」

「は?」

「確かに彼を無視して…… 失礼、あなたお名前は?」

「……ジャスパー・マーベリックだ、俺は。国別対抗戦(オリスタイラム)オヴリウス帝国代表、ジャスパー・マーベリックだッ」


 カッコつけたつもりだったのだが、そちらには興味がないのかヤン老人は変わらぬ口調で、

「マーベリック氏を無視して廊下に出れば遠回りであってもターゲットを追えるでしょう。しかし彼の決死の覚悟を無碍(むげ)にするのは我々の矜持に反するではありませんか」

「そうでした」


 セイリスはなぜか納得したらしく、彼女は手で合図すると武装兵たちは銃口を下ろした。


「私ごときの意見を聞いてくださって感謝いたします…… ラジオの方々も手出し無用でお願いします。くれぐれも」


 ヤンが部屋の隅で頭を抱えているラジオスタッフたちに(ほが)らかに命令すると、彼らは青い顔で頷く。

 都合が良い事に間違いないが、気味が悪い。


「さて? ルシウス君、お願いします」


 名前を呼ばれた偉丈夫がドシンドシンと重厚な足音を踏み鳴らしながらジャスパーに近づく。そして品定めするように視線が上下に動く。ニヤァと口角が上がり、異常に発達した犬歯が垣間見えた。


 美声を誇るセイリスがリングアナウンサーのように、

「この大馬鹿者はルシウス。元奴隷闘技場(アンダーコロシアム)王者(チャンピオン)、ルシウスです。戦績は六十七戦六十七勝六十七殺、パーフェクトレコードです」

「死ぬまでの間、覚えていてもらおう!!」


 恐ろしく重い声であった。


「さて、ミスターマーベリック、あなたの覚悟、何秒持ちますかな?」


 と老人は嫌味っぽく懐中時計を開いた。

 武装兵たちは瓦礫に座ったり、煙草を吸ったり傍観状態。どうやら本当に他の連中は手を出さないらしい。

「いいのかよタイマンで。いいんだぜ? 全員でかかってきても」

「はっはぁ!! 殺してやる!!」


 血走った眼のルシウスは巨体を(かが)めて、握り拳を床に着けて四足歩行(ナックルウォーキング)に姿勢を変える。同時に、彼の威圧感(プレッシャー)が爆発的に跳ね上がる。

 名だたる国別対抗戦(オリスタイラム)魔導師(ドライバー)と対峙したことのあるジャスパーだったが、比べ物にならないくらい強大な威圧感(プレッシャー)であった。

 カッカと熱かったはずの身体は、背筋から凍り、軽かった足は竦んで頼りなく、絶叫しそうなのを必死で噛み締めた。それでもなおジャスパーは、”下階への穴を守る”という決死の覚悟は揺らがなかった。


「上等だよ!! 来いよ来いよデカブツぅ!!」


 自らを鼓舞するようにジャスパーが啖呵を切ると同時に、歯牙を食い縛ったルシウスが馬鹿正直に突っ込んでくる。


「ギィィヤアアアァァ!!!」


 ラリアットのようなフルスイング。豪快ながらも洗練されている良いパンチだった。

 ジャスパーは冷静に左にサイドステップして回避。その刹那、ジャブを三連打。小気味よい音がルシウスの頬を叩く。

 〈積み上げる幸福(テンカウント)〉は打撃時の衝撃を倍にする。さら打撃時に刻印を打ち込み、それを再び叩けばさらに倍、三度叩けばそのまた倍にと、倍々に増えていく。つまり、三発目は素手の八倍の衝撃である。

 間違いなく刻印は成功している。顔面には赤い拳骨型の紋様が浮かぶ。

 ジャブといえども、常人ならばそれだけで絶命させる威力。魔導師(ドライバー)でも脳味噌をグラつかせるのに十分なダメージを与えるはずだ。しかし、拳に伝わる感触がそれを明確に否定した。全くと言っていいほどルシウスの頭部は揺れていない。恐ろしく硬い金属を叩いているようだ。

 人間じゃないと感じた。

 バックステップして間合いを取り直したいところだが、他の連中に近づくわけにもいかないので、ジャスパーはルシウスの間合いからほんの半歩だけ距離をとる。


「おや、よろしいのですか? その場死守しないで」


 ルシウスは一度上体を起こし、勢いをつけてからジャスパーの居た場所、水銀の板を下段突きした。

 建物全体が揺れるほどの衝撃がラジオスタジオ内に響いた。

 だが、水銀板は凹むとなく役目を保った。


「殿下の術が壊れるわきゃねーだろぅがぁぁぁ!!!!」


 拳を突き立てたままの、低いところにある彼の頭部を掬い上げるように右アッパーを放った。


「ぐはぁ」


 ルシウスが殴った時と同等の衝撃音がスタジオ内に響き、四つん這いだった推定三百キロの身体がカチ上がる。手足は床から離れ、上階の天井に後頭部からぶつかり、自然落下。仰向けになって床に落ち大の字になった。傍らには、折れた立派な犬歯が一本転がっていた。

 少しは心配になったのか、老人が声をかける。


「カウントは必要ですか?」

「問題ない!! 死んでやる!!!」


 ルシウスは巨体を弾ませ軽やかに起き上がったが、〈座鯨切(ざくじらぎり)〉で裂けた脳天の傷からは再び出血して、顔面を真っ赤に染める。

 なんでまだ生きているのか不明だが、ルシウスはなおも戦意揚々のようで、威圧感(プレッシャー)は衰えず、再び姿勢を低くし、ジッとジャスパーを見据えた。


「収穫もあったしな」


 ルシウスはプッと口から何かを吐き出す。それは小さな肉片だった。

 痛みを感じ視線を落とすと、ジャスパーの左上腕は小さく欠損していて血がツツーッと滴っていた。

 状況的に、打撃時に彼に噛みつかれたのだろう。いよいよ猛獣である。


「こんなモンかすり傷だろうが、本番はここからだぜ?」

「ああ!! 殺し合いだ!!」


 それから二人の攻防が続く。

 ルシウスの攻めはシンプルだった。

 とにかく、獣のように低い姿勢から突進してくる。

 ジャスパーはフットワークを活かして回避しながらも、すれ違いざまにジャブを打ち込みダメージを重ねようと試みた。

 打撃時ときおり噛みつかれるが、急所には届かせず、肝心の両拳は〈積み上げる幸福(テンカウント)〉が守っているから問題ない。

 分の良い勝負のはずだった。しかし、ジャスパーの方が先に限界が来た。

 〈積み上げる幸福(テンカウント)〉の刻印上限は十回まで。つまり二の十乗、千二十四倍まで威力が上がる。もはや対人用の域を超えた破壊力になるはずだった。

 既に上限には達したが、ルシウスはありきたりな男ではなく、ジャブ程度では止めることができない。ともすれば、ナトラの〈座鯨切(ざくじらぎり)〉をまともに食らって生きているのだから、その堅牢さは人間どころの騒ぎではない。

 ジャブでは倒せない。渾身のフィニッシュブローを打ち込むしかない。しかしそれにはリスクが伴う。両足で踏ん張るフルスイングをするということはフットワークを自ら殺すことになる。倒し切ることができなければ、ジャスパーの方がカウンターをもらう可能性がある。

 そうなればの最期。

 時間稼ぎを考えればこのままダラダラやっていた方が良い。


「どうした? こんなものか?」


 ジャスパーの考えを見透かしたかのようにルシウスが挑発するとズキリと心が痛む。

 そもそもエドワード暗殺を目論む連中がジャスパーとのタイマンしているこの状況が異常なのだ。

 彼らの言うところの矜持というものだろう。

 そこに負い目と、感謝があった。


 勝敗がどう転ぶにせよ、

「出し惜しみは無しにしないとな」


 ジャスパーは滑るようなフットワークをやめて、水銀の上でダンッと踏んだ。

 意図を察したルシウスは、やはり獣のように低くかまえ、血塗れの歯列を見せるように笑う。


「はっはぁー」

 数秒のヒリつく時間があってから、両者の呼吸が完璧の噛み合ったタイミングで動き出す。

 ルシウスは低い姿勢のまま馬鹿の一つ覚えの突進。右腕を下から振り上げる。顔面はノーガード状態。舐められたものである。

 一歩踏み込んで豪腕を紙一重で躱したジャスパーは腰を据え、右ストレートを振り抜く。

 最近、顔面を殴って拳を痛めることもあったので警戒していたが、難なくルシウスの鼻先を捉えた。拳には顔面を砕く手応え。眼球破裂も、歯列粉砕も、割れた脳天がさらに割れる感触もあった。

 打倒を確信。

 高揚感。達成感。充実感。そんな甘いモノが頭を巡る。戦いに生きる者なら当然の感情である。

 それが悪かった。ここから反撃されるなどと微塵も思えなかった。

 しかしルシウスにもあったのだ。決心の覚悟というものが。

 顔面を砕かれながらも彼の勢いが止まらない。豪腕が唸る。ストレートとかフックとかアッパーとか、そんな綺麗なものではない、ただ単に振り抜かれる左拳がジャスパーの横顔を捉える。

 勝利に酔っていたジャスパーは最期まで気づく暇がなかった。

 弾け飛んだ。

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