シエスタ Ⅲ
六月二十七日、水曜日。
ラジオ出演当日当夜。
戦闘用魔導具を装備しているシエスタは、同じく準備万端のエドワードとナトラ、ジャスパー、さらに潜入していた帝国近衛兵の小隊と共にゼプァイル・シティの下水道の側道を小走りで移動し、大陸同盟セプァイル支局に向かっていた。
馬に乗ったエドワードは〈年中夢中の大津波〉を羽織り、手に〈銀色の仕業〉を持って、頭に〈澄碧冠〉を被っていた。誰がどう見ても皇太子殿下の出立である。
しかしここは下水道。悪臭が漂い、湿度が高いのは万国共通で、呼吸するのも嫌になる。ナトラの煙草の香りが清涼剤に感じるほどである。こんなところをエドワードに歩かせるのは憚れるので、若馬を一頭を用意して、乗ってもらったワケだ。これにエドワードが乗り、シエスタが手綱を握り、ナトラとジャスパーが後ろで歩く。そのさらに前後に近衛兵という布陣である。
一行の周囲には極彩色の熱帯魚の群れが空中を泳いで発光していた。魔導具で創ったモノである。明るさは充分だが、おかげで汚水が目に入る。
当初の予定はユーリ・エーデルフェルトに聞かれたため破棄。代わりに、街までは〈年中夢中の大津波〉で単独高速移動。そこからは下水道を伝ってゼプァイル支局の真下まで移動する計画となった。
発案者はナトラである。
近衛の身としては納得しきれぬところであったが、時間がなく、代替案もなく、致し方なく採用となった。
「……美味そうな馬だな」
「え? 食べられるんですか?」
「極東で流行ってるんだ。鍋にすると美味い」
「……この仔は食べちゃダメですよ」
話を聞いているだけでシエスタの胃酸が逆流しそうである。
「……ジャスパー、今からそんなんじゃもたないぞ」
「あ? ……ああ」
深刻なのはジャスパーだ。緊張のせいでリアクションが薄すぎる。歩調を合わせるのが精一杯という顔つきだ。
彼を気遣ったのかナトラが都度都度と声をかけるが改善の兆しはない。
「あんまり気負うな。お前に難しいこと期待してねえよ」
「……そうだな」
これでは困る。
外交問題を回避するため、近衛兵は観光客として渡航している。よって、警護としてゼプァイル支局に入局できない。不測の事態に備えるために局内での頭数を揃えたくて、ミドに打診をすると、魔導具の貸出と引き換えに戦闘班から一人融通してくれた。
アナスタシアなど何人か志願したが、ナトラの推薦でジャスパーが選ばれる。
試合での動きは良いし、喧嘩慣れしていると聞いていたから少しは使えると思っていたのだが期待ハズレだ。
人選ミスだったかと後悔していると、いつのまにか真横にいたナトラが煙臭い小声で、
「大丈夫だよ。使い捨ての駒と思えば良い」
「薄情だな」
「エドワード以外全員が使い捨てだよ、俺もアンタも。知ってんだろ」
「そうだな。だが殿下のお耳に入れるなよ、そんな言葉」
「アイツが一番理解しておくべきだと思うがねぇ」
「タイミングというものがあるだろう」
「早いに越したことないと思うがねぇ」
ヒソヒソ話が聞こえたのか、エドワードが、
「呼びました?」
「なんでもねえよ、上手くいくと良いな」
「はいッ」
屈託のない返事である。
そんな調子で二十分ほど地下を行くと無事に支局の真下まできた。
先導していた近衛小隊長が、
「ここだ、シエスタ」
「はい」
コンクリートの壁に鉄扉があって、開いた向こうに縦穴と梯子があった。
目的地に到着したことに安堵しつつも、シエスタは気を引き締めて、
「ここまでは順調だな」
「どうかな、登っていたら手榴弾が降ってくるかもしれないぞ? いや、アインツグラーツの生首って手もあるな」
煙草をポイ捨てしたナトラがグロテスクな冗談ことを言うから、エドワードは「やめてください」と気分が悪そうで、ジャスパーに至っては反応できていない。
先が思いやられる。
近衛兵小隊長がナトラを睨みつつ、
「見張りを残して我々も地上に行く。放送が終わったらまたここで」
「了解。それでは殿下、私は先に登り上を確かめて参ります」
「はい、お願いします」
エドワードに頭を下げたシエスタは梯子を登る。
途中、ナトラが言ったことを思い返し、妙に緊張して長く感じてしまった。
マンホールの蓋が開けて出た先はゼプァイル支局の地下二階。天井の白熱灯がスポットライトのように頭を出したマンホールを照らしていて、目が眩んだ。
次第に目が慣れる。
インフラ設備を一括管理している部屋のようで大型の機械はゴゥンゴゥンと騒々しい音を出していた。マンホールを取り囲むように出迎えが待っていて、その中の、錆鉄色の髪をした男が手を伸ばす。
「ようこそ、大陸同盟事務局セプァイル支局へ。保安部、二等保安官、エイク・ノーラー・マルティドだ。今日はよろしく頼む」
「……帝国近衛師団、皇太子付武官、シエスタ・アナートラム」
握手のついでにマンホールから引っ張りあげられた。
彼は大柄ではないがシエスタより背が高く、顔つきから三十歳くらいだろう。どこか子供扱いされた気分になった。
「噂より美人だな。おっと、勘違いするなよ。俺は既婚者だ」
「……状況は? 一等保安官はどうした?」
「お固いな。モテないぞ」
余計なお世話である。
「正門前には野次馬ができている。不審者の何人か逮捕しているが、組織的な犯罪を認められない。ま、野次馬狙いのスリだったりとかだな。平和だよ…… アウグスブルク一等保安官はそっちの処理をしている。問題ない、あの人は頭はキレるが腕っ節は…… アレだ、戦力に数えなくて良い。控えめに言って雑魚だ」
「なるほど、外については任せする」
「局内部はご要望通りだ。放送に直接関係ない職員は七時までに退局を終えて、二人の魔導師と十二人の活性術師で一階正面玄関を警備する。私はラジオスタジオに同行する。で、これは?」
空中を泳ぐ円い魚がエイクの周りをグルグル回り始める。魚体の斑点が浮かび上がり徐々に大きくなる。
シエスタは本体である魚図鑑を見せ、
「探知系魔導具〈心開魚〉だ。破壊力はない」
通常の探知系魔導具では、起動していない魔導具は反応できない場合が多いが、これは高感度で対応可能。デリケートな護衛任務の際には重宝する。
「事後で悪いが、使用の許可をいただきたい」
「許可する。で、肝心の皇太子殿下は?」
「下にいます…… おおいッ! 大丈夫だ! 上がってきてくれ!」
マンホールに声を落とすと、三十秒ほどでエドワードとナトラとジャスパーが登ってくる。
エイクは儀礼に則り、片膝をついて頭を垂れて挨拶を始める。
「これはこれはエドワード皇太子殿下、遥々下水道からのご足労、心中お察しいたします。本日は殿下のご負担の無いよう、誠心誠意尽くさせていただきます」
エドワードは杖型の魔導具〈銀色の仕業〉をカツン床に立て、
「いえ、良いモノを見れました。さすが計画都市なだけあって綺麗な造りですね。地上と同じ格子状をしてて…… 帝都ではああはならないでしょう」
エドワードには良い社会勉強になったようで、ケロッとしている。逞しいのは良いことだがシエスタとしては二度とこんなことはしなくない。
「殿下、こちらがオリシズムのスタッフです。端から順に……」
エイクがラジオスタッフの紹介を適当に済ませると「立ち話もなんです。ブースに上がりましょう」と一行は、ラジオスタジオに向う。
エレベーターで六階に上がり、ドアの並ぶ長い廊下の先にラジオスタジオはあった。
スタジオの中はさらにミキサールームとラジオブースに分かれている。
全体的に明るく清潔感があるモダンな部屋だ。ミキサールームの中は最新の放送機器で一杯で、ガラス窓のある隔壁があって、その向こうがラジオブースになっている。
周囲を見回したシエスタは、
「水銀は?」
「ブースの方に。あ、ここは火器厳禁でして。機材、デリケートなんです」
悲しそうな目のナトラが取り出したばかりの煙草を口元ではなく、耳に挟んだ。ケースに仕舞えば良いのにと思うがジンクスなのだろう。
ラジオスタッフ達は席に着くとテキパキと慣れた手つきで用意を進めるが、やはり表情が固い。
「オリシズムはずっとこのメンバーで?」
とナトラが世間話を振って、プロデューサーが意図を汲んだらしく話を広げる。
「ええ、ここ四年くらいは変わらずに、国別対抗戦のシーズンに合わせてますから」
「それだけ長いとプライベートでも仲がよろしいのでしょう」
「はは、仕事上の付き合いですよ、良くも悪くもね」
「あ、ひどーい、帝国でお肉食べに行ったじゃない」
「アレはほら、経費で落としたからビジネスビジネス」
「うわ、だったらフルコースにしてもらうんだった」
「ははー、経理に言っちゃダメだよ」
などと、ラジオスタッフは和気藹々としてきて、和やかな雰囲気に変わっていく。しかし、その輪の中に入ろうともしないスタッフが二人。
気になったシエスタはディレクターに尋ねる。
「あの二人は?」
若い女の子と、老人がミキサールームの隅っこで控えていた。目を合わせると会釈を返してくる。
「ADですよ。春からこの支局で雇われたとかで、まあ雑用です。我々はラウンドに合わせて移動するから土地勘がないんで、助かってます」
シエスタの警戒心がギラついた。
“春から”ならせいぜい数ヶ月。ラジオスタッフに限れば二十日程度か。仮に後ろ暗い素性があったとしても、ラジオスタッフ相手なら騙し通せるだろう。
シエスタは出来る限り警戒感を出さずに、あくまでも世間話として声をかけながら、二人をよく観察する。
片方は、二十歳にもなってないくらいの気弱そうな女の子だった。真白いワンピースから垣間見える彼女の肌も、癖のあるショートカットの髪も漆黒で、それでいて艶やかで、高級な漆塗りのようだった。
「あなたはまた若いですね。学生かな」
「は、はい、アルバイトですッ、本日はこのような場に関われて光栄でございます!」
と深々と頭を下げた。
「もう固いよー。リラックスリラックス」
ディレクターが宥めるものの、彼女の表情は緊張したままであった。
対して、もう片方の眼鏡をかけた老人の方は飄々としている。顔の感じからして年齢は六十歳くらいか。その割に、グレーの髪量は多く、快活な印象がある。
「お年の割に筋肉が付いていらっしゃいますね」
「ちょっと前まで漁師やってまして。トートバスの海ではタコが獲れたのですが…… 廃業しまして、いや、お恥ずかしい」
「……保安官?」
「ん、いいだろう」
シエスタの意図を汲んだらしいエイクが渋々頷く。
「みなさん、ボディチェックをさせていただく。そこに一列に並んでください」
「はいはい、構いませんよ」
とプロデューサーが答える。これくらいは想定していたのか、ラジオスタッフたちはリラックスした表情のまま言われた通りにする。
シエスタがラジオスタッフたちの服を上から触っていく。だが、怪しいものは見つからなかった。
「ご協力感謝します」
「さ、時間ないよー。スピーディースピーディー」
気を取り直したスタッフたちはディレクターの指図で準備を再開。各々が機材の前に座り、操作する。
何も出てこなかったが、だからと言って安心するほどシエスタは短絡的ではなかった。
彼らを変に刺激しないように、何気なく部屋の隅にいたナトラに近寄り、煙草の耳に静かに話しかける。
「とりあえず、〈心開魚〉は無反応。武器になりそうなものも持っていないな」
「一安心だが、油断せずにいよう」
シエスタ達は暗殺計画の情報を掴んでいるわけではない。何も起こらない可能性の方がずっと高いと思っている。
しかし、常に暗殺の可能性を想定するのが近衛の仕事だ。
「それじゃ、マイクテストしましょうか。殿下、ブースへどうぞ」
「はい」
ディレクターに促されたエドワードがシエスタたちを無視してブースに入る。自立心が芽生えたのは喜ばしいが護衛する立場としては気が気でない。
シエスタは早口で、
「私もブースに入る。キラミヤとマーベリックは予定通りミキサールームでッ」
「了解」
返事を背中に受けてシエスタもブースに入る。
ブース内には大きなテーブルと、その上にマイクをはじめ細々とした機器があり、ドアの近くに硬質化しておいた水銀も確認。隔壁のガラス窓からミキサールームの様子も伺える。アチラにもコチラにも〈心開魚〉が泳いで、最悪の事態に備える。
それから準備が順調に進み、定刻通りに放送が始まった。
ディレクターが指を振ると赤いライトが点き、まもなくパーソナリティの二人は先ほどよりも声のトーンはひとつ上がり、滑舌よく台本を読み始める。
「皆さんこんばんは、オリシズムのお時間がやってまいりました! ボブさん、わたくし、頭がどうにかなってしまいそうです」
「エイミーちゃん、今日は興奮ぎみですね」
「はいッもう! ゲスト様がビッグネームですから! ああ…… お待たせするわけにはいきません! それでは早速自己紹介お願いしますッ!」
「こんばんは、エドワード・リゼンフォーミル・フォン・オヴリウスです」
「まさかまさかの帝国皇太子殿下ですー」
「いやー、ビックリですね」
バラエティ色が強い番組だからかノリが軽い。品位を落とさないようにとお願いしていたので、これにはカチンときた。
口出ししたいのは山々だが放送中だ。せめてラジオスタッフ達を目線で威圧してみると、意を汲んでくれたのか少しだけトーンが落ちつく。
その後しばらくは、つつがなく放送は続いていった。