ナトラ ⅩⅩⅢ
六月二十六日、火曜日。
例年よりも気温の高いらしい昼下がり、ナトラは、〈灼煉離宮〉の裏手でシエスタと密談をしていた。長袖のジャケットを真面目に着ていると汗ばんで仕方ないので、袖を捲って暑さを凌いでいる。本来なら会議室を使用すれば良いのだが、ユーリ・エーデルフェルトを警戒してコソコソせざるおえないのだった。
密談の内容は、エドワードのラジオ出演の際の、護衛計画の打ち合わせをするためだ。スズリを銃殺した連中はもちろんのこと、それ以外の武力集団が襲ってくることは十分に考えられる。
昨日のうちに同盟ゼプァイル支局に出向き、打ち合わせを済ませているシエスタは、ナトラに番組のことを一通り説明すると、
「というわけで、最も警戒するべきは放送中だな」
「まぁ、殺される瞬間が放送に乗ればインパクトは文句なしだからな」
ナトラが煙草混じりに穏やかでないことを吐くと、シエスタは不愉快だったらしく、ムッと眉を顰めた。
“エドワード暗殺計画”の情報をどこかから得ているわけではない。だが万が一に備えて、襲われる前提での話し合いをしているのだから、これくらいの言葉で気を悪くするのは堪忍してほしい。
一応、彼女も弁えているのか表情はそのままだが話を続ける。
「建物内では同盟事務局保安部が協力してくれる」
「民間警備を雇うよか信用できるが、結局は帝国本土からの干渉が怖いぞ?」
エドワードが暗殺されてもっとも喜ぶのはケイネス・ローランド・フォン・ノルマンディー伯爵なのだが、彼は外交を司る国務省の長なのだ。当然、同盟事務局にもかなりのコネクションがあるだろう。
「無論、承知の上だ。しかしもっともローリスクだろう。国務長官だけを警戒していれば良いわけではないからな」
「言ってみただけだよ、俺もそれでベターだと思う。道中はどうする?」
「街に着くまでは馬車、そこからは下車して安全を確保したルートで移動していただく」
「どこ?」
ナトラが何気なく訊いた質問に、シエスタは喉に引っかかった言葉を搾り出す。
「……建物の屋上伝いだ」
「大丈夫か?」
「地上からは意外と死角だ。警戒を怠らなければ問題ないだろう。この際、贅沢は言ってられないのだ。今は実益を取る」
天龍院や帝国近衛が周囲を監視すれば、いざという時も対応できるか。
「こんな所で内緒話ですか?」
知った声に悪寒を覚えたナトラは腰の〈座鯨切〉に手をかけ振り返ると、建物の角から顔だけをニュッと伸ばし、満面の笑みのユーリが覗かせていたのだ。
咥えていた煙草が土の上に落ちてしまったが、残念がる余裕もない。
同じく反応したシエスタも腰の拳銃を抜いて彼に向けたが、顔がみるみる青くなっていく。
周囲の警戒を怠ったつもりはなかったが、まったく気がつかなかった。
「幽霊も真っ青だな」
「褒められたと思っておきましょう。ああ、僕のことはお気にせず、密談を続けてください」
と言って二人のところへ近寄ってきてユーリは、嬉しそうにニタァと破顔しながら手帳開いてペンを走らせていた。髪を整え、ブランドスーツを着こなす姿は清潔感溢れる好青年なはずなのだが、どうしようもなく不快である。
「記録に残らない発言を根拠に皆さんを追求することはありませんよ。僕の場合は特にね。ちなみに、こんなメモの走り書きでもちゃんと証拠能力がありますから」
「ちなみに、どこから書いている?」
ユーリはメモ帳を数ページ戻って、
「『殺される瞬間が放送に乗ればインパクトは文句なしだからな』からです」
「……そいつはどうも」
危なかった。
天龍院や帝国近衛の人員が他国内で活動しているなどとを言葉にしていたら外交問題だった。
明確な非合法な発言はなかったはず、シエスタに目配せすると小さく頷くから、やはり大丈夫だろう。
ユーリは楽しそうにメモを見返しながら、
「確認なのですが、建築物上を通行することは所有者から許可を得ているのですよね?」
「各国代表団の活動は外交特権により保障されている。逐一許可を取る必要性はない」
「特権行使は各国市民に疑念を植え付けます。国別対抗戦は相互理解と世界平和を目的とするのですから、横着せず、できうるかぎり地権者に対して許可申請をするべきです。まったく、これではあなた方の評価を落とさざるを得ない」
シエスタが「どの口が」と小さく呟くと、
「はいぃ〜?」
と神経を逆撫でる笑みを浮かべるユーリ。短気な者であればこれだけで殴りかかっているだろう。
ナトラはトントンとシエスタの肩を叩き、
「あんまり感情的になるなよ」
「分かっているッ」
「全く、僕のことをもっとうまく使ってほしいものです。どうです? 殿下の護衛計画、僕が作成しましょうか?」
暗殺計画の間違いではないだろうか。
「結構だッ! 帰ってくれ!!」
シエスタの堪忍袋は限界らしく、その声はキャンプ中に響いてしまったくらいの大きかった。
すぐ近くで聞いていたユーリは心地よさそうで、ニタァと気色の悪い笑みを浮かべた。これは挑発ではなく、本当に楽しんでいるのだろうと察した。
相手が悪いと見たナトラは、顔を真っ赤にしているシエスタの前で手を振り気を引いて、
「おいコラ、落ち着けよ」
「……すまない」
彼女は感情を振り回されたのが悔しいのかプイッと外方を向いた。
「おやおやシエスタさん、どうしました? 具合でも悪くなりましたか?」
「役者交代だ」
どうにもシエスタはユーリと相性が悪い。
変わりに対応した方がいいだろうと思い、彼女を庇うように一歩前に出た。
「事務監、悪いが外してくれないか?」
「僕を退席させる法的根拠は?」
「法的ってわけじゃないが、シエスタが要人警護の専門家だからだ。それが帰れと言っている」
「ンー………… 根拠としては薄いですね。しかし良いでしょう、尊重します。ご安心ください。ここで見聞きしたことは絶対に他言しないことをお約束しますよ」
と手帳をパタンと閉じたユーリは、意気揚々とその場から去っていった。
シエスタは恨めしそうな眼で彼の足跡を睨み、
「なんだったんだ?」
「あれ以上同席しても、俺たちが本当のことを話すとは思っていなかったンだろうが、かえって不気味だな…… どうする。計画を変更するか?」
「そうだな、移動の手筈は白紙に戻そう」
ナトラは地面の煙草を踏んで消し、新しい煙草に火をつけて蒸すと、
「局内での警備は?」
「放送時、収録ブースのあるフロアは直接放送に関わる者以外立入禁止。ブースの直上と直下も同じく無人にして、同盟事務局所属の魔導師と活性術師に警備してもらう手筈だ」
「気の知れない魔導師が混じるのは怖いぞ」
「同盟の施設を使うのだから、同盟の保安官が立ち会うのは当然だ。あちらのメンツが立たない」
「分かってるよ。でもそういうところにつけ込まれるものだから」
ナトラとしても反対する気は全くないのだが、指摘せずにはいられない。
「〈縛猫〉は? やっぱり使えないの?」
「二、三匹いるだけでも随分違うんだが。警備班長殿は頑固な方だからな」
「いや、本当にキャパシティ的に無理なんだよ。勘弁してやってくれ。大会が始まる前はここまで荒れるとは想定してないはずだから。警備班としては、守りに徹したいんだ」
「まぁ私の魔導具でも探知は出来る」
「あとは…… 一緒に行く奴か。俺ら二人は決まりとして…… やっぱり、他にも戦える奴を連れて行きたいな。警備班からは無理だろ。事務班は論外、消去法で戦闘班からだけど…… ミドさん嫌がるだろうな」
「タダでさえ、キラミヤを使っているからな」
それでもまだ期待の持てる相手だ。
旧本部長派閥は国別対抗戦を競技的に捉えているからエドワードみたいな政治的な努力に反発しがち。しかしだからこそ、メディアへの露出には積極的で、生前のグラディスも何度もラジオに出演している。「できる限り今まで通りにしたい」とか言えば多少の無理は通してくれるだろう。
「ま、タダってわけにはいかないだろうな。対価として、帝室魔導具の貸し出しを要求されるぞ? あれから駆け引きしてんだろ?」
「問題ない。貸すのは不本意というわけではないからな。ただ価値を最大限まで釣り上げたいだけだ」
「そういうことしていると、心象悪くなるぞ?」
「覚悟の上だ。今日はこのくらいにしておこう。また計画を見直さなくてはならなくなったし」
「ま、俺は現場に出たとこ勝負だから、頭脳労働は任せたよ」
「うまくいって民間からのオファーがくれば、この先全然違うんだがな…… 政治的にも、金銭的にも」
珍しく楽観的な言葉が彼女の口から出て、ナトラは少し驚く。
「意外だな、あんたはカネカネ言うタイプじゃないと思ってたのに」
「私じゃない、殿下の意向だ。実際、富は万能だ」
「ごもっとも」
ナトラは腹を空かした幼少期を思い返した。あの頃の自分は財布を一つスルのにも命懸けだったのに、今では国別対抗戦なんかに参加しているのだから、随分と遠くに来たものだ。
「君は大丈夫か?」
「ん?」
「身内が死んでから日が経ってない。大丈夫か?」
「大丈夫。ちゃんと葬送ったから。仕事には支障ない」
ナトラは自分でも驚くぐらいにスンナリと言葉が出た。だからこそ、どうしてクノのことだけ引きずってしまうのか分からなかった。
「そうか、では“もしも”の時だが……」
「ん、分かってる、〈澄碧冠〉だろ」