ロイ Ⅰ
ソヒエント連盟傘下、猟犬部隊の隊長ロイ・ウーラートには専用のテントがある。他の隊員が三交代で使用している簡素なモスグリーン色のツーポールテントを、贅沢にも一人で使えるという超豪華待遇である。
大した物は置かれてないが、資料の入った背嚢がいくつかある。ロイはそれをクッションにしてもたれかかり、脇には山のできた灰皿を置いて、素足をさらして水虫でジュクジュクになった指を乾かしていると、入口に掛かったカーテンが揺れた。できた隙間から、副隊長であるセイリス・A・ラフラカンテが整った顔を覗かせる。
彼女はだらしない姿のロイを見てもイヤな顔一つせず、フルートのような軽やかな声を発する。
「隊長、お行儀が悪いですよ」
「仕方ないじゃない痒いんだからさぁ。実際、衛生問題は軽視できないよ? 補給どうなってんの? 僕の塗り薬は?」
「口だけは一丁前だな、ウーラート」
「あらら」
愚痴をもらすと、セイリスを押し退けてズカズカとテントに入ってくるウェルケン・フォストラウト。普段はヒステリックな彼だが、今に限って穏やかな表情で見下ろしてくる。
「貴様らの働きが悪いから評議会が仕置をしているのさ。というわけで、新たな仕事だ。せいぜい頑張ってくれ」
彼は白い上着の内ポケットから一通の便箋抜き出し、差し出す。どうやら面倒ごとのようだ。
腕を伸ばし、便箋の端っこを摘まみ取るとそのままセイリスの顔の前に持っていき、
「読んでくれる?」
「かしこまりました」
セイリスは傍に座ると受け取り、ラジオアナウンサーのような綺麗な発音で滑舌よく読み上げた。透き通る彼女の美声は、泥臭い部隊において数少ない清涼剤である。それにひきかえ便箋の内容はあまりに冗長で分かりづらく、灰色の脳細胞がサボタージュを起こし、とにかく美声を楽しむことに集中してしまう二十秒だった。
「……以上です」
「要するに?」
「明後日ラジオに出演する、帝国皇太子の暗殺指示です」
極めて端的でロイ好みの要約。不思議な高揚感が脳内を巡る。同時に、得体の知れない疑念が湧いて出てきた。
ロイは新しい煙草に咥え、マッチで火をつけると、
「フー…… 妙に時間がない…… 成功しても失敗しても恨みを買いそうだぁ。さぞ、死人も出るだろうし」
「うむ、間違いなく歴史に残る。貴様らには難しい仕事だろう。そこでだ、私も協力させてもらおう
「はあ?」
予想外のセリフだ。色々と首を突っ込んでくるとは思っていたが、それにしてもアッサリというか、彼らしくない。話の流れもおかしいし、ウェルケンへの不信感がここに来て急増していく。
当然、丁重にお断りする。
「いえいえ、あくまで猟犬部隊に割り振られた仕事ですから、お気遣いなく」
「そういうわけにもいかん。私の〈骨喰みの王〉の強化には君らの手を借りたことだしな、借りを返さねばならぬ。作戦が出来上がったら報告したまえ」
ガラにもないことを言ってのけたウェルケンらは満足そうな目尻を垂らしテントから出て行き、ロイとセイリスだけになった。
「怪しすぎるね」
「同感です」
「早く評議会に帰ってくれないかなーぁ」
「皇太子暗殺だなんて随分派手な事を…… 信じられません。この件、評議会に確認を取りますか?」
「いんや、俺たちはただ、派手に暴れるだけ。誰が裏で手を引いているかなんてどうでもいいよ。元より世の中を敵に回してるんだし。最悪、評議会も殺そう」
「そうでした」
破滅的この上ないロイの発言にセイリスは、さも当たり前に返事をした。猟犬部隊に集まる隊員達は全員こんな思考回路である。むしろ一々確認を入れる彼女の方が少数派だ。
「ウェルケンから目を離さないとして、今は目先の作戦を考えよう…… 問題はどこで襲うかだよなぁ」
「水虫、退けてくださいな」
「はいはいごめんね水虫で」
セイリスは見た目以上に汚い床に地図を広げた。
ゼプァイル・シティは荒野のど真ん中に作られた計画都市である。シティの周囲には手付かずの荒野が広がっているが、北側には試合場であるヴィチェンツァ・クレーターがあり、さらに北側に各国代表団のキャンプ地が、つまりエドワード皇太子もここに滞在している。
シティは計画都市であるためか、地図で見ると綺麗な格子状になっていてデジタルな印象だ。地名もほとんど“第一ストリート”とか“第二区画”とか、番号で呼称されているから余計にシンドく。最近よく霞むようになったロイの眼がキューッと悲鳴をあげ、目頭を抑える。
「どうしました?」
「二十年もしたらわかるよ」
「はあ…… 放送する、同盟の支局がここですね」
セイリスが街のほぼ真ん中に青色の石を置く。
「ちなみに“ここ”から市街地までどのくらい離れてる?」
「百四十キロほど。最速なら十時間程度の行軍ですが、装備次第だと二倍は見込んでください」
「やっばり時間ないね。すぐに出発しないと」
「通常なら殿下一行は馬車に乗り、荒野を移動して街の北端から入り、大通りから一直線です」
「道中で襲ってもいいけど…… 市街地の外でヤるのは難しいな。障害物がなさすぎて奇襲できない」
ロイの頭に中で真っ先にイメージしたのは走行中の車を何らかの方法で停めさせたのち、周囲からバカスカ撃ちまくる作戦だ。
馬車の装甲は薄く、同乗者も少ないだろうから型にハマれば成功するだろう。
しかし、真っ先に思い浮かぶ作戦は、相手にとっても大抵警戒されるから、まずうまくいかない。
セイリスも心得ているのか、
「スケープゴートを用意する可能がありますし、こちらの予測通りのルートは通ってくれないと奇襲は難しいです」
「そもそも、素直に普通の馬車使うかって話だよねぇ」
「市街地に入ってからですと、局まで四キロほどです」
「魔導師なら走ってすぐの距離だ。こう、裏路地をスルスルとさ。見栄張らないならアリでしょ。ルートは無限に広がってるなぁ」
「道中の奇襲はナシの方向で?」
「いや、用意はしておこう。向こうがバカの可能性がまだあるから」
「はい」
「一番確実なタイミングは放送中の事務局の強襲か。絶対ターゲットいるもん。建物ごと吹っ飛ばすってのは…… ダメだよねぇ?」
「事務局ご自慢の最新式鉄筋コンクリートですよ。見取り図はありませんが、耐久度は要塞並みらしいです。何より今回は死体の回収しませんと」
「生き埋めじゃ“行方不明”になっちゃうからね。ちゃんと死体を出さなきゃいかんよな。じゃ、やっぱり突入か…… 事務局の見取り図、欲しい。無いとこれ以上作戦思いつかないよ。行軍中にでっち上げよう」
「大至急手配します」
「うん、ヤンさんによろしく言っといて。それと広場に全員集めて」
「今すぐにですか?」
「ああ、みんな喜ぶぞ」
「分かりました」
彼女はテキパキと地図を畳み、テントの外に出ていった。
対してロイは、ゆっくり靴下を履き立ち上がると、軋む腰をグリグリと回して慣らす。
外に出ると、すでに全隊員が整列して静かに待っていた。
用意された木箱に乗るとロイは、
「あ、あー、同志諸君、朗報だ。久方ぶりの派手な仕事だ。なーに、殺すのは帝国皇太子エドワード大公ただ一人、楽な仕事だ。諸君、準備に取り掛かかってくれ。以上」
鼓膜が破れそうな咆哮が響いた。