シエスタ Ⅱ
六月二十五日、月曜日。
クォンツァルテ代表団に勝ってから一週間。オヴリウス代表団は第六節に続いて第七節の試合も勝利すると、通算成績三勝二敗二引で勝点十一。二連勝によって一気に首位タイまで順位を上げた。
理由は各々違っていても、国別対抗戦で結果を出すことを目的に集まった団員たちだ。トートバスでの事件直後に比べ、キャンプ内の雰囲気は随分と明るく、良い緊張感の中で今後に備えていた。
新しい技の鍛錬をしたり、ケガを治すよう努めたり、敵の研究をしたり、雑務をこなし裏から支えたり。そして代表団の幹部たちは第二会議室に集まって定例会を行なっていた。
シエスタは書記として参加し議事を取っていた。
他の顔ぶれは、|本部長《エドワード〉、事務監ヘッドコーチ代理、警備班長の代表団四役と、オブザーバーとしてブリュンベルク派閥からハンシェル。
定例会は昼過ぎから始まり、当初の議題を終えて普段通り一時間ほどで終わろうとしていた。
危なげなく進行したのでシエスタは、ホッと一息つけてから、
「議題がないのであれば、今日これで解散となりますが……」
「ところで皆さん、オリシズムって知ってます?」
と、発言したのはあのユーリ・エーデルフェルトであった。
「なんだ、お前の舌は世間話も話せるんだな」
ハンシェルは火のないパイプを咥えて、嫌味を吐く。
国別対抗戦の期間中、同盟事務局の広報部が毎日に放送している大衆向けのラジオ番組だ。堅苦しい番組ではないが、放送は中継され各国に同じ内容が流されるため、国勢を気にする関係者の間ではナーバスに扱われがちだ。
「昨夜の放送は良かったですね。やはり帝国勝利の響きは皆さんも嬉しいのでは?」
他の五人のリアクションは薄いが、ユーリはこれといって気にすることなく話を進める。
「で、番組からゲスト出演の依頼が来まして……」
「そういうのは早く言えよなぁ」
唐突な話にハンシェルが溜息を漏らし、パイプを置いた。
解散モードだった各人の表情がまた、キッと引き締まったのに戻る。
「いやはや、回りくどくてすみません。今週の水曜日、つまり明後日の放送に来てくれないかと…… どうですか?」
随分急な話である。
「あ? 誰が呼ばれたんだ?」
「失礼、言い忘れていました。本部長です」
「僕にですか?」
「オヴリウス代表団は帝国ラウンドから引き分けを挟んで三連勝と調子がいいですからね。是非にと」
こういう重要議題は事前に申請して欲しいとシエスタは内心で苛立った。
エドワードは試合会場でのインタビュー程度なら何度もこなして来た。番組出演となると初めてのことになるが、十分こなせるだろうとシエスタは思った。
しかし、話を持って来たのが“あの”ユーリ・エーデルフェルト。まして明後日となると警戒度が跳ね上がる。
ユーリを除く全員が、各々の立場で思考を巡らセル、しばしの沈黙。
判断材料の欲しいシエスタは、
「……事務監殿はどうお考えで?」
「僕は話を取り次いだだけですから。立場的にはむしろフラットです。お好きになさったらいかがですか?」
肯定的でも否定的でも面倒なので、彼の中立なスタンスはありがたい反面、責任回避もしている。何かトラブルが起こればエドワードの傷になるから、シエスタは消極的な思考にシフトしてしまう。
エドワードは目を瞑り塾考したのち、慎重に言葉を選んでいく。
「本件については…… 引き受けるにしても断るにしても、相応の基準が必要ですね。そうでなくては、今後似たような依頼が来た時に違う返答すると不公平と受け取られますから」
「はい、間違いなく」
エドワードに政治的な後ろ盾はない。
仮に国別対抗戦で優勝したとしても、結局ケイネスとの政争に勝利しないといけない。だから今のうちにメディアに露出し、自身の正当性をアピールして世論を味方につけたい。
しかし際限無く取材を引き受けることはできないから、どこかで線引きを決めておく必要がある。
「同盟事務局関連はOKで、民間はNGじゃダメなのか?」
この件には無責任だからか、ハンシェルはお気楽。しかし基準としては明瞭ではあり、シエスタとしては支持しても良かった。
ところがエドワードとしては満足できないようで、
「それでは露出が少なすぎます。それに官製メディアは快く思っていない人も多いでしょう」
「これからは異国巡りになるんだ。信用できる民間のマスコミなんてねぇし、調査能力もないだろ? なあ?」
「調査は行なっている。近衛を侮らないでいただこうか」
「どうだか」
シエスタは反論せずに奥歯を噛んだ。
近衛師団にも諜報部門はあるが、あくまで帝国内向けのもので他国に潜入して活動するのは得意でない。本来そういうのは国務省であるし、だからこそ代表団は外交を司る国務省の管轄であったのだ。
「引き受けるなら護衛つけるんだよな? ウチはアテにしないでもらいたい」
口を開いたのは、この議題ではずっと口を結んでいた警備班長、ニコラス・ドーブルガだった、スキンヘッドと、顔の下半分が見えなくなるほどの長く縮れた髭がトレードマークの中年の男だ。彼がようやく意見を述べるが、案の定否定的なものであった。
「ワシらの任務は“キャンプ地の警備”と“設備の護送”。それ以外のことはできゃーせん」
このセリフも、何度も聞いて耳ダコである。
「こちとら四年かけて警備計画練ってんだよ? それを後からいきなりやって来て…… とにかく、〈大いなる卵胞〉の中にいる限りは守りますよ。本部長でも下っ端でもね。でも外で起こったことまで責任持てねえ」
「警備班長、もう少し柔軟にお願いしたい」
「ああ?」
徐々にヒートアップするとニコラスを諌める為に、シエスタは口を挟んだが、逆に火に油を注いだようでさらに加熱する。
「やる気の問題ではなく、能力の問題だッ。ウチはギリギリの人員で回してんだよ。分かる? ギリギリなの。今、人員が欠けたら、警備計画が破綻するつってんの。本部長も嫌でしょう?」
「そうですね。最悪、僕が死んでも帝国の国別対抗戦は継続してもらわなくてはいけませんから」
あってはならないことがエドワードの口から出てきて血の気が引き、思わず机を叩いて立ち上がってしまった。
「殿下ッ! そのような事……」
「書記さん、穏便に穏便に」
「あ、くぅ…… 失礼しました」
ユーリの嫌味なセリフで、全員の視線が突き刺さっていることをようやく自覚できたシエスタは、軽く頭を下げて座った。
ユーリが嬉しそうに緩まった口で、
「立場をわきまえてください。あなたはあくまで書記、発言権はありません。慎んでくださいね?」
「以後、自重します」
迂闊だったと自分を恥じた。表面上はどうあれ、幹部級がとても一枚岩ではない状況の中、こんなことで心象を悪くしてはいけなかった。十分気をつけていたつもりだったが、試合の連勝で気が緩んでいたらしい。
そんな空気をエドワードがポンと手を叩き切り替える。
「話を戻しましょう。事務監、いくつか確認したいのですが?」
「どうぞ」
「官製放送から出演料は出ますね?」
「はい、ギャラは出ます」
「民間放送であっても出演料はいただけるのですよね?」
想定していたのか、ユーリは悩むそぶりもなく、
「過去の例では、個人ではなく代表団として受け取っているはずです。正確な記録が必要ですか?」
「はい、できれば他の代表団の記録も。相場を知りたいですから」
「ほほう、つまり出演は出演料で決めるのですか? 内容や安全面ではなく?」
「それが一番フェアです。それに……」
思うところがあったのだろう、エドワードは一呼吸置いて、
「国費ではないのですから、今後のお金が必要となった時に帝国本土の顔色を伺う必要もないでしょう?」
代表団の所管が国務省から近衛師団に移っても財源は国費であり、予算を精査するのは財務省である。結局は帝国政府を牛耳るケイネスの影響を受けるだろう。
しかし、財源全体から見れば些細な金額であっても、ある程度の稼ぐことができればこれに反発材料になる。
単なる精神論だけではなく金銭の問題もちゃんと考えるようになった所に、エドワードの為政者としての成長が見られる。長年支えてきたシエスタには感動的で、人知れず鼻の奥がツンとなってしまった。
そんな時に限ってユーリは水を差す。
「代表団として稼いだお金を代表団が使う、と…… そうですね、外部に文句を言われる筋合いではないです」
露骨に“外部”の部分が強調されて不快だった。ユーリという怪人が微笑んでいる限り、代表団内に安息はないのだ。
少考したエドワードは、
「今回のお話、お受けしましょう。メッセージを発信するだけでなく、資金調達の足がかりになりますから」
「かしこまりました。あちらとの細かい調整はお任せください……」
「シエスタは護衛計画について考えておいてください。時間はありませんが…… お願いします」
「番組側との折衝は貴女にお任せしますよ。得意でしょう? そういうの」
ユーリは人の神経を逆なでにする笑みを浮かべていた。殴りたくなるの気持ちをグッと堪えて進行する。
「……かしこまりました。他に議題がなければ解散となりますが、よろしいですか?」
「やっと吸えるぜぇー」
ハンシェルがパイプを持って席を立つとミドが嫌そうな顔をする。
「ちゃんと外で吸ってね。建物の中に籠るんだから」
「へーへ」
弛緩する会議室の隅っこでシエスタは、このラジオ放送がうまくいくことを心の底から願っていた。