ジャスパー Ⅲ
アナスタシアと別れてから一分ほどクレーターを走り、降ったり登ったりしたジャスパーとナトラは、クォンツァルテ本陣まであと三百メートルの地点まで到達した。そこは緩やかな斜面で、想定通り一帯が綺麗なドーム状の煙に包まれて先は見えず、安易に踏み込むことを拒んだ。
魔導具〈白中夢虫〉で作った厄介な煙幕結界である。結界は徐々に大きくなっているはずで、放っておけば試合場全てを覆うだろう。
もっともここまでは想定の範囲内である。
「キラミヤ、とりあえず一発入れとけ」
「ああ」
冷たく乾いたナトラはしゃがみ、腰の〈座鯨切〉を抜いた。刀身が地面スレスレを伸び煙幕の中を横一文字に斬る。
だが振り切ることはなく、途中で何かにぶつかり止まった。衝撃音がまったく出ず、刀身も瞬く間に元通りの長さに戻った。はたから見ればナトラがパントマイムをしているようだ。
痺れたのだろう、納刀した彼は右手を握ったり開いたりして感触を確かめると、
「近いとこに居たな」
「続けよう。一撃必殺を受け続けるのは精神的にシンドイはずだ」
「……イヤ、来るぞ」
と、ナトラは足元を指差した。ジャスパーには分からないが、どうやら地面の振動を感じ取って、相手の動きを予測しているらしい。
血が滾ったジャスパーは思わず両拳をぶつけ合い、
「よし、迎え討とうぜ?」
「指揮者がいない。あまり意味ないぞ」
「あいつがくる前に露払いしてやるってんだよ。どうせ殴らにゃいかんのだし? お嬢ちゃんも心配だし? 早いに越したことないだろ」
「まあ、来るぞ」
直後、煙幕結界から飛び出してきたのは、燃え盛るのフルプレートの鎧であった。
「初めて見るなッ、新人の誰かぁ?!」
シャープなフォルムの黒い鎧には炎がついて、特に背中からは轟々と炎を噴出し、足裏をゴリゴリ滑らせて突っ込んでくる。おまけに手足の火力を調整してコマのように回り勢いをつけると、ナトラにラリアットをかます。
「キラミヤ!」
あんなものをまともに受け止めたら全身の骨が折れてしまうだろう。だがナトラはあえて一歩踏み込むことで打点をズラし、鎧の内肘に〈座鯨切〉を引っ掛け足払いする。
バランスを崩した鎧野郎は炎を吹かしていたせいで空中を舞い、地面に叩きつけられクレーターの底に降っていく。
ナトラの方は姿勢を崩し片膝をついていたが、重いダメージはなさそうだ。
「ジャスパー」
「うおっしゃッ! わかってるっつーの!」
鎧型の魔導具なら斬って倒すのは難しい。代わりにジャスパーが鎧野郎を撃墜すために接近を試みた。
しかしそう簡単に事は進まない。
「させないよッ?」
「だよな来るよなアヴローラ!」
煙の中から見慣れた女が飛び出してジャスパーに襲いかかる。
剃り込みのあるベリーショートの銀髪。これでもかと釣りあがった目と大きく開く口。非常に薄着で、スレンダーな身体には目立つピアスがいくつもあった。パンクな見た目通り攻撃的なアヴローラ・ミュラーといういけ好かない女である。ジャスパーと彼女は同い年で、前回大会ではよくマッチアップしていた。
彼女は両手に黒いグローブを着けていた。魔導具、〈斬菱〉である。手の甲の部分から数センチ離れたところに黄色に光る菱形の板が浮かんでいる。これが腕全体にカバーする大きさで、手の動きに合わせて時差なく機敏に付いて回る。刀身であり、防楯だ。
彼女は、右の〈斬菱〉で突き出してきたが、ジャスパーは左手でパーリング。
お返しに彼女の鼻っ面めがけて右ストレート。こちらも左の〈斬菱〉で受け止められてしまったが、反動で二人の間合いが一度できた。
一見して互いにダメージのないやりとり。
しかし殴った〈斬菱〉には拳骨型の赤い刻印が残っていた。
「一発、刻んだぜ」
「イキんなッ」
ジャスパーが装着している〈積み上げる幸福〉は打撃時の衝撃が二倍になるのが基本能力だが、さらに刻印を付ける能力がある。この刻印を再び〈積み上げる幸福〉で叩いた時、衝撃はさらに倍になる。そして刻印は重ねがけが可能だ。つまり二撃目の衝撃は四倍に、三撃目なら八倍にと威力が増していく。
ジャスパーの拳技と合わせれば、かなりの破壊力を引き出すことができる魔導具だ。
一気に畳み掛けようと踏み込んだとき「伏せろ」とボソリ声が耳に入る。
眼球を動かし視線をズラすと、片膝をついたままのナトラがすでに納刀を終え、再度の抜刀しようと構えていた。転がっている鎧野郎は放置して、先にアヴローラを撃墜すつもりだろう。
巻き込まれないように姿勢を低くしつつ、追撃に備える。
抜刀斬りが炸裂するかと思われた瞬間、煙幕から黒鉄のヘビが一匹飛び出しナトラに襲いかかる。
「ちッ」
ヘビの長さは十メートルほど。顎を開いた頭部のすぐ後ろには直径一メートルの円盤があって、後ろに続く胴体は鎖でできていた。あきらかに自律系魔導具である。
ヘビの大きく開いた口の中が眩く光る。光芒が放たれる前兆だ。
ナトラは抜刀斬りの目標を変更して、蛇を叩く。
斬撃を頭部に受け、放たれた光芒は明後日の方向へ撃ち放った。
もうその頃にはもう鎧野郎も姿勢を戻していた。ナトラはそちらの相手をすることになるだろうから、結局援護なしでアヴローラに挑む。
待った分だけ大損だ。
「次から次へとウザってぇな、そんなに俺とタイマンしたかったか!?」
「ジャスパー、少し黙ってろ……」
感情を噛み締めるような険しい顔のアヴローラは普段より動きも悪いく、威圧感も不安定だ。アゼンヴェインのことでメンタルが整ってないのだろう。
ジャスパーは勝負に徹する。
既に刻印済みの左の〈斬菱〉に対して左ジャブ、右ストレートと殴り、破壊した。
やはり破壊するには最低三発必要で、それでもなお彼女に届かない。この辺りは前回大会から変わっていない。
さらに左ストレートを放ってみても
右の〈斬菱〉で対応される。しかしこれはハーフパワーで、触れると同時に腕を引き、右のボディブロー。アブローラは作り直した左テトラで防御。
彼女は衝撃に逆らわず後方に飛び、煙中に退いた。
「ま、いつも通りだな」
前回大会の時も、こんなやりとりをよくやっていたのを思い出した。
『ライセヒッ、いい加減ちゃんと仕事しな! でなきゃアゼンが浮かばれないよ!』
魔導具での交信だろう。鎧の内部から、ジャスパーの耳にもハッキリ届くほどのアヴローラの罵声が響く。
「ググ…… 了解です」
鎧野郎と黒鉄の蛇は、ナトラとの睨み合いをやめ、煙幕結界に引っ込んでしまった。
この煙は普通のものと異なり、音や光を乱反射して方向感覚を狂わすため、術者からのバックアップなしでは、まともに歩くことすら難しい。同時に威圧感の塊でもあるから、内部の魔導師や魔導具の存在を覆い隠し、うかがい知ることができない。
迂闊に追撃するべきではない。
納刀するナトラが、
「こちらも一度後退しよう、思ったよりエイドリアンが遅い」
「だな。面子は割れたし、収穫はあったよ」
ジャスパーとナトラは警戒しながら煙幕から二百メートルほどクレーターを降って離れると、ほどなく深緑色のハチドリに囲まれたエイドリアンが駆けつける。
「うおーい…… ハアハア、やってる?」
「おっせえぞ! ゴラア!」
「みんなが、ウップぁ、早いんだよぅ…… ハアハア」
ただでさえ運動不足の彼が、〈螺旋風〉を起動しながら走ってきたので顔は汗だく、声はカラカラだ。その甲斐あってか、深緑色のハチドリが既に二十羽ほど周囲に召喚していた。が、まだまだ心許ない数である。
ジャスパーは無慈悲に、
「もう少し増やそうか、トリ」
「あー…… あー、めんど、スー、ハアー」
エイドリアンは一瞬、泣き出しそうな眼でジャスパーを見たが、諦めたのか、〈螺旋風〉を操る。
グチグチ唱えながらもやる事はやるあたり彼もプロである。
ハチドリを召喚し終わるまではどうしようもないので、ジャスパーはとりあえず伝意鳩に問いかける。
「お嬢ちゃん、調子はどうだ?!」
『ああ?! ちょっとまった、ムリ! ぎゃッ、早くしれッ!』
風切り音と雷撃音と悲痛なアナスタシアの声が返ってきた。貧乏くじを引いた彼女を本気で哀む。
ところがナトラは冷たく、
「まだまだ元気そうだ」
「……キラミヤ、鎧野郎はどうだ? ライセヒっつー新人みたいだが」
「抑えるだけならいくらでも。撃墜すのは手間がかかるな。マッチアップを変えた方がいい」
「だな」
クォンツァルテの陣容は明らかにオヴリウスのオーダーを予測して組まれている。つまり、斬れ味鋭いナトラの斬撃であっても全身を魔導具で覆っていれば斬られることはないし、ジャスパーの重ねるごとに威力を増すの打撃も、盾を何度も作り替えれば封じることができる。いざ不利になれば煙幕に逃げ込みネリアンカのための時間を稼ぐ作戦だ。この布陣を崩すのは生半ではない。
「まあそんな簡単じゃねえだろうが、うまく入れ替わって…… ヘビは誰が起動してんだ? 初めて見るから鎧野郎か、最後衛かな?」
「イヤ、あのタイミングで出てくるならピアス女の方だろう」
「そうか、ま、四年経ってるし色々変わるか…… にしても、なんであちらさん煙の中から出てきたんだ? ギリギリまで穴熊決め込むのが今大会の基本戦術だろうによ」
「そんなの、ハアハア…… 決まってんじゃん?」
「あ? ぜひ、ご高説を賜りたいね」
必要以上に謙ってみると気を良くしたのか、胸を張ったエイドリアンが乱れた声で、
「スーハー…… 八つ当たりだよ。あっちのヘッドコーチ死んじゃって…… ハー、それでイライラしてんの。ネリアンカも凄い顔してたじゃん?」
「それで作戦変えて、勝手に出てきたってのか? 国別対抗戦の試合中だぞ?」
ジャスパーには理解できなかった。
国別対抗戦は国の威信をかけた戦いだ。情勢によっては不審死が相次ぐのも致し方ないし、実際流星事件で大勢の者が死んでいる。それでもなお、試合に徹するのが代表団の仕事だと考えていたからだ。
「そうかもな」
しかしナトラが同意した。そういえば、ナトラも私情で参加した人間だった。
ジャスパーとは相容れないが、感情が爆発することもあるかと、一応の納得をした。
「……んー、ま、そういうことになるのか? ……よそはよそ、ウチはウチだ。勝手にテンパっててくれんなら世話ねえや」
「ハアハア、ンぁー。そだね…… あれ間違ってる?」
「んなことより〈螺旋風〉、もういいか? うるさくなってきた」
「おけおけ…… ジャスパーが聞いてきたのにな、ヒドイな……」
少し話していたうちに周囲には充分なハチドリが飛び、羽ばたき音で頭が痛くなってきた。
「そんじゃー、本番始めようか」
「はいはい…… 人使い荒いなぁ。スー、ハー…… よし」
深呼吸したエイドリアンは集中するためか、〈螺旋風〉本体を掲げ、目を瞑る。その顔つきは打って変わり精悍なものに変わった。
「ふん!」
ハチドリの群れが煙幕に近づくと、数羽がパカッと口を開け、喉奥から烈風を吐き出した。それもただの風ではなく、竜巻のように螺旋回転しているから空気圧が分散せず、一方向に集中して噴出している。
二秒程度でこめられた魔力を使いきり、ハチドリは蒸発して消え、巨大な煙幕結界に深く綺麗な穴を開けた。
〈螺旋風〉は破壊力の強い魔導具ではないが、直撃を受ければ活性化していても皮膚を切り刻むくらいの威力はあるし、そうでなくとも姿勢を大きく崩すことができる。
しかしエイドリアンは不満なのか、大げさに肩をダラリと垂らし、
「んー? 思ったより重いな。全部晴らすの大変だよ?」
穴の直径は七十センチほど。想定ではもっと大きいハズだったからジャスパーとしても、ガッカリだ。
かといって作戦を変えるわけにもいかない。
「いいからガンガン行け、出し惜しみなしだ」
「オッケーオッケー」
試合のルール上、指揮者を敵本陣にエスコートしなくてはならないから、ここで傍観しているわけにもいかない。
ジャスパーとナトラが煙幕に接近。機を見て道を作りたい。
エイドリアンは再び目を瞑り、〈螺旋風〉を操り煙をズタズタに切っていく。
すると、煙幕の晴れ間に虹色羽の蝶々が大量に飛び、地面の上に毒々しい青いカエルが何匹もピョンピョン跳ねる。
それらを肉眼では初めて見たのでジャスパーは、
「あれが〈白中夢虫〉と〈轢蛙〉か。踏むと酷えぞぉ?」
それからしばらくは最後衛同士が意地の張り合う展開になった。煙幕結界、〈白虫夢中〉の正体である虹色羽の蝶が舞い、穴を埋めるように煙をまくが、〈螺旋風〉で負けじと新たな穴を開ける。
地味ではあるか、煙幕をどの程度削れるかで試合の行く末が変わる重要な局面だ。
最初は一進一退のやりとりだったが、前衛には汲み取れない駆け引きがあったのか、次第に煙幕結界は蜂の巣になる。
攻め入る頃合いかと思いナトラと目配せをした時、煙の形態が変わった。
これまでは、大きなドーム状でかなり高いところまで覆っていたのだが、風船が萎むように天頂部が落ち込んできて、膝上くらいまでの高さに集中して煙を操るようになった。
そこには臨戦態勢のアヴローラ、ライセヒ。そしてクォンツァルテ最後の一人、フィヤ・ド・トゥルシャガも姿を見せる。
ジャスパーは思わず、
「あー、最後衛はあのお嬢ちゃんか、気がひけるな」
フィヤの背格好は小さく、大きなローブを羽織り、ツインテールにした暗い茶髪がなんとも幼い印象だ。実際幼く、今大会ではエドワードが出場するまで最年少であった。姿を見せることが余程怖いのか、兎のように身を縮こませて今にも尻餅をつきそうだ。
非常に戦いにくい。
という心情を読んだらしいナトラが、
「しっかりやれ、ジャスパー?」
「分かってるよ、いざってときゃ殴る」
殴らないわけにはいかない。なぜなら彼女は二本の杖を大事そうに抱えているからだ。
片方の杖は、純白の玉のついたモノで、玉は至る所に裂け目があり、そこから羽化するように虹色蝶が次々と誕生している。
もう片方の杖は、先端に〈轢蛙〉の卵の塊があり、そこから青いオタマジャクシがボトボトと地面に落ちていた。
エイドリアンは楽しそうに「よっ」と発すると〈螺旋風〉の烈風がフィヤを襲う。
「キャッ!」
しかし成体の〈轢蛙〉がピョンと跳ね身代わりになる。木っ端微塵になり、風圧で青い液体が散ると、ジュウジュウと鼻がもげる酸っぱい臭いが広がった。
「はぁ、かわいい」
「ひいぃッ、こわいぃ」
悲鳴を上げるフィヤが気に入ったのか、エイドリアンが不気味な笑みがこぼれる。明らかに興奮している。
ジャスパーとナトラはゲンナリと、
「エイドリアンお前さぁ」
「キモいぞ」
聞こえたのか、対峙するアヴローラとライセヒも何が言いたげな形相である。当のフィアに至っては青くなった顔を低い煙の中に引っ込めた。おそらく地面に這い蹲っているだろう。
ところがエイドリアンは悪びれもせず、
「やだなぁ、ただ仕事しただけじゃない、ハアハア」
煙の穴が埋まるスピードは、先程までと比べ物にならない速度だ。結界範囲を限定しているからだろう。これならフィヤと〈轢蛙〉と黒鉄の蛇も潜ませることができる。
「さて、仕事仕事。煙、全部晴らすの無理だよ?」
「わーってる。俺とナトラの周りだけで十分だよ。誤射るなよ」
「サッサと行こう、アーシェが心配だ」
「おっしゃ、行くぞ!」
ジャスパーの掛け声を合図にして、二つの部隊は再度激突するのだ。




