ミド Ⅴ
六月十四日、木曜日。
商連ラウンドの開幕を控えたミド・アンティーナ・クドリャフカは、試合場の視察にやってきた。同じように視察にやってきた他の代表団の姿も遠くにチラホラ見える。
殺風景な荒野が広がるこの地域は、日中は初夏の陽気が照りつけるのはずだが、今日に限って北からの強い風が吹き付けるから、オヴリウスのジャケットを着ているだけだと少し寒く、鼻がムズムズして仕方ない。
体調が良かったから迂闊に外出したが、これなら自室に籠っていれば良かったと後悔した。
そして、ミドの表情が険しいのは寒さのせいだけではなかった。数日前に幼気な童女が無残に殺されるところに居合わせたのだ。次は自分の番かもしれないと考えてしまって必要以上に緊張する。風の音が耳を通るたびに〈玉撞き遊び〉を握る手に力が入る。
肩をさするミドの隣では、板状の水晶の形をした〈合成獣水晶〉を覗き、地形図を製作するドリスの姿。
ドリスは完全に平静を取り戻しているようで、リラックスした感じである。
「大丈夫なんすかね? 今回の国別対抗戦」
「……私たちが心配しても仕方ないわ。できることをしましょう」
「ウス」
会話に意味はなかったようで、二人は視察を続けた。
ところが、想像以上に殺風景で、細かいチェックのしようがない。
試合場であるヴィチェンツァ・クレーターはほぼ円形でその直径は約四キロメートルである。この中に、一辺が二キロメートル正四角形の試合場を設定することになったから、その全域が火口部の内側に収まっている。
地形はすり鉢状の地形で高低差があり、常に射角を確保できるから、後衛主体の戦いになるだろうか。
ヒビ割れた地面は脆くて踏ん張りが効かないから、蟻地獄のようにズルズルと底に落ちそうになる。障害物はシングルベッドくらいの大きさの岩がいくつか転がっているくらいで、戦闘に影響しそうなものはない。
この先の戦略を考えながら、吹きさらしの中で立っていたが、いい加減気分が悪くなってきた。ミドは急かすようにドリスに声をかける。
「終わった?」
「はい、一通り」
「帰りましょうか」
「うっす」
その場を離れるために機材を撤収していると、遠くの方から一人の男が護衛も付けずに歩み寄ってくる。
「こーんにーちはー」
その男に見覚えがあったから、ミドはドリスを小突く。気づいた彼女はキッと殺気立った顔になって作業をやめた。
男がミド達まであと三十メートルのところまで近づくと、持ってきていた爪付き鉄甲を付けたドリスが彼の前で立ちはだかる。
「なんすか?」
「あらら? オヴリウスさんの警備かな? ええなぁ、お金に余裕のあるところは」
「……不必要な接近はご遠慮ください」
「ええやんちょっとくらい。あれ、もしかして僕のこと嫌い? 傷つくわぁ」
男はドリスにこれでもかと顔を近づけ口を開く。
暗い喉奥から長い舌が伸び、グネグネとのたうち回ると、絶句したドリスは威押されて一歩退がってしまう。
「ベロベロバー! カカッ! オモロイ!」
近寄ってきた男は国別対抗戦ゼプァイル商連代表団団長代理、ハロルド・ジストジエラである。
スポーティなサングラスの向こうの目は細く、ニタニタと笑う口角が耳まで届きそうだ。背丈は普通なのだが、不自然なほど長い腕がダラんとぶら下がっている。血色が悪いのか肌は生白く、しかし不気味さを感じた。
帝国ラウンドの時に試合場で一度だけすれ違ったことがあるのだが、その時から彼が纏う爬虫類のような気色悪い雰囲気が生理的に受け付けない。
ミドが彼について知っているのは、流星事件で死んだゼプァイル代表団団長の代わりに、まったくの無名である彼がなぜか代理に抜擢された、ということだけだ。
気合いを入れ直したドリスは鉄甲を構え直し、
「ミドさん、早く帰りましょう」
「そうね」
個人的な感情は置いといて、ミドは他団の長と不用意に接触したくはなかった。
だがそれでもハロルドは遠慮なしに接近する。
「うッ、来ないでください」
ドリスがジリジリと下がるが、今度は気圧されているわけではない。
不用意に触れると、国別対抗戦規則第一二条、第四項、“国別対抗戦参加者の地位に関する保証と自衛権”に抵触しかねない。
「じゃあビジネスの話しよか? いくらで買うてくれる?」
「……ドリスちゃん帰りましょう」
「ええやん、八百長しようや」
カチンときた。
ここまでハッキリと言われるとついつい彼を睨みつけてしまった。
そして後悔した。目が合うと蟲を見ているような不快感を覚えたからだ。
「まあ、あんさんの一存じゃあ決められへんか。うちの代表団、電話回線引いてんねん。いつでもええから電話してぇな。商品は他にもぎょうさんあるさかい、欲しいものあったら声かけてください、カカッ!」
気色の悪い笑みを浮かべた彼は懐から一枚の名刺を差し出す。
ミドにはそれが悪魔の契約書に見えて仕方ない。が、受け取らないと帰ってくれそうにない。
生ゴミを扱うように名刺の角を摘む。
「うんうん、ほななぁ」
言いたいことは言い切ったのだろう、背中を向けた彼は満足そうに手を振って去っていた。
「噂以上に気色悪いっす。ヘビみたい」
「寒くなったら冬眠してるわね、きっと…… さあ、よそはよそ、うちはうち。やることは沢山あるわ。撤収しましょう」
「ウス」
こうして最悪な気分で帰路に着く。名刺はサッサと捨てればよかったのだが、捨てたら捨てたで呪われそうな気がして、嫌々ながらポケットに入れてしまった。




