ルシウス Ⅰ
ソヒエント加盟組織である猟犬部隊の駐屯地は、ゼプァイル商連にあるとある森の中にあった。
いくつか木を切り、切株を掘り起こしてスペースを確保して、土嚢を重ねて塀を作る。その内側に安っぽい小さな三角テントを並べた即席の陣地で、テントの数は“一張で二人寝るから”“三交代で就寝するから”と隊員の六分の一ほどしか立っていなかった。
一応、食堂と言われているところがある。しかし屋根はなく雨ざらしで、伐採した木材を適当に形を整えて並べているがどうにもガタガタ揺れて評判は悪い。物資の運搬にも手間がかかるから、最低限の物しか用意しておらず、テーブルや椅子といった気の利いた物は最初から用意してないのだ。
猟犬部隊の隊員であるルシウスは小雨降る中、この風通しの良すぎる食堂で肉団子の入った山盛りパスタを食らっていた。劣悪な環境では食事だけが娯楽である。
ルシウスは身長二百二十センチ、体重二百十キロ超という常軌を逸した偉丈夫だ。しかも贅肉とは無縁な鍛え抜かれた肉体で、高密度の筋肉で丸々と太い。背中を隆々と広く、腕脚は棍棒のようで、胸板も胴回りも常軌を逸していた。その浅黒い肌には大きな幾何学模様の白い刺青と無数の傷とが埋め尽くしている。
昔から体格にあった服を用意できずに苦労したが、猟犬部隊に来てからはもう面倒になって上半身は常に裸、ドッグタグだけがぶら下がっている。下半身もボロくなったハーフパンツと原始人のような装いだ。
遠くから見ても危険人物であるのは一目瞭然であろう。それでもここの連中は気後れすることなくルシウスに話しかける。
ベアトリーチェ・エイルースが音もなく現れると、礼儀正しく会釈をする。小柄な彼女は、アジト内でもマントを羽織り、それについたフードを被って顔を隠しているが、宝石のようなアイスグレーの瞳がジッとルシウスを見つめていた。
下を向いたままのベアトリーチェはゆっくりとした口調で、
「こんばんは、ルシウス」
「ああ。今日もいい女だなぁ。ベアトリーチェ」
ルシウスは人声とは思えないほど重低音で返事した。
彼女はベアトリーチェ。ルシウスの右隣の遠慮なく座った。
食事と摂るためフードを脱ぐと、金糸細工のように輝くプラチナブロンドのショートカットと、陶器のような白い肌が露わになった。無機質的な美しさのベアトリーチェはお人形のようで、童話的で、ルシウスとは真反対の意味でよく目立った。
薄暗い食堂中の視線がベアトリーチェに突き刺さる。不愉快だったのだろう、恥ずかしそうにフードを被り直した。
息を小さく吸った彼女は、悠々閑々とした口調で、
「ありがとう、ございました」
と視線を合わせぬまま、自らの肉団子を一つフォークで掬ってルシウスの器に移した。どうにもベアトリーチェは他人の顔を見る事ができないらしい。
彼女から粗品付きで礼を言われる記憶がなかったルシウスは、
「あ? 何の話だぁ?」
「その…… 昨夜は助けてもらいました」
「は? バカにもわかるように説明しろ」
「作戦中…… 男に迫られた時に、私の前に現れたでしょう? だから…… ありがとうって」
「ああ!!」
それでようやく思い出した。
苦し紛れの男がベアトリーチェに突っ込んで来て、それのフォローに回ったのがルシウスだった。とはいえ、ルシウスの仕事がそもそも彼女のフォローだったため、恩を売ったつもりもない。
「仕事だよ、お前が気にすることでもない…… あっ!! もしかして惚れたか!? 俺の子供を産む気になったか!!」
「違います。あなたが死ぬ前に、借りを返しておきたい、だけです」
「なーんだ。違ったか。でも貰っておこう!」
貰えるモノは貰っておく主義なので、遠慮なく肉団子を食べた。
用件が済み、少しリラックスしたベアトリーチェも食事を始める。
「はい。手の具合は、どうですか?」
「問題ない。もう治ってる」
ルシウスは左手に包帯の巻かれた解いた。握ったり開いたりしてみせて完治をアピール。
怪我を負ってから丸一日。通常の外科的処置しかしてもらっていないが、それでもルシウスにとっては十分すぎる。
「いやはや、相変わらずの回復力、人間やめてるなぁ。ニャッケに頼ってもいいのに」
「二人とも、ここお邪魔していいですか?」
「あッ! 隊長、副隊長、お疲れ様です!!」
食器を持った男女が正面に立った。反射的に立ち上がって敬礼した。
猟犬部隊隊長のロイ・ウーラートは、錆鉄みたいな焦茶色のクセ髪を中年男だ。いい歳して身支度が苦手らしく、常に無精髭を生やしている。垢のついたヨレヨレの白シャツとカーキのズボンがみっともないが、ルシウスよりマシなので誰もなにも言わない。
対照的に副隊長セイリス・A・ラフラカンテはキッチリカッチリ折り目正しい女性だ。暗めの金髪で、前髪は綺麗に切り揃えられて、後ろ髪はシニヨンにしていた。ただでさえ美人なのだが、顔には化粧っ気がありイヤリングも付けて、着ている水色のスカートジャケットは気品高い印象がある。常に微笑みを絶やさない淑女で、ルシウスら末端の隊員に対しても丁寧な敬語を使う女性である。
二人に限った話ではないが、猟犬部隊の隊員の服装はどうしても寄せ集め感が強い。揃いのマントがなければ同じ部隊とは思われないだろう。
二人が椅子に座ると、ロイはすぐさま辛そうに顔を歪める。
「よっこいせ、っと…… 畑仕事はもう嫌。腰が痛くてさ、歳取るは嫌だね」
「ご自愛ください!!」
再び着席したルシウスが丁寧に愚痴の返答をしていると、セイリスが微笑ましく話題を変える。
「コホン、それはさておき、聞きましたか? 鹵獲した魔導具、評議会に持ってかれることになりました」
目立つ人間が増えたせいか、さらにフードを深くに被ったベアトリーチェが、
「鹵獲? 昨日の彼ですか? 持ってました?」
「イヤ、その二つ前」
「ああ」
ソヒエントは基本的にはテロリストの互助機関だ。力のないテロリスト集団達が人材や道具、金銭などを融通し合う。各々の目的を果たそうと共闘している。評議会はそれらの管理、監督をしていたのだが、ソヒエントが肥大するにつれ評議会の権力も増大し、今では事実上のソヒエントの最高意思決定機関となっている。
ルシウスの頭はこういう難しい話についていけないのが、ベアトリーチェは難しい話が好きなのか、眼球は下向きのクセに結構しゃべる。
「我々は、活性術師部隊ですから、当然かと」
「イエス。でもタダってのは癪じゃない? 死人も出たんだからさー、その見返りは欲しいじゃない?」
「評議会に、待遇の改善を要求しますか?」
「聞いてくれるわけないじゃない、ハアーー…… ルシウスはどう思う」
「はあ…… ぶっ殺せばよいのでは!」
頭の中に最小限の脳味噌しか入っていないルシウスでは、それ以外の返事はなかった。気に食わない奴は殺せば良い。
ロイの方も世間話くらいのつもりだったのか、すぐに話題を変えた。
「最悪はそうするよ、スー…… 腰痛い。誰かあとでマッサージしてよ」
「ルシウスに足踏みマッサージしてもらったら如何です? 腰骨が砕ければ腰痛もなくなるのでは?」
「コイツはセイリスに一本取られたなぁ。はーあ……」
そのまま雑談をしながら食事を続けた。
すぐに皿が空になったので、ルシウスは四度目のお代わりをしようと席を立った時、食堂に怒声が響く。
「ウーラートはどこだッ!! あの無能の隊長を呼んでこい!!」
空気が途端に緊張感と不信感で重くなる。
声の主はウェルケン・フォストラウトであった。
彼は評議会から猟犬部隊に出向してきた、いわば目の上のたんこぶである。
長めの赤髪と、丸眼鏡の奥の細い目。運動不足であろう細い身体。高価そうな白い服を着て、いかにもインテリそうな出で立ちなのだが、かなりの癇癪持ちで大抵は眉間に青筋が立っている。しかも自分が魔導師である事が誇らしいのか、その反動で活性術師を見下す傾向がある。
彼が直接猟犬部隊に命令を出せるわけではないのだが、かといって存在を無下にするわけにもいかず、振り回されているのが実情だ。
山盛りの皿を持ってルシウスが席に戻った時、ロイの姿はなかった。
「さすが隊長、逃げ足は早いです」
「隊長さん……」
誰にも気づかれないほど華麗に消えたらしい。
セイリスは皮肉とか嫌味ではなく、素直に感心しているが、この先のことを予見できているのだろうか。
「アレは、マズイのでは?」
「帰って来てからあんな調子です。落ち着いてから話を伺いたいから、隊長ずっと逃げ回っているのですが中々クールダウンしてくれなくて…… 困ったわ」
「ラフラカンテ! 居るか!」
ニコニコと笑っていたセイリスは、名前が呼ばれると珍しく引きつった顔になった。まさかの自分に矛先が向けられるとは思ってなかったらしい。しかし観念したすぐさまスッと立ち上がった。
「お呼びでしょうか?」
いつも通り、礼儀正しい落ち着いた声で返事をする。
混雑している食堂掻き分けて彼女の前までやって来たウェルケンは、もの凄い勢いで唾を飛ばす。
「貴様、なぜ殺した!」
「なんのことでしょう?」
「あああッ!! あのガキだ! 俺の獲物だったのにッ、どいつもこいつも横取りしやがってッ!」
「それは…… あのままでは生きたままオヴリウス一行の手に落ちるからです。本当なら死体だって渡したくはありませんでしたが、フォストラウト殿のご意見で……」
「うるさい! 俺様のせいにするのか!! 貴様らが逃したんだッ、無能だから!!」
丁寧すぎるセイリスの受け答えが気に入らないのか彼の息遣いは徐々に荒くなって、今にも声帯が潰れそうだ。
感情が高ぶってウェルケンがついに拳を振り上げた。見てられないと思い、ルシウスが二人の間に割って入る。
「こんにちはッ!!」
「あ?」
ルシウスは魂魄を回し全身を活性化。それ自体が暴力的で、さっきまでの威勢がどこかに消えたウェルケンは息を呑み、一歩後ろに退がってしまう。
それでも、彼のプライドがそれ以上の後退を許さず、顔を真っ赤にしながら叫んだ。
「退け!」
「退きませんッ!!」
懐から回転式拳銃を取り出しルシウスの眉間に突きつける。
食堂の緊張の糸はさらに張り詰めた。
「殺すぞ!」
「殺されませんッ!」
言い切った瞬間に銃声が食堂に響く。
それも六発全てであった。
「殺されませんッ!」
全ての弾丸が頭部を捉え、皮膚から血が滲み出したが、それ以上の怪我はない。
他の者ならいざ知らず、ルシウスにとって拳銃など活性化していてもオモチャだ。
「くッ…… 穀潰しが!」
ウェルケンに怒りは治まらず、リボルバーを振り回してルシウスを三度叩き、ギャアギャア喚きながら食堂を後にした。
セイリスは心配そうにルシウスの顔を覗き込み、
「大丈夫ですか?」
「はい。ああクソッ、腹が減る!!」
ルシウスは元の席に座って何事もなかったように食事を続けた。少なからず減った血を補おうとグルグルと腹が鳴りだした。
すると、やはり心配しているらしいベアトリーチェがルシウスの左隣にやってきて顔の傷にハンカチを当てる。カリッと引っ掻く音が出た。
「……止まってる」
すでに瘡蓋が出来ていた。
ロイが机の下からヒョッコリと顔を出し、
「ルシウスの心配するだけ無駄だよ。もう人間やめてるからね」
「……隊長、そんな所に隠れてたんですか?」
流石のベアトリーチェも呆れているのか、言葉に毒が混ざる。
「男が隠れるところといえばご婦人のスカートの中と相場が決まっているからね」
「はあ」
「……さ、食事を続けようか」
この頃にはもう食堂中の空気がウェルケンが来る前に戻って、和気藹々としていた。