ナトラ ⅩⅩ
六月十二日、火曜日。
朝、ナトラはトートバス中央駅の特別ホームに居た。
蒸気を燻らせる機関車の後ろに物資の乗った貨物車が連なり、さらにその後ろに客車が二台並ぶ。警備班が〈縛猫〉を列車の各部に送り込み、安全を確かめるとオヴリウス代表団が順番に乗り込んでいった。
本来なら開催地である“ゼプァイル・シティ”には明日、飛行船で赴く予定だったのだが、天候が思わしくないので予定を変更して鉄道での移動となった。開催地までは丸一日の列車旅である。そのため、出発日時もつられて前倒しになってしまった。
もうじき出発だが、ナトラはホームに立って今にも泣き出しそうな曇天を見上げながら煙草を吹かす。
すると、すでに席に座ったアナスタシアがショボくれた顔で窓枠に突っぷしてブツブツ唱える。
「買い物したかった……」
何か欲しいものがあったわけではなさそうだが、とにかく、異国情緒を味わってみたかったようだ。
「俺だって煙草屋巡りしたかったさ」
「したかったなぁ」
「スケジュールの都合なんだから、しょうがないだろ?」
「まあなぁー…… ナトラは何してんの?」
「連絡待ち」
「天龍院の人?」
「そ」
「ほーん」
意味深に潤んだ瞳でナトラをチラチラを見る。客車に近づき手を伸ばしてポンッと彼女の頭に置いてやると、「ふぅぅん〜〜」と鼻から気の抜けた息が漏れ出した。
そのまま続けると「ふーん、ふーん」と楽しげなハミングに変わる。
撫でるたびに音色が変わっていって不思議なメロディーを奏でるから、ナトラの方が和んでいた。それで、ナトラの方が気を遣われているのだと自覚して、なんだか恥ずかしくなった。
「早く来るといいな」
言われるとまた不安に駆られる。気持ちを切り替えたくて、振り向くとアナスタシアは珍しく真面目な表情だった。碧い瞳がナトラの心情を見透かしたか否かは定かでないが、それ以上何も言わなかった。
二十四時間に一回あるはずのシドウからの定時報告が途絶えている。加えて、近衛からの情報では昨夜、“銃声”が派手に鳴り響いて、しかも今朝の新聞では報道されていない。
状況的にシドウとスズリがトラブルに巻き込まれたのだろうと、推測はつく。しかし彼らも天龍院の人間だ。そう簡単にくたばることはないと、きっとどこかで身を隠しているだけだと、ナトラは心の中で何度も唱えた。
ポオオォォッと警笛が鳴る。出発時刻だ。
仕方なく煙草の火を消して客車に乗り込んだ。アナスタシアの正面の席に座ると間もなく、発車した。
彼女は気まずいのか一匹の〈縛猫〉を抱きかかえて撫でている。
列車はシュポシュポと黒煙を吹き鳴らしながら市内を行き、程なく草原に差しかかろうという時、ピュウウゥゥ〜〜っと聞き馴染みのある指笛の音が汽車の行く先から聴こえてきた。
反射的にナトラの頭の中のスイッチが切り替わる。
音はアナスタシアの耳にも入ったようで、彼女はパチッと目を開いて外を覗く。
「なんだ? ……おい!」
彼女を押しのけて窓から身を乗り出しスルリと車両の上にあがった。
目を凝らして周囲を警戒すると、列車の進行方向の線路沿い、建物の屋上には血まみれのスズリが立っている。赤い頬のあどけない笑顔がトレードマークだったのに、今では土気色の肌と生気のない瞳になってしまった。
血の気がザーッと引く。
「スズリッ!!」
ナトラに続き車上に上がったのは、坊主頭に大きな傷の目立つシンク・ボルテックだ。警備班である彼は緊張した顔つきで何匹かの〈縛猫〉を従えて、大きな銀色の盾の魔導具を構えていた。
事情を知らない彼は、スズリを敵と判断して迎撃をしようしているのだ。
「ナトラ、君は下がれ。私が処理する」
と、構えた盾の中心が光ると、円形の魔法陣がいくつも連なり砲身が出来上がって、今にもぶっ放しそうだ。
「待てッ、俺の身内だ!」
「はあ?」
シンクは訝しみながらも攻撃を中止し、
「怪しい動きをしたら撃ちますからね」
「むしろ、ほかの妨害がないか気をつけろよ…… ちぃ」
スズリは汽車に飛び移ろうとしているのだろう、重い足取りで助走を始める。
それはダメだ。
心の中で叫んだが、スズリは止まらない。気が逸っているのかタイミングが間違っているのだ。
このまま踏み切ればナトラのいる所よりもずっと前方、先頭の機関車に落ちることになる。列車は長い。ナトラが今いるところから二百メートルほど離れている。
スズリを受け止めるためにナトラは列車の上を走ろうとしたが、きっと彼女が落ちる方が早い。バックアップができない。
「ナトラ!」
窓から身を乗り出したアナスタシアが叫ぶと、ナトラの足元には見覚えのある六角形の板。〈蝶々発止〉だ。
咄嗟に踏むと、脚がバネと化したかのように身体が三十メートル以上跳ね出され、一気にトップスピードに乗る。これで着地した時のフォローはできるだろう。
そしてスズリが空中に身を投げ出した。
落下点は前方二両目、炭水車の上だ。
あと十メートル、空中で姿勢を崩す彼女に手を伸ばす。
視線があった。あどけない垂れた目だ。生え変わったばかりの白い歯が唇の隙間から見えた。
このまま何事もなく終わって欲しかった。
だが案の定、遠くから威圧感が飛んでくる。
すぐさま防盾を起動してスズリを庇う。
だが無駄だった。
無数の弾丸が防盾を破壊して、彼女の身体を蜂の巣にしたのだ。
四肢は千切れ、ミンチになった臓腑がナトラにかかる。顔が上半分が吹き飛び、眼球はどこかに行ってしまった。
ほどなく、力の抜けた肉の塊がナトラの腕の中にドスッと収まった。
「くッ、ああぁぁ……」
真っ白になった眼で弾雨の来た方を睨むと、トートバスのいくつかの建物の上に人影がいて、蜘蛛の子を散らすように去っていく。
今すぐ列車から飛び降りて、地の果てまで追い詰めてズタズタに斬り刻んでやりたかった。
「キラミヤ! 無事か!」
庇うようにナトラの前に立ったシンクの魔導具、〈煌々咆吼砲〉の光弾が建物真上で炸裂。太陽がもう一つ現れたと錯覚するようなまばゆい光と熱を振りまく。
しかしこれは威嚇射撃に過ぎない。何人も傷つけることなく、光が収まれば人影たちは消えていた。
ナトラの口から憎しみが噴き出す。
「シンクぅぅ!! ちゃんとぶっ放してくれッ!! あの連中を燃やせよ!!!」
「落ち着いてくださいッ、戦闘しても市街地に無駄な被害が出るだけです。分かりますよね?」
「そりゃあ! ……でも!」
「いいから降りてください。私が上に残りますンで」
「くぅッ、スズリ……」
怒りの矛先を失ったナトラは彼の盾の影に入りながら後退、血の出るほど強く唇を噛んで悔しさを堪えながら、躯を抱いて車内に戻った。
スピードを上げていく列車は市中を抜け、二度三度とカーブを曲がりながら坂道を登り、降りる。
ほどなく、トートバスの街並みは地平の下に消えた。




