ナトラ ⅩⅨ
物騒にも〈座鯨切〉を腰に差したナトラが、カジノの中庭に出ると、ライトアップされた大きな噴水があって、ギャンブルで荒んだ客たちを水と光で癒していた。そんな彼らを尻目に、ナトラは庭の中を一通り見て回る。
まさかとは思うが、爆弾の一つでもあったら一大事だ。木の上、生垣の中、芝の下。それとなく見て回ったが結局これといったものはなかった。
安心してホッと一息つくと、背後から聞き覚えのある声がかかる。
「あなた、何をやっているの?」
振り返ってみると、佇んでいたのは艶やかな黒髪を靡かせる女、シャルロット・フランベルゼだった。別にお恨み申し上げてなどいないのだが、つい最近彼女に風穴を開けられた腹がシュクシュク疼く。
シャルロットは、濃紺のパンツスーツをキチッと着ているが、豊満な肢体を隠すことはできていない。本人は無自覚なのだろうが、腕を組んでいることで胸元が強調してしまっている。コレで身長が低くなければ、相当モテただろう。
いや、低身長だから良いという需要はあるか。
「……近くで見ると美人だな」
「安い口説き文句。そんなんじゃ女心は動かない」
という返事の割にまんざらでもないのか、黒髪をかきあげる彼女の顔には不敵な笑みが浮かんだ。
「で、小銭でも拾っているの?」
「そんなところだ。君は?」
「ああいう、チャラついた場所は嫌い」
嫌なことを思い出したのだろうか、今にもヘドを吐き出しそうな苦々しい表情に変わって、カジノの中を睨みつける彼女。
イヤなら来なけりゃ良いじゃない。
そんな事を口走りそうだから、何にも考えず煙草を取り出し火をつける。
シャルロットは嫌味っぽく、
「……灰臭い」
「ん? ああ、すまんな」
「肺を悪くするよ」
得意げに鼻を高くしていた。
予想外のダジャレに、頭が真っ白になる。
とりあえず「は、はい」と返すと、世辞を言われた時以上に嬉しそうに口元が緩む。
火を消そうかと考えたが、彼女は髪をいじってそれ以上何も言わなかった。本当にシャレを言いたかっただけらしい。
案外と茶目っ気がある。
「消そうか?」
「煙草? 好きにして。そんなことより…… あなた、“剣聖”と殺すと言ったそうね」
「……ああ」
ナトラの心境としてはもう、復讐というほど鬼気迫ってはいないのだが、実の父親を殺害予告されたなら、娘としては思うところがあるだろうか。
憎まれ口を叩かれるかと身構えていると、シャルロットは、
「ぜひ、成功してほしい」
予想外の言葉に、ナトラは眼を丸くして惚けていると、彼女は呆れたようで眉を歪めた。
「なに?」
「いや、まさか君に応援されると思ってなかった」
「あれは滅ぶべき生物。害獣。アレの血が半分混じっていると思うと手首を切りたくなる」
「これはまた口が悪い。何? 事情があるの?」
「……あなたに話す筋合いじゃない」
「それはそうだ、その通りだ…… じゃあ、剣聖の弱点とかないのか?」
「弱点などはない、あればとっくにバラしている」
その一言は不思議と誇らしげであった。複雑な事情があるのは分かった。
色々聴き出したかったが、シャルロットはもうナトラに興味がないらしく、ボーッと噴水を眺め始めた。
後はただ沈黙が流れる。
それも一分もせずに飽きたのか、シャルロットは軽く手を振って、
「店に戻る、また試合で、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
と彼女は店内に戻ってしまった。
新しい煙草をゆっくり吸いながら、親子関係は胡乱なものだなあと、親を知らないナトラは思った。
ナトラも店内に戻り、をグルっと一回りすると、アナスタシアとドリスを見つけてしまった。
二人は窓際に立って虚ろな瞳でガラスに映る自分の顔を見つめていた。関わるべきではないと判断してナトラは背中を向けた。
「ナトラ」
背筋がゾッとした。
アナスタシアの声は出来の悪いクッキーみたくパッサパサに乾いていた。
関わりたくないのは山々だったが、ここで無視をすると、絶対に後で面倒になる。
覚悟を決め、再びアナスタシアの方を向く。
視線が合うと虚ろな瞳が徐々に潤んでいく。今にも涙が零れ落ちそうだ。
察しはつくのだが、一応訊いてみる。
「……なにがあった?」
「それが……」
聞けば、ウォルフガングと同じテーブルに座ったアナスタシアは、連戦連敗。ドリスの忠告も聞かず、何度も追加でチップを買ったが負け続けてしまい、当面の小遣いを使い切ってしまったらしい。
ポーカーはできあった役も大事だが、それ以上に心理戦だ。感情と表情が直結しているアナスタシアが勝てる道理はなかった。
「一時間も経ってないのに、ダメ人間」
「ぐうう……」
ナトラの一言がトドメになったのか、ついに彼女の頬に涙が伝う。
「泣くことないだろ」
「泣いてない!」
目元をゴシゴシこすって意地を張る。
すると両腕に抱えるようにグラスを二つ持ったネリアンカが姿を表す。
「えーっと、だれかなぁ?」
意外すぎる人物だったので対応に困ったが、母性的な笑顔だったのであまり堅苦しくするべきでは無いだろうと思った。
「オヴリウス代表のキラミヤ・ナトラです。ネリアンカさん」
「ああー、じゃーあなたさんがあの…… どーにも訛りがぬげねぇんズ。許してくんろ?」
彼女はペコリと頭を下げたのでナトラも同じように頭を下げた。
それから彼女はグラスをアナスタシアとドリスに渡す。
「ほら、オレンジジュースだぁ」
「ありがとうございます」
どうやら散財した二人を不憫に思ったみたいで、色々気にかけていたようだ。
ナトラはさっきよりも深く頭を下げる。
「すみません、ウチの馬鹿が面倒かけたみたいで」
「イヤ〜なんかほっとげなぐて。そういう性分なんだよなぁ」
気のない話をしていると突然、中年の女がネリアンカの背後から抱きつく。反射的に抜刀しそうになったが、その女の燃えるような赤髪に見覚えがあったので、ギクッと留まった。
赤髪の彼女は、髪色と同じくらいに顔を真っ赤にして千鳥足。小さめのビール瓶を片手に持った典型的な酔っ払いである。
彼女の名前はアゼンヴェイン・ヌスエーク。クォンツァルテ諸島代表団前衛コーチである。
彼女はネリアンカ密着しているにもかかわらず大声で、
「おーいネルー! そろそろ帰っぞー!」
「はーあーいー、またそんなお酒飲んで、うふふ」
酔っ払いに絡まれてもネリアンカは嫌な顔をせず、むしろ嬉しそうである。
「ほんじゃぁ、アタシたちは帰りますぅ」
「気をつけて帰って下さい」
「はいー、どもどもー」
おっとりと会釈したネリアンカはアゼンヴェインに肩を貸して、二人寄り添ってエントランスホールの方へ去っていた。それだけで二人の仲の良さを垣間見ることができた。
こちらの集合の時間までまだ二時間以上ある。その間この辛気臭い二人と一緒にいるのは精神衛生上良くない。
「とりあえず、場所を移そう。ここは貧乏人がいるところじゃありません。中庭にデカイ噴水があったぞ」
「噴水?」
「ライトアップされてて綺麗だったぞ」
「そっか、よしッ、見にいこう。ほらほら」
コロッと表情の変わったアナスタシアはナトラとドリスの手を掴んでグイグイ引っ張っていく。