アナスタシア Ⅷ
墓参のあと、一度グラン・ペルアイナに戻ったオヴリウス代表一行は休息ののち、夜のトートバスに繰り出した。もちろん仕事のある者、ノリ気でない者は留守番であるから、十五人くらいである。
アナスタシアは白いカクテルドレスを着て、薄緑のショールを肩にかけ、大きなルビーをあしらった髪飾りと、おまけに柑橘系のコロン付けて順次万端。
ほかの女性陣も一様にオメカシしているというのに、男連中といったら、いつもの真紅のジャケットばかりで魔導具も装備していたりで味気ない。
それでもアナスタシアの浮かれ気分が冷めることはない。
昨日の晩、船上から眺めた時も相当に煌びやかであったが、その中を歩いてみると一段と電飾の光は鮮やかに輝き、閉じた瞼の上からでもチカチカと目が痛い。ブティックのウィンドウにはドレスを着たマネキンがポーズを取り、怪しげな宝石や謎のチケットを売る露店商を見かけ、屋台街からは脂の乗った香りが流れてくる。
こんな光景は初めてだったので、アナスタシアの足取りはあっちにフラフラ、こっちにフラフラと危なっかしい。ハンシェルやドリスに何度注意されても直らず、しまいにはナトラに耳を掴まれてしまった。
「首輪着けるぞ」
「ニャー」
そんな夜の街を抜け、カジノ“ステラ・ステラ”に到着した。ここは大陸最大級のカジノで、ドレスコードもゆるく気楽に入店でき、船でやってきた外国人も頻繁にやって来る。
店内は広く、赤い絨毯の上に大きなテーブルがいくつも整列して、その上にカードやチップが行ったり来たり。隅っこからはジャズバンドの小気味の良い演奏が鳴り渡り、酒と煙草と金の匂いを感じた。
「それじゃあ三時間後に集合だ。借金するんじゃねえぞ」
この場で一番序列の高いハンシェルが手を叩いでそう念押しすると、団員たちは蜘蛛の子を散らすようにテーブルに向かう。
アナスタシアはナトラの服の袖をグイグイ引っ張り、
「私ポーカー行くけど、どうする?」
「ぐるっと見て回るから」
「じゃあ後でな」
ナトラを見送ってから、案内板でポーカーテーブルを確認していると、カクテルドレスのドリスが後ろからピッタリと張り付いてくる。
ドリスはいつもよりも圧迫感が強い口調で、
「トラブル起こしたら即、船に帰りますからね」
「こんな所でヤンチャしないよ」
「……ウス、信じてます」
ドスの効いた声がべったりと耳元に張り付く。これは信じてない時の声だ。
テンションが高めな自覚がアナスタシアにはあったが、それでも侯爵令嬢としてあるべき振る舞いはちゃんとできる。
「チップは? どこで貰うんだっけ」
「実はもう用意してありやす」
ドリスが取り出したのはステンレスのカップ。その中にはチップが入っているのだが、軽く振って、重さと見た目でザックリ枚数を数えると、大した金額ではない。
あまりの少なさに泣きそうだ。
「これっぽっち? もっとあるだろ?」
「明日はブティック行くんでしょ?」
「大丈夫、増やすから」
「ダメ人間のセリフっすよ〜」
アナスタシアが親指をグッとあげて答えると、悲しそうにため息をついたドリスが背中を押して、店内を案内される。
それから、ポーカーテーブルを見つけて乗り込むとすぐに問題に気づいた。
“彼”は高く積まれたチップタワーを見せびらかすように、
「イヤハヤ、また勝ってしまった。世界平和はもうすぐかな?」
「ゲッ! 剣聖ウォルフ!」
「ああ、帝国のお嬢さん。オメカシしてどこに行くんだい? 迷子センターかな?」
タキシードを着て葉巻を咥えたウォルフガングが、テーブルに座り、チップの山を築いていた。周囲には新聞記者たちや、着飾った女たちが瞳を輝かせて取り巻いている。
人の視線にハッとしたアナスタシアは咄嗟に、“令嬢風”の声を作って取り繕う。
「……ご機嫌よう、他にもシンカフィンの方々は来ていらっしゃるのですか?」
「ああ、半分くらいは来ている。そして我々だけではないぞ?」
ウォルフガングは大きな身体を反らすと、その向こうの席に座る女性が姿を現わす。
「こぉんばぁんは〜」
ひどく訛りが強かった。
“彼女”は剣聖に比べると小さく見えるが、アナスタシアよりも背が高い。日に焼けた肌。黒ぶち眼鏡の奥に、おっとりとした目。ライトブラウンの長い髪を三つ編みにして肩にかけている。仕草の一つ一つがゆっくりして、抱擁力のある感じだ。
そしてカーキ色のジャケットの下の、古いサマーセーターが妙に似合う。
「ネリアンカ・イシドルジュ、さん」
「あんれ〜、あたしん事知ってんズか〜? 照れちまうだ〜」
彼女は真っ赤になった頬を触りながら身体をクネクネさせる。
国別対抗戦関係者でネリアンカ・イシドルジュを知らない者はいないだろう。
今大会、雷神のごとく現れた彼女は帝国ラウンドで好成績を収め新人にしてラウンドMVPを受賞。特別試験にも居たはずなのだが、彼女は棄権していてアナスタシアが顔を合わせるのはこれが初めてである。
ネリアンカはジーッとアナスタシアを見つめてから、
「そんでぇ、どちらさまでズか?」
「……アナスタシア・フォン・フランベルゼです」
名前に聞き覚えがあったようでポンと手を叩く。
「はー、じゃーあなたがあのお姫様けえ? それはそれは、どーにも訛りがぬげねぇんズ。許してくんろ?」
「はい、お気にせず…… あなたもポーカーを?」
「いんやぁもうギャンブルは懲りたよ〜 知った顔があったんで挨拶してるだけだぁ」
過去の嫌なことを思い出したのか、彼女は不味そうに「ベー」と舌を出した。それから両手を合わせて剣聖ウォルフを拝む。
「豪運の男はモテるだぁ。ありがてぇありがて」
悪い気分でないのか、ウォルフガングは「ふふん」分厚い胸板を張ると、周囲のギャラリーが感心したように「おお」とため息。
これに呆れたドリスがボソリと、
「なんだこれ」
「どうする?」
代表団のスケジュールなんてどこも似たり寄ったりだから、他の代表団の者と鉢合わせるのは珍しいことではない。と事前に注意されていた。
だが、それにしてもこの二人とバッティングするとは予想外である。
彼らに背を向け、ドリスと顔を付き合わせてヒソヒソと相談。
「ヘタに関わるのはやめましょう」
「だな」
広い店内、ポーカーテーブルは他にもあるし、なんなら他のゲームもある。ここで面倒事に付き合う必要はない。
振り返って済まし顔を作ったアナスタシアは、
「それでは失礼し……」
「いい機会だ、同卓しないか?」
「あンら、じゃあここ使って」
ウォルフガングがゲームに誘うとネリアンカが席を立った。
「……大変光栄ですが、遠慮しておきます」
「なるほど、ババ抜きしか知らないお子様にはまだ早かったな。すまない、行きたまえ、フハハッ」
思考回路がカチンとした。
「上等ですわ! 破産させてやります!」
妙な啖呵を切ったアナスタシアは譲られた席にドシッと座ってしまう。
「お嬢ぅぅ〜〜、勘弁してくださいよ〜」
「はあ? 売られたケンカは買うだろ! ですわ!
「あら〜、こら、たいへんだぁ〜」
ドリスは涙目で肩をガクガク揺さぶる。ウォルフガングのファンが「ウォルフさまー、ファイト!」と囃し立て、新聞記者の猛烈な勢いでメモを取る。明日の三面記事くらいにはなっているかもしれない。
「ルールは?」
「昨日覚えた!」
「ふむ、ビギナー相手でも手を抜かない私だッ」
それからアナスタシアのチップが尽きるまで時間はかからなかった。