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抜刀ナトラ  作者: 白牟田 茅乃(旧tarkay)
ゼプァイル商連ラウンド
49/95

アナスタシア Ⅶ

 六月十一日、月曜日。

 日の出前、キャミソールと短パン姿のアナスタシアは沖合に停泊中のグラン・ペルアイナの船首側の甲板にやって来た。まだ暗い海面は朝靄でボヤけ、不思議と潮の匂いも薄いから、まだ夢に中にいる気分だ。

 使われてないロープをかけるコブに座ってウツラウツラ待っていると、他にもラフな格好の団員たちがチラホラ集まってきた。

 オヴリウス代表団の前衛(フロント)を中心とした戦闘員(アタッカー)たちは、朝の鍛錬として活性化(ハイライト)戦のみで組手を行うのが日課になっている。

 通称“飯前戦”だ。

 アナスタシアもこれに出来る限り参加しているのだが、どうにも弱っちくて最低レベルの戦績である。


「アーシェ、おはよ、ふあー…… ねむい」

「あれ? 復活?」

「ああ、いい加減に体が鈍っちまうからな」


 昨晩と同じ浴衣姿のナトラが、寝癖も直さずにやってきた。朝は弱いのか、欠伸を噛み殺しながら、後頭部をボリボリと掻き、硬い甲板の上にドサッと胡座をかく。シンカフィン戦から要安静だったが、どうやら快復したらしい。


 なんだかやる気が出てきたアナスタシアは、両手を上げ胸を反らし、グーッと背伸びると完全に目が醒め、そのままの調子で身体中の肉を解(ストレッチ)しながら、

活性化(ハイライト)戦って初めてだよね?」

「オヴリウスじゃ、殆どくたばってたからな…… ふわぁあぁー…… ねっむ」


 ルーティーンといってもナトラが合流した次の日はみんな二日酔いで中止になり、その夜に流星事件があった。その後は派閥間の緊張でずっと流れていて、再開したのはシンカフィン戦後だから、実はナトラは初参加である。

 太陽が水平線から顔を覗かせた頃になって団員が十人ほどが集まると、前衛(フロント)コーチ代理となったハンシェル・ケリードーンがパンパンと手を叩き注目を集める。


「よーし始めようか。ナトラ、お前と……」

「はいはーい、私やる!」


 アナスタシアが身体をピョンピョンと弾ませて挙手すると、ハンシェルは複雑そうに細めた目で浴衣姿を見た。

 ナトラがコクリと頷くと、ハンシェルの目は更に細くなってしまう。

 だが結局「じゃあ」とアナスタシアとナトラに戦うよう(うなが)した。


 ナトラは浴衣の(すそ)を持ち上げ、帯に挟んで動きやすくなると、

「あー…… いっちょ揉んでやるか」

「ぬかせっての」


 みんなが場所を開けると適当なスペースができ、二人がそこに立つ。

 アナスタシアは魂魄(エンジン)をブン回し、魔力(エーテル)を精製。それを全身に巡らせて、活性化(ハイライト)させる。

 威圧感(プレッシャー)を覚え、ふと彼を見ると、さっきまで眠そうだった瞳はナイフのように冷ややかで、アナスタシアはゾクゾクした。

 ピィッと笛の音が鳴る。

 気後れしている余裕はない。アナスタシアは速攻で右のハイキックを放った。


「とりゃッ」

「バカ」


 しなやかな脚がナトラの顔面を襲うが、彼は右掌でスンナリと受けた。樫の木のように堅くビクともしない。打ち込んだアナスタシアの足の方が壊れてしまいそうだ。

 感心しているとナトラの右手が万力のように足を捕まえ、振り払うことができない。


「ちょッ、離せ! 痴漢!」


 もう片方の脚も甲板から離して、踵でナトラの顔面を踏みつける。が、今度は左手で受け止められてしまった。


「軽い」

「うッ、この」


 両足を掴まれると、空中にあった上半身は甲板に落ちていく。

 手で着地しようしたが、ナトラの下段蹴りがそれを払うとアナスタシアは側頭部から甲板に落ち、ガタンッと頭の中に音が響く。


「あだッ」

「そこまで!」


 過度なダメージを未然に防ぐため、飯前戦では手脚以外の部分が地面についたら決着ということになっている。


 足を離したナトラは「ふう」と、手をパンパンと(はた)いて埃を落としながら、

「分かってはいたけど…… チョロ過ぎません?」

「るっせぇなぁー」


 アナスタシアはその場に座り込み、ジンジンと痛むタンコブを(さす)りながら(にら)みつけると、彼はフッと不敵な笑みを浮かべた。


「ま、いい準備運動になったよ。さッ、とりあえず全員ぶん投げようか」


 そのあとナトラは有言実行して簡単に七連勝。

 外野で観戦していて彼が手加減しているのがよく分かる。嫉妬心が沸き起こらないくらいナトラの徒手戦闘は鮮やかで圧倒的だ。

 あと一人で、この場の全員に完勝である。


「次、ジャスパー」

「おうよ。新人の高い鼻をへし折ってやるよ、物理的に」


 呼ばれて立ち上がったジャスパー・マーベリックはシャツを脱ぎ捨て上半身裸になり、得意げに肉体を披露する。身長は二メートルオーバーの長身で手足が長く、服を着ているとヒョロッとして見えるが、体重は百キロを余裕で超えている。キチンと鍛えられた筋肉は他の団員と比べても一段と(たくま)しかった。

 活性化(ハイライト)戦のジャスパーは強い。フィジカルの強さはオヴリウス代表団で一番だろう。それこそ、“ローテーション一周を完勝”なんてしょっちゅうの事だ。

 楽しくなってきたアナスタシアは隣に座ってきたドリスに浮わついた声で話しかける。


「どっちが強いかな?」


 ドリスはブラウン色の髪の毛先を遊びながら、

「んー…… ムズイっすね。大怪我しないでくれりゃあなんでもいいです」

「適当だなぁ、分析員(スコアラー)がそんなんでいいの?」

「試合じゃないっスから」


 なんて話していると、いつの間にかナトラとジャスパーは適当な間合いで見合っていた。

 左半身を前に出したジャスパーは、バンテージを巻いた両手で頭部をガード。キュッキュッと軽くステップを踏む。

 対照的に、足をほぼ平行に広げ腰を落としたナトラは、開いた手を身体の前に構える。派手なステップは踏まず、すり足でドッシリとした構えだ。それでも身体はジャスパーに合わせるように小さく上下に揺れる。


「はじめッ!」

 ハンシェルはピィッと短い笛音を鳴らす。同時にナトラは一歩踏み出した。


「シュッ」


 即座にジャスパーは左手で軽打(ジャブ)を放つと、防御する間も無くパシッと頬を叩いた。

 拳が最短最速で行き来するジャブは、いかに戦闘用魔導師タクティカル・ドライバーといえど、見てから(さば)くのは困難。

 しかし、その分威力は弱い。

 大したダメージにはならないと判断したのか、歯を食いしばったナトラはお構いなしに前進する。

 これを止めようと軽打(ジャブ)が連打されるが全く止まらず、ジャスパーが間合いを保つ為に後退して間合いを保つ。

 そして一発だけ、体重を乗せて打つ強打(ストレート)が紛れていた。


「シュッ」

「うおッ?」


 それが顎を直撃、ガクンと足が止まったナトラは上等な手品でも見たかのように目を開いた。

 アナスタシアも経験があるから分かるが、打たれてみないとジャスパーの左は軽打(ジャブ)強打ストレートは区別がつかない。アナスタシアは何も出来ずに遊ばれた。

 二人が息を合わせたようにフッと口元を緩めた。

 ナトラの足が止まったのはダメージがあったというより、ビックリしたからといった感じである。


 ジャスパーは手招きして挑発し、

「なぁキラミヤ、こんなのじゃつまらんだろ? お互い手抜きはやめようや」

「すんません。正直ナメてました」


 鼻を拭いたナトラは右足を露骨に前に出し、右の掌をジャスパーに見せるように前に伸ばして構えをとった。

 すると、嬉しそうに眉を(ひそ)めたジャスパーは一歩後退してさらに間合いを取った。

 意図を汲み取れなかったアナスタシアは、二人から視線を外さぬまま、ドリスに()く。


「あれって意味あるの?」

「ジャスパーはサウスポー相手だと、出された手が邪魔でジャブが撃ちづらいでしょうね。しかも手足が絡んだ瞬間に投げられちゃうから余計に神経使うだろうし」

「ああ、なるほど」


 確かにナトラは、ジャスパーの顔や腹ではなく、手首や脚に狙いを定めてジリジリと間を詰める。

 軽打(ジャブ)を掴むのは簡単ではないが、万が一成功した場合はその時点で決着がつくだろう。それくらいナトラの投げ技は流麗である。

 それが分かっているからジャスパーはフットワークを全開で使う。ナトラを中心にグルグルと回転しながら連打を再開。

 当然、ナトラは掌で防ごうとするが、ジャブとフットワークが巧妙で面白いくらいにジャスパーの拳が顔面を捉えるようになった。

 ナトラは頭を上下左右に細く振って、急所に直撃するのを避けつつ、間合いを詰めようと踏み込むが、ジャスパーのフットワークは見た目以上に上手いらしく、ナトラの手が届くことがない。

 まるでイノシシとマタドールに見えた。これは勝負あったなとアナスタシアが落胆した時、優勢だったジャスパーの方が悔しそうに呟いた。


「……やられた」


 いつの間にかジャスパーは船の舳先(へさき)三角地帯コーナーに追い込まれていた。後ろにも左右にも動けない。これではフットワークを使えない。

 常に一定の距離を保ってナトラの周囲を回転していたジャスパー。逆に言えば、それに合わせて前進して手を伸ばせば、有利な場所に誘導できる理屈だ。

 アナスタシアは素直に感心して大きなため息が漏れた。


「はぁ〜、あれ狙ってやったの?」

「じゃないっすか、多分」

「はぁえ〜」


 ナトラは甲板が震えるくらいに踏み鳴らしながら、右の掌底を突き出す。今までの牽制とは違う、力感のある攻撃だ。

 それに対し、ジャスパーは左フックを合わせた。

 ナトラは予測していたのか、顔の横に左手を置いてこれを受け止め、ギュッと拳を掴み潰して指があらぬ方へ曲がった。

 投げ技に移行するかと思ったその瞬間、稲妻のような右ストレートがナトラの顔面を捉えた。パァンッと血飛沫が舞い、首がガクンと跳ねる。

 威力は一撃必殺。


「ぐがぁッ!」


 しかし苦声をあげたのジャスパーの方。

 一瞬何が起こったのか分からなかったが、ジャスパーの拳のバンテージが不自然に赤く染まっているのを見てアナスタシアは理解した。

 ナトラは、右ストレートに頭突きをかましたのだ。

 額の骨はとにかく分厚い。対して、手は二十七個の小さな骨を靭帯で縛ったものだ。これは殴った方が猛烈に痛い。

 おそらく、この頭突きまでが作戦だったのだろう。

 ナトラに計算違いがあったなら、ジャスパーの拳の強さだ。

 天を仰ぐように顔が上がったナトラの瞳は虚ろ。意識が半分トんでいる。

 本能的に“ヤバイな”と感じた。神経がキンッと寒くなる。視界は鮮やかを失い、アナスタシアの時間が映画のスローモーションのようにゆっくり進む。

 ナトラのそこからの動きは機械的ですらあった。

 掴んだまま離さなかった拳を引き寄せてジャスパーを前のめりにさせると、右手で彼の後頭部を抑えて一気に体重をかけた。

 しかもナトラは足から魔力(エーテル)を流し込んでいる。活性化(ハイライト)させ、強化した甲板に顔面から叩きつけられるのは、いくらなんでも危険すぎた。


「ナトラッ!!」


 叫んだ瞬間、ナトラの焦点が戻ったのが分かった。

 ゴツンと、鈍い音が響く。

 背中にドッと脂汗が吹き出す。


「グウゥゥ、いってぇ〜!」


 唇を切ったようで、起き上がったジャスパーの口元は鮮血に染まっていたが、寸前で引き止めたのか大事には至らなかったようだ。

 安堵の溜息が甲板を包んだ。

 ハンシェルが笛の音が鳴らす。


「そこまでッ、金輪際お前ら二人の組手は禁止!」

 その言葉を聞いた二人は、揃って不満を漏らす。


「ええ? なんで?!」

「リベンジさせろ、すぐさせろ!」

「怪我じゃぁすまねぇだろうがッ!! バカヤロどもッ! 程度を考えろよッ!!」


 鼓膜を破らんばかりの一喝が甲板中に響き、怒鳴られた二人はガチンと硬直する。

 すでに二人は色んなところから出血している。おそらくこれでも穏便に済んだ方だろう。再戦すればハンシェルの言う通り、取り返しのつかない事体になりかねない。


「禁止ったら禁止! いいな!?」

「クッソ!」

「……わかりました」

 目があった二人の口元が同時に緩む。


「ジャスパー、結構良い拳してるね」

「オシャカにしたクセによく言うぜ」


 わざとらしく傷めた両手にフーフーと息を吹きかける。

 するとこの状況は不満なのか、看護婦のリーリスがしかめっ面で二人を引っ張っていた。


「はいはい、続きは医務室で!」

「ああ…… 今朝はもうこれで終わり、解散」


 ハンシェルの一声で、団員たちは散っていく。

 アナスタシアも船室に戻ろうと立ち上がると、背後から感慨深げな声がした。


「あれが男の友情なのね」

「ミドさん!?」


 振り返るとパイプ椅子に座り漫画雑誌を広げるワンピース姿のミドがいた。濁った白色のショートヘア。力のない瞳。低血圧なせいかやはり朝の彼女は眠たげで、いつも以上に、肌は生白く病弱に見えた。


 ドリスは少し困った声で、

「違うと思います…… ミドさん、いつから居たんですか?」

「ついさっきよ。それはともかく…… アーシェちゃん、さっきのが駆け引きというものよ」


 口調はともかく、亡きグラディスみたいに丁寧に話しをするから、説教をされている時の気分になってきた。思わず背筋を正す。


「二人は絶えず牽制と対策を続け、優位を取ろうと立ち回った。今回は、ナトラ君のが一手先を読んでいたから、本命の右手おくのてが潰されて、捕まえてからは鮮やかだった。次があったらもっと深い差し合いになるでしょうね」

「考えながらってのは…… 頭痛くなりそうっスね」

「ああいう事をあなたも出来るようにならないと先はないわよ。もちろん、魔導師(ドライバー)としての話だから、腕っ節はどうでもいいけど…… これからは対戦相手も対策をしてくる。逆手に取れるようにならないと…… いいわね?」

「はあ」

「……とりあえず、相手が嫌がりそうなことを想像しなさい。あなた、伸び代あるんだから」

 ミドに褒められたアナスタシアは難しい顔をしていたのに一瞬でパアッと明るくなる。


「じゃあじゃあ、なんかアドバイスあります?」

「それは私の領分じゃないわね。ハンシェルあたりに聞きなさいな」


 必要なことは言ったのか、ミドはグッと背伸びをしてから再び漫画雑誌に視線を落とした。

 確かに、ミドよりも適任者がすぐ近くにいる。


「おーい、ハンシェルー!」

「なんですか? お嬢」

 アナスタシアに声をかけられたハンシェルは優しい表情に変わる。


「私もあんな感じの、ガチ特訓したい!」

「……ヘッドコーチ代理、何を吹き込んだんですか?」

「あなたのお仕事じゃないんですか? 前衛(フロント)コーチ代理」

 ミドは雑誌に集中したいからか「シッシッ」と手を振って、それ以上は取り合おうとしなかった。


 彼はだんだんと渋い表情に変わっていき、

「……ドリス?」

「ウチに振られても困りますッ」

 さらに渋い表情になったハンシェルは、これまで何度も繰り返してきた台詞を言う。


「……やはり、基本的な事を身につけてからと思います」

「そうじゃなくて、もっとこう…… 本格的な感じの、応用編ッ! あ、新しい魔導具(ガジェット)使うってのもいいなぁ」

「基礎あっての応用です、まずは槍術のイロハを徹底的に身体に染み付けてからの方が良いでしょう。お嬢は才能あるんです、正攻法でいいんです」

「のんびりしてたら国別対抗戦(オリスタイラム)終わっちゃうよ」

「だからッ、今大会は見送って次を待った方がいいとッ、俺は口を酸っぱくして言いましたよねッ?」


 ワガママみたいなアナスタシアの言いようを聴くとハンシェルは腹を括ったようで、語気も荒くなる。


「ぐ、それは、でも…… 来ちゃったんだし、しょうがないだろ!」

「とにかく基礎ッ、基礎ったら基礎! 付け焼き刃は許しません。良いですね?」

「ぐぬー」

「はい、構えッ」


 有無を言わさぬ眼光に形勢は逆転。今日も説得できそうになかった。

嘲笑う白刃(トーネード)〉を起動(レイズ)して長槍を具現させると中段に構える。


「分かったよ」

「はい、俺も付き合いますから」

「うす、ウチも」


 ハンシェルは優しい表情に戻り、朝食までの短い時間、形稽古に時間を使うのだった。

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