ユーリ Ⅰ
六月六日、水曜日。
次のキャンプ地への引っ越しのため、ユーリ・エーデルフェルトは〈焼煉離宮〉の一室で荷物の整理をしていた。その間にも書類の確認のために団員たちがひっきりなしにやって来るが、みんな胡散臭いものを見る目をしていた。
夕方には出発の予定で、それまでには全ての準備が整うだろう。
すると、エドワードが帝都から戻ってきたのか、窓の外からは和気藹々とした声が聞こえてきた。
出発時刻に間に合わなければ置いて行くつもりだったから、心底残念でならない。
ところがいつまでたっても、誰もユーリに報告しに来ない。
代表団でのユーリの役職は事務監、団内序列第二位。重役といって良い立場だ。
いくら嫌われ役とはいえ、誰一人として報せに来ないのは、本部長の管理能力を問いただす必要があるだろう。
小さなことからコツコツと積み上げていくのがユーリ流。これは良い攻撃材料になると、スーツの内ポケットから手帳を取り出しメモを取ろうとすると、ノックの音が鳴る。
視線をあげると冷たい瞳のナトラが壁にもたれかかっていた。
「本部長が戻ってきましたよ」
「の、ようですね」
メモを取るより早く報告されたなら仕方ない。諦めて手帳をしまう。
ユーリはあくまで正攻法。ルールの隙をつくとか、裏でコソコソやるのは、後になって痛い目を見ると知っているからだ。
「その態度は礼を失しているのでは?」
「あいにく、副作用が抜けきってないんで。まあ、戦闘員の体調を気にしないというのなら、事務監が正しいことになるが?」
「いえいえ、でしたらどうぞお気にせず」
鏡を見て身なりを確認してから部屋を出ると、ナトラが後ろから付いてくる。足取りは自然で、とても体調不良とは思えない。むしろ、万全に近いのではないだろうか。
しばらく廊下を歩いていると、彼は淡々と尋問するように、
「エドワードと国務長官が、名実ともに決別したのは理解してます?」
「ええ?! そんなことになっているのですか! 知らなかったです」
事実、そんな連絡は受けていない。
ユーリは国務省との連絡用の無線機を持っていたのだが、代表団が近衛師団の傘下に移管してからは盗聴を危惧して使っていない。
もっとも、そうなるだろうと想定してはいたが。
「みんなもう、それを知っている」
「ああ、どうりで外が騒がしいと思いました」
〈焼煉離宮〉から出ると、団員たちが集まってエドワードを取り囲んでいた
ちょっと前までいがみ合っていたはずなのに、状況に流されてコロコロと主張を変えるのはいかがなものかと思い、ユーリは不快になった。
ユーリが一団に近寄った時に、エドワードが声を張り上げる。
「……だから皆さん、優勝しましょう! 僕も頑張ります!」
呼応して団員たち「おおおお」と盛り上がる。
何をどの程度話しているのかはわからならなかったが、どうやら本当に、部下に対して隠しごとはなしのみたいだ。それはそれで支配者として未熟なのだが、エドワードは理解しているのだろうか。
してないだろうな。
ユーリはそこに冷水を差すように、
「おかえりなさいませ殿下。長官との話し合いはいかがでした?」
団員たち全員の冷たい双眸が一斉にユーリに突き刺さる。
この疎外感、ゾクゾクする。
「非常に有意義でした」
「それは結構です」
「事務監。僕たちは優勝します、そして帝位につきます。誰にも邪魔はさせません。もちろんノルマンディー伯爵にも」
エドワードがそう言い放つと、同調した団員たちが彼のそばに一歩踏みよる。
ユーリは別に、人に嫌悪されたいと思っているわけではない。ただ、トラウマだろうが崇拝だろうが、誰かの脳裏にベッタリとくっついて離れることがない、そんな人間でいたいと願っているだけだ。
この瞬間、団員たちの心を支配しているのはユーリただ一人だった。こういう時間は至福だ。
しかし、自分が異端だからこそ、戦法は正攻法に尽きる。
「それは結構。しかし、私が序列二位であることは変わりありません。こと事務的な事柄は私が掌握しております。頭ごなしに話を進めていただかぬようお願いしますよ」
ユーリの前に立ったジャスパーが、
「てめえなんて怖くもねえんだよ」
他にも何人かの団員たちがユーリに近づく。
だからこそ、丁寧に釘を刺しておく。
「んー、何か勘違いしているようですね。僕はただ、ルールに殉じているだけです。例えば、代表団の中で暴力事件が起こったら、その責任は当然殿下にとってもらうことになる。よろしいですね」
案の定、彼らの足は止まる。
知恵の足りない者を操ることのなんと簡単なことか。
エドワードは泣き出しそうな瞳をして、
「エーデルフェルト事務監、僕はあなたとも仲良くなりたいのです」
「殿下が“良き支配者”であるなら、自然とそうなりましょう」
「そうですか…… そうですね。そうなります」
さっきまでうざったいくらいの熱気に包まれていたのに、大分涼しくなった。
それに満足したユーリはパンパンと手を叩くと、
「皆さん、引っ越しの準備は進んでいますか? 夕方には出発ですよ? 早く早く」
煽ると、団員たちは渋々作業に戻った。