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抜刀ナトラ  作者: 白牟田 茅乃(旧tarkay)
オヴリウス帝国ラウンド
45/95

エドワード Ⅴ

 六月五日、火曜日。

 エドワードがシエスタを(ともな)って帝国国務省庁舎を訪れると、ケイネスは特に驚く様子もなく淡々と迎え入れた。

 執務室の革のソファーセットにエドワードとケイネスが対座し、後ろにシエスタが立つ。


「しかし、御訪問していただけるのでしたら、事前に言いつけてくだされば良いのに。省員一丸となってお出迎えしとたところを」


 ケイネスの立ち振る舞いは普段と変わらない礼節をわきまえたものだ

 ただ、彼の見開いた瞳の虹彩が、普段よりギラついていた。敵意なのか殺意なのか、エドワードには判断がつかなかったが、年季の入った迫力に怖気付き、逃げ出したい衝動を抑え、言葉を(つむ)ぐ。


「今回はお忍びですので」

「ほう? なんですか、秘密のお話でも? 好きな子でもできましたか?」

「はは、僕にはまだ早いですよ」


 ドアからノックがすると、ケイネスが強い語気で「入れ!」と告げるから、エドワードの心臓は高鳴った。

 ドアがキィィと軋みながら開くとキッチンワゴンを押すメルトが入室する。

 ワゴンの上には黄金意匠のティーセットと、華やかな焼き菓子の乗ったスタンド。深々と会釈した彼女は、ルビーを溶かしたような真紅の液体をカップの注いだ。

 それは帝国の国旗の色によく似ていた。


「粗末なものですがお許しいただきたい」

 カップに口を付けると、ブドウに似た豊潤な香りと甘さがほんのり口に広がったのでエドワードは感心した。


「もしかしたら、僕がいつも飲んでいる紅茶より上等かもしれませんね」

「お(たわむ)れを」

 ケイネスも飲み、ホッと一息つける。本当に仲の良い者だけで、お茶会をしている気分になった。


「それで、どのようなご要件で?」

「おや、用がなければ来てはいけませんか?」

「いえいえ、殿下が国務省においでになるのは初めてですから…… 私も緊張しているのですよ」


 見下ろすケイネスの視線はそんな可愛げのあるものではなく、毅然(きぜん)としたものだ。身体が徐々に小さくなって豆粒くらいなってしまう錯覚に陥る。彼といてこんなに居心地の悪かったのは初めてだ。

 チラリと後ろを見るとシエスタは普段どおり生真面目な表情をしていた。それで、ケイネスは何一つ変わったことをしていないと分かった

 変わったのはエドワード自身だ。面と向かい対峙して初めて、彼が狩人のような瞳をしていると、今ようやく知ったのだ。


 エドワードは上ずりそうな声帯に活を入れながら、

「伯爵ッ、流星事件について、どうお考えですか?」

「かの事件は司法省の管轄ですから、私がどうこう申すわけには参りません」

「はい、ですからお忍びなのです。今日、僕はここに来ていないのだから、長官の考えを聞いているわけがないでしょう?」

「なるほど、悪いことを覚えましたな…… 国別対抗戦(オリスタイラム)は超国家による一大イベント。建前上は平和の祭典です。これを狙うテロリストはいくらでもいるでしょう。例えば…… “ソヒエント”が関わっているとか」


 どんな国家にも反乱分子が存在するものだが、近年では各国の緊張が緩んだり、警察力強化などの理由で弱体化が進んでいる。

 ソヒエントはそんな各国の反乱分子の仲介役である。

 例えば、ある組織が暗殺を計画しても頭数が足りず不可能であっても、ソヒエントを通じて他組織から人員を借りるたりできるのだ。


「いずれにせよ、超国家テロである以上、同盟事務局の捜査官に任せましょう」

「テロリスト…… 伯爵は僕とは違うお考えのようだ」

「ほう」


 ケイネスの眼は少し鋭くなった。

 喉元にナイフを突きつけられている錯覚に必死に耐える。


「……流星事件はもっと複雑なのでは、と僕は考えてます」

「と言うと?」

「あの夜、イストーレ夫人が亡くなりました。そして僕が国別対抗戦(オリスタイラム)に参戦する運びとなりました。あなたの演説が原因です」

「殿下、私も心苦しいのです。ほかに臣民を(なぐさ)める方法がないのですから。それが何か?」

「あなたが、事件に関わっているかと疑っているのです」


 ケイネスは鼻で笑い飛ばしてから、

「演説をしただけで私が犯人と申されるのはあまりに…… 第一、私も害を(こうむ)っている」

「そう、それが目眩(めくら)しなのです」


 まさか、あんな大事件が起こると知っている人間がわざわざ訪れるわけがない。あの夜あの場所に居た者は容疑者として扱われない。まして、三日三晩生死の境を彷徨(さまよ)った国務長官(ケイネス)が犯人だと疑われる筈がない。

 だが、エドワードが描くケイネスの人物像は確固としている。


「貴方は目的のために命を賭けることのできる方だ」

「褒められたと思っておきましょう…… ですが、その理屈で言えば容疑者は私一人ではありますまい」


 エドワードは、パフィンから渡された写真を取り出しテーブルに置く。

 ケイネスは興味津々に顔を近づける。


「面白いものをお持ちですな?」

 その言い方はまるで少年のように若々しく、気圧される。


「……公爵、写真の貴方は随分と不思議な様子です」


 流星が降る中、ケイネスとグラディスが握手をしている光景が収められていた。グラディスは狼狽しているが、口角が上がったケイネスはジッとしていて石像のようだ。

 背景には逃げ惑う人々が写っていて、明らかに不自然な一枚である。


「いかんせん戦場など知りませんので、イストーレ夫人に助けを()うているのです。いやはやお恥ずかしい」

「違います。戦場に初めて出た人間はこんな顔はしません。それを僕は知っている」


 誰あろう、国別対抗戦(オリスタイラム)の試合に先日出たばかりの者の台詞だ。説得力が違う。

 しかし真っ当な理屈ではない。穴はいくらでもある、だから話を先に進めて煙に巻こうとする。


「僕には、逃げようとしている夫人を引き留めているように見えます…… 僕の考えはこうです」


 流星事件のような大規模テロを実行しようとすれば必ず、ケイネスが嗅ぎつける。つまり事件が起こっている時点でケイネスが関わっているのは確定的だろう、と最初からエドワードは思い至っていた。

 問題はどの程度関わっているかだ。

 事件が起こった時は、“これくらいは把握しているのだろう”と思考は停止していた。だが、代表団に合流した頃から“深く関わっているかも”と疑問に変わり、写真を見たときには“首謀者なのだ”と確信になった。


「公爵が焼失したのは右手でしたね」


 グラディスを暗殺したいなら、流星の一雫をケイネスの指輪なり腕時計なりに狙って落とせれば、彼女や団員たちを巻き込むことは可能だろう。

 他でもないケイネス自身が乗り込んだのは、その方がグラディスと接触がしやすいからだ。

 そして、事件後の演説。無傷でいるより、死にかけた被害者を装った方が臣民の心を惹きつけ、エドワードを国別対抗戦(オリスタイラム)に参戦させる説得力を持たせられる。

 考えを披露して乾いた喉を紅茶で潤していると、ケイネスはオペラを見終わった時のように拍手した。


「面白い推理です、殿下にはミステリー作家の才能があるようだ。が、そもそも写真の出所は? 百歩譲って殿下の推理通りだとしましょう。ですが写真に信用がない以上、信じる者は少ないでしょうな」

「はい、どう転んでも司法省や同盟の捜査官は動かない。ジャーナリズムも期待できない。伯爵が根回ししているのだから」


 ケイネスは何も言わなかったが写真の中と同じく口角が少し上がった。

 エドワードはテーブルに手をつき身を乗り出して叫ぶ。


「伯爵、答えてください。あなたが流星事件を(くわだ)てたのですね!」

「はい、そんなところです」

「閣下ッ!」


 即答したケイネスにケイネスに観念した様子はなく堂々としている。むしろ彼の後ろに控えるメルトがアタフタとし始めた。

 シラを切ることなく白状したことで、頭の回転の追いつかないがなんとか問いただす。


「どうしてこんな…… こんなことをしたのです!」

 多くの人が死に、ケイネス自身も死にかけ、それでも手にしたいものとは何なのか。全くといっていいほど想像がつかない。


「殿下、私は権力者なのです。高みあれば登る、必要ならば皇帝だろう犬だろうと踏み台にする」

「はあ? どれだけの人が亡くなったと……」

「権力者とはそういう生き物なのです」

「……こう言ってはなんですが、ノルマンディー伯以上の権力者は帝国にいないでしょう?」

「はい、にも関わらず次の皇帝はあなただ」

「僕が…… 帝位につくのが不満なのですか」


 滝壺の落ちるように血の気が引いたエドワードは、ペタンとソファーに座りなおす。

 ケイネスが言っていることが何一つ理解できない。


「あなたが、私より優秀であるなら我慢もできましょう。しかし親も子も無能となれば、これを廃するほかありますまい」


 ケイネスの言葉は、エドワードに対する殺害予告ではないのか。

 まがりなりとも生まれた時から世話になった人物が、そんなことを言ったのが受け入れられずポカンと口が開く。


 放心しているエドワードの代わりにシエスタが、

「そもそも伯爵には、帝位継承権がないはずだが。どのような手順で帝位につくつもりか」

「妻にはある」


 “父系を辿ると初代皇帝ルドルフに繋がる者全員”に帝位継承権はあり、その総数は四桁近い。そのほとんどは大貴族であるが、ケイネスは含まれていない。 

 現在のオヴリウス王朝の規範では、彼が皇帝になることはできない。仮に革命を起こしたとしても、臣民から支持されないだろうから、長期王朝は難しいだろう。

 だが彼の妻には継承権がある。

 例えば法律を変え、“父母どちらかの血統を遡れば初代皇帝ルドルフに繋がる”と修正すれば、ケイネスの子供は皇帝になることができる。臣民の支持もある程度は稼げるだろう。

 もちろん、誰もが納得するだけの大義名分が必要だが。


「ひとつお聞きしたい。あなたは皇帝、の父になって、どう臣民を導くのです」

「さあどうしましょう。実はそれほど考えていないのですよ。ただ、さらなる権力を得るために最善を尽くすことをお約束しますよ」


 “さらなる”?

 それはつまり、大陸中に“さらなる”戦乱が訪れるのではないか。

 それはいけない、止めなくてはいけない。

 自分が幸せになれれば他の人がどうなってもいい、なんて考えの持ち主に皇帝になってほしくない。

 決心したエドワードはソファから立ち上がると、ケイネスの視線に負けぬよう睨み返す。


「僕は国別対抗戦(オリスタイラム)を通して、皇帝に相応しいと証明します。そうすれば、あなたが皇帝の父になることはない、違いますか?」

「少なくとも、妨害にはなり得るでしょうが…… 良いのですか? あなたの父親は長くない。私の友人にお願いしましょう、あなたを国別対抗戦(オリスタイラム)から解放し、親子の時間を作ろう、と」


 ケイネスの眼を見て、胸を張って、

「ノルマンディー伯爵、僕は皇太子です」

 単なる決意表明ではなく、彼に対する宣戦布告だ。


 彼は、途端に柔らい顔つきに変わり、

「ひとつ、ご忠告申し上げる。ソヒエントが流星事件に関わっているのは事実です。というより、私は便乗しただけの協力者にすぎません。今回の国別対抗戦(オリスタイラム)は荒れます。お気をつけを」

「はあ」

 急にエドワードの身を案じるようなことを言うから、さらに混乱して溜息みたいな返事をしてしまった。


 彼は心中を察したのか、

「自分の獲物を誰かに取られたくない性分なのですよ」

「……感謝します。それでは、国別対抗戦(オリスタイラム)の閉幕後、またお会いしましょう」

 エドワードは残りの紅茶を一気に飲み干してから国務省庁舎を後にした。

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