パフィン Ⅱ
六月四日、月曜日
エドワードの演説で感銘を受けたパフィンは、なんとか彼と接点を持てないかと各所を駆け巡っていたが、案の定うまくいかず右往左往を続けるばかりであった。
そうこうしているうちに国別対抗戦帝国ラウンドは終了、成績が確定する。
一位 エインジェン教導国 三勝二敗〇分 勝点九
二位 シンカフィン共和国 二勝一敗二分 勝点八
二位 ユーグミシェラ連邦 二勝一敗二分 勝点八
四位 クォンツァルテ諸島 一勝二敗二分 勝点五
四位 ゼプァイル商連 一勝二敗二分 勝点五
四位 オヴリウス帝国 一勝二敗二分 勝点五
一時は単独の最下位だったオヴリウス帝国は、ラスト二戦で勝点をかせぎ、なんとか食らいついている状態だ。だが、一位とは倍近く勝点が離れされ、無残な結果だったと言っていい。
代表団は早々に次のラウンドの開催地に出発してしまう。そうすればパフィンがエドワードに接触する機会はもうないだろう。半ばヤケになったパフィンは直接オヴリウスキャンプに乗り込んだ。
分厚い雲からポツポツ雨が降っていて、昼過ぎだというのに肌寒く、行楽日和からは程遠いのだが、〈大いなる卵胞〉の白い壁の周りには人だかりができていた。代表団、というよりエドワードを応援しにきた臣民たちだ。彼らの声に悲壮感はまったくない。優勝すると確信した。活気のあるものだ。
彼らの声援に負けぬように声を張り上げ「殿下に会わせてください!」と何度も叫んだが、聞き取ってもらえるわけもなく、一旦人だかりから離れた。
木の陰に隠れてどうしたものかと思案していると、傘をさした青年がキャンプに向かって歩いていた。
背格好を見て、もしかしてと思い、パフィンは宝くじを買う気持ちで声をかけた。
「あの、キラミヤさん?」
「え? はあ…… パフィン・チェンリー?」
返答があったからパフィンは雨を気にせず彼に駆け寄った。
傘の下のナトラはマントを羽織っていたが、フードは被っておらず顔がハッキリ見える。
彼の知名度が上がったのは試合の直後からで、写真なんかはほとんど出回っていないから、“キラミヤ・ナトラ”という名前を知っていても、顔まで知っている者は案外少ない。印象強い〈座鯨切〉が腰にないから、なおさら気がつかない。
前夜祭で直接会っていなければパフィンも見過ごしていただろう。この機を逃してはダメだとパフィンの心は異様に高揚する。
「ここではなんですから、少し場所を変えませんか?」
「あいにく、仕事が立て込んでいるんだ。じゃ」
雑にあしらってキャンプに戻ろうとする彼。そのマントの裾を掴んだパフィンは、爪先立ちになって彼の耳元で囁く。
「私は有益な情報を持ってます 皆さんのお力になれます」
彼は顎に手を当て考え込むと、瞳の色が変わったような気がした。
「待ってろ」
あんまりにも冷徹な声色だったから背筋がゾッとする。
彼は一度〈大いなる卵胞〉の中に入ると、五分後再び姿を見せた。
「来い」
白壁の内側には入ると意外にも中に雨は降っていなかった。〈大いなる卵胞〉の能力で弾いているのだろう。
すぐそこに、一丁の銃を持ったシエスタが仁王立ちして待っていた。
物騒な姿を目の当たりにして動けずにいると、背後に回っていたナトラが膝の裏を蹴る。パフィンの身体はカクッと落ちた。
首筋に金属の冷たい感触、ナイフだろうか。
そしてすぐに、牙をむき出しにした〈縛猫〉が十匹ほど近づいて三人を取り囲む。
ようやくパフィンは、自分が信用されていないと悟り、両手を高く上げる。
そもそも、約束もなしにいきなりやってきた新聞記者なんて怪しさ満点。不審者としか認識されない決まっている。もしかしたらここで殺されるのかもしれない、と今更になって遺書を用意するべきだったと後悔した。
「ああ、あの私は! パフィン・チュンリーと申し上げまる!」
大きな声をあげると、杖をついたアナスタシアが興味津々な表情で近づいてきて、
「なになに? 誰それ? お客さん?」
天使に見えた。
この危機的状況を助けてくれるのでないかと心が浮れるが、ナトラの冷たい一言で淡い期待は消えてなくなる。
「黙って向こうに行け」
「こわ、スイッチ入ってるじゃん」
有無を言わさぬ声色に気圧されたアナスタシアは尻尾を巻いて立ち去り愕然とした。
「雑誌記者だな、何の用だ」
シエスタはナトラと同じような冷徹な声をしていた。二人に挟まれて身体が震える。でも、だからといって挫けるわけにはいかない。なんとか信用してもらわないと、ここに来た意味がない。
ゴクリと喉を鳴らしてから、
「実はですね。殿下とお話しを、したいと思いました次第で」
「痴れ者が、どこの馬の骨とも分からぬ輩を引き合わせるわけなかろう!」
「私は殿下のお役に立ちます! 本当です! なんでもしますから信じてください!」
「なんでも?」
「ほう…… では、身体を張ってもらおう」
二人が一度目配せをすると、シエスタは懐から一本の注射器を取り出す。その中には緑色の液体で満たされていて、見るからに危ない匂いがする。
「これは〈裏切り者は地下室に〉という魔導具だ。有り体に言えば自白剤だな」
パフィンは魔導師ではないから、魔導具についての知識は乏しい。それでも副作用があることは知っていた。
まして自白剤と言うのなら強烈なものであるのは想像に難くない。
すごく怖い。
でも簡単の屈するわけにはいかない。ここで簡単に引いたら、あの時のエドワードの演説に感銘を受けたことが嘘になる。
覚悟を決めたパフィンは、ドンッと胸の中心を叩いた。
「それで、私が信用されるのですね? でしたらどうぞ、この身をエドワード殿下に捧げます!」
「呼びましたか?」
〈焼煉離宮〉の方から、緩やかな表情のエドワードが歩いてくる。
さっきまで冷たい顔をしていたシエスタの表情が一変し、彼に駆け寄った。
「殿下! どうして」
「いえアナスタシアさんが、お客様が来たって言っていたので、様子を見に」
あとでお礼のお手紙を送ろう。
「お下がりください、得体の知れない女です。我らが対応しますゆえ」
「それは!」
エドワードは〈裏切り者は地下室に〉を持っているシエスタを見た瞬間に、泣き出しそうな表情に変わり彼女に飛びついた。
「ダメです、死んでしまいます!」
「しかし」
「ダメったらダメ、絶対ダメ」
歳相応に駄々をこねるエドワード、それに困惑するとシエスタの二人は、まるで歳の離れた姉と弟に見えた。
「うう、キラミヤ、どう思う」
「正直言って五分五分だな。事後処理が面倒だ。エーデルフェルトが見てるぞ?」
彼の言葉を聞いて諦めたシエスタは、〈裏切り者は地下室に〉を懐にしまった。
「分かりました。これは使いません」
パフィンとエドワードは同時に安堵の息を吐き、なんだかおかしくなって笑顔になる。
「で?」
ナトラの冷徹さがいっそう濃くなると笑顔も凍る。
まだ信用されたわけじゃない。むしろ、ようやく本題に入れるのだ。
気合いを入れ直し、
「あの晩の…… 流星事件のことです。ジャケットの内側に写真があって、それを殿下に」
シエスタが乱暴に手を忍ばせて封筒を拭き取ると、エドワードに渡す。中を開くと一枚の写真が入っていた。流星事件で死んだパフィンの先輩が最後に撮ったものだ。
写真を元に記事を書いているとしていると、社長自ら作業中止の命令を出した。なんとしても世に出したくて編集長に掛け合ってみると「察してくれ」と言われ、それで帝国政府からの圧力があったと理解できた。
俄然、パフィンの心に火がつく。偉い人の顔色を伺って、何がジャーナリズムか。
先輩が遺した写真を無駄にはできない。でも出版社にいては何もできない。
だから退職してまでオヴリウスキャンプにやってきた。
「この写真には、それだけの価値があると信じてます!」
続けて写真を見たナトラとシエスタは、同じように首を傾げる。
「真贋以前に、説得力が厳しい」
「同感です」
目を閉じて考えていたエドワードはゆっくりと瞼を上げる。瞳には哀愁が漂う。
「一度、帝都に戻りましょう、二日あれば往復できるはずです」
「エドワード」
「大丈夫です、話をしに行くだけですから」
「決別することになるぞ」
「いつかは、あの人とちゃんと向き合わなくてはいけないんです。今がその時です」
目配せしたナトラとシエスタはコクリと頷いた。
「よし、行ってこい」
今までと違い、ナトラの声に温かみがあった。
シエスタは銃をしまうと、
「君の身柄は近衛で保護する。この写真が本物なら、ノルマンディー伯爵が放置しておくとも思えん」
「はい、ありがとうございます」
押し潰されるくらい重かった肩の荷が下りた気がして、パフィンはその場にヘタリ込むのだった。