ウォルフガング Ⅲ
試合終了のサイレンが鳴ると、区域線の外の観客たちは溜まりに溜まった鬱憤を声にして張り上げる。それを聞くウォルフガングの口の中に苦いモノが広がるが、不思議なことに不快感はなく、爽快でさえあった。
瓦礫の上を歩くと倒れているナトラを見つけた。腹に大穴があき、全身に斬り傷。あらゆるところから血が流れ出している。満身創痍だが、なまじ活性化が優れているから失神せず〈打ち上げ棺〉が起動しない。
とはいえ放っておいても一分と持たないだろうが。
「やられたな。殿下を出場させたのは自棄かと思ったが、キッチリ勝ち筋を用意していたとは」
「ざま…… ね、ぇな」
声は掠れて聞き取りづらい。しかも息が漏れているのか「ピュゥゥ」と笛のような音が鳴った。
この状態でよく最後の一振りができたものだと感心する。
瞳は複雑な色。言いたいことは海より深く、山より高いのだろうが、今の彼に語らせるのは酷だろうから、ウォルフガングの方から核心に迫る。
「私を殺してトウドウ・クノが喜ぶのかね? 君は知っているはずだ、復讐の無意味さを」
そう言うと、彼は青空を仰いで考えこむ。
「おれ、は…… あんたを、越える」
殺すではなく、越えると言った。
そうだ。
生者が死者を越えるためには、二人と戦ったことのある物差しが必要なのだ。
ウォルフガングが相手をするしかない。
それはきっと、単なる復讐心とは違う。
「然り、ならば結構だ。幾度となく死線を潜ろうではないか」
ウォルフガングの言葉に満足そうな顔をした彼は、首に付けられた〈打ち上げ棺〉を起動させるため鈴を摘み潰すと、オレンジ色の球体がナトラを包み込み、飛行船に向かって飛んでいった。すぐに医者が処置をするだろう。
彼を見送っていると、不機嫌そうな声が背中を叩く。
「ウォルフガング」
「シャルロットか」
瓦礫の山に立つシャルロットは、食いしばった白い歯を隠すことなく、悔しそうな眼光をしていた。
ウォルフガングに迫ろうと瓦礫の上を歩く彼女は、履きなれない革のブーツのせいで今にも転んでしまいそうだ。
不遜な態度で忘れがちだが、身長の低く運動の苦手な娘だった。
それで、アレックスに親子関係の改善しろと言われたことを思い出し、
「手を貸そうか?」
「黙れ!」
取りつく島がないほどに拒絶されて、さすがに心が痛む。
だがそんなことは微塵も表情に出せない。剣聖として、威厳のない姿を観客に見せるわけにはいかない。
「負けたくせに随分と余裕がある、ウォルフガング」
「良い試合の後は気分が高揚するものさ。お前にも理解できるのではないかね?」
「知らない」
「しかし、客は盛り上がっているぞ」
試合場の外を指すと三等客席は叫び、踊り、誰もが幸せそうな顔をしている。
顳顬の血管が浮き出そうなシャルロットは、ウォルフガングの胸倉を両手掴み引っぱり落とそうとするが、体格が違いすぎて、一ミリも動かない。むしろ彼女の身体が浮きそうだ。
それでもシャルロットの形相は険しくなるばかりだ。
「敵国を盛り上げてどうする」
「観客に敵も味方もない」
「ふざけるな!」
「本気さ」
そのままの体制で睨みつける目元に涙が溜まっている。
敗北が悔しいのだろう。
「なんだぁ、喧嘩か? こっわ」
すると、重傷のオイゲンと、それを支えるジェノバが呑気な顔でやってきた。試合に負けたのに少しも卑屈になっていないのはやはり、清々しいほどに出し抜かれたからだろう。
「お主らが暴れたら明日は血の雨が降るけんなぁ」
面白くもない冗談を「ガハハハ!」と息を合わせて笑い出す。
「そんなことより俺の腕ぇ探してくれよ、この辺で落っことした」
「ああ、ありゃワシの爆風で消し飛んだぞ」
その一言で二人から笑顔が消える。
「……え?」
「すまんな」
気まずい空気に変わると、興ざめしたのか、胸倉から手を離したシャルロットは目元を拭い控え室に向かって歩き出す。
その背中には並々ならぬ闘志を帯びている。
「帰るぞ。〈集束煌〉の理念がバレた。貴様らには今まで以上に働いてもらう」
「当然だ、身体を張るしかない私だ」
「それよりも飯じゃー」
「腕、俺の腕……」